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 チャイム

 チャイムの音が聞こえた。授業開始のチャイムである。次の授業は、確かホームルームだ。友人達は続々と教室に入っていった。私もそれに続いて入ろうとしたが、突然、誰かに呼び止められた。男の人の声だった。
 その人は、事務的に言う。
「あのね、次の授業なんだけど、この授業の終了のチャイムが鳴ったら、それと同時に世界の<革命>が起こることになってるから。」
「え?」
「じゃ、そこんとこ、よろしく。」
 その人は、私の肩を軽くぽんとたたくと、素早くその場を去ってしまった。私は、彼の言ったことが、すぐには理解できなかった。聞き返そうとしたが、もう視界の中に男はいなくなっていた。いつの間にか生徒はみんな教室に入っていて、廊下で立ち止まっているのは私だけだった。とにかく、授業開始の時間になってしまったので、仕方なく私も教室に入ることにした。
 何も知らない生徒達は、席について担任の先生を待ちながら、楽しげに雑談をしている。私はやっと、二、三日前から新聞やテレビで盛んに言われていたことを思い出し、男が言ったのはあの件のことか、と思い当たった。思っていたほどはショックを受けなかった。遅かれ早かれ、いつかはそうなると判っていたからだ。
 私は、授業終了のチャイムが鳴って、男の言うように何かが起こったら、その時は自分だけでもすぐに逃げ出せるようにしようと思って、出来るだけドアの近くの空席を探した。しかし、もう殆どの生徒が席についていて、いい感じの席は取られてしまったあとだった。残っている席の中で一番ドアに近いのは、前から2番目の真ん中の席だった。その一つ前の、教卓に一番近い特等席には、担任のトミタ先生の大ファンである友人Nが陣取っていて、私を手招きした。私は、仕方なくそこに座った。まあいいか、と思った。考えてみれば、<革命>が起こるのは世界全体なのだから、この教室から逃げ出したところであまり意味はないのだ。
 先生はなかなか来なかった。みんなは雑談を続けた。十分、二十分と時が過ぎていった。私は、次の時間の予習をしていた。問題は、果たして次の時間が本当に来るのかどうか、ということだけど。五十分ほど過ぎた時、ななめ後ろの席に座っている友人が、私の髪を引っ張ってきた。
「ん?」
「志望コース、決めた?」
「ううん、まだ決めてない。」
「私もまだ。手続きって、今日の5時までだっけ。早く決めないと。だってねえ、<革命>が始まったら、関係ないじゃん。どのコースだろうとさ。」
「そうだよね。」
 その<革命>が今にも始まろうとしている、とはまさか言えなかった。それに、言っても仕方ないと思った。
 不意に、前の席のNも話に入ってくる。
「私、さっき手続きしてきたよ。」
「どこにしたの?」
「B系。当然じゃん。トミタ先生だし。」
「好きだねえ。そんなにかっこいいかなあ?」
 がたんと音がして、ドアから担任のトミタ先生が入ってきた。いつもは時間に厳しい先生が、なんと五十分もの遅刻だった。
 私達は、彼女のほんのり赤くなった頬を見て笑った。そして急いで前を向いた。
 先生は、大きなプラスチックのかごを抱えていた。中には菓子パンらしき物がたくさん入っている。先生の家はパン屋さんなのだ。
「ごめん、遅くなって。ちょっとこれを運んでたから。これね、家で売れ残っちゃって、残り物で悪いんだけど、賞味期限は大丈夫だから、消費してくれない?一人一個ね。喧嘩しちゃ駄目だよ。」
 わーっと教室がわいた。先生偉すぎる、と誰かが叫んだ。みんなは、先を争ってかごの周りに群がった。
 私は、みんなと一緒にはしゃぎながらも、何か変だ、と思っていた。いくら何でも、ホームルームをしないでその時間にみんなでただパンを食べるなんて、果たして許されるのだろうか。たとえ私の性格の真面目さを差し引いても、ここが学校である限り、そんなことが許されるはずがない。それとも、何か別の意図があるんじゃないか。まあ、きっと何かがあるのだろう。先生なんてそんなものだ。
「いただきまあす。」
 生徒達は、競って自分の好きなパンを取り、食べ始めた。私は、友人達と三人で机を囲んだ。私が取ったのは、メロンパンだった。香料と着色料のきつい、昔ながらのメロンパンだ。
 一口食べて、異変に気付いた。メロンに似せた甘ったるい味に混ざって、微かに不自然な苦さが感じられたのだ。もしも私のように疑いを持ちながら食べていなかったら、気付かないくらいの微かな苦さだ。しかし、確実に何か、薬が入っていた。何の薬かは判らない。毒薬かもしれないし、睡眠薬かも、ドラッグの一種かもしれない。とにかくこれが、何か<革命>に関係があるに違いない。
 食べる振りだけして捨ててしまおうか、とも思った。そうすれば、たとえ私だけでも学校の思うままにならなくて助かるかもしれない。気付かれずに上手くやれるだろうか。周りをそっと見回した。みんなは、何も気付かずに、楽しげにおしゃべりをしながら思い思いのパンを食べている。先生を見ると、彼も最後に残った一個を手にとって、後ろのほうの女子グループの中に入って一緒に食べていた。友人Nは心の底から羨ましそうにその女子グループを眺めていた。
 私は、今浮かんだ考えを振り捨てた。例え私が毒薬を口にいれようと、睡眠薬で眠らされようと、ドラックのせいで精神がおかしくなろうと、あと数分で授業終了のチャイムが鳴り、世界に<革命>が起こることには変わりないのだ。そうなれば、私の命や理性などあってもなくても同じようなものだ。むしろ素直に薬を身体に入れてしまったほうが、どんな薬にせよ、<革命>で苦しまなくていいようにしてくれるのかもしれない。
 私は、パンを食べ続けた。相変わらず、友人達とは取り留めのない話をしながら。一個食べ終わると、口の中がメロンの香料の甘ったるい匂いでいっぱいになった。その匂いを嗅いでいるうちに、私はなんだか心持ち、頭の感覚がおかしくなってきたような感じがした。
 それは、決して気のせいではなかった。ゆっくりではxあるけれど確実に、目の前の景色がぼやけ、歪んできた。もう、友達が話している言葉もよく聞き取れなかった。視界の中では様々な色が混ざりあい、ぐるぐると回っいる。何だかとてもいい気持ちだった。
 遠くのほうで、音楽が鳴っていた。あれはきっとチャイムの音だ。意識がかすれてきた。そして私は、今<革命>の起こった世界の中に飛び込んだのだった。
 
 


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