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白いヘアバンド
 

 大きくて目立つ白いヘアバンドを身につけること。これが、高校一年生の私としてはせいいっぱいの知恵だった。
 三年四組、岸間崇先輩。野球部の部長でピッチャー。夏の高校野球の県予選を応援しに行ったときに一目惚れした。何の小細工もないストレートで勝負して、三振を取ってしまうたびに、自分のことのように嬉しくて自然と顔がにやけた。結果的には我が校は三回戦で敗退だったけど、夏休みを挟んで新学期になった今でも先輩の投げる姿が目に焼き付いて離れなかった。
 ちなみに歴史学研究会にも幽霊部員として属しているらしい。私のいつも居る吹奏楽部の斜め向かいの部室なので、稀に部室棟でも見かけるけど、本当に稀である。今まで二回ぐらいしか見たことがない。クラスメイトで野球部員のケンにそれとなく聞いてみたところ、一ヶ月後の練習試合を最後に野球部部長を引退するそうだ。以前は同じクラスの子と付き合っていたけど五月にフラれて今はフリー。可能性がないわけではないから余計に諦められなくてやっかいだ。
 彼と話したことは一度もない。彼は私の名前も顔も知らないだろう。これから先も、どう考えたってお知り合いになる機会などなかった。今でさえ吹奏楽部の活動と勉強を両立するのに苦労しているのに、更に野球部にマネージャーとして入るわけにもいかない。第一、入ったとしてもすぐに引退されてしまう。
 そこで苦し紛れに考え出したのが、ヘアバンド作戦だった。彼は三時四五分に授業が終わると、四時まで図書館をうろつき、それからグラウンドに隣接した部室へ向かうことが分かっている。私は反対に、四時にグラウンド前にスタンバイし、図書館に向かって歩き出す。そうすると、かなりの高確率で途中ですれ違うことが出来るのだ。目立つヘアバンドをしていれば、何度もすれ違っているうちに、うっすらと記憶に残すことが出来るかもしれない。もしも運良く話しかける機会があったら、ああ、あのヘアバンドの子ね、と思い出してくれるかもしれない。ほんの少しでも彼の思い出す景色の中にくい込むことが出来るのならそれだけでも満足だった。
 努力の甲斐あって、最近は目が合うことが多くなった。そのたびに彼は首を傾げて、「あれ?」って顔をする。私のことを、ちゃんと覚えてくれているんだ。この調子でいつかきっと……と淡い期待で胸を膨らませることもあった。

 いつもは昼休みは部室で過ごすことが多いけど、その日は次の数学の練習問題があたっていたので、教室でお弁当を食べることにした。自販機でジュースを買い。机の上に包みを広げる。うちわ替わりの教科書で扇ぎながら、みんなと答え合わせする。私が解かなきゃいけない問題は、一応正解していた。
──野球部の岸間さん
 スピーカーから彼の名が呼ばれ、それまでBGMとして聞き流していた校内放送に意識が向かう。
──吹奏楽部の河合田さん、化学部の間宮さん、本年度の予算について連絡がありますので、至急、本館会議室まで来て下さい
 うちの河合田先輩も呼ばれていた。この時間なら、先輩は部室でお弁当を食べているんじゃないだろうか。部室棟にはスピーカーがついていないので、放送は届かない。至急とか言われいるし、教えてあげたほうが良さそうだ。
「ごめ。ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
 食べかけのサンドイッチを鞄の中のビニールに戻して、教室を出た。
 案の定、河合田先輩は部室でゲームをやっていた。夏季限定でござを敷いた室内に寝っころがり、安っぽい電子音が流れる画面を一心不乱に見つめている。
「さっき校内放送で呼ばれてましたよ。会議室に来なさいって」
「お、サンキュ。予算申請書を書き直せって言われていたから、それかな」
「多分そうです。予算がなんたらかんたらって言ってました」
「仕方ない、行ってくるか」
 セーブするとコントローラーを椅子の下に放り投げ、テレビの電源を消す。上靴をつっかけて、リュックを肩に掛けながら早足で出ていく。珍しく、吹奏楽部には誰もいなくなった。
 ふと斜め向かいの部屋を見ると、レアキャラの姿があった。岸間先輩が、独りで本を読んでいたのだ。何て凄いタイミングだろう。さっきの放送のことを教えてあげるべきだろうか。話しかけてお近づきなる絶好のチャンスだ。深呼吸してから勇気を出して、初会話に挑むことにした。
「あ、あの、野球部の岸間先輩、ですよね」
「ん、そうだけど?」
 本を置いて入口まで歩いてくる。うわ、至近距離だ。
「その、さっき校内放送で、岸間先輩が呼び出されていたから、ひょっとして気付いていないかなあって思って」
「何の呼び出し?」
「予算の書類がどうのって言ってました」
 しどろもどろに答える私の肩に、妙に馴れ馴れしく手を乗せた。ヘアバンドをちらっと見て意味深に笑う。君の気持ちなんて見透かしているよと言われているような気がした。ひょっとして、馬鹿にされているのだろうか。あれほど盛り上がっていた気持ちが一気に鎮まった。恋に恋をしていた自分が恥ずかしくなる。
「で、どこに来いって言ってたの」
「会議室だそうです」
 なるべく冷たく事務的な言い方をしたのだが、先輩の態度も自意識過剰気味な目つきもちっとも変わらない。不愉快だ。
「では、失礼しました」
 私は軽く会釈をすると、肩の手を振り払うようにくるっとUターンした。でも、そのまま帰ろうとする私の背中をさらにぽんと叩く感触がやって来る。鳥肌が立った。
「ねえねえ」
「何ですか」
「他に放送で何か言ってた?」
「知りません!」
 もう振り返りもせず、階段を駆け下り、逃げるように部室棟を出た。バカ、バカ、と頭の中で何度も叫ぶ。不快な男の気配を消し去ってくれる向かい風に感謝した。もっと強く吹け、そして記憶まで吹き飛ばしてしまえ。
 教室に入るとやっと少し落ち着いてきた。しかし自分の想いが侮辱されたような、行き場のない苛立ちはぐずぐずと残った。半分は私の被害妄想なのだとは分かっている。ただあの馴れ馴れしさが先輩のスタイルだというだけで、悪気はないのだと思う。勝手に好きになって追いかけて、勝手に過剰反応している私がいけないのだ。でも、一度回りだしてしまった歯車を止めることは出来なかった。彼に憧れるのに、貴重な時間と精神力を費やしてしまったと思うと悔しくて仕方がない。近づくために踏んできたステップの一つ一つが否定され、拡散し、消えていった。

 その日以来、私は白いヘアバンドを一度も付けていない。
 
 


 
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