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乾杯2

 天文部の部室には、「デッドゾーン」と呼ばれる山があった。そこにはビニール袋だの、衣類だの、なんだかよく分からない物体が山のように積まれている。変なものが出てきそうで怖いし、面倒だしで、何年もそのまま放置していた。
 そのデッドゾーンがとうとう崩されたのは、卒業式が終わってすぐのことだった。卒業記念に、せめて部室の掃除でもしておこうという、部長、もとい元部長だった順君の提案だ。集まったメンバーのうち、私、聡史、真理ちゃんの3人は大学生になれることは決定している。順君とゆっこは国立大後期の発表待ちだった。
 昼休み終了のチャイムが鳴り、一、二年生が教室に出かけるのを待ってから作業を開始した。授業時間が始まっても周囲から人の気配が途絶えないのは、同じく卒業直後の学年がたまっているからだろうか。まったくこれだから部室棟依存症は困る、私もだけど。
 床をさっと掃いてから、思い切って山を掘り起こす。すると出てくるわ出てくるわ。聞いたこともないOGBの名前が刺繍されたジャージ、カビが生えてそうな上靴、教科書や本、本にはうちの図書館のバーコードがついている。普通は請求書や電話攻撃でしつこく催促すると思うのだけど。うちの図書館って意外とアバウトなんだという事実が判明した。
「俺、返してくるよ」
 聡史が本を持って図書室に向かう。古いジャージと靴と教科書は、勿体ないけど捨てることにした。
 毛布、寝袋。これは、冬の天体観測の時に役にたつ。誰のものかは分からないし、持ち主だってもう忘れているだろうけど、掘り出し物だ。ありがたく備品にさせていただこう。
 最後に出てきたのは、箱に入った白いウエディングドレスだった。クリーニングのタグが付いていて、ほつれや汚れもなく綺麗たっだ。一体誰が持ってきたのか、何のために使ったのか見当もつかない。部内で隠し芸大会でもやったのだろうか。
「順君、着てみてよ」
「な、なんでそういうのはいつも俺なんだよ」
「着て着て、ドレス姿見たい」
 ゆっこと私で騒ぎ立てる。順君は、色白で目が大きくて、典型的な「甘いマスク」だから、女装すると冴えるのだ。以前、合宿の時に無理矢理メイクしたことがあるけど、女の私でもドキっとするほど色っぽかった。
「仕方ねえなあ」
 結局まんざらでもなさそうな顔をして、ドレスをかぶる。ウエストがちょっときつそうだけど、もともと痩せ形だからファスナーはすんなりと閉まった。予想通り、よく似合っている。
「へえ、やっぱり綺麗だよ。カメラ持ってる人いないかなあ」
「うわ、写真だけはやめろ。嫁に行けなくなるだろ」
「ねえねえ、誰かー。カメラ持ってませんかー?」
 ゆっこの声が部室棟の廊下に響く。本気で焦っている順君もカワイイ。向かいの部室のドアが開き、数人が面白がって見ている。通りがかりの顔見知りが足を止めてくすくすと笑っている。
「やめろって。もう脱ぐぞ」
「あのう、すいません」
 野次馬の一人が話しかけてきた。演劇部の人だ。部室が隣なので、名前は知らなくても会釈する程度の仲になっている。
「カメラ持ってるんですか?」
「いえ、そうじゃなくて……そのドレス、演劇部のじゃないですか?」
「え、そうなの?」
「分かりませんけど、昔の公演の写真に、そっくりなドレスが写っていたので」
 演劇部のドアに貼ってある写真を見てみると、確かにこのドレスっぽかった。裾のラインに特徴があるデザインなので、間違いないだろう。3年前の学園祭の写真だという。
「ふむ、確かにこれみたいね」
「演劇部のドレスだったんじゃないの? きっと、その役の部員が天文部とかけもちしてたんだよ」
「うん、じゃコレ、演劇部にお返しするよ。うちらが持ってても何も役にたたないしね」
「どうもすいません」
 結局、写真は撮り損ねてしまった。残念。
「ただいま、こんなのもらっちゃった」
 コンビニにお酒とおつまみを買い出しに行っていた真理ちゃんが戻ってきた。缶ビールやポテチの入った袋をぶらさげつつ、両手に焼いた魚を持っている。
「なに、その魚」
「ニジマスの塩焼きだって。生物同好会の人からもらったの」
「お、あつあつじゃん。つまみにちょうど良いね」
「聡史帰ってこないけど、冷めないうちに乾杯しちゃおうか」
「よっしゃ。乾杯」
「かんぱーい」
 四本の缶が次々にプシューと開く。勢いで散った飛沫がおでこについたのは気にしない。零れ落ちてくる泡に口を付けてすすりながら缶を傾ける、ずしりとした液体にたどり着く。
 今まで家でカンチューハイ半分ぐらいを嗜んだことはあったけど、本格的にお酒を飲むのは初めてだ。喉を通り抜けるビールは冷たくて、程良い苦さだった。炭酸の刺激で喉が引き締まる。思っていたよりずっと美味しかった。塩をきつめに振って焼いた魚も油が乗っていてぴったり合う。
「そういえば、どうして生物同好会がニジマスの塩焼きを?」
「そういえば、最近生物室の水槽に似た感じの魚が泳いでいたような」
「そういえば、二週間前ぐらいに、生物同好会の人が解剖用の魚をもらいに水産試験場に行くって言っていたような」
「……」
「……」
「ま、毒ではないだろうし」
「ま、ね」
「あれ、佐和ちゃん、淡水魚は嫌いって言ってなかったっけ」
「うん。本当なら嫌いなはず、なのに。これは食べられるの。不思議」
 食べられる、どころかかなり美味しいと感じた。もともと私は魚全般があまり好きでない。特に淡水魚は、どうしても泥臭さが気になってしまう。家族で高級そうな懐石料理屋さんに行ったときも、がんばって半分食べてあとは残してしまったのだった。何故、今日は大丈夫なんだろう。
 そういえば、小学生の時に理科の実験で作ったカルメ焼きって、妙に美味しく感じたっけ。あの感覚と似ているかもしれない。

「聡史、遅いね。何かトラブっているのかな」
「ちょっと様子見てくるね」
 立ち上がろうとしたら、足のバランスが上手くとれなくてちょっとふらついてしまった。自分で思っていたよりも酔っているらしい。周囲に悟られないように、がんばって平静を装いながら歩く。廊下の鏡に映った自分は、ちょっとだけ顔が赤くなっていた。
 図書室は、既に授業時間が始まっているので生徒は誰もいなかった。隣の司書室でやかんが沸く音だけがしゅんしゅんと聞こえてくる。
 閲覧者用テーブルの片隅に聡史はいた。呆然としたように机に突っ伏していた。何があったのだろうか。いやな予感がする。一つだけ、思い当たることがあったのだ。たしか例の「彼」は図書委員だった。
「聡史」
 小さく声をかけると、ふっと息を吐いて顔を上げた。
「どうしたの。もう、乾杯しちゃったよ」
「……」
「ニジマスの塩焼きもらってきたんだけど、すっごく美味しいよ。ただこのニジマス、ちょっといわく付きでさ。生物同好会が」
「涼子ちゃん、彼氏いたんだって」
 聡史はずっと、一コ下の部員、涼子ちゃんに片思いしていた。もちろん涼子ちゃんはそのことを知らない。第一志望の大学に受かったら告白するぞ、とよく言っていた。
「そ、そうなの?」
 ろれつが回らないのはビールのせいだけではない。私は、なんて反応すれば良いのだろう。涼子ちゃんの彼氏のことを知らなかったのは、多分、天文部内で聡史一人だけだ。みんな知っていた。知っていたけど、隠していたのだ。言えるわけがない。彼女への恋を糧にして受験勉強に励んでいる聡史に、本当のことはとても教えられなかった。
「俺、悪いけど今日は帰るわ」
「う、うん」
「部室の掃除、お疲れさま」
  静かな図書館に、ばたんとドアの閉まる音が響く。
 聡史は見事に第一希望の大学に受かった。隠していたのは正しかったと思う。だけど、他に何か出来ることはなかったのだろうか。自分の無力さを思い知った気分だ。
 行き場のない言葉を喉の奥に留めたまま、図書室を出た。部室に戻らなきゃ、と思いつつも足が進まない。受験生生活をしていた一年間、封印していたいろんな納得いかないことが甦ってきてしまった。こんなに沢山の割り切れない思いを抱えたまま、私は大学生になってしまうのだろうか。
「おう、小田じゃないか」
「今井先生」
 悪いところを見つかってしまった。今の私は足元がふらついている上に、息が酒臭くなっているに違いない。今井先生は、飲酒には滅茶苦茶厳しかった。どこかの部が合宿で酒を飲んだのが見つかって、全員停学になったこともある。
「お前、T大に受かったんだって。よくやったじゃないか」
「いえ、こ、こちらこそ」
 バレる前にこの場を逃げ出さないと。会話を一瞬で終わりにする方法を考える。
「ええと、すいません、今、待ち合わせがあって急いでいて」
「あれ? なんだか酒臭いぞ」
「そんなことないですよ」
「…… 」
 部室に踏み込まれることは避けなければならない。私たち卒業生のせいで現役生に迷惑をかけてしまう事態にはなって欲しくなかった。
「ま、ほどほどにしておけよ」
「え? 」
 先生は機嫌が良さそうに歩き出す。職員室に消えていく姿を呆然と眺めていた。あまりにもあっけなく許されてしまって、拍子抜けだった。ありとある怒られ方のパターンを思い浮かべ、身構えていたというのに。ホッとするというよりも、無性に悔しくなった。
 そうだ、私はもうこの高校の生徒ではない。先生が怒らないのは変なことではない。だけど。今井先生にはいつものように、停学だこの野郎、と怒鳴って欲しかったのかもしれない。
 割り切れない気持ちを振り切るように、私は走り出した。校門に向かって、体中の酸素を絞り出すように全速力で走った。この半年は受験勉強でほとんど運動していなかったから、すぐに息が切れてしまった。だけど止まれない。まだ冷たい空気を切る感覚、足の筋肉がキリキリする感覚、久しぶりの新鮮な気持ちだ。
 向かい風を楽しみながら校門の前の細い橋を渡る。線路沿いに植えられた木々の枝がさわさわと揺れ、橋の下をローカル電車が通り抜ける。全身に低い振動が伝わってきた。やがて、駅に向かって早足で歩いている聡史に追いついた。
「聡史っ」
「な、なに、どうしたの?」
「あのね、ごめん」
「?」
「ごめん、みんな、知ってたの。涼子ちゃんに彼氏がいるって。でも、言えなかったんだ。本当に、ごめんね」
 聡史は一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに表情をゆるめた。
「そっか。ありがと」
 走ったせいなのか、お酒のせいなのか、膝がガクガクする。空っぽになった胸に夢中で酸素をつめこむと、額にうっすらと汗が浮かんできた。気がつけば陽ざしは随分と柔らかくなっている。その陽ざしを存分に吸い込んでふくらんだ地面が、日陰の空気にも微妙に影響を与えていた。
 今までのどの春とも違う春がやって来る。それはひょっとすると、悲しいことなのかもしれなかった。
 
 


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