負けない気持ち〜Photograph〜
Photograph



新入の慌しさが去り、ゴールデンウィークも過ぎ、漸く落ち着きだした皐月の候。
雨季の前の爽やかな緑風に誘われて、葉月珪はうとうとと眠りを貪っていた。
しかし、時は休み時間に移っている。学生特有の騒がしさが耳につき、思うように眠れない。

………場所を変えるか。

起きるという選択肢はないらしく、葉月はのそのそと体を持ち上げ教室を出る。
――ここでは、授業中しか寝られない。
氷室教諭が聞いたら氷刃のごとく怒りそうなセリフだが、幸いにもそれを知るものはいなかった。



既にお決まりの場所となりつつある体育館裏へ向かっていた葉月は、昇降口に出る前に見知った顔を見つけ足を止めた。
肩口で揃えた髪を涼やかに揺らし、やわらかな空気を纏っている少女。
間違える筈もなく小野町際である。
際は葉月に気が付くことなく熱心に手元を見つめている。

写真?

大きさと様式からサービスサイズの写真だと推察された。
彼女はそれを眺めてはニコニコと幸せそうな笑みを漏らしている。

誰が――写ってるんだ?

際の表情に浮かぶ好意、それが写真の相手に向けられているのは明らかで、葉月はコブシをギュっと握った。

「あら、葉月君どうしたの?」
後ろから声を掛けられ、葉月は驚いて振り返った。
「有沢か…」
「申し訳ないんだけど、廊下の真中に立ってられると通れないの。少し端に寄ってくれる」
つんとした言い方に少々戸惑ったが葉月は大人しくその場を退いた。
「あ、有沢さん!終わった?」
こちらに気がついた際が手を振っていた。既に写真は仕舞ったらしく手には持っていなかった。
代わりに握られていた生徒手帳が胸ポケットへと収められる。
「ええ、行きましょうか」
先程とは違い、幾分柔和な微笑を浮かべて有沢が答えた。
二人とも弁当らしき包みを持っている。恐らく、このまま二人で外で食べ様という趣向なのだろう。
今日に限らず4月からこっち、仲良くなった友人達と際が外で昼食を取る姿を時々見かけていたのでそう思う。
「あ、葉月君も外で?」
「…寝ようと、思って」
際の言葉にまるで一つの文章のように続けさまに言ってしまい、葉月は内心しまったと舌打ちする。
こういう事を言うとこのおせっかいな人間のいう事はある程度予測できた。
「もう、お昼だよ。駄目じゃない。せめて食べてから寝たら」
どのみち先程の出来事で頭はすっかり冴えてしまったので、葉月は大人しく頷く。
「じゃあ、俺パンでも買ってくる」
「そうそう」
安心したように彼女は頷いて、じゃあねと手を振り合って別れた。しかし、角を曲がったところで葉月の足は止まる。
全くそれどころじゃない。

――さっきのは誰だ。
そればかりが頭を巡る。



鳴り響くチャイムの音。
氷室先生が注意事項を述べて、以上と区切りを打って終了させた。
放課後の到来。
クラスメイトが各々好き勝手なざわめきに包まれている中、葉月に限ってはそれどころではない。
昼間見た際の写真の相手が気になって授業もそっちのけで延々とそのことを考えていた。お腹も膨らみ午後の陽気に照らされて、いつもならぐっすりと机に突っ伏している時間であったのに、前を向いたままジッっと動かなかった。
先生達はやれ安心と胸を撫で下ろしていたけど、実のところ授業に集中していなかったのは明白で。それどころか、何の授業だったかも把握していない。
それは授業から開放されても同じで、先程からピクリとも動く気配はない。
「やっほー際。一緒に帰ろ」
「うん。奈津実ちゃん」
そんな状況下でも彼女の事に関する会話は耳に飛び込んでくるのは不思議で、葉月は首を巡らし戸口付近にいる藤井と、それに近づいていく際の姿をとらえた。
戸口の二人は何事かを話しているようだったが、流石に葉月の耳にまでは届かない。もどかしい思いで彼はその様子を見つめる。
ややあって、二人は教室を出て行く気配だ。その際が何気なく胸元のポケットを確かめるのが見えた。
その動きが止まる。

「ない」

今度は葉月にも聞こえた。教室内に彼女のけして大声ではない声が響き、クラスの何名かが目を向けた。
「どした?際」
藤井がそんな彼女を心配げに振り返る。しかし、際はそれに答える余裕も無く胸ポケットを再び検め、スカートのポケットを探り、果てはカバンをひっくり返さん勢いで漁っている。
何が無いかは何となく想像が付いた。
それは先程まで葉月が想像を巡らせていたもので。
「生徒手帳がない」
やはり。葉月は込み上げた苦いものを飲み込み、少しでも二人の様子が伺える場所にさり気なく移動した。
「生徒手帳って、あんたまだ入学してから一ヶ月っきゃたってないよ」
少々呆れた声色で藤井が漏らす。それには頓着してない様子で際は今度こそ近くの机の上に手荷物をひっくり返した。
「…無かったらさ、再発行してもらいなよ」
際の必至な様子に藤井はそう提言する。ヒムロッチに小言は貰うかもしれないけどさ、と付け加えて。
「生徒手帳なんてどうでもいいの!」
「へ?」
「アレに大切な写真が挟んであったのよ」
半分泣きそうな声で際は藤井に訴えた。
「写真って誰の?」
「へー、際ちゃん。写真なんて挟んどるのか。誰のやろ」
藤井の問いにシンクロして声が掛かる。軽い感じの関西弁、言わずと知れた姫条まどかが戸口から覗き込むように話に割って入った。 しかし、二人の問いにも耳に届いていない様子で、際は心当たりを思案している様子だ。
「――昼休みにはあったから…ぶつぶつ」
「わー、無視せんどいて」
「まどか。あんたホント何処にでも現れるね」
「ふふん。こんな話題の場所にはちゃっかり居合わすのが俺のキャラやて」
「それって自慢?」
藤井と姫条を一緒にしておくと話題が激しく横滑りすることは分かった。

ブツンと放送機器のONになる独特の音がスピーカーから聞こえた。
反射的にクラスの誰もが次に流れるだろう内容に耳を傾ける。勿論藤井や姫条、それに際も視線を上げてスピーカーに注目した。
「コホン。小野町際、拾得物が届いている。帰宅していないようなら職員室まで取りにきなさい」
よく聞き慣れた担任の声。
それは絶好のタイミングとしか言い様がない。
「やったじゃん、際。きっと生徒手帳だよ」
藤井はそう声を掛けたが、既に際の姿は教室には無かった。
「すばやい」
呆然とそう呟き、藤井は残された際の荷物を手早く纏めて、教室を後にした。



職員室前。ここは放課後のであろうとそうでなかろうと余り変りばえしない。
生徒に一種の緊張感を与え、声を潜めることを余儀なくさせる。
しかし、今回皆が声を潜めているのは別の理由である。
「見えるか?自分」
「何とか見えるは見えるけど、内容全然聞こえない。ヒムロッチの机遠いよ」
息の合っているようで、扉に張り付く二人。
それには加わらず、遠目から傍観する葉月と何故か鈴鹿がいる。
「しかし、驚きだよな。葉月が付いてくるなんて。そんなに気になるか写真の中身」
「……別に」
葉月珪。説得力の欠片もない男。
「へー、まあ単純に、面白そうではあるけどな。話のネタにもなるし」 鈴鹿和馬。それに気が付かない迂闊な男。
「あ、出てきたよ。皆隠れて」
「何でだ?」
「いいから」
藤井の意図を把握していない鈴鹿は、彼女に押し込まれるように柱の影に突っ込まれた。
「この奈津実さんに任せておきなさいって」
そうウインクを飛ばすと、藤井は際の部分のカバンを抱えなおして職員室前に再び寄った。

「失礼しました」
際は深々と礼を取り、扉を静かに閉めた。
取り戻した安堵感からか、そのままくるりと振り返ると、頬を緩ませて手帳を確かめるように見ている。そして、中身も確認するようにページをめくり、至福の笑みを浮かべるのだった。
「わー、めっちゃええ笑顔」
柱の影に男3人。傍目から見ればかなり怪しい光景だろう。姫条はそれに気が付かない様子で感想を実況する。
3人の視線の先で藤井が気配を忍ばせて際に近づいた。
「ほれ、荷物」
荷物を差し出す傍ら、ヒョイと生徒手帳を覗き込む。
「……」
「ありがとうって、見たな」
際は慌てて手帳を閉じ、藤井を睨みつける。
「…………………」
その際に藤井は反応しない。
そして一言。
「……際、あんたってショタ?」

――何が写ってたんだ!

柱の男達の声にならない叫びは誰にも聞こえない。
「違います。違うって」
「だって、それはどう見ても小学生」
「だて、弟だもの」
「って、弟かい!」
「え?姫条くん。え、え、鈴鹿君に葉月君も。どーしているの?」
思わずっといった様子でツッコミを入れる姫条。結構な音量だったため、やはり気が付かれてしまった。
一部ばつの悪そうな面持ちで隠れることを断念して、際の前へ出る。そんな3人に気を取られている隙に、際から手帳を取り上げ、問題の写真と際を見比べる藤井。
「まあ、似てるね」
「気に入ってもあげないからね」
「……いらないし」
乾いた声で呟く藤井の手元から写真を今度は取り返し、際は憮然と言う。
「これ、すっごく写りのいいやつなんだから。頼み込んでやっともらったの、汚さないでよ」
「あんたさ。そんな場所には普通男の写真入れるもんでしょ」
「何言ってるの尽は弟よ。どんなに愛らしくても男の子だよ?」
「そーじゃなくて。もっといい男とかさ」
「尽は十分いい男じゃない。ホラホラ」
絶句する一同。
男3人、形無し。
藤井は言葉をなくし、縋るように姫条の方に視線を向けるが、姫条はただ黙って首を振った。
「あー、ほら。奈津実ちゃん。時間だいぶロスしてる。ごめんね私が先生にお小言貰ってたから遅くなっちゃったね。帰ろう」
彼女は時計を見て気が付いたように声を上げると、珍しく力無い藤井を引きずるようにして帰宅の途につく。
「じゃあね。三人ともまた明日」
いつもと変わらない。明るい笑顔の挨拶だけ残して。

残った男三人の呟き。
「なあ、あれって」
「ああ、ブラコンてやつか」
「………」
吹き抜ける晩春の風が、やけに虚しく感じられた。




長編じゃなくてシリーズです。
1話読みきりで、ブラコン主人公を書いていきます。(たまに前後でファイル分けるかもしれないと今回思った)
若干葉月が哀れな仕様になっていますが、平気な方だけお付き合いくださいませ。
しかし、補習イベント見てないので姫上君と鈴鹿君の絡みがよくわからなかったのが心残り。

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