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水道塔
 

 パターンは既に読めている。セコムが見回りに来るのは、一回目は八時の消灯直前、二回目は九時半頃。部室棟自体に鍵はかかっていない。正確に言えば鍵はついているんだけど、何年も前から壊れたままになっている。だから、セコムさえやりすごせれば、「部室に泊まろう計画」は実現できる。
 もう一つの問題は、消灯後の電源をどうやって確保するかだ。でも、これはそれほど難しい問題ではない。部室棟には一カ所だけ、消灯後も使えるコンセントがあった。冷蔵庫で現像液を保存しなければいけない写真部である。部長に昼飯をおごる約束をして、延長コードを取り付けるのを手伝ってもらった。一階の換気口から二回の換気口へ、外の壁をつたわせて映画研究会の部室の中まで伸ばす。我ながら完璧な計画だ。
 駅前のマックで九時までねばり、バス停のベンチでおしゃべりをしながらもうしばらく時間をつぶす。こんな時うちの高校みたいに私服だと便利だ。大学生や予備校生たちと混じって、夜の街とも上手くとけ込むことができる。
 九時四十分を過ぎる。校舎に隣接した正門ではなく、部室棟の裏に通じる獣道を抜けて、あっけなく潜入は成功した。
「よっしゃ!」
 ワクワクしながら準備がスタートした。急いで機材を運び、台本と照らし合わせながらビデオのチェックする。今日集まったメインの理由は、学園祭のための自主製作映画のワンシーンを撮影することだった。
 映画と言っても、全部で三十分もかからない短編なのでそれほど大変ではない。内容は、校内で起こった失踪事件について調べるために主人公達が夜の部室棟に潜入するという他愛もないものだった。
《何か変わったことある?》
《さあ。二階に行ってみようか》
《さっきからガタガタ音がするのは何だろう》
《風で揺れてるんじゃない?この建物ボロいから》
 リハーサルは順調だ。キャストの人たちは、昼間練習した台詞をすらすらと喋っている。ダメ出しも少なく、作業はスムーズに進みそうだった。

 実を言うと、今日の撮影に僕は必要ない。当日パンフレット制作のほうにしか関わっていないからだ。フォトショップの原稿はほぼ出来上がっていたし、入稿〆切日はまだ先だった。本当なら、最低限のメンバーだけで撮影したほうが見つかるリスクは少なくて済むのだろう。それでも参加したのは、「部室棟に泊まる」という言葉のスリリングな響きに惹かれただけではなかった。同じくらい、むしろそれ以上にヒロインの佐和ちゃんが心配だったからだ。
 主役を演じる矢部は……多分、佐和ちゃんを狙ってる。態度の端々から好意が垣間見える。それに、もともとは自主制作映画の話には興味なさそうだにしていたのに、彼女がヒロイン役に決まった途端に主役に立候補したのだ。魂胆見え見えじゃないか。何とかしてこれ以上の接近をくい止めないと、佐和ちゃんは奴のものになってしまう。せっかく僕が今までちょっとずつ距離を狭めていって、脈アリかなあという地点までたどり着いたのに、その努力を台無しにされてしまったらたまらない。矢部が思い切った行動に出ないように、今晩はこの場所に居て見張っていた方がいい、と思ったのだった。
 それから、音響を担当している順も一応マークしておかなければならない。彼は、天文部で佐和ちゃんと一緒に活動していた。映研に入ったのも彼女の誘いだったと記憶している。今のところ気があるような態度は見せていないけど、僕の見たことのない彼女を沢山知っているという羨ましさも手伝って、危険人物リストに入れていた。一晩一緒にいたら何があるか分からない、念には念を入れないと。
 邪な考えで頭をいっぱいにしながら、しばらくは廊下から撮影の様子を見ていた。光の加減について真剣に討論する、監督兼カメラマンの渉先輩と照明のゆっこ。台詞のタイミングを順から教わっている高橋さん。みんな生き生きとしていて楽しそうだ。でも僕にとっては、和気藹々の雰囲気がかえってしゃくに障った。佐和ちゃんと矢部と話しているところを見ていると、演技と分かっていても無性にムカついてくる。手持ちぶさたで足を組みかえるたびにスタッフの邪魔になっているような気がして肩身が狭い。
 あまりの居心地の悪さに、部室の中で待機することにした。しかし、もちろん電気はつかないし、写真部から引っ張ってきたコンセントもカメラや照明でいっぱいいっぱいなので、個人的に使う余裕なんてない。これで明るかったら本でも読んでいるのに、正真正銘何もやることがない。僕以外はみんな仕事があるので話し相手にもなってくれないし、試しに椅子に横になって寝ようとしてみたけれど、部室の固い椅子では背中が痛くて三分も寝ていられない。
 夜の闇に浸食された部室棟のせいなのか、後悔がわき上がり、思考がどんどんネガティブなほうに進んでいった。やっぱり来なければ良かった。嫌なシーンばかり目の前に突き付けられるし、自分をアピールできる機会もない。どうせ僕なんて映研の邪魔者なんだ、と閉じたままの口の奥でつぶやく。本気の言葉じゃなかったのに、音になった途端に真実のような気がしてきた。今まで楽しかったはずの記憶の影が薄れて、ヘマをした記憶、劣等感を感じた記憶ばかりが次から次へと甦ってくる。背筋をぴんと伸ばした佐和ちゃんの後ろ姿を見ていても、幸せよりもイライラのほうが上回ってしまって不愉快になるばかりだった。
「ちょっと外の空気吸ってくる」
「おう。見つかるなよ」
 シーンの合間を見計らって、断りを入れてから外に出た。みんなは小走りの僕を一瞥しただけで、気にも留めていないみたいだった。どうせ、どうでもいいと思っているのだろう。視線を振り切って逃げるように階段を下り、建物から離れた。あと一時間ぐらいかかるだろうか、終わる頃を見計らって帰ってこようと思う。そうすれば少なくとも、撮影の間は気まずい思いから解放される。
 昼間はうだるような暑さだったけれど、今は半袖ちょうど良いくらいのそよ風が吹いてきた。微かに聞こえてくる虫の声が晩夏の趣を深めている。今ごろ家では、リビングでニュースを見ている時間だろうか。高校の合宿所、大沢会館に泊まると言ってきたので心配はしていないだろうけど、万が一電話なんてかけられたら困る。嘘がばれて撮影中止なんて事態にならなければいいのだけど。
 いや、撮影中止ってのもそれはそれでいいかもしれない。不謹慎な考えを思いついてしまって苦笑した。みんなが騒いでいたから自分も一緒に騒いでみたけど、本心から作りたかった作品なのかと問われれば即答できない。ただ、今更やめてしまったら余計に感じ悪いから、我慢しているだけなのだ。
 ざくざくと草を踏みながら、あてもなく敷地内をうろうろする。昼間の草いきれが冷却された霧が服にじわじわと染み込んで、うっすらと汗の膜で覆われていた皮膚をやわらかく解放した。顔の前を何度も往復する小さな虫を手で追い払うと、ふと、水道塔が視界に入る。表面が錆びつつも空へ伸びている支柱の姿に、自然と足が止まった。
 水道塔というのは要するに、水道水を一時的に高いところに貯めておいて、校内の蛇口を捻ると上からの水圧で水が出てくる仕組みだ。ちょうど送電用の鉄塔の上に丸いタンクが乗ったような構造で、金属の枠組みのみの本体から向こう側が透けて見える。ただし、今はもう使われていなくて、来年か再来年、校舎を建て直すときに一緒に取り壊されるらしいと聞いていた。もちろん今も、周りはガードレールに囲まれ、「立入禁止」の札がかかっている。
 禁止と言われると入ってみたくなるのが人情というもの。使って下さいとばかりについている梯子が目から離れない。壊される前に一度は登ってみなくちゃと思っていたところだった。校内に僕たちしかいない今こそ絶好のチャンスかもしれない。
 ガードレールを飛び越え、梯子に手をかけ、一段一段を踏みしめる。塔は建物にして四階か五階ぐらいの高さで、足場もそんなに良くはない。落ちたら死ねるよなあと思いつつも、手足は思考から独立したように動いていた。大地が遠くなり、月明かりに近くなるにつれて気分が清々しくなってくる。さすがに下をみるとちょっと怖くなるけど、重力に逆行する爽快感には抗えなかった。
 林の屋根を抜けて急に開けた視界に心を奪われた。一番上までたどり着くと、なるべく手元だけを見るようにしながらタンクの周りを一周して安定した場所を捜す。結局、正面の太いパイプに落ち着くことにした。
 ジーンズ越しに伝わってくる金属の冷たさが心地良い。頭の上にはもはや空しか存在しないという優越感に浸りながら深呼吸した。もともとうちの高校が高台にあると言うことも手伝って、駅の向こうまで広く見渡すことが出来た。玩具のように立ち並ぶ団地や、静まり返った道路に時折走るタクシーの灯をぼんやり眺めて、足をぶらぶらさせた。先刻までのとりとめのない言葉や残像が、次々と現れては消えていく。突然出ていってしまって、不自然だっただろうな。今更後悔しても遅いけど、部室棟に帰るタイミングが難しいな、と思った。仕方がない、行き場のない気持ちを片づけるためには他に方法がなかったんだ。
 ふと、下の方に人の気配を感じて現実に戻された。
 誰かが梯子を登り始めているところだった。セコムに見つかってしまったのだろうか。暗くて判別が出来ない。どんな説明して誤魔化そうか、それとも素直に謝ろうか、様々な言い訳が頭の中を駆けめぐる。
 しかし、すぐに杞憂だと分かった。
「野田君?」
 チノパンツに見慣れた青いTシャツ、襟足を刈りあげたショートボブ……佐和ちゃんだった。
「あ、危ないよ」
「大丈夫」
「き、気を付けて」
 僕が手を貸すまでもなく、背の低さを腕の力で器用に誤魔化し、小動物のようにひょいひょいと移動してくる。終始ドキドキして声が上手に声にならない僕などお構いなしに、闇の中から浮かび上がってきた。後ろ側からタンクの頂上によじ登り、一瞬間を置いてから滑り降りるように正面側に移り、ついには僕の真隣の、ほんの十センチの距離にちょこんと腰掛けた。こんなに近づいたのは初めてだったので戸惑った。恥ずかしくて死にそうだけど、わざわざ離れるのはもっと変だ。それに離れたくない。視線の置き場に困って、強ばった肩をすくめたまま、なんとなく地平線の辺りを眺めた。
「ここ、一度登ってみたかったんだ」
「撮影、終わったの?」
「うん。あとは矢部君と高橋さんのシーンだけ」
「お疲れさま」
「野田君こそ、わざわざ来させちゃってごめん」
「いや、いいんだ、来たかったから」
 会いたかったからだよ、という台詞が頭を過ぎっただけで頬が赤くなる。緊張しすぎて転げ落ちそうだ。他意のない笑顔を盗み見ながら、平静を装うのに苦労する。
「夜景、意外と地味なんだね。大沢市って夜が早いんだ」
「ああ」
「でも、風が気持ちいい」
 飛び跳ねていた心臓の音も徐々におさまって、彼女の息づかいに聴き入りながら夜の静寂に身体を任せた。この場所だけが時間の流れから隔離されたように、長い夜はゆっくりと過ぎていく。迷ったけどやっぱり、今日来てよかったと思う。電球が一個欠けた駅前のパチンコ屋のネオンや、ぽつぽつと消えていく住宅の明かり。確かに派手でもなければ洗練されてもいないけど、それでも今までで一番最高の夜景であることは間違いなかった。
【FIN】
 
 

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