そのライン
そのライン



森林公園に吹く風は木々をの間をすり抜けるにつれ、どこか爽やかなものになっている。
お陰で直射日光に関わらず中々涼しい。
初夏を感じさせる日差しを浴びながら、園内のベンチに座って本を読んでいた千晴はそんな感想をもった。
開いていた本は日本語の本であったけど、最近は辞書なしでも大体分かるようになっていて、それが千晴には嬉しい。

この調子で行けば彼女とも気軽に話せるようになるかもしれません。
そう思って千晴は笑う。 いつも、いつも彼女に掛ける言葉が見つからなくて、逃げてしまうけれど…。


正午に向けて多くなってきた喧騒に集中力を邪魔されて千晴は顔を上げた。
休日の公園は家族連れも多く、子供の元気な声も所々で聞こえる。目の前の水のみ場で遊んでいた女の子は洋服をびちょ濡れにしてしまい母親に怒られている所だった。
その様子に千晴は目を細める。
彼の座っているベンチの後ろは生け垣になっており、更に向こうに視線を巡らせば大きな芝生の広場になっている。そこでは父親とキャッチボールをする子供や、仲間とボール遊びをしている子供達。ビニールシートを広げて昼寝をしている男性などが見える。
平和そのものの光景。千晴はそう考える。
暫く色々と視線を変えながら楽しんでいたのだが、持っていた本のことを思い出し再び視線を落とそうと考えた時、その声が飛び込んできた。
「たまちゃーーん。この辺なら場所空いてるよ」
「あ、本当。これなら十分遊べるね」
友人らしき女の子と楽しげに話をしながら彼女が手持ちの荷物を芝生の広場に下ろしている所だった。
その偶然に千晴のは胸躍らせる。
―――今日は、とても”いい日”です。
彼女は荷物からラケットを取り出し、羽を取り出して構える。
「早速いっくよー。今日は負けないんだから」
「ふふ、私も負けないよー」
彼女がラケットを振った。 (あ、『バトミントン』ですね)
その遊戯の名称をは瞬時に呼び起こされる。
競技となれば相手が取れないよう打つのが基本だが、遊戯は相手の取りやすい様に打つ。そんな不思議な遊び。
けれど、相手が取り易いように打ってくれたのにも関わらず打てないときは失敗である。
彼女が取り落としてしまった羽を拾いながら、相手に手を合わせている。
どこまでが取りやすく、どこまでがそうでないのか明確なラインはない。全て相手との信頼かつ共通の見解を必要とする。

―――何か人間関係に似てる気がします。
その感覚は一緒にいる時間が育てていく所もまた。

ともすれば自分は彼女からすれば全く見ず知らずの人間と同じだ。
気がついて千晴は気持ちを沈ませる。
道で会うだけの人間。
少し話をした程度。
彼女が自分を覚えているかすらも危うい。
友人に向かって手加減なしで笑う彼女。自分はそれを願う位置にすらいない。


「あの、すいません」
ボーっとしていた千晴はその声を遠くに聞く。
「もしもし。こんなところでボーっとしてると日差し焼けしちゃいますよ」
再び声がしたかと思うと、冷たい感覚が頬に触れた。
「ひゃあ」
驚いて振り返ると彼女がにっこりと笑って立っていた。
再度の混乱。確かにさっきまでは自分の視線の先にいた筈。
「確かに今日は涼しいですけど日差しも強いから、うっかりすると頭痛とかおこしちゃいますよ。適度なところで日陰に入った方がいいですよ」
彼女はそう忠告すると、手に持っていたジュースを差し出した。
千晴が躊躇していると彼女は悲しそうに顔を歪めた。
「しくしく。折角買ってきたのに受け取ってもらえないなんて可愛そうなコー○君。そして可愛そうな私の110円」
顔を手で覆って泣いた真似をして、そうしてちろりと千晴の方を伺うのだ。
「え、あー…。ありがとうございます」
「どういたしまして」
彼女はその場にしゃがんで千晴の様子を見つめている。
その視線が缶に注がれているのが分かって千晴はプルタグを開けて取りあえず口を付けた。
その瞬間彼女のパっと輝く。
「それでは、私は友達が向こうで待ってるから行くね。日差しってほんと怖いから気をつけてね」
その手に未だ二つの缶。きっとこれから友達と飲むのだろう。
千晴の知らない彼女。先程まで感じていた彼女との隔たり。そんなものが彼女の背中を見た瞬間思い起こされた。
「あ、あの」
溜まらず千晴は声をかけた。しかし、何を言おうとしたのか自分でも分からなかった。
彼女は振り返って千晴の言葉の続きを待っている。
「あなたは僕の事知ってるんですか」
覚えているのだろうかと、さっきは不安に思っていた。
「何言ってるの。知ってる人じゃなかったら声掛けないって。変なの」
彼女はそう答えると、先程友達に向けていたような満面の笑顔を千晴に向けた。



「……失敗しました」
彼女と話していた時からかなり時間が経ってから、ようやく千晴は呟く。
「彼女の名前…聞き忘れてしまいました」
呆然としたままの表情で誰も聞くことの無い言葉を漏らす。
彼女の笑顔に見とれて見惚れて。
気がついたら、今。

この次こそは、それを聞きましょう。






…私の考え方って氷室先生みたいだね。何バトミントンを分析しているんだ。
ちょっと先生バージョンに書き直そうかと思ったけど止めました。

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