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15:56 2004/08/31【スマイル】

「この写真、写りが良いでしょ?」と友人に言われて、差し出された写真を見て「えー!」って思うことってありますよね。実物はもっとちゃんと可愛いのに、何故こんな写りの悪い写真を選ぶの?と。

どうもそのような現象を集めてみると、大抵の人が、
他人から見て一番美人な顔→笑顔。
自分で一番美人に見えると思っている顔→すまし顔。
という傾向があるような気がします。確かにすまし顔のほうが目もきりっと大きく見えるし、笑い皺も出来ないので、より美人に見えるような気がしてしまいますが、他人から見たらそんな細かい差違よりも笑顔で接してもらうのが一番嬉しいってことなんでしょうね。笑顔は百難を隠すとでも言いましょうか。

それで、よく「笑顔がキモい」と言われる私はこれからどうやって生きていけばいいですか?
 

10:44 2004/08/27【社会人になれそうです】

内定キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
 

19:47 2004/08/26【自動安全装置】

ちょっとイイかも、と思った男の人に実は恋人がいると知ると、自動安全装置が作動して瞬間的に気持ちが冷めます。

小学生の頃は、本気で光GENJIの大沢君の彼女になりたいと思っていたことを考えると、大人になった証なのかもしれません。別に恋愛に限らず、小学生の頃は本気で「将来はスポーツ選手になりたい」とか「ミュージシャンになりたい」とか思っている人が多かったはずなのに、二十歳過ぎた人に夢を聞いてみても「出世したい」とか「結婚してマイホームを持ちたい」とか、ちょっと頑張れば実現可能なものばかり。

もちろん、社会の仕組みが分かってきたからこそ現実的な夢を描くようになってきた、っていう理由もあるでしょう。でも実際のところ、神様みたいな誰かに「大金持ちになれる才能を授けてやる」って言われたとしたら、もらいますよね? 欲しいですよね?

なのに夢見ることを忘れてしまったのは、無理そうな願望には無意識のうちに自動安全装置が働いて、表に出てこないようになっているからだと思います。

この装置のおかげで、叶わぬ願いで悶々と苦しむことはなくなりました。でも、成功者の殆どは、そこで苦しみから逃げずに茨の道を歩んだ人たちなんだよなと思うと、あんまり若いうちから自動安全装置を働かせないほうが良いかもしれません。苦しくたっていいじゃないですか。たまには夢に立ち向かってみましょうよ。

というわけで、今、「どうすればヨン様の使用済み眼鏡を手に入れられるか」という問題について悶々と悩み苦しんでいるところです。
 

23:27 2004/08/25【モラトリアム】

就活で知り合った人で、めっさかっこいいお姉さんがいるんですよ。大学卒業後に一度就職したんだけどやめてしまって、その後別業界への再就職にチャレンジしている人なんですけど、結婚してて、いろいろ夢があって熱く語ってくれて、色っぽい雰囲気なのに全然下品じゃなくて、まさに大人の魅力なんです。私も将来ああいうかっこいいお姉さんになりたいなあ、無理だろうなあ、とか思いながら憧れていたわけですよ。

実は2歳も年下だったことが明らかになりました。

いいかげん、「社会人経験者→社会人未経験者の私より年上のはず」「結婚してる→独身の私より年上のはず」と自動変換させてしまう都合の良い思考回路をなんとかしたいと思いました。 現実を見よう。
 

19:06 2004/08/24【ミニチュアカーの憂鬱】

新宿をぶらぶらしながら暇つぶししていたところ、玩具屋さんにて発見しました。

売れているのでしょうか?
一定距離を走ると火を吹くところまで精巧に再現されているのなら、ぜひ買ってみたいと思いました。
 

22:13 2004/08/23【スキルレス】

ボランティアしてみたり友人の相談に乗ってみたり、他人の役に立てたと実感して初めて「ああ、私って生きていても良いのかも……」と思うことが出来る、ハタ迷惑なタイプな人っているじゃないですか。まあ、私なんですけど。(元ボランティア部の部長)

他人を助けられるようなスキルなんて持ってないくせに手を出すから、余計に悪い結果を招いてしまうんですよね。失恋した友人をどうにか慰めたくて、自分の乏しい経験から役に立ちそうなことを探して語ってみたところ、「あんたに言われたくない」と逆ギレされたことが何度あったことか。

そういえば、「好みの男の人に、自分よりも可愛い女の子を紹介してしまう」といった悪癖もあります。

ほら、だって私自身が男の人を追いかけたとしたって、ウザいブスだと思われて不愉快にさせてしまうのが関の山じゃないですか。でも、可愛い女の子と引き合わせてあげれば、喜んでもらえるわけです。笑顔でお礼なんて言われちゃうんです。ウザいブスから役立つブスへとステップアップですよ。この麻薬的な快感は、刹那的なものだと分かっていても抗いがたい誘惑なのですよ。

その後はだいたい皆さんの予想通りの展開を経て、2人はめでたく付き合うこととなり、「君のおかげで幸せになれた」と感謝されつつ、自分は鬱になってやけ酒飲んでくだを巻き始めるわけです。

二人を祝福できるだけの度量がないなら、初めから紹介なんでするなって話ですよ。ある意味で、出来ないボランティアを引き受けて迷惑をかけるよりもタチが悪いです。いい加減、「出来ないことをはやらない」ことを学習して、余計な手出しをする暇があったら大人しくスキルアップに励むような人間になりたいものです。

ん、あれ? 
今、「人の役に立つ文章も書けないくせにサイトなんてやるな」という神の声が聞こえてきたような……?
 

1:14 2004/08/22【礼儀】

何が本当に正しいのか考えれば考えるほど分からなくなって頭の中がごちゃごちゃになった時は、今必要なのは「正しいか正しくないか」の問題ではなくて「礼儀に適っているか適っていないか」の問題なんだ、と自分に言い聞かせます。

正しいか否か、というのは結果です。計算の方法や前提の置き方によって左右されるものです。だからこそ、何が本当に正しいのかは常に移り変わっていて、完全に覆されてしまうことも珍しくはありません。

それに対して、礼儀か否か、というのは結果ではなくて前提です。計算の前段階にあるものだから、計算の方法や代入する数字を変えることによって揺らぐことはありません。一度それが「前提」の公理であることが周知になってしまえば、もう誰によっても覆される心配がないのです。

我々の先祖は、「他人の嫌がることをするな」とか「親を敬え」とかそういう理屈とは一線を画した礼儀を「有無を言わせないもの」として定着させようとしてきたわけですが、そのような礼儀というのはつくづく人類の一大発明だったと思います。他者の反論を許さない、議論以前の部分に諸命題を位置づけてしまうことで、人間が無駄に殺し合ったり、未来を粗末にしたりすることを防いでいたのでしょう。

もちろん、礼儀だからと言って常にそこで思考停止してしまったら、先に進むことはできません。でも、いちいち全て疑っていられるほど若くはないのも事実です。真に疑うべき時にちゃんと疑えるだけの体力を温存するために、些末な問題の時はあえて目をつぶる、という選択肢はありなのかな、と日和り始める20代後半なのでした。
 

16:24 2004/08/19【ドールハウス】

横浜で1〜2時間時間を潰す必要があり、涼める場所を探していたところ、人形の家という人形の博物館を見つけて、入場料が安かったこともあり、入ってみることにしました。

正直言って、世の中の女性を人形に興味ある半分と興味ない半分に分けたとすると、間違いなく私は興味ない半分に入ると思います。だから内容にはそんなに期待していなかったのですが、意外に面白かったです。

世界の伝統人形のコーナーなんて、知識が全然なくても十分楽しめます。考えてみたら当たり前だけど、アフリカの人形は黒人だし、ロシアの人形は厚いコート着てるし、スコットランドの人形はタータンチェックの服を着てるんですよね。個人的にはイギリスやフランスの洗練された作品よりも、東ヨーロッパのちょっぴり朴訥な雰囲気が好みでした。

あと凄いと思ったのがドールハウス。要するに、家やお店の精巧なミニチュア(1/12や1/24が多いらしいです)なのですが、めちゃめちゃ細かいし、見た目も綺麗で、立派な芸術作品なんですよ。今までこの世界ナメていて申し訳ありません。子どもがままごと遊びに使うもの、なんてイメージ持ってると火傷しそうです。

というわけで、家に帰ってからさっそく、あり合わせの材料を利用してそれっぽいものを作ってみることにしました。やばいなー、こんな趣味にハマっちゃったら金と時間がいくらあっても足りないよなー。散財しちゃいそうだなー。


(所要時間1時間強)

……本当はこんな感じになるはずだったのに。

すいません。さっきまでの2時間の記憶、私の中でなかったことにして良いでしょうか? うん、私、何も作ってないよ。ドールハウス? なにそれ、そんなの興味ないってばー。

以上、「不器用でセンスがない」というマイナスポイントでも、「ヘタな散財をしなくて済む」といった方向に役立つことがあるんだ、というお話でした。レッツポジティブシンキング。
 

0:28 2004/08/18【食の常識】

飲み会で「異性に幻滅した瞬間」みたいな話題になりました。私自身もきっと幾度となく異性から幻滅されていると思うのですが、そのへんは完全に棚に上げつつ、友人たちと盛り上がっていました。

友人の場合は、気にかけていた男性のシャツの襟が黒ずんでいるのを見た瞬間、この人はやっぱりやめておこう、と思ったそうです。自分の場合は何だろうと考えた結果、食事の席で眉をひそめることが多いということに気づきました。

たとえば合コンで、鮭のパスタを頼んだことがあります。パスタの上には、彩りに大さじ1杯ほどのイクラが乗っていました。ところが、ある男の子が自分の分を皿に取る時に、ちょうどイクラの乗っている部分をフォークですくい、イクラを全部持っていってしまったのです。何人かが「あっ」という顔をしたのにも気づいてくれず、結局他の人たちはイクラを味わうことができませんでした。

確かに彩り程度の量がなくなってもパスタ全体の味には大きな影響はありませんし、そこまでイクラが食べたかったわけでもありません。でも私は彼の行動を見て、気遣いの出来ない人なんだな、とがっかりしてしまいました。

また別の人は、とにかく食材の名前を知りませんでした。高級珍味ならともかく、エリンギやムール貝のようなファミレスでも扱ってるレベルの素材が分からなくて、これ何?じゃあこっちは何?と大声で質問するのです。一緒にいる自分までが同類だと思われてしまいそうで、恥ずかしかったのを覚えています。

知らなかったことは仕方ないとしても、初対面の相手との席でそういう非常識な質問はして欲しくありません。たとえば会社の接待の席で同じことをしたら、「この会社はファミレスで外食できる程度の給料も社員に払っていないのか」といった悪印象を与えかねないと思います。

「食」というのは、誰でも通じる共通の話題だと思われているし、他人と一緒に服を買ったり映画を見たりしない人でも、他人と一緒に食事を取る機会はあるでしょう。だからこそ、食事の席での振る舞いは、その人全体のマナーや常識を測る物差しにされてしまいがちです。高級フレンチの知識なんて求めないから、せめてちょっとコジャレたお店で恥をかかない程度の常識は持っていて欲しいものです。
 

1:33 04/08/16【最低限】

人を幸せにしたり、人の役に立ったりするようなスキルがないのは仕方がない。それならせめて最低限、人の嫌がることや人の邪魔になることだけはやらないようにしよう、と思っている。

だけどこの「せめて最低限」が、最低限のくせしてなぜか異様に難しい。誰かを助ければ誰かを敵に回してしまうし、誰かを笑わせると誰かを泣かせてしまう。それならいっそのこと家に閉じこもって他人と関わらずにいよう、と思っても、それでもやっぱり誰かに苦言を言われてしまう。何をしても、あるいは何もしなくても、必ずそれによって不快になってしまう人がいる。

先日観たキャシャーンの映画にも似たような台詞が出てきたような気がするけど、みんなが楽しくやっていくために必要なのは、「人の嫌がることをしない」ことよりも、むしろ「多少嫌なことをされても寛容に受け止める」ことなのかな、と思う。明らかな故意犯は別にして、ほとんどの人は好きこのんで人を傷つけたいとは思っていないはず。ただちょっと不器用だったり、弱かったりするだけだ。そういう部分をお互いに認めあうことが出来れば、例のやったら高い最低基準のハードルを越えられなくたってそれなりに楽しくやっていけるように思える。

だから、私が飲み屋でコップを割ったり、開栓したばかりの酒瓶を倒して中身を床にぶちまけたり、階段で盛大に転けて下方の人に激突したりしても、できれば寛容に受け止めて、欲しい、です。欲しい、なあ。(今日の同窓会での自分の行動を省みつつ)
 

22:51 04/08/13【勝利】

この前、とある近所の会社を受けに行ったのですが、面接官のうちの1人がものすごく不愛想な人だったんですよ。あまりにもムカついたので、もともとそれほど行きたい会社ではなかったこともあり、仕事のデキる人を演じようとか何が何でも合格しようとかいう考えが吹っ飛んでしまいました。そして約20分間の面接の間中ずっと、「いかにして奴を笑わせるか」ということだけを考えて受け答えしていました。

あの手この手を駆使してボケた結果、とうとう最後、趣味の失敗談を話した時に彼を「くすっ」と笑わせることに成功したのです。やった勝った! 試合に負けて勝負に勝ったぜ! たぶん合格はできないだろうけど、今日の一大目的は果たしたことになります。おかげで満足げな顔で帰路につくことができました。

しかし今思うとあれは、「(面白いボケで)笑わせた」というよりも「(可哀想な人だと思われて)笑われた」といったほうが正しかったような気がします。
試合に負けて勝負にも負けた、って言うの禁止。
 

12:42 2004/08/13【神宮花火大会】

先週末、神宮球場の花火大会に行ってきました。いつも砂浜や川の堤防に座って見る大会にばかり行っていたので、指定席を買って見る花火は初めてです。

私は秩父宮ラグビー場の席から見たのですが、開場後はdreamや復活した鈴木亜美のライブなんかもありました。亜美ちんかわいかった! デビュー当時(all night longのあたり)はけっこう好きだったのを思い出しました。当時に比べて声量は少し多くなった気がします。ただし音域の狭さは相変わらずでした。

花火はちょっと低めの位置にあげていたため、あまり大きな玉がなかったのが残念でしたけど、そのかわりに組み合わせやタイミングが工夫されていたので十分楽しめました。ただし、花火→スポンサー広告→花火→スポンサー広告、といった順番で進められていたのですが、実際の所、お金の半分はDHCが出していたみたいで、スクリーンにはDHCの広告が表示されていることが圧倒的に多くなっていました。

(例)

花火


DHC


花火


DHC


花火


DHC

何かよろしくないサブリミナル効果を受けてしまったみたいで、それ以来、今でも街でDHCの看板を見かけるとビクっとして背筋が寒くなります。DHC怖い。あの広告は絶対に逆効果。
 

2:07 2004/08/08【絶望の瞬間】

口内炎がひどくなっていたことを忘れていたので、激辛のトムヤムクンスープを一気に口に含んでしまいました。
 

5:34 2004/08/07【形にする】

夏コミは就職試験とバッティングしていて行けなさそうです。残念だけど、申し込んでしまわなくて良かった、と思うことにします。

*

ところで私が一番最初に同人誌まがいのブツを作ったのは、小学4年生の時です。授業中や昼休みに要らないプリントの裏に書いた小説や漫画を、クラスの友人3人で集めて、週1、2回表紙をつけてホッチキスで止めて回し読みしていました。確か、メンバーが3人だから「THREE倶楽部」なんて安易な誌名をつけていました。

10円コピーのお金もなかったので、各号とも1部しかありません。最初の頃はロッカーに保存していたけれど、20号を越えたあたりからロッカーには入り切らなくなって、職員用の倉庫の隅にこっそり隠すことにしました。

ところが、ある3連休が明けてから小学校に行くと、その間に大掃除があったらしく、30冊以上溜まっていた「THREE倶楽部」は倉庫からあとかたもなく消えていました。先生や事務員、用務員に聞いてみても、要領を得ない返事ばかり。おそらく捨てられて、焼却炉で燃やされてしまった後だったのでしょう。世界に1冊しかない本だっただけにめちゃくちゃショックで、こんなことならもう本なんて作らない、と思って何時間も泣いたものでした。

*

その次に同人誌っぽいものを作ったのは中学1年生の時になります。
中学校のコピー室は、生徒でも日直の時などは先生の手伝いで使用することがあります。そこで週に1度、日直のふりをしてコピー室に忍び込み、4ページの小冊子を10部くらい刷って友達に配っていたのです。先生はうすうす気づいていたみたいですけど、黙認してくれました。

もしもあの中学生の時に黙認してもらえなかったら、(もちろん文章自体は書いていただろうけど)それを形にして他人に読んでもらう楽しみは放棄してしまっていたかもしれません。あの時の先生には感謝しなくては、と思います。

確かに子どもの「作品」なんて、下手糞で見るに堪えないものだけど、本人たちにとってはかけがえのない宝物であり、自分の内面を表現して形にする、という意味ではその後の人生を左右するほど大切な経験なわけです。「THREE倶楽部」を捨ててしまった小学校の職員たちも、教育者ならその気持ちを理解して、尊重して欲しかったです。
 

4:09 2004/08/06【お皿が割れる理由】

よく食器を割ってしまいます。不器用なのは自覚しているので十分気をつけているはずなのですが、どんなに丁寧に扱っていても、なぜか料理中に後ろのほうから「ガッシャーン」と音がして、振り向くとそこには鍋、調味料、割れた皿などの山が出来ているのです。

先日、ふとその最も多い原因に気づきました。確かにガラスや陶器を手に持っている時は細心の注意を払っているし、割れ物を高い場所や不安定な場所に置かないことも徹底していたのですが、事故の殆どが「高い場所や不安定な場所に置いてあった割れにくいもの(鍋、調味料など)が低いところに置いてあった食器の上に落ちて」起こったものだったのです。

まさに逆転の発想。お皿を割らないために必要だったのは、「お皿以外のものを高い場所に置かないこと」だったのです。……でも、うちの台所は狭いし、垂直方向の空間を利用しないと物が収まりきれません。困りました。

仕方ない、これからは高いほうの棚に皿を置くことにしようか。(本末転倒)
 

4:22 2004/08/05【縁】

ただ一度の縁、というのは存在すると思っている。別にオカルトチックな意味じゃなくて、タイミング、と言い換えてもいいかもしれない。○月○日にこの人と友達にならなかったらもうその人とは一生友達にはなれない、とか、○月上旬のうちにこの人に恋心を告白しておかなければ一生友達のまま、とか。

実際、あの日に勇気を出して声をかけていなかったら、今では名前すら思い出せないくらい疎遠になっていただろうな、と自分でもハッキリ分かる友人がいる。反対に、あの時のタイミングを捕まえなかったばかりに、この人とはもう一生深い仲になる機会は訪れないだろうなあ、と思うこともある。どちらかというと後者のほうが多い。まあ、当然のことである。無限に近い可能性を捨てて、たった一つの今を選び取ったのだから。

淋しいとは感じるけど後悔はしたくない。ただ、それだけの縁を捨ててつかみ取った「今」を大切にしなくては、と思う。
 

7:05 2004/08/03【痩せるのは胸から、太るのはお腹からの法則】

就活で動き回ったせいなのか、それともストレスのせいなのか、特に食事を減らしたわけでもないのに2キロ痩せました。
最初はラッキー、と思ったのですが、なぜかズボンのサイズは変わる気配がありません。気になる部分である太ももとヒップは全然変化がないのです。

不審に思ってバストを測ったら2センチ減っていました。
やっぱりそこかよ! そこなのかよ!
 
 
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