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阿佐ヶ谷〜秘密の電車〜

 サトルはいつも不思議に思っていた。小学校に登校する時は、二つあるプラットホーム両方ともちゃんと使われている。それなのに、なぜ土曜日や日曜日は片方しか入れなくて、もう一つは入口をロープで塞がれ立入禁止になっているのだろうか。
「あっちのホームはね、オレンジ色の電車に乗るときに使うでしょう。こっちのホームは、黄色の電車と銀色の電車、ね。土曜日と日曜日は、オレンジ色の電車は阿佐ヶ谷は停まらないで通り過ぎちゃうの。だからあっちのホームは入れないの。わかった?」
 お母さんは丁寧に説明してくれたけど、どうしても納得できなかった。土日にオレンジ色の電車が来ないのは分かった。でも、だからといって立入禁止にする必要はないじゃないか。わざわざロープまで張っているということは、絶対に何かを隠しているんだ。きっと、土曜日と日曜日しか停まらない秘密の電車があるに決まってる。
 秘密の電車、なんてワクワクする響きだろう。サトルの想像は願望を取り込んでどんどん膨らんでいく。きっと行き先はどても素晴らしいところ、たとえば夢の国とか、魔法の世界のようなところに違いない。メリーゴーランドも観覧車もジェットコースターも乗り放題、ケーキもアイスもステーキもハンバーグも食べ放題なのかもしれない。
 そんな素敵な電車を隠しておくなんて、大人というのはなんて狡いんだろう。サトルは、いつか自分も隙を見て秘密の電車に乗ってやる、と心に決めた。そして、土日はいつも向こうのホームにじっと注目して、電車が停まらないかどうか見張っていた。

 ある日曜日、お母さんと買い物に行くために電車を待っていると、黒と赤で染められた見たこともないデザインの電車が音も立てずに走ってくるのが見えた。電車は次第に減速し、やがて向こう側の、閉鎖されているほうのホームに停まった。
 サトルは目を見開いた。行き先を確かめようとしたが、漢字で書いてあったから読めなかった。少なくとも、「とうきょう」とか「みたか」とか「ちば」とか、いつも書いてある行き先でないことは確かだ。これこそ長い間待っていた秘密の電車に違いない。
 運良くお母さんは、会社の人からの携帯電話に応対するのに気を取られてこっちは見ていなかった。サトルは、一目散に階段を下り、ロープをくぐり抜けた。誰かが後ろの方で叫ぶ声がしたが、振り向かずに階段をかけ上る。あと二段、あと一段。ついにホームへの侵入に成功した。
「扉が閉まります。ご注意下さい」
 アナウンスに背中を押されるように車内に滑り込むと、ピッタリのタイミングでドアが閉まった。
 侵入成功だ。胸の鼓動を高鳴らせながら動き出すのを待つ。なかなか動き出さない。しばらくして、誰かがサトルの肩をたたいた。振り向くと、車掌さんのようなスーツを着たおじさんが立っていた。
「何をしてるの?」
 ここで下手な答え方をしたら降ろされてしまう。あくまでも平然と、自分が予定された客であるかのように振る舞わなくてはならないと身構える。
「電車が走るのを待ってるの」
 車掌さんはくすっと笑った。
「そうなんだ。ところで、この電車はこれからどこに行くのか知ってる?」
「知ってるよ」
「どこだい? 言ってごらん」
「ええと、ええとね、夢の国」
「ブー、はずれ」
「どこ?」
「地獄に行くんだよ。地獄って知ってる?」
 何かの絵本で読んだことがあった。たしか、人が火で焼かれたり水に沈められたりこん棒で殴られて血塗れになったりする、とても恐い場所のことだ。悪いことをしたら地獄に連れて行かれちゃうんだよ、と先生が言っていたのを思い出す。
「そんなところ行きたくないよ」
「でも、もう扉は閉まったから戻れないよ」
 車掌さんは、片手に持った妙な形のハサミをカチカチと鳴らした。昔、駅員さんが改札で切符を切るのに使っていたハサミだけど、自動改札しか見たことがないサトルには得体の知れない凶器に思えた。
「じゃ、出発進行だね。いざ、地獄への旅へ」
「嫌だ、僕、降りる」
「もう扉は開かないよ。君が自分で乗ったんじゃないか」
 カチ、カチ、カチ、という音に合わせてサトルの肩が震え、とうとう泣き出した。泣きながら、窓にかじりついてお母さんと叫んだ。向こうのホームでまだ電話をしている姿が見える。でも、窓を何度も叩いても気づいてくれない。
「ところで坊や、切符を拝見していいかい」
「き、きっぷ?」
 涙を流しながらもポケットに手を突っ込んで、お母さんからもらった紙切れを取り出した。
「なんだ、これは新宿行きの切符じゃないか。地獄行きの切符は持っていないのかい?」
「持ってない」
「じゃあやっぱり、残念だけど連れていってあげられないな。切符を持っていない人は電車に乗れないんだよ。学校で習っただろう?」
「は、はい」
 カチ、ともう一度ハサミを鳴らすと、すうっとドアが開いた。サトルはそれを見て、目に涙をいっぱいに溜めたまま、心の底から安堵した表情になった。息を大きく吸って吐いてから、外に出ようと走り出す。
「なあんちゃって」
「えっ?」
「嘘だよ」
 車掌さんが悪戯っぽく笑った。
「この電車はね、本当は『かいそうでんしゃ』なんだよ」
「かいそうでんしゃ?」
「そう。これから車庫に入る電車のこと。地獄なんて言って驚かせごめんね。もう立入禁止のホームに入ったりしちゃ駄目だよ」
「……」
 サトルの目に、再び涙があふれ出す。
「返事は?」
「……」
「悪い事したとき、何て言うんだっけ」
「ごめんなさい」
「よしよし、あとでお母さんにも謝るんだぞ。心配かけてごめんなさいって」
「はい」
 袖で涙を拭い、ホームにかけ降りるとすぐにドアは閉まった。聞き慣れた発車の音楽とともに電車が動き出す。
 行き先を示すプレートを確かめてみると、そこには太い字で「地獄」と書いてあった。
 サトルは西へ西へと消えていく車体を眺めながら、あの漢字が「かいそうでんしゃ」って読むのかな、ずいぶん難しそうな字を書くんだな、と思っていた。
 
 
 


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