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 ストーブ

 人類科学研究同好会、略してヒト研は、部外者からは別名「その他同好会」と陰口をたたかれていた。
 まあ確かに、ヒト研の活動が「その他」の名に見合うものであったことは否定しない。早い話、部員である自分たちが「人類」であり、この世界が「科学」の対象と成りうる限り、何をやっても一応「人類科学」をやっていることになるからだ。だから部員はみな、部室で宿題をやったり、漫画を読んだり、ゲームをしたりして、思い思いに時間を過ごしている。
 もともとは、つぶれかけていた科学部とボランティア部とエコロジー研究会を無理矢理合併して作ったサークルだったという。その頃は、けっこうまともな活動をしていたらしくって、古いファイルをあさってみると、読書会をやったとか、ボランティア活動をやったとか、いろいろ記録が残っている。
 しかし、その先輩達が卒業してしまい、後輩が1人も入部していなかったので一時期ヒト研の部員数はゼロになってしまった。
 部員がいなくなっても部室はしばらく残る。そこでこの部室を有効活用しようとマキが提案し、私たち4人が示し合わせて入部したというわけだ。私以外の3人は、みんな訳あって前のサークルをやめて、次の居場所を捜していたこともあり、ちょうど良いタイミングだった。
 言い出しっぺのマキがラグビー部のマネージャーをやめたのは、部長の三上先輩と別れたから。彼が大学受験に専念したいからとかで、突然ふられてしまったらしい。もともと特にラグビーが好きなわけではなくて、部長目当てで入部しただけだったので、これ以上マネージャーとしてこき使われる義務はないわ、と言っていたが、気まずくて居づらくなったというのが本音だろうな。
 ケンが野球部をやめた理由は、その松葉杖を見れば明らかだろう。居眠り運転の車にはねられて右足を複雑骨折。高校を卒業するまでに完治するのは難しいと言われたそうだ。
「ま、どうせ万年補欠だったし。諦めるいい機会だったよ。」
 彼は今は、第一志望の国立大医学部に受かるために猛烈な受験勉強を始めている。部室の本棚は既にケンの参考書置き場と化していて、図書館が混んでいると時などここで勉強している。去年までこんがりと日焼けした肌で運動場を走り回っていたのが嘘みたいだ。
 シゲが演劇部をやめたのは、「方向性の違い」が原因らしい。私は演劇のことはよく分からないけど、演出のやり方に三種類くらいの流派があって、他の部員と意見が食い違ったらしい。シゲは今でも、あいつらはバカだ、本当の演劇をちっとも分かっていない、と口癖のように言っている。
 三人に比べて、私がヒト研に入った理由はあまりドラマティックでない。私の母親はいわゆる教育ママという奴で、部活に時間を費やすことは許されなかった。まだ二年なのに週に三日は予備校に行かなきゃならないし、予備校がない日は門限六時半という厳しさ。本当は何かスポーツがやりたかったけど、練習に参加できるとは思えなかったので諦めていた。これからも何か特別な活動をする予定はない。ただ、部室と呼べる部屋が一つ欲しいなあと思っていた。荷物を置いたり、体育の時着替えに使ったり、空き時間に暇をつぶしたり、何かと便利そうだったのだ。
 以上。新生ヒト研の四人に共通するのは、全員が元一年六組のメンバーであるというくらいだろう。

 壁や天井をよく見ると、ところどころに学生紛争の頃に書かれたっぽい落書きがある。ヒト研のドアにも大きく「佐川校長は自己批判せよ」と彫られている。それだけ歴史的な建造物である文化部室棟には、当然の如くエアコンなんて文明の利器は入っていない。あえて言うなら、天然の冷暖房付き、冬は冷房、夏は暖房といったところだ。
 寒さが大の苦手な私は、夏の自然暖房はどうにか我慢できたものの、冷たい秋風が吹くようになると、だんだん部室にいるのが苦痛になってきた
 そこで考え出したのは、昔の先輩が持ってきたらしい、部室の奥に埋まっていたドライヤーを使うという方法だった。向かいの部屋のクイズ研究同好会が、ストーブ代わりに電気コンロを使って部屋を暖めているのにヒントを得て思いついた。実行してみると、予想以上にグッドアイディアだった。ドライヤーをつけっぱなしにしていれば、真冬の夜でも室内を二十度くらいに維持できた。少々うるさいのが玉にきずだけど、それもなんだかいかにも「青春」って感じがするので、けっこう気に入っていた。

 無理な使い方をしていたので、そのうちドライヤーも壊れてきて、日に日にゴウゴウと大きな音を立てるようになってきた。ついに、十秒に一回くらいバチバチと青い火花が飛ぶようになってしまった。
 部室の中は、木の机だのプリントだの燃えやすい物ばかりだ。いつ火花が引火するかわからない。そろそろヤバいかなあ、と話していたら、マキが文化部長会議から帰ってきた。
「化学部が、二週間活動停止くらったって」
「なんで」
「あの部室、ガスバーナーを暖房代わりにしていたじゃない」
 確かに、あそこは窓際にガスバーナーを何個も並べて、ガスの量は最大、空気の量は最小でガンガン燃やしていた。オレンジ色の長い炎に手をかざして暖まっている部員達の姿は、窓の外から見るとほとんど拝火教状態だった。
 本当は空気の量を多くして完全燃焼させた方が温度は上がるのだけれど、オレンジ色の炎の方がビジュアル的に暖かいじゃないか、とクラスメイトが主張していたのおぼえている。
「それが昨日の放課後小火起こして、火災報知器鳴らしちゃったんだって」
 今日の文化部長会議は、ひたすら生徒指導の先生が説教しているだけだった、とため息をつく。
「そういえばこの部室棟って」
と、日経新聞を椅子に置きつつシゲが口を挟む。
「崖すれすれに建てられているだろ?今の建築法に違反してるから、火事で燃えちゃったら二度と建て直したり修理したりできないらしいよ」
「げ。」
「新しいドライヤー買おうか。4人でお金を出し合えば、買えるよね。」
「うんうん」
 私も賛成する。危険かどうかを置いておいても、最近は火花の分ドライヤーがパワーダウンしていて、最初の頃ほど部屋が暖まらなくなってしまったのだ。家から毛布持って来ようかな、なんて思っていた矢先だった。
「今度はもうちょっと壊れなさそうな、いいドライヤー買おうよ」
「うんうん」
「いいドライヤーっていくらぐらいで買えるのかな」
「そうねえ」
「ちょっと待て。なんでわざわざドライヤーを買わなきゃいけないんだ。どうせなら、ストーブかヒーターか、買おうぜ」
「あ」
「リサイクルショップに行けば安く買えるだろ」
「確かに」
 ケンのもっともな意見にみんなは頷いた。
 そして討議の末、ケンの家の近くのリサイクルショップで五千円で売っていた電気ストーブを、一二五〇円ずつ出しあって買うことにした。これで快適な部室ライフがおくれるね、と。

 翌日のお昼休み、お弁当を持って部室に急ぐ。今日は例の電気ストーブが導入される日。きっと今ごろヒト研の部室はますます居心地が良くなっていることだろう。箱から出してスイッチを入れる運命の瞬間に立ち会いたかったけど、先生に質問していたせいで遅くなってしまった。あんなに丁寧に教えてくれなくたっていいよ、とか思いつつ小走り。
 ドアを開けると、期待通り、むあっとあたたかい空気が流れてきた。やったね。
「おお、遅かったじゃん」
「うん、ちょっと先生に質問してて」
「誰?加藤野?」
 数学の加藤野先生は、話が長いことで有名なのだ。
「正解。こう、ポケットに左手入れて『そしてぇですねぇ』って」
 今日は複素平面の問題について質問したら、整数を合成するところから延々と解説されてしまった。その時の先生の様子を説明しようとしたけど、みんなのノリがイマイチだったからやめにする。
「あったかくなったね」
「ああ」
 定位置に座り、鞄を置きながら、その場の雰囲気に何とも表現しようのない違和感を感じた。
 先に来てお弁当を食べていた三人の態度が、どこかよそよそしく思えた。今まで何か重要な話をしていたのだろうか。私の悪口でも言ってたんじゃないかと不審に思う。
「どうしたの」
「え?」
「何か言いたそうだったから」
「いや、別に何もないけど?」
 三人は私の質問にきょとんとしている。私の思い違いだったのかな。お弁当の包みを開ける。
「いただきます」
 四人でお弁当を食べる時間。あったかい友達と、あったかくなった部屋。でも、どうしてだろう、この、何かがズレた感じは。みんながみんなでないような感じがする。
 無言が続いた。いつもは決しておしゃべりが途切れることなどないのに。今だって、話したいことがないわけではないのに、話す必要がないような圧迫感。そして午後の予鈴が鳴る。
 授業開始五分前だ。私たちはぎこちない感じのまま部室を離れ、それぞれの教室に向かった。

 この後味の悪さは何だろう。午後の授業は、なんとなく釈然としないまま過ぎていく。
 そして放課後、珍しく私は部室に寄らないで家に帰った。なんだか、わざわざ部室に行かなければならない理由が見つからなかったのだ。
 普段は「いかにして門限ギリギリに帰れるか」に挑戦している私。ちなみに今までの最高記録は門限8秒前だったわけだけど、たまには早く家に帰るのもいいもんかもしれない。父のパソコンをいじったり、部屋の整理をしたり、久しぶりに母と話したり、家でやることはいくらでもある。うちも捨てたもんじゃないんだな、と分かって、新鮮な気分だった。

 翌日の放課後も、私は部室に寄らないで直接予備校に行くことにした。講義の前に質問したいこともいくつかあったし。しばらくは、部室に行くのはお弁当を食べるときだけにしようかな、と考えている。
 校門を抜け駅までの坂道を半分くらい下りたとき、携帯が鳴った。マキからだった。
「どこにいる?」
「駅の近くまで来たところ」
「今さ、部室に誰もいなくって、つまんないの。予備校始まるまでまだ時間あるでしょ。部室来ようよ」
「うーん」
 そう言われてしまうと、断るわけにもいかなくなる。ただなんとなく行きたい気分じゃない、じゃあ理由にならない。
「昨日の放課後も私しかいなかったんだよ。みんなどうしちゃったの。せっかくストーブも入ったのに」
「え、昨日も?」
 昨日もケンとシゲは来なかったのか、と言うよりも、昨日もマキが来ていた、ってことのほうに驚いた。四人の中で一番、部室に生活を依存していない人のように見えるからだ。
「わかった。今行くよ」
 半ば強いられたように明るく答え、電話を切る。

 ドアを開けると、入るのを一瞬ためらうぐらいの熱気が押し寄せてきた。真夏の部室棟を流れる天然温風ほうがまだ涼しいんじゃないかと思う。三〇度越えてるかもしれない。私よりずっと寒さに強いはずのマキがこんなに暖房を効かせているなんて、尋常じゃない。
「おう。おほかっかな」
 売店の三個百円ドーナツの一個を口にほおばり、もう一個を私に投げてくる。危ういところでキャッチ。
「遅かったな、じゃなくて。食べ物を乱暴に扱わないの。お百姓さんが泣くぞ」
 それとストーブ効かせすぎ、とはなんとなく言えなかった。この子はわざと明るく振る舞っているときが一番ヤバい。
 近づくと案の定、彼女の肩が震えていることに気付いた。カクカク、と歯が細かく鳴る音がした。
「寒いの?」
「……」
「風邪ひいたんじゃない?早く家に帰ってゆっくりしたほうが」
 手にそっと触れてみた。驚くほど冷たかった。こんなに暑い部屋なのに。
「大丈夫。ちょっと寒いだけだから」
 悲しいのではなく、痛いのでもない、ただ寒いんだ、とマキは言った。
 私とマキはしばらくの間、何をするわけでもなく座っていた。彼女の身体の震えはいつまで経ってもおさまらなかった。そのうちに私まで感覚が麻痺していって、暑いのか寒いのか分からなくなってきた。手持ちぶさたで予備校のテキストを開いてみるけど、視線が字の上を滑るばかりで頭に入らない。
「私、もう行くよ。時間だから」
 本当言うとまだ少しゆっくりしていられたけど、暑さと気まずさで息苦しくなってしまったので、マキをそこに置いたまま部室を去った。
 中途半端な時間だ。暇つぶしに体育部室棟の辺りをぶらぶらと一回りしてから校門を目指す。そして、その途中で見た光景のせいで、さっきのマキがどうしてあんなにおかしかったのかを理解してしまった。
 三上先輩だった。そして、隣には見たことのない女の子。雰囲気から予想するに一年生だ。手をつないで楽しそうに話している。
 新しい彼女、だろうか。いや、まだそうとは限らない。別に付き合っていなくたって、何かの拍子に手をつなぐことぐらいあるかもしれない。この二人が付き合っているなんて信じたくない。だって、マキと別れた理由は「受験に専念するため」だって言っていたのだから。
 思わず凝視したのが気付かれてしまったらしく、目があった。三上先輩の方は何度か話したことがあったので、挨拶しようと思い片手を途中まで上げる。すると先輩は目をそらし、私に気付かない振りをした。普通に振る舞っていればいいものを、挙動不審のせいおかげでかえってその子が新しい恋人であることがバレてしまったじゃないの。
 小柄でぽっちゃり体型、あまりぱっとしない顔立ちの子だった。三上先輩の、筋肉の締まった一八九センチと並ぶとどうしても不釣り合いな印象だ。ファッションも、子供服のジーンズとトレーナーを未だに着ているみたいで、お世辞にもあか抜けていない。あれだったらマキの方がずっと可愛いのに。いや、もちろんあの子も性格がいいとか、頭がいいとか、どこか見た目以外のところに美点があるんだろうけど。それを言うならマキだって、明るくて、リーダーシップもあって、十分いい性格だと言えるのに。
 なんでマキじゃ駄目だったんだろう。あの男、本当に女を見る目がない。バッカじゃないの、と頭の中で繰り返し唱えた。どうしてもスッキリした気分になれなかった。

 翌日の朝、私はいつもより一本早い電車に乗った。そして授業が始まる前に、社会科職員室に向かった。
 朝の職員室は、きついタバコの煙が睡眠不足の目にしみた。生徒指導の今井先生は席を外していた。他の先生は何人かいたけど、みんな授業の準備に忙しそうで、私のことなんて気にしていないみたいだった。
 何かを提出しに来たような顔をして、堂々と中に入る。今井先生の机の上に、ルーズリーフに書きなぐった手紙を置いた。吉と出るか、凶と出るか。昨夜念入りに書いた手紙だ。もしこの手紙をヒト研の誰かに見られても私が書いたとはバレないように、かなり頑張って筆跡を変えたつもりだった。

 昼休み、いつものようにお弁当を片手に部室に来ると、ドアを開けっぱなしでマキが呆然と立っていた。
 机の上には一枚のピンク色の紙が乗っている。
『没収品(電気ストーブ一台)
 人類科学研究同好会部長(塚原真樹)殿
 本日中に社会科職員室の今井まで、
 この紙を持って来ること』
 印刷された文字に、カッコの中の部分だけマジックで乱暴に手書きされている。有無を言わせぬ態度。授業中で部員が居ないときに取りあげるなんて卑怯だ。抵抗のしようがないじゃない。私は、後悔しそうになる自分から気をそらしたくて、頭の中でひたすら先生を責めた。
 やがてケンとシゲが帰ってくる。
「ただいまー。うう、寒ぃ」
「あれ、ストーブは?」
 マキがさっきの紙を二人に無言で渡す。一瞬、時間が止まる。
「化学部の小火もあったし、部室棟の中一斉に調べられたんじゃないの?」
 思わず強引なフォローをする。
「クイ研の電気コンロは無事だったぜ。俺、今クイ研寄ってきたけど」
 シゲは首を横に振ると、苦虫をかみつぶしたような顔で紙をにらみつけている。
 しばらく、嫌な沈黙が充満した。
「ねえマキ、放課後私が職員室行こうか」
 今井先生のことだ。誰かから密告の手紙があったことを言ってしまうかもしれない。面倒な問題にはしたくなかった。それに今のマキには説教を受けに行くような精神的余裕はないだろう。先生のムカつく声を一番冷静に話を聞けるのは私だと思った。
 彼女は肯定するでも否定するでもなく呟く。
「なんでバレちゃったのかな」
「誰かチクったんじゃねえの」
とシゲ。
「ストーブを買ったことは、俺達4人しか知らないはずだぞ。誰だよ、チクったのは」
「止めろよ」
 ケンがすかさず制す。シゲを止めるのはいつも彼の役目だ。
「ストーブがなくなって得する人なんて、俺達の中にはいないだろ。他の部の奴だよ」
「でも……」
 四人ともうつむいたまま、気味の悪い沈黙が続いた。
 木造の部室棟をすきま風が流れていく。午前中は晴れていたのに、今の空はすっかり暗い雲に覆われている。二、三枚の枯れ葉を残した木の枝が、大きく左右に揺れているのが見えた。
 しばらくして、マキがぽつんと呟いた。
「ねえ、寒いよね」
「うん?」
「新しいドライヤー買おうか」
「!」
 ケンが参考書から顔を上げる。シゲが、何かを思いだしたように、体を起こす。
 部室が部室らしい空気に変わった。胸でつっかえていたものが取れていくような気がした。
 みんなの表情に生き生きとした笑顔が戻ってくる。そして、一斉に頷いた。


 
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