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人類の最初の音楽はどういうものであったか、というのは諸説あると思いますが、有力なのは動物の鳴き声(特に鳥)を真似たものが音楽の起源である、というものです。
人の声は基本的に単音なので(ホーミーみたいに一人で複音をだす歌唱法もありますが)、和音が先か旋律が先か、といわれれば旋律が先。となります。
しかしこれは音楽史的な考え方で、実践音楽になってくるとまた変ってきます。
和音を知ってしまうと、旋律には和声が内在していることが理解されます。
和声とは和音の繋がりのことです。 和声にはそれぞれ特徴があります。
作曲を行うときに、何かの特徴をつけたいと当然考えますが、そのときに、旋律から考えるのではなく、まず和声を考え、その和声から逆に旋律を考える方法があります。
そういう意味で和音の上に音楽が成り立っているといえます。
実際には和音がなくても音楽は成り立っているので(グレゴリオ聖歌を思い出しましょう)、「音楽は和音の上に成り立っている」というのは極言だと思いますが。
さて、ドミソは3つで1つの音なのか?という疑問ですが、これは「そうです」とうのが答えになると思います。
日常、音楽で使われている楽音は、たとえ1つの音であっても、分析してみると複数の周波数を含んでいることがわかります。
ふつうはある1つの周波数が非常に強く、耳で聞いてもその音だけを認識しますが、同じような強さであれば和音として認識します。
ドミソを同時に鳴らすと、3つの周波数が同じ程度の強さで聞こえている、ということで、1つの音である、と考えてもいいと思います。
今はふつうにステレオで音楽を聞くと思いますが、モノラルで聞くこともできますね。
この場合、スピーカーは1つです。私達は複数の音として認識しますが、実際に音を出している部分はたった一つのスピーカーです。
音の出ている部分が1つなのだから、音は1つと考えるのが現実的です。
人間の耳はなかなか優秀なので、1つの音を分析し、いくつもの周波数成分(音色成分もありますが)に無意識に分けています。 その上で脳の中で複数の音だと認識するわけです。
全音だけの6音音階では和音の説明が出来ないのでは、というpanaderoさんの意見でしたが、全音音階からでも和音の説明は可能ですし、和声も作ることが出来ます。
和声学は実際は経験則でしかないので、全音音階でも自分で規則をつくり、その規則にのっとって全音音階だけで曲を作ればちゃんとした和音、和声の曲ができあがります。
J・S・バッハが平均律を作ったというのも間違いで、バッハは当時はやりかけていた平均律(ヴェルクマイスター法や中全律法やキルンベルガー法)を用いた曲を作ったので、バッハが作られたかのように思われているようです。
現在、一般に言われる平均律(12平均律)でピアノが調律されはじめたのは19世紀中ごろであり、バッハの時代の平均律ではありません。
バッハが12平均律を作ったのではなく、その計算はステファーン、ファウルハーバー、メルセンヌらが行ったそうです。 同時期に中国でも12平均律の計算がされていたようです(「音階入門」音楽之友社。小島秀幸著より)。
1636年ごろにメルセンヌが12平均律に関する調律法の本を出版したとも「音階入門」に書かれていますので、いわゆる平均律を作ったひとは、メルセンヌであるということになります。
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