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 乾杯
 

「今回はこれだけ?」
 定例飲み会に集まったのは、九人いた生徒会役員メンバーのうち、書記だった俺、副会長の矢部、議長の聡史、そして会長だけだった。去年までは一人か二人休む程度だったのに、最低の出席率だ。社会人になったら集まりづらくなるだろうな、とは覚悟していたけど、まだ誰も大学を卒業してないうちに、一番仲が良かった代と呼ばれている俺達がこんなに盛り下がってしまうとは正直言って予想できなかった。
「これで全員だよ。ちょっと寂しいね」
「いえいえ、会長こそ忙しいときに幹事、お疲れさま」
 申し訳なさそうにうつむく頬の近くに、今運ばれてきたビールの大瓶を差し出す。
 正確には、会長が会長だったのは四年も前のことだ。そろそろ新しい愛称を考えないとなあ、と毎年のように思うのだが、いまさら名前で呼ぶのも変な気がする。
「みんな、四年生になると忙しいんだな」
「俺は二回目の三年生だけどね」
 言わなくてもいいのに、聡史が名乗りをあげる。サークルで頑張りすぎたのが原因らしい。彼は、昔から責任感が強すぎるというか、お人好しというか、頼まれたことはとことん真面目にやらないと気が済まないタチなので、大学でも面倒な仕事をことごとく押しつけられていたのだろう。
「ま、それはおいといて、みなさぁん、グラスは持ちましたか?」
 会長がわざと明るい声を出した。
「おうっ」
「じゃ、僕たちの永遠の友情に、乾杯! 」
 勢いよくグラスとグラスがぶつかり合う音。
 気心知れた仲間達と旨い酒を飲むのは、それはそれで楽しい。でも高校のときは、アルコールなんてなくても十分馬鹿騒ぎできたんだよなあ、と思うと少し淋しいような、複雑な気分にはなる。

「この前高校に遊びに行ったらさ、缶ジュースの自販機が出来てやんの」
「マジで? 俺達があんなに頑張って先生と交渉しても駄目だったのに」
 校内では、空き缶処理が面倒という理由でジュースは紙パックしか売っていなかった。種類も少なくて、あまり美味しいのがなかったので缶も扱ってくれ運動を始めたのだった。しかし、結果はあっけなく惨敗。『生徒会の管轄じゃない』の一言で却下されてしまい、職員会議に持っていくことすら出来なかった。
「しかも来年から、生徒会室にエアコンが入るんって決定したらしい」
「げ。そんな軟弱なの、もはや大沢一高じゃねえ」
 部室棟は、客観的に見ればそれはそれはひどい環境だった。雨がふれば雨漏りするし、夏は異様に熱気を吸い込んでサウナ状態になる、冬は容赦ないすきま風で凍死しそうになる。
 でも、そんな環境をどうにかして乗り切る方法をみんなで工夫していたのは、今になってみると楽しかった。真夏に部室で食べるアイスクリームは最高だったし、冬はコーヒーメーカーが大活躍していた。俺が苦手だったコーヒーを飲めるようになったのは、部室棟のおかげと言っていいだろう。
「あと三年遅く生まれるべきだったか……」
「聡史んとこのクイ研なんて、電気コンロで暖まってたよな。今井先生に見つかって、一週間部室使用停止くらってたじゃん」
「生徒会室のスペアキーがあったから、痛くもかゆくもなかったけどね」
「このぉ、職権濫用」
 いつものように、他愛のない昔話で盛り上がる。だけど人数が少ないせいか、やはりノリがちょっと違っていて虚しい感じがする。ちょうど話に一段落が着いた頃おつまみが運ばれてきたので、高校生時代への感慨にふけりつつ、会話よりも食事モードになった。

 しばらく続いた沈黙を、打ち破ったのは会長だった。
「おい、今日、重大発表があるんだろ」
 促されて、矢部が気まずそうに口を開いた。
「うん。ええと、俺、来月結婚することになったんだ」
「ええ? ついに、早紀ちゃんとゴールイン?」
 おめでとう、と言いかけるが、彼の複雑な表情に気づいて先を待つ。
「それが違うんだ。別の……大学のサークルで知り合った一コ下の後輩でさ」
「おいおい、だってこの前の正月に集まったときは、まだ別れてなかっただろ」
 別れていないどころか、今まで以上のイチャイチャぶりを見せつけてくれて、さんざんからかったのがまだ記憶に新しい。早紀のためにも就職活動は気合いを入れないとな、と結婚を匂わすような発言もしていたはずだった。
「うん、最初は、ほんの出来心の浮気だったんだよ。そしたらその相手が妊娠しちゃって、いろいろ考えたけど、責任とろうって結論に達して」
「お前それ、最低やん」
 身をのりだしかけた俺を、会長が軽く制す。
「それで、二人がごたごたしてたから、今回は僕が幹事ってことになったんだよね」
「もしかして、それで早紀ちゃん、気まずくて今日来なかったの? ゼミの夏合宿だからって言ってたの、口実だったんだな」
 聡史も、若干睨むような目で矢部を見ている。
「夏合宿は本当だよ。今ごろ、軽井沢に行ってるはず」
「お前ら、絶対に結婚すると思ってたのに……」
 ちょっとショックだった。二人は俺たちが任期中のバレンタイン前後にくっついて、今までずっと付き合っていた。年に二回、盆と正月の定例飲み会はいつも二人で幹事を引き受けて、抜群のチームワークでセッティングしてくれていた。このメンバーが卒業してからもずっと繋がっていられたのは、二人のおかげといっても過言ではなかった。
「後悔とか、してないのか?」
「最初はかなり悩んだけどね。今では俺の決断は間違ってなかったって思うよ。彼女、料理美味いし、サークル仲間だから趣味も同じだし、あと、胸もデカいし」
「き、鬼畜だ……」
「弘樹だって今、真理ちゃんと別れて、他の子と付き合ってるんだろ。同じようなもんじゃねえか」
 ウイークポイント直撃の名前が、俺の胸にずくっと来る。
「馬鹿。俺はふられたんだ。不可抗力だ。掘り返すな」
「あれ、もしかして、まだ未練あるの?」
「黙れ」
 未練。そう、図星だった。今の彼女はもちろん好きだし、大切に思っているけれど、自分の中で相変わらず真理ちゃんが一番大きな存在であることは否めない。あれほど恋愛に夢中になった時期は他になかったし、あれほど強烈に人から影響を受けた経験も他にはなかった。
「ごめん。もう、『昔のいい思い出』になってるもんだと思ってたから」
「だって矢部、お前、芸能人やモデルならともかく、現実の世界に真理ちゃんよりいい女がいると思うか?」
「いない、かもな」
「いるだろ」
 聡史が口をはさむ。
「いくらでもいるだろうけど、でも、お前には無理だ。お前は真理ちゃんと付き合えたのがそもそも奇跡だった」
「ごふっ」
 みんな失笑する。ある意味、当を得た意見だ。俺は別に美男子でもなければ、頭がいいわけでもないし、スポーツも、文化部の活動も、これといったとりえはない。彼女が以前に付き合っていたと噂されている数人の男に比べたら、自分が格段に劣っているという自覚はあった。
「なんつってふられたの?」
「他に好きな人ができたの、ごめん、って」
「で、弘樹はなんて答えた?」
「三木さんがそう言うなら仕方がないね、って」
「なにぃ、お前、真理ちゃんのこと、三木さんって呼んでたのか?」
「あっ」
 動揺したせいで、つい口を滑らせてしまった。
「うわっ、純情」
「悪いかっ」
 俺だって、ずっと、彼女を名前で呼びたかった。いつかきっと名前で呼ぼうと思っていた。そして、今日こそは絶対に「真理ちゃん」と言うぞ、と決意して出かけたその日、唐突に別れを切り出されたのだった。
「ってことは、まさか、弘樹」
「俺、真理ちゃんに手を出したこと、一回もないよ」
「ぶっ」
「この臆病者」
「臆病じゃねえ、紳士と言え。ジェントルマンだ」
 ……それは彼女よりワンランク劣った大学にしか受からなかった劣等感かもしれなかったし、嫌われるのが怖かったからかもしれない。それとも、週末に待ち合わせして会った瞬間に、出会った頃の高校生の思考回路に戻ってしまうことが一番大きな要因だったのだろうか。いつまで経っても腫れ物に触るようにしか真理ちゃんに、いや三木さんに接することができなかった。
「下ネタギャグでは右に出る者のいない弘樹が、ねえ」
「人は見かけによらない、ってやつか」
 みんながひとしきり笑い終わってから、矢部がおずおずと切り出した。
「実はさ、俺も」
「ん? 」
「俺も、早紀ちゃんには最後まで手を出せなかった」
「おい、そりゃ嘘だろ。だって、三年半も付き合ってて」
「二月に別れたから三年きっかりだ」
「同じようなもんだろ」
「マジかよ、おい」
 ちょうどビールが身体に回ってきたこともあって、俺達は頭のネジがはずれたみたいに笑いだした。
「こんな意気地なしの男が、出来ちゃった結婚かよ? 」
「ぶははははは」
「くっくっくっくっ」
 四人は何かにとり憑かれたかのように転げ回っておかしさを表現する。
 俺は瞼の裏にこみあげてくるものを誤魔化すためにも、顔を背け、とりわけ大きな声を出して笑い続けた。ワライダケを食べさせられたかのような不思議なハイテンションは、飲み会がお開きになるまでずっと続いていた。
 
 


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