人形の家

12345ヒットで「人形」というテーマを出題したkwyさん、
アンドロイドの姿で夢の中に現れたきぃさん、
その夢を小説化しようと言っていたてくらさん、
看護短大について教えてくれたあっこさん、
サーフィンについて教えてくれたさるさん、
学園都市について情報をくれた筑波のひろし家の皆様、
そしてさりげなく堂々とリスペクトされてるイプセンに、
迷惑だと思いますが、このお話を勝手に捧げさせてもらいます。

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 檜山電鉄のターミナル、檜山学園都市駅から一時間ほど電車に乗ると海岸に出る。
 この辺は海岸線が突き出た地形で波が荒い。そのため一般の海水浴客は寄せ付けず、格好のサーフポイントになっていた。今日もオフシーズンに関わらず原色のボードで波の上を自在に飛び回る姿がちらほらと見えた。
 彼はいなかった。海に溶けてしまいそうな青いシーガルのウェットスーツ、複雑な技を生み出すとは思えないほどシンプルなデザインの板で、一番派手に波に乗るその人は。当然だ。彼は今ごろ実家で平凡に働き、平凡な結婚生活をおくっているに違いない。戻ってくることはないだろうと、何度自分に言い聞かせたことだろう。でも、頭で分かっていても感覚には決して繋がらない。無意識のうちに自分の視線が波間を探索しているのが分かった。
 彼が消えてから一年が経つ。

「看護婦さん、看護婦さんですよね」
 夕飯の材料をかごに入れていると、聞き覚えのある声がした。誰だろう。私を看護婦さんと呼ぶのは、実習の時の患者さんくらいだ。振り返ると、長い三つ編みの髪に印象的な瞳が微笑んでいる。
「あやちゃん」
「そう。あの時はお世話になって、ありがとうございます」
「お世話なんて」
 本当にした覚えがない、と思った。もともと実習生ごときにできることは限られているけど、彼女の場合は体温を測ったことさえなかった。あの個室の患者は特別扱いだからと、担当医の森本先生と婦長さん以外は誰も診察に立ち会えないことになっていた。
 よっぽど大変な病気なのだろうかと思いきや、本人はいつもソーシャルルームでいたって元気そうな笑顔を振りまいている。私と同い年ということが判ると、今まで同年代の友人が殆どいなくて寂しかったの、と喜んでいた。テレビを観ながら俳優の品定めのような他愛のない話で盛り上がったこともあった。
 森本先生は、私と彼女が仲良くしているのを快く思っていないみたいだった。二人で話しているのを見かけると必ずやって来て、本田君真面目に仕事をしたまえ、と怒られた。看護学生は必要以上に患者との距離を近く置いてしまう傾向があるから気をつけなさい、と。他の患者と雑談していても何も言われないのに。
 私が怒られるたびに、あやちゃんは小さな声で「ごめんね」つぶやいてうつむいた。
 一度だけ、どこが悪くて入院してるの、と聞いてみたことがある。彼女はココ、と頭を指さした。
“私ね、人形なの”
“え? ”
“いわゆるアンドロイドって奴。ほら、映画とかで見たことあるでしょ”
 本気とも冗談ともつかない口調に戸惑う。
“正確に言うと、自分がアンドロイドだって思いこんでるの。セーシンビョウだから”
“はあ ”
“なあんちゃって、ね。あ、婦長さんが呼んでる”
 病人とは思えない軽やかな足取りでソーシャルルームをあとにする。患者にからかわれてどうする。三つ編みがぴょんぴょん揺れる背中を見ながら、私は頭を抱えてしまった。
「いつ退院したの」
「おととい。一人暮らしするの初めてだから、慣れないことばっかりで」
 病み上がりでいきなり一人暮らしなんて、どういう家庭の事情なんだろう。檜山大学の学生というわけでもないみたいだし。
「そうだ、看護婦さん、どこに住んでるんですか」
「春日二号棟。あのボロい建物」
「私、春日五号棟なんですけど、今からうちに来て一緒に夕飯食べませんか。まあ、冷凍のお弁当ぐらいしかご馳走できませんけど」
 彼女の手が腕に触れる。陶器のようにきめ細かくて、冷たい肌だった。彼女が本気で自分を人形だと主張したら信じてしまうかもしれない、と思った。
「いいの? じゃあ、お邪魔しようかな」
「やった!」
「あと、看護婦さんはやめて。まだ三年になったばっかりだし、準看の資格も取ってないんだから。あきこ、でいいよ」
「じゃあ、あきこ、ちゃん」
 私は会計を済ませ、彼女と一緒に春日生活センターを出た。

 生活センターという名を聞くと大仰な施設のような印象があるけど、要するに大学の生協のようなものだ。食堂とかスーパーとかATMとか、生活に必要なものは一通りそろっている。あやちゃんの家はそこから大学のあるほうに3分ほど歩いて、春日ブロックの最も端の建物だった。
「今、お湯を沸かしてるからゆっくりしててね。何にもなくてごめん」
「いえいえ」
 本当に何もない部屋だった。引っ越したばかりだから仕方がないけど、ベッドが一つ、冷蔵庫が一つ、電子レンジが一つ、ダンボールが一つ。ダンボール以外は全部備え付けだ。生活感がまるでない。
 しかし、そのうち雑多なものが増えれば、住み心地は断然良くなりそうだ。まだカーテンのかかってない窓は中央広場に面していて、日当たりはきっと抜群だ。このブロックの中では最も家賃の高い棟だろう。
 檜山学園都市の居住スペースは、非常に分かりやすい構造をしている。たとえば春日ブロックなら、春日宿舎と、春日生活センターと、春日公園があり、公園の中には春日池がある。追越ブロックに行けば追越宿舎と追越生活センターと追越公園があり、公園の中には追越池がある。ブロックから一歩も出ないでも暮らせてしまう完璧さがかえって不安感を呼び起こし、憩いたい気分の時はわざわざ別のブロックの公園まで足をのばすこともあった。
 学園内にはこのようなブロックが全部で八個あり、碁盤の目のように三列に並んでいる。
 真ん中にはその名の通り中央広場と呼ばれる、駐車場兼集会場のようなスペースになっていた。中央広場といってまず最初に思いつくのは、背丈ほどの台座に佇んでいる檜山大学校章のオブジェだ。山の字を象った三本の柱は、それぞれ科学・技術・社会を意味していると聞いたことがある。表面は鏡のようによく磨かれたチタンの板が貼ってあって、酸性の雨にどれだけさらされても錆びることを知らなかった。雨がやんで雲が切れると、いつものように日光を反射してぎらぎら光りだす。その様子はまるで巨大なフォークみたいに見えるので、一部ではこの場所を「フォーク広場」と呼んでいた。
 半年ぐらい前だっただろうか。このフォークの先に動物実験センターの犬が刺さっていたことがあった。学生たちが騒いでいたので何事だろうと思って、近づいてから後悔した。赤黒い血を地面に届くまで流し、足の先が時々ひくひくと動いている。私は思わず悲鳴にならない悲鳴をあげてその場にうずくまった。
 職員の人たちが到着した頃には、犬は既に息絶えていた。私を含めた野次馬は追い払われて、数時間後には何事もなかったように片付けられていた。鋭利な先端が手の届く高さにあるのは危険だからと、台座をもっと高くするための工事が始まった。犯人は未だに捕まっていない。

 ティーバックの紅茶とレンジで解凍したおにぎりを口に運びながら、あやちゃんは初めて自分のことを少し話した。
 まず驚いたのは、彼女が物心ついたときからずっと大学病院で生活していたという事実だった。義務教育は全て院内学級で受けて、その後は一日中本やテレビで時間をつぶしていたという。道理でどの看護婦さんに聞いても「ああ、あのあやちゃんね」と頷くほど有名人になっているはずだ。
 両親は檜山市内に住んでいるけど、退院後は一人暮らしがしたいと強く希望した。説得にはかなり難儀したけど、最後には両親が折れて、学園都市の外に出ないという条件つきで許可されたらしい。
「ということは……」
「そう。生まれてこのかた、檜山の外に出たことないの。少なくとも、覚えている限り」
 それってどんな人生? 私には想像ができなかった。
「じゃあ、海、見たことないの?」
「テレビでなら時々見る」
「そんな」
 そんなの駄目だよ、と思わず叫んでしまった。
 知らないだなんて、本物の海を。世界で一番無限に近い場所。地球で最も強大な力を持つ、最も大きな生物。その力をほんの少し分けてもらって手のひらの上をすべる色とりどりのボード。彼が、浩一が愛した場所。
 私にとって、海は究極の場所だった。究極とは、終わりのない生活の出口かもしれないし、唯一の信頼できる希望かもしれないし、一つ一つの波を越えるように自分の限界を越えるための糸口かもしれない。
「海、行こう」
「え?」
「学園の外に出られるようになったら、他のどこよりも最初に海に行こう。行かなきゃ駄目」
「う、うん。分かった」
「絶対だよ」
 あやちゃんは、不思議そうな表情で首を縦に振る。彼女はまだ本当の海に圧倒されたことがないから分からないんだ。あの果てしない水平線や、永遠に寄せて返す波をその目で見て、計り知れない力を身体で感じれば、私の言いたかったことが理解できるだろう。
 指切りをして、しばらく無言のまま残った紅茶を飲み干す。
「見られるといいな」
 皿とカップを台所に運びながら、あやちゃんは寂しそうにつぶやいた。
 食器を洗い終わると同時に腕時計のアラームが控えめに鳴った。十二時だ。明日は一限からグループワークがある。来月から八ヵ月にわたる最後の実習が始まるので、準備など何かと忙しい。午後は放射性医学だけだから、覚えることも少なくて比較的楽なんだけど。
 私はルーズリーフに自分の電話番号と住所を書いてあやちゃんに渡した。
「今度はあきこちゃんの家に行っていい?」
「もちろん。汚いから覚悟して来てね」
 あやちゃんはエレベーターの前まで送ってくれた。葉桜の季節といえども、まだ夜はけっこう冷える。
 この辺りには、夜になると歩くのが怖くなるくらい闇に浸かってしまう道も多い。危険だから街灯をつけてくれと学生が訴えても、光が増えると檜山天文台から苦情が来るという理由で許可されない。明かりの少なさが視覚的にも寒さを余計に感じさせてしまう。
「そうだ、聞きそびれちゃったけど、あやちゃん結局何の病気だったの」
「流れよ我が涙、とアンドロイドは言った……」
「それはもういいから」
「でもさ、檜山だったらアンドロイドの一体や二体、作ってそうじゃない」
「確かに第三学類の友達は、ヒツジの心臓付け替える実験してたけど」
「自分がもし人形だったらどうなるだろうって想像したくなったことない?」
 数秒間考えてから、ないと答えた。自分が人形だろうと、あやちゃんが人形だろうと、今の生活やこれからの生活が劇的に変わるとは思えない。このまま毎日学校に通い、二月に国家試験を受けて卒業するだけだ。卒業後は、保健婦学校に行くお金もないので就職するしかない。就職先は檜山大学病院だ、ここで三年間働けば奨学金の返済が免除になるから。
 そのあとは何をするのだろう。ずっと看護婦の仕事を続けたいとは思えない。結局のところ医療の潤滑油でしかない存在に、昔ほど魅力を感じられなくなっていた。三年働けば看護学校の講師になれるから、狙ってみるのもいいかな、と考えている。
 どちらにせよこれから数年間、下手すると十数年間は檜山から出られないのだ、と思うと自分もあやちゃんも大して変わらない運命のような気がした。
「油断してると百万馬力で暴れまくっても知らないぞ」
 どうぞ、好きなだけ暴れてください。あなたが暴れているところなら、ぜひ見てみたいから。

 浩一と出会ったのはバイト先の喫茶店だった。
 病院や学内の施設でバイトをしている友人が多い環境だったので、わざわざ電車に乗ってウエイトレスをしていると言うと珍しがられる。確かにテスト前とかは負担に感じることも多かったが、たまには体内時計を外の世界に合わせないと不安になるので、入学以来ずっと辞めないでいられた。
 彼はキッチン担当で、店長を除くと一番の古株だった。小さい店だったからバイト同士の仲は良かったけれど、彼の真っ黒に焼けた肌は遊んでいる人風の雰囲気を醸し出していて、最初の数ヶ月は苦手意識を持っていた。
「これ? 日焼けサロンじゃないよ。正真正銘海で焼いたんだ。俺、サーフィンするから」
 サーフィンと言われても、すぐにはイメージがわかない。そういえば昨日のテレビで足にヒレつけてくるくる回ったりするのをやってたよ、って言ったら、それはボディボードだと怒られた。
「どう違うの?」
「まあ、原理的にはあんまし変わらないけどね」
 俺が乗っているのはショートボードって奴で、いわば波乗りの花形なんだぞ、と言う。
 今度の日曜予定入ってなかったら見に来いよ、と言われたとき、何か抗いがたいものを感じて頷いてしまった。あの日が始まりだったと思う。

 説明は後まわし、とにかく見てみろ、と岸に放置された。もぐったり浮かんだりしながらどんどんアウトサイドに出て行くのをぼんやりと眺める。あれ、どこまで沖に行ってしまうのだろう。他のサーファーたちを通り過ぎ、さらに数メートル進んだところでやっと停まった。そしてしばらくの間ボードにまたがって浮いていた。
「うわっ」
 波が通り過ぎると同時に、一瞬姿が消えた。一、二秒して、さっきより若干岸に近いところに再び現れる。尖った波を背にして堂々と立ち上がった。ただでさえ大きめだった波が、低めの位置でターンする浩一のせいで余計に大きく見える。そのまま波のてっぺんまで一気にのぼり、派手なターンを繰り返す。
 私の目はもう、海に釘付けになっていた。周りの知らない人達に、私、あの人と来ているんだよ、と言いふらしたい気分だった。なんて目立つんだろう。そして波って、海って、なんて深いのだろう。この深さに、力強くうねる波にに今まで気付かなかったなんて、今まで随分損をしていたと思う。
 カッコつけて背中を見せながら波をやり過ごしてフィニッシュ。私は靴を脱いで、ズボンの裾が濡れるのも気にしないで波打ち際に駆け寄った。

 帰りがけに寄った居酒屋では、延々とサーフィンのうんちくを聞かされた。
「俺、プロになりたいんだ」
 私にと言うより、自分に言い聞かせるように呟く。
 浩一の実家は、佐賀で陶器関係の会社をやっているらしい。そして、浩一がここで生計を立てられるようにならないと、連れ戻されて会社を継がせられるそうだ。
「プロってどうすればなれるの」
「大会で勝つことが近道だな」
「勝てそう?」
「相手の運が悪くて、俺の運が良ければ勝てる」
「そりゃそうだ」
 運も実力のうちだから、とため息をつく。七分という短い制限時間のうちに自分の所にいい波が来るかどうかで、勝敗がある程度決まってしまう。どんな波でも乗りこなせるプロならまだしも、アマチュア大会で運は大きな要素だ。
「ハワイにパイプラインって呼ばれてる、もの凄くきれいで大きい波が来るポイントがあるんだよ。プロになってそこを制するのが野望」
 浩一なら夢じゃないよ、と思った。ただ上手い人ならいくらでもいる。でも、何も知らない私が惹かれたのだから、他の人にはない何かを持っているのだと思う。
「ねえ、私、テイクオフするときの浩一の目、好きだよ」
「嘘つけ、見えるわけないだろ」
「見えないけど、分かるの」
「ふうん」
 来月の大会に申し込んであるんだ、という。気合を入れて応援しよう。最近ずっと大学の勉強に追われていて、何かに夢中になることがなかったのだ。久しぶりに心が弾んでいた。

 しかし、結局その大会に、彼は参加しなかった。
 遠出する約束をしていた前日、真夜中の三時に突然電話が鳴ったときから嫌な予感はしていた。
「今、親が来てるんだ」
 明日からしばらく実家に帰る、とその声は告げた。家なんか継くものか、必ず戻ってくるから、とも。落ち着いたらまた連絡する、と言い残して電話は切れた。
 身体が宙を浮いているみたいだった。飛行機から投げ出されたみたいだ。いつか地面に叩きつけられるのか、それともやがて浮力を得られるのか、自分でも全く分からなかった。そのまま一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と過ぎた。シーズンはピークを迎え、やがて終わり、また始まって、やっと彼からの連絡が来た。
 が、裏返すと写真と文字が印刷されているだけで、手書き文字が追加されている様子はなかった。
 嫌だ、読みたくない。読んでしまったら、今までの一年間張り詰めていたものが崩れ落ちてしまう気がした。祈るような気持ちで文字を追う。
『結婚しました』
 どんなに強く祈っても書いてあることは変わらない。浩一は名字が変わっていた。おそらく、家とか会社とか、そういうものが絡んだ結婚だったのだろう。
 プロになるんじゃなかったの? パイプラインを制すと言っていたのに。必ず戻ってくると言っていたのに。
 私は、葉書をゴミ箱に放り込んだ。ひらひらと空気抵抗を受けつつもトスンと底につく音。何も見なかった、何も知らなかったことにしようと言い聞かせた。

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