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笑い

 良く言えば大ざっぱ、悪く言えばいい加減な彼が覚えているわけない。昨日が私の誕生日だったなんて。たとえ覚えていたとしたって、誕生日を祝うのは古臭い習慣だとでも思っているのだろう。
 それが去年までだったら、彼らしいと笑って済ませたと思う。でも、今年は違う。K研修所に入っている一年間は、彼はもちろん家族も友達とも会うことが困難になるのだから。夜、届いたメールを読んでいるときだけが人間らしさを取り戻せる瞬間なのだ。
 昨晩は、十通以上の「ハッピーバースデー」が届いていた。どのメールも私の成人を祝い、つらい研修所生活を励ましてくれた。私は久しぶりに幸せな気分に浸れるはずだった。もしその中に、一番重要な人からのメッセージさえ入っていたのなら!
「アヤちゃん、お疲れさま。」
 声をかけられた瞬間、ひじがガクッと鳴った。またうとうとしていたらしい。今日何回目だろう。怒られなかったのは、既に呆れられていたからだ。今日の仕事は本当にさんざんだった。
 寝不足の目をこすりながら寮への帰路につく。一晩のうちにいったい何回メールチェックしただろう。彼はきっと会議か何かで遅くまで拘束されているだけなんだ、忘れてるわけではないと信じていた。今度こそ入っているはずだと、一時間置きぐらいにチェックしていた。そのうちに、東の窓の外が白くなってきて、起床の音楽が鳴り出した。結局一睡もしないまま出勤した。
 寮のドアを開けると、いよいよ強烈な眠気が襲ってくる。私は食事を諦めた。食券を一枚無駄にしてしまうが、本能には勝てない。ふらふらしながら個室に入ると、着替えもせずにベッドに転がり込んだ。意識がなくなるのに十秒もかからなかった。
 しばらく爆睡したあと、目が覚めたのは夜中の三時過ぎだった。エアコンをつけっぱなしで寝ていたらしく、手足が冷たくなっていた。お腹が空いていたので、自販機でインスタントのカレーライスを買って食べる。ついでに温かいコーヒーも入れた。一口飲むと、もう目が冴えて眠れなくなった。変な生活習慣が付いてしまいそうだ。起床時間までどうやって暇をつぶそう。
 顔を洗って着替えをしてから、昨夜メールチェックをしていなかったことに気付いた。あわてて端末機の電源を入れる。今日こそは、届いているだろうか。届いているに違いないと思った。でも、あまり期待してしまうと、思った通りにならなかった時のショックが大きいので、最悪の予想を自分に言い聞かせた。
“メールが一通届いています”
 私は、息をのんだ。来た。思わず笑みがこぼれた。何か不思議な力に導かれるような確信があった。早く読みたい。迷いもなく開いた。
 一番最初に差出人を確認する。そこには、友人のアイちゃんの名前が書いてあった。がっくりして息を大きく吐いた。もちろん友達から久しぶりのメールをもらうことは嬉しいけど、今回はタイミングが悪すぎた。

“誕生日おめでとう。
 この前大掃除してたら、トシ君の小さい頃の写真が出 てきました。確か、修学遠足で撮ったやつだと思う。 すごく懐かしかったので添付しました。
 半年後、アヤが大人になって帰ってくるの、楽しみに 待ってます。頑張ってね。”
   
 そう言えばアイちゃんって、彼と幼なじみだったっけ、と思いながら、写真を見てみる。確かにそれは初等部の時の彼だった。クラスで隠し芸大会でもやったのだろうか。どの写真もひどい格好で写っている。私は思わず吹き出した。妙な衣装を着て踊っていたり、顔にペイントしていたり。今よりずっとずっと幼くて、少し太っているトシ君がそこにいる。
 中でも一番うけたのは、女装の写真だった。もう、最高としか言いようがない。私は大声で笑い続けた。廊下に声が響くのも気にしなかった。今ではむさ苦しいひげを生やしている彼が、リボンをつけて、化粧までして女の子になりきっている。それが結構似合っていて、かわいい。駄目だ、可笑しすぎる。五分近く笑いが止まらなくて、そのうちしゃっくりが出てきた。
 しゃっくりがやっと落ち着いた頃には、起床時間まであとわずかになっていた。私は、なんだかもう、誕生日なんてどうでもよくなってきた。メール一通来るか来ないかで精神状態が左右されるなんて、馬鹿らしい話だ。
 彼が今、遠くで何をして、何を思っていようと、彼への私の気持ちの確かさには関係ない。今の生活をより楽しくするためには、私一人いれば十分なのだ。
 
 


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