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23:55 2004/10/28【観客の目】

生まれて初めて演劇っぽいことに関わったのは小学4年生で、学校の演劇クラブに入って最初の公演の時です。私に振り当てられたのは、一見怖いけど実は優しい老婆の役で、台詞自体は少ないけど脚本の中ではそれなりに重要な位置を占めている人物でした。もともと目立ちたがりだった私は、張り切って身も心も老婆になりきり、迫真の演技をした、つもりでした。

ところが、あとになってビデオを見てみると最悪でした。先輩たちの台詞はちゃんと響いているのに、自分の台詞だけはちっとも聞こえません。せっかく重要な役だったはずなのに、ステージの隅のほうで俯いたまま何かをぼそぼそ喋って去っていくだけの謎の人物と化していたのです。

私1人が勝手に役柄になりきっていても仕方ない、観客席から見て理解できなかったらどんな迫真の演技も意味がないのだ、と学んだ出来事でした。ステージの上でやるべきことは、ただ演じてそれを勝手に見てもらうのではなく、誠心誠意を尽くして「見せる」あるいは「見ていただく」ことなのだと。

仕事などで、努力しているのに評価してもらえない、と嘆いている人がよくいます。そんな人は、努力が自己完結で終わってしまっていて、それが第三者の目からどう見えるのかを考えていないのではないでしょうか。どんなに立派な技術を習得しても、それが客席からちゃんと見えるように披露しなければ意味がないのです。前を向いて顔を上げて、大きな声ではっきりとアピールできること、それも含めて「技術」なのだと思います。
 

23:26 2004/10/26【爆発】

昨日は、南青山の骨董通りなんていうオサレ空間を挙動不審気味にオドオドと歩きながら、岡本太郎記念館まで行ってきました。

展示作品のほうは、もう何度も見たことがあるものばかりだったのでそれほど新鮮案驚きはなかったものの、まあ普通に面白かったです。が、それよりなにより面白かったのはいただいたパンフレット。20年くらいずつのスパンに分けて、岡本太郎氏の軌跡を解説しているんですけどね、

・少年期
学校で先生に怒られた思い出話云々。

・青春期
昔の恋の思い出話云々。

・壮年期
作品において縄文土器の影響を受けて云々。

・晩年期
自分の人生には道がないから瞬間を生きていて云々。

・爆発期
絵だけでなく文章もよく書くようになって云n…

……って、爆発期?!
いや、確かに爆発はしてたけど。してたけど、いやそんな大まじめに。
 

9:12 2004/10/23【風邪】

久しぶりに風邪を引いてしまいました。鼻と喉から始まって、発熱、頭痛、関節痛、腹痛とフルコースでくらってます。

かろうじて吐き気はせず食事は出来るので、憧れの眼鏡男性に「風邪ひいたー。おかゆ食べたいけど立ってるのが辛いから自分では作れないー」とメールを送ってみたら、「炊飯器のおかゆモードを使えばボタン一つで作れるよ!」というとても優しい返信がかえってきたのでやっぱり実在の男は駄目だと思いました。こんな時、私の脳内ヨン様はすぐに駆けつけておかゆを作ってくれるのに!
 

8:57 2004/10/18【再検査】

血糖値の精密検査を受けに行ってきました。

正常値でした!!

これでもう、好きなだけ酒を飲むことができます。(そういう問題です)
 

0:46 2004/10/17【曖昧と抽象の越えられない壁】

就活対策の作文講座などを受けると、よく講師に「君の記述は曖昧すぎる、もっと具体的に」と注意されていました。

確かに、面接官ウケするためには、理念を掲げるだけではなく具体的な施策案を書いたほうが良いのでしょう。私も早く就職したかったので、その辺は文句を言わず、講師に従っていました。なので、これから先の話は何を実践するべきかというテクニックの問題とは関係なく、言葉についてのお話です。

「曖昧」と「具体的」ってよく対になって使われますが、それは間違いだと思うのです。「曖昧」と対になるのは「正確」であり、「具体的」と対になるのは「抽象的」です。だから、曖昧かつ具体的な時もあれば、明確だけど抽象的って時もあるはずです。

だから私は、曖昧な言い方はなるべく避けたい、出来る限り正確でありたいと思っていますが、抽象的な言い方が悪いとは思いません。というか、正確にするためにこそ、抽象的にならなくちゃいけないことってあると思うのです。
混乱しそうなので例文を挙げてみます。

1. 花子はポチに餌をあげるべきだ。(具体的・正確)
2. ポチが鳴いてるんだけど花子は何か世話してあげなくていいのかなー。(具体的・曖昧)
3. ペットの犬には飼い主が餌をあげるべきだ。(抽象的・正確)
4. ペットの犬には飼い主が何か世話してあげなくていいのかなー。(抽象的・曖昧)

1&2や3&4は互換可能だけど、1&3とか2&4とかは、初めから全く別の命題であり、互換不能だと分かってもらえると思います。だから、私の言いたいことが3番目である場合「もっと具体的にお願い!」と言われても困るのです。時間が無限にあれば、世界中の犬を飼ってる人の名前を全部挙げて「○○さんと○○さんと…(中略)…○○さんは餌をあげるべきだ」って言うだろうけど、そんなの不可能です。

よく、全体に向けて一般的な注意を言っただけなのに、特定の個人から「私のどこが文句があるの?」と反発されてしまうことがありますが、その反発などは、抽象的な表現と個人に対する具体的な表現を混同している典型的な例です。我々が学問や科学技術を進化させられたのは抽象化・一般化という概念のおかげなわけでして、最近の日本人は「個と切り離された全体の概念」というのをもっと心得ていたほうが、無駄なトラブルを防げるのではないでしょうか。
 

0:49 2004/10/16【罪悪感】

他の人の場合はどうなのか分かりませんが、私にとって仕事が長続きするかしないかの基準は「誰かに対して罪悪感を抱くかどうか」なのだと思います。

たとえば数年前、携帯電話を売るバイトをしていたことがあるのですが、その時扱っていたのはかなり不人気な機種で、なんとかトークで誤魔化し誤魔化し売っていました。だからいつも、騙されて買ってくれるお客様に対して罪悪感を抱いていたし、当然あまり売れないのでバイト料を払ってくれる会社に対しても罪悪感を抱いてしまい、結局すぐにやめてしまいました。

逆に、ここ3ヶ月は電化製品を売るバイトをしているのですが、その製品は自分でも欲しいと思うような、自信を持ってお薦めできるような機種なのです。するとお客様に対しても罪悪感なしに堂々と接することが出来るし、売れ行きも良いので派遣会社の人とも胸を張って話すことができます。おかげで、飽きっぽい私にしては信じられないくらい抵抗なく続けられています。

「良いモノ・サービスを提供する」ということは、客にとっても、会社にとっても、そして自分にとっても必ずプラスになることなんですよね。全ての仕事の最重要事項のはずなのに、それを忘れて宣伝費だけかけまくったりトークの技術だけを磨こうとしたりするから歪みを引き起こすのです。

来年の4月からは私も社会人になっている(はず)ですが、どんな部署に配属されたとしても、結局やるべきことはよい良いサービスを提供することなんだ、という事実だけは忘れないようにしなければ、と思います。
 

11:08 2004/10/14【分からない、ということ】

少し前、知人の間で「分からないことを分からないと言うのは是か非か」のような話題が出たことがあります。

私の場合は、だんぜん「分からないことは分からないと言おう」派でした。知ったかぶりして誤りを口にしてしまったり、分かった気分になって思考停止してそれ以上の勉強を怠ったりしてしまっては非常に危険です。分からないことは謙虚に認めて、これから学んでいこうとする姿勢が大切だと思うのです。

ところが知人の意見だと、「分からない」と言ってしまうことこそ思考停止だと言うのです。分からなくてもそう言わず、その場で何かしら考えて、間違っていてもいいから口にするべきだ、と。

つまり、2人とも「未知の事物に対して思考停止するのは駄目だ、分かるように自分で考えなくてはいけない」という点では一致しているのです。ただ私の場合は、「分からない」という台詞は思考開始の印として機能していて、知人の場合は思考停止の印になっていたのです。

どちらの姿勢が正しい、ということはないと思います。むしろ、積極的に頭を使って先に進もうとしているという点では両方とも間違ってはいないはずです。あえて言うならば、私の思考法はじっくり時間をかけられる研究向き、知人の場合は即決を求められるビジネス向き、と言えるでしょう。

実際の社会では、日々刻々と情勢が変わっていくので、ビジネス型の即決に適した思考法が求められることが多いのかもしれません。でもそれでもどうしても分からなかったら、思考停止の印としてではなく、思考開始の印として「分からない」と言おうじゃないですか。
 

23:10 2004/10/12【日常】

見知らぬ街に行って「居心地がいいな」「ここなら住んでもいいな」と思うのは、おいしい珈琲を飲んだ時です。あるいは、好きな作家の本を買った時です。

それはきっと、珈琲と本というのが私にとって日常の象徴になっているからなのでしょう。この場所なら自分の居場所があって、ずっと居ることが出来る、と感じるためには、どんなにエキサイティングなイベントに遭遇することよりも、普段の生活が満たされることが必要なのです。

だから、たとえば遠距離恋愛中の相手がはるばる訪ねて来てくれたとします。その時、彼女にもう帰らないで欲しいと思うなら、するべきことは近くにある話題の遊園地や絶景の山海に連れて行くことではなくて、彼女がいつも食べているような料理を出す店や、彼女がいつも着ているような服を売っている店を見つけることなのではないでしょうか。

まず日常があってこその非日常です。上記のような極端な例ではなくても、誰かを喜ばせたいと思ったら、必ずしもサプライズが功を奏すわけではない、ということは頭に入れておいたほうがいいかもしれませんね。
 

22:48 2004/10/10【友好本能】

初対面で「ちょっと苦手かも」と思った相手と、それ以後二度と会わなければ、その人はずっと苦手な人のままです。

でも、「ちょっと苦手かも」と思いつつもその後も定期的に会い続けていると、今のところ100%、気づいたらその相手を好きになっているのです。確かに長い間一緒にいれば、相手の良いところを発見しやすくなるでしょう。でも、同時に相手の悪いところも目につきやすくなるはずです。それなのに、だんだん好きになっていくことはあっても嫌いになることはないのです。

そんな時、よく人間には闘争本能が備わっているなんて言うけれど大嘘じゃん、むしろ備わっているのは、目の前にいる生身の人間に好意を抱かずにはいられない「友好本能」みたいなものなんじゃないか、とおめでたい考えに酔ってみたくなります。
 

7:33 2004/10/10【過剰なもの】

旅に出る前と帰ってきた時、鞄はどちらのほうが膨らんでいるでしょうか?
私の場合、2人以上で旅に出た時は帰りの鞄はお土産でパンパンになっているのだけれど、1人で旅に出た時はむしろ荷物はどんどん少なくなっています。

1人で身軽に行動するなら、なるべく走りやすい格好でいなくては、と思います。だから、たとえば下着なんて、ボロボロになってきて要らないやつを着ていって、脱いだらそのまま捨ててしまいます。化粧はどこかでもらった試供品を持っていくので、空になり次第ゴミ箱行きです。おやつに持っていったお菓子は、最初に鞄に入れた分がなくなったらもう買いません、読み終わった本は2、3冊溜まったらすぐに家に送ってしまいます。増えるのは、SDカードの中に収められた写真の数だけです。
余計なもの、過剰なものをどんどんそぎ落としていく旅、これが1人の旅なのです。様々な土地の最大公約数を見つけて、そこからはみ出た分を切り捨てる旅です。

それに対して、友達と行く時は、お気に入りの下着にいつも使い慣れた化粧品を持っていくので、捨てるなんてありえません。暇な時用にと持っていった本は、結局お喋りに忙しくて1ページもめくらないまま持ち帰ります。お菓子もお土産も欲しくなったらどんどん買ってしまいます。
自分にとって2人以上で行く旅というのは、足りない物を補う旅なのだと思います。一人旅が最大公約数なら、2人で探すのは最小公倍数です。行く場所の数が増えれば、抱えなければいけないものもどんどん増えていきます。

そのようなバランスは、別に何泊もする旅行に限らず、日常的に発動されています。だから我々は、骨と皮にならないために、あるいは肥満にならないためにも、1人でいる時間と誰かといる時間、両方が必要なのでしょう。
 

0:58 2004/10/09【現実に帰還】

ただいまー。山陰から帰ってきました。秋芳洞の鍾乳石は綺麗だったし、ごはんも酒も美味しかったですよ!

はてさて、何か大事なことを忘れているような……何か出かける直前に重要な知らせを受け取ったような……?
どうしても思い出せないや。気のせいだったのかな。
 

21:31 2004/10/04【オチ】

内定が出て以来、未だかつてないほど遊び回ってます。高校や大学の友人と飲みに行ったり、北陸旅行と北海道旅行に行ったり、その旅行記を書く暇もなく、今週は山口旅行に行こうと思っていて、ホテルの予約を済ませたところです。

だって、就職してしまったらもう羽目をはずして遊び呆けることなんて出来なくなってしまうわけで。今って長期旅行したり朝まで飲んだりできる最後のチャンスかもしれないじゃないですか。インターネットなんてしてる場合じゃないですよ! 遊ばなきゃ! もっと遊ばなきゃ! 酒だ、酒を出せ!

そんな私の元に、内定先の会社から一通の封筒が届きました。

「精密検査のお願い」

……あれ?

要約しますと、「先月行った健康診断の結果、血糖値が正常値よりも高かったので再検査して下さい。1年以内に正常値に戻らなかったら入社できない場合があります」ということらしいです。血糖値て。よりにもよってそんな、成人病で小太りしたおっさんみたいな項目でひっかかるなんて!

えーと、なんか、考えるの面倒なのでとりあえず山口旅行行ってきますね!(日本酒をがぶ飲みしながら)
 

1:34 2004/10/04【学習してほしい】

3ヶ月ほど前、両親がイタリア旅行に行っていたのですが、その時に買ってきてくれたお土産が、

・日本でも普通に売ってるレモンのリキュール
・日本でも普通に売ってるショートパスタ
・日本でも普通に売ってるスパイスセット

で、がっくりしたことはまだ記憶に新しいのです。確かに両親の住む茨城では売ってないのかもしれないけど、東京だったら普通のデパートに行けばそこそこ安く手に入るんだから、こんな荷物になる物はわざわざ買ってこなくてもいいよ!(訳:どうせお土産を買ってくれるならブランド物にしてよ!)と文句を言ったものでした。

んでもって、9月の連休を利用してまた両親が韓国旅行に行ってきたのです。そのお土産を今日渡されたのですが、今回は免税店の紙袋に入っています。これは、しょぼいビニール袋に入っていた前回よりは期待できるかもしれません。もしかして、新しいバッグが欲しいって気持ちがついに親に届いた? 届いちゃった? エルメスエルメス!! と思いながら開けてみると、中に入っていたのは、

・日本でも普通に売ってる韓国海苔
・日本でも普通に売ってるコチュジャン
・日本でも普通に売ってる冷麺セット

でした。

……いや、さすがに新しいバッグとまでの贅沢は言わないから、せめて日本では手に入りにくいものとかをさ、ほら。
 
 
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