踏出す一歩
踏出す一歩



あなたは知らないでしょうけれど

僕はあなたに沢山の勇気を貰っているんです。




カラン。

来店を告げるベルの音が鳴り響く。千晴は少し重い気持ちでそれを聞き受けながら、空いている席を物色する。
静かな店内。人影もまばらで、流行っている方ではなさそうだ。
黒色木目のインテリアは、確かに重厚感を与えこそすれ、けして若人向けでないことを理解させる。

店員はまだ出てこない。

先程は店内を物色してみたが、取りあえず入り口近い席ならば店員も気がつきやすいと考え、勝手ではあるが案内の前に入り口から観葉植物に隔てられてすぐの席に座る。

ブラインドは完全に上げられており、窓からは昼に相応しい強めの日差しが入ってくる。しかし、店内の空調は完璧で、暖かさを感じることはない。
それがどこか白々しさを感じさせた。

それとも、それは千晴の心理状態を表してのことだろうか。
そのことに思い当たり笑おうとしたが、息を落としただけに留まる。


対応の遅れた店員が特に何を言うわけでもなくメニュー表を持ってやってきた。
一応は開いてみたが選ぶのも億劫で、コーヒーを注文するとメニューを店員に返した。

上手くいかない。
今千晴の頭を占めている言葉。
確かに生きていて全てが順調に行くとは考えてないし、何かを行おうと思えば何処かにぶつかるのも分かる。分かっているつもりだ。
しかし、ここまで上手くいかないと気も滅入るというもの。
言葉の違い、文化の違い。互いに歩みより始めた今になって更にその壁が厚くなった気がする。

クラスメイトに投げつけられた言葉。
後になって教えられた事情。
ばつの悪そうに教えてくれた友人の顔が忘れられない。

悪気があったわけではない。けれど、人を傷つけたことも確かだ。
言葉さえ分かれば通じ合えると思っていた。 でも、そうじゃなかった。
そこまで考えて千晴は頭をブンブン振る。
それを覆すために自分は外交官を目指しているのだ。
そう考えても昨日の事が頭を離れず思考はループする。

コーヒーは未だ来ない。



「でね、そう。それで紺野さん怒っちゃったのよ」
思考に割り込んできた声に千晴の意識は引き戻される。
重い色のテーブル。差し込む日差し。上げられたブラインド。
そうだ。自分は喫茶店にいたんだ。
その認識とともに千晴は自分がうたた寝をしていた事を知る。
「んー。仕方ない?でも、向こうの気持ちも分かるしさ」
声は相変わらず続いている。相手の声は聞こえないし、独り言かと思ったが、観葉植物の向こう入り口付近にそういえば公衆電話があった。
グッと視線を上げて覗き込んでみる。
やはり、灰色の公衆電話の前で声の主は話し込んでいる。
あ…彼女だ。
仄かに想い寄せる人。その姿を見止めて千晴の背筋はぴんと伸びた。

「うん。でも、私は紺野さん好きだから。それが重要でしょう。だから、分かってもらえるまで話し合うよ。こっちが纏わり付くの止めちゃったら永遠に歩み寄れないから」

―――確かにそうです。
千晴はまるで自分に言われたかのように感じた。

「そう。だから今から行って来る。奇襲かけて『遊ぼう』ってね。トコトン話し合う事にしたから」
相手の声は聞こえないが恐らく千晴と同じ言葉を掛けただろう。『頑張れ』
「ありがとう。じゃあ切るね。聞いてくれてありがとう」
言葉どおり受話器を置くと、彼女はそのまま置くに声を掛ける。
「すいません。電話、ありがとうございました」
奥から返事も聞こえないうちに彼女は扉をカランと開けて出て行ってしまった。


とうとう気が付かれないまま行ってしまった。
千晴は呆然としながらも彼女の残した言葉をかみ締める。
――自分が好きかどうかが重要。歩み寄るにはトコトン話し合う。
背中を押された気がした。

カタリ。
テーブルにカップが置かれる。
見上げれば先程の店員がコーヒーを持ってきたところだった。
注文してから20分強。寝ていた自分に気を使ってくれたのだろうか。
淹れたての香りの漂うカップ。
それはとてもいい匂いで、手を掛けて淹れてくれた事がわかる。
千晴が礼を言うと、それまで無愛想だった店員が僅かに微笑んだ。




紺野さんとVS状態だったのかな…。
ちとくらい雰囲気ですね。おっかしいな、もっと明るい話になる筈だったのに。

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