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0:01 2004/02/29【言いたいことも言えないこんな世の中じゃ】

確かに愚痴欲なしでは創作はありえない。でも愚痴欲だけでも創作はありえない。言いたいことをそのまま言えないこんな世の中だからこそ、言っても許されるような形に変換しようとみんな四苦八苦している。これは愚痴じゃなくて学術的考察ですよーとか、芸術なんですよーとか、言い訳できるようになんとかがんばってる。だからこそ私たちは面白いテキストを読むことができる。厳しい言論統制のない国に生まれたことに感謝するならば、穏やかな言論統制のある国に生まれたことも感謝しよう。
 

5:39 2004/02/28【言語力学】

ボールを投げるのならば、すぐに落ちてきてしまうほど弱くもなく、地球の軌道外へ出て二度と戻って来れないほど強くもなく、ちょうど衛星となってぐるぐる回り続けるくらいの強さで投げてみたい。角度を変えながらいろんな人の頭上を通り過ぎる様子を、できるだけ長い間楽しみたい。たとえ言葉のボールでも。必ずしもストライクで投げ込んで一瞬で終わりにしてしまうのではなく、二人の万有引力がちょうど拮抗するあたりを狙って。
 

0:45 2004/02/27【個人的パラダイム】

先日友人と、「どうして人は大学を卒業すると、みんな夢を諦めて就職してしまうんだろう」という話をしていました。まあ、私自身も夢を諦めてしまった一員なのですが、そんな自分も含め、挫折の悲壮感みたいなのがイマイチないんですよね。みんな、割りとポジティブに新しい道へと進んでいるのです。

そこで思い出したのは、個体発生は系統進化を繰り返す、というテーゼです。受精卵が新生児となるまで、魚類、両生類、は虫類、ほ乳類と進化の過程をたどるように形を変化させていくことは有名ですが、精神面でも各個体に起こる変化は人類全体の進化にある程度対応しているはずです。

リースマンによると、人間の性格は前近代では「伝統志向型」(伝統や習慣にしたがって行動する)、近代では「内部志向型」(自分の思想にしたがって行動する)、現代では外部志向型(他人の期待に応えるように行動する)と変化していったそうです。

これを個人にあてはめれば、何も考えずに毎日学校に通っていた小中学校時代は伝統志向型、作家をめざしたり学問での大発見を夢見たりしていた高校や大学は内部志向型、社会人として役立つ人間になろうとするのは外部志向型と言えそうです。20代というのは、ちょうど精神的に近代から現代へと自然と移り変わっていく時期なのかもしれません。
 

2:32 2004/02/26【解けない】

試験で必要な科目には、私が普段から好きで何冊も本読んでるし、大学で履修した時も珍しくAを取れた科目が入っています。で、さすがに他の初めて学ぶ科目に比べれば、いい点取れるだろうと思っていたんですよ。この科目の勉強はあまりやらなくてもいいから、そのぶんの時間を苦手な経済学にまわせるなーと。

ところが、やってみると全然難しいんです。実際に解いたら、むしろ他の科目よりも点数が悪いくらいなんです。どうやら、無駄な知識が多すぎるため、「マイナーだけどこういう学説も一応あるし……」と誤枝を選んでしまうらしいのです。

そのような現象をもって、「本当に学問を究めた人は軽々とどれが正解だと言えなくなる」と言うことも出来るけれど、むしろ「深入りすると真理から遠ざかってしまう」という側面のほうが深刻な問題だと思います。実際学者ってのは従来の通説を覆したがるもので、そういう説をみんな信じていたら、解釈は無限に広がって無意味になってしまいます。

単に2つの学説、2つのイデオロギーの中庸を目指そうなんていうレベルじゃなくて、「深入りしすぎない」っていうのも、一種のバランス感覚なのかもしれません。
 

2:07 2004/02/25【意図伝達】

昼御飯に、安い食券制のラーメン屋に行ったのです。そして券売機にお金を入れて、「醤油ラーメン」を買おうとしたのですが、間違って隣の「味噌ラーメン」を押してしまいました。仕方ないのでもう一度お金を入れて醤油ラーメンの券を買って席につくと、バイトらしき中国人のお姉さんに払い戻してもらおうと思い、「すいません、これ間違って買っちゃったんですけど」と差し出しました。

お姉さん「はい、それで注文は何ですか?」
if「あ、注文はコレ(醤油ラーメンの券を差し出しながら)です。それで、コッチ(味噌ラーメンの券)を間違って買っちゃったのですが」
お姉さん「はい、分かりました。(厨房に向かって)醤油一丁〜! ……で、注文は何ですか?」
if「へ?」
お姉さん「この券は、本当は何にしたかったの?」
if「いや、だから注文は醤油ラーメンだけで」
お姉さん「この券は、本当は何にしたかったの?」

どうやらお姉さんの脳内では、「意図と違う券を買ってしまった」という状況はあり得るけど「そもそも買う意図すらない券を買ってしまった」という状況は存在しないみたいなんです。いや、でも私お金ないので払い戻してくれないと困るし、ただでさえボリューム多めのラーメンなのにそれ以上何も食べたくないし。ああ、他のお客さんたちが不審な顔で私のことを見てます。悪いのは私じゃないんですこのお姉さんが分かってくれないのがいけないのであって。

if「……餃子にしてください」
お姉さん「(にっこり)ハイ、じゃあ差額300円のお返しになります」

私、意志弱っ!
かくして現在、予定外の胃もたれとニンニクの口臭と戦っているところであります。
 

23:49 2004/02/22【携帯電話に駆逐されたもの】

そういえば停電っていつからなくなったんですか? 小さい頃は年に何回かありましたよね? なかなか回復しなくてロウソクの明かりでごはん食べたり、ロウソクの明かりでお風呂に入っていたらお湯かけて消しちゃって真っ暗のお風呂で怖くて泣いたりしましたよね?(茨城だけだって言うな)

それがいつの間にか、ほんといつの間にか、稀に停電したとしても3秒くらいで元に戻るようになっていました。一人暮らし始めるときに母から「もしもの時のために懐中電灯を用意しておけ」としつこくしつこく言われたけど、結局1回も使ってません。ただ懐中電灯は、停電のためというだけじゃなく、大地震のような災害の時とか、本棚の後ろの隙間に落ちてしまった本を救出する時とか、ブレーカーが落ちた時とかも必要なので、停電しなくなっただけで需要には影響ないでしょうけど。

と思ったら。この前うっかりエアコンとドライヤーを一緒に使ってしまってブレーカーを落としてしまったのですが、とっさに私は、何の迷いもなくポケットから携帯電話を取りだしてディスプレイの明かりをたよりにブレーカーを元に戻し……あ!

我が家の懐中電灯が、一度も日の目を見ずに放置されているのは、停電がなくなったせいではありませんでした。コレのせいだったのです。因果関係ってどこに転がってるか分からないものですね。風が吹いて桶屋が儲かることも、ジョークじゃなくあり得る日が来るのかもしれません。
 

23:58 2004/02/21【抽象から具体へ、具体から抽象へ】

どうも自分は山田さんちの息子がグレたらしいとか田中さんちの夫婦仲が悪いらしいとかいう話よりも人間とは何かとか青年期の心理とか愛の本質とかいう問題のほうが興味深く感じる体質らしいです。

その結果、山田さんや田中さんのほうを見ながら、実は山田さんや田中さん自体はどうでも良くて人間一般の存在とか本質とかについてだけ嬉々として語りだすという現象が起きて、それが山田さんや田中さんにとっては不快に感じるみたいです。

だとしたらそれは、自分が(間接的)に言及されていることへの不快感というよりも、自分のほうを見ていながら自分を見ているわけではないという不快感なのかもしれないと思いました。加藤千恵さんの短歌を借りれば、「正論は正論としてそれよりもあなたの意見を聞かせて欲しい」ってやつです。

学問というのは主体と対象の間に起こる働きですけど、コミュニケーションは主体と主体の間に起こるものです。やはり、生身の人間はなるべく対象じゃなくて主体として対等に言葉をぶつけ合い、影響を与え合えるのが健全なのでしょう。
 

23:18 2004/02/20【そんな無職】

この前道を歩いてたら、25歳以上の女性対象のアンケートとかいうのをお願いされました。有名なマーケティング会社だったので信用できるし、謝礼もくれるというので受けてみたのですが、質問内容が「仕事で疲れたと感じるのはどういう時ですか?」みたいな、社会人になっていること前提のものばっかりなんですよ。何の嫌がらせですかこれは。25歳は仕事してるのが当然だとでも言うんですか。いい年して無職だなんて人間の屑だとでも言いたいんですか。失礼な。ぷんすか。

まあ適当に答えて謝礼の図書券がいただけたので、問題集でも買おうと本屋に行ったのですが、お目当てのメーカーの問題集が見あたらなかったので、かわりに漫画買って図書券を全て使い切り、自習室で午後ずっと読んでました。すいません実際に人間の屑でした。
 

0:19 2004/02/20【三次元】

覚えている方もいらっしゃると思いますが、私は去年のクリスマスごろ、某資格学校の受付のお兄さんこと鈴木君(仮名)の眼鏡フェイスを見つめて目を保養することだけを楽しみに生きていました。ところが、最近異動があったのか、彼が滅多に姿を現さなくなってしまったのです。ここ1週間、1回も見かけていません。もう勉強のモチベーション落ちまくりですよ。このままじゃヤバい。そんな危機を救ってくれた、1人の男性がいたのです。田中先生(仮名・既婚)です。

今まで田中先生は、ビデオ講義では映像としてだけお目にかかっていて、眼鏡の似合う素敵なお方だなあとは思っていたのですが、所詮ビデオは二次元、届かぬ人だったのです。それが、今週から始まった新しい科目の講義が、ビデオじゃなくて田中先生の生講義であることが判明したのです。

生きて呼吸をしてる本物の先生が教室に入ってきた瞬間、どんなに心躍らせたことか! 思わず心の中で叫んじゃいましたよ。超ナチュラルに叫んじゃいましたよ。「なんて私は幸せ者なんだろう、田中先生とオフでお会いできるだなんて!」と。あれ、オフ? オフて。
 

23:03 2004/02/19【ネタ神との対決・その後】

通りすがりさんからメールフォームで、「残念ながら不法原因給付(708条)ですので、すでに魂を引き渡してしまったのであれば、売買契約が公序良俗違反で無効(90条)だとしても、魂が戻ってくることはありません」というご指摘をいただきました。い、いやきっと今はまだ占有改定しただけの状態なんだよきっと! そうだと信じたい!
 

3:52 2004/02/19【ネタの神に売った魂は取り戻せるのか】

ご存じの通り、私はこのサイトを開設するに際して、「ネタの神様」に魂を売ってしまいました。でも最近、思うんです。やっぱり自分の判断は間違っていたんじゃないかって。魂はそんなに軽々しく売っていいものではなかったのに、取り返しの付かないことをしてしまった、と後悔してるんです。

そんな時、某資格学校で民法の勉強なぞ始めました。民法の教科書を読んでいて、もしかしたらあの時の魂売買契約は取り消すことが出来るんじゃないか、と気付いたのです。そこで、ネタの神様を訴えるためには裁判でどのような理屈を主張すればいいのか、教科書片手に考えてみました。

まず、制限能力者(未成年、被後見人など)の行った契約は無効に出来ます。しかし、サイト開設当時私は21歳だったのでこの方法は使えません。詐欺や脅迫による契約だったとしても取り消せるけど、残念ながら私は自分から大喜びで契約したような気がするので当てはまりません。では錯誤だったというのはどうでしょうか。ネタの神に魂を売ればきっとすごく面白いテキストが書けて閲覧者を幸せにできると思っていたのに、実際はむしろ閲覧者を不快にさせてしまってお叱りをいただくことばかりです。そうと知っていればあんな契約はしなかったのだから、無効にして欲しいものです。

しかし、錯誤で無効が主張できるのは、動機の錯誤ではなく要素の錯誤の時だけです。私はネタの神に対して「魂を売るのでネタを下さい」と言っただけで、それによって幸せ云々って意思は表示していませんでした。これは意思と表示の食い違いの問題ではなく、意思の形成過程の問題なので、どうやら勝算はなさそうです。

そうか、やはりもう、私の魂は二度と戻ってこないのか……。と同じく法律を勉強中の友人Aに愚痴ったところ、次のような画期的な指摘を受けました。

友人A「魂の売買は『公共の福祉による制限』を受けるから無効になるよ」

そ、それだ! そういえば、公共の福祉に反する契約、たとえば愛人契約などは無効になる決まりがありました。ネタの神様に魂を渡すなんて契約は、どう考えても公共の福祉に反します。よって、訴えれば勝訴する可能性が高いです。私の魂、戻ってくる!

友人A「まあでも、習いたての民法を、さっそく嬉々としてネタに使っているという時点で、ネタの神から魂を取り戻す気なんて、本当はないでしょ?」

あ。
 

23:30 2004/02/16【スパイラル】

旅をすると賢い人はより賢くなり、愚かな人はより愚かになる、と三木清は書いていました。旅以外にも、例えば勉強なんかでも同じことが言えるかもしれません。哲学を学んだ結果、ある人は真理に近づくことができるでしょうが、別の人は現実逃避することを正当化してくれるような屁理屈を見つけて、かえって真理から遠ざかってしまうかもしれません。

何かを経験することには、必ず「経験した」という順機能と「経験した気になってしまった」という逆機能が伴います。「経験した」ことで己の未熟さを悟った人はますます努力し、「経験した気になってしまった」人は満足して努力をやめてしまいます。

そういうことを考えると、今まで知識自体はいろいろ習ってきたけれど、知識に対する正しい態度を教わったことは全然なかったなあという事実が浮かび上がってきます。もっと早いうちに、学問のベクトルがより賢くなるほうへ向かうべく、根本的な教育をして欲しかったと思います。もう手遅れですが。
 

0:30 2004/02/16【必要悪】

私はけっこう気弱なので、出来ることならみんなから好かれる人間になれたら理想だなあと思っているわけですが、たとえ本当にすごくうまく振る舞うことが出来たとしても、1人でも「みんなから好かれるような人間は嫌い」という考え方の人が存在した時点で、言葉通りの「みんな」は実現不可能になってしまいます。

こと人間の言動という面では、100%は絶対にありえません。下手すると10回に1回は例外に遭遇します。だから常に、二段階目まで考えて行動しなきゃいけないのだと思います。ただ「マナーを守ろう」と気をつけるだけではなく、「もし『マナーを守る人って嫌い』という考え方の人と遭遇したらどうしようか」ってところまで考えないと、うまくいかないのです。

世の中は善意だけから出来てるわけじゃありません。すごく悲しいことだけれど、困ってる人を見ると余計に困らせたくなるような人も時々遭遇してしまいます。例えば世の中に3%の悪意が存在するのならば、自分の中にも3%の悪意を共存させなければ利害がぶつかったときに対抗できなくなってしまうのだと思います。
 

1:10 2004/02/14【バレンタイン】
 

if「はーい、あーんして」
研一さん(眼鏡)「チョコレート、美味しいよ。ありがとう、愛してるよ」
 

研一さん(眼鏡)「今度は君が僕を食べる番だ。さあ、どうぞ」
if「いただきまーす」
 

4:10 2004/02/13【一語100%参加テキスト】

これは、まだHiphopと言ったらEAST END+YURIの「DA.YO.NE.」だった頃の話である。

テレビをつけると、最近の高校生の風紀の乱れとして、授業中にポケベルを鳴らしているとか、援助交際だとかの例が取りざたされていた。確かに田舎と言えども、近くの派手な私立女子校では茶髪でブランドのバッグを持った生徒たちが列になって歩いていたけれど、地味な校風で有名な進学校の、その中でもさらに地味目なグループに属していた隆信や道雄や芙美たちにとってはどこか遠くの世界の出来事のように思えた。踊るほうのクラブなんてものは見たこともなかったし、私服だったので校内でルーズソックスを見かけることも稀だった。異性の友達は多くても付き合ってる人は少なく、たとえ恋人が出来たとしても肉体関係を持つのは卒業してからになるのだろうと漠然と考えていた。

そんなある日、隆信が携帯電話を学校に持ってきたことが話題になった。誕生日に父親にねだって買ってもらったそうだ。放課後にはこの話は隣のクラスにまで知れ渡って、彼の席は物好きな生徒達に囲まれた。みんな、実物の携帯電話に触れるのは初めてだったのである。

「貸して貸して」
「ここ押してみていい?」
まだメール機能さえついていない携帯電話を各々珍しそうに手に取り、ひとしきり騒いだあと、
「番号教えて。今からダッシュで校門前の公衆電話からかけてみるから」
と道雄が言った。面白い提案である。隆信は頷き、周囲一同は息を潜めて着信音が鳴るの待った。3分ほどして、待ちに待ったピピピピピ……という音が聞こえた。
「はい、もしもし」
隆信が答えるやいなや、「おっしゃー!」という道雄の絶叫がスピーカーから漏れてくる。
「聞こえる?」
「聞こえる聞こえる。はっきり聞こえる」
「本当に? すげえ!」
何がどうすごいのかよく分からないけど、とにかくみんなは文明の発達に心を打たれて歓声をあげる。
「俺にも貸せよ」
「その次、俺ね」
話したい内容なんてないくせに、通話できることを確認しないと気が済まないらしい、一人一人受話器に向かって奇声をあげたり流行歌の一節を歌ったりしてるうちに、テレホンカードが切れてしまったらしく電話は切れた。野次馬たちはやっと満足したのか、少しずつ人だかりは解消されていった。
「あの……」
やっと誰もいなくなった時に話しかけてきたのは、クラスの中でもあまり目立たない、斜め後ろの席の女の子、芙美だった。
「何?」
「あたしも……公衆電話から電話してみていい?」
「もちろん」
隆信は、とくに疑問も抱かずに快諾する。芙美はうつむいたまま電話番号をメモすると、小走りで教室から出ていった。昇降口付近で、戻ってくる道雄とすれ違う。
「あれ? 芙美ちゃん帰るの?」
「いや、隆信君に電話してみようと思って」
「おう。テレカ減るのめちゃくちゃ早いから気をつけて」
「うん」
芙美は深呼吸をしてからダイヤルを回す。一番最期の番号「3」を途中まで回してから数秒間悩んだけど、目を瞑って指を離した。呼び出し音は芙美の高まる鼓動と共鳴しながら数回鳴って、最大級に波打つ気持ちが弾けるように音が止まった。
「もしもし」
少しくぐもった低い声が聞こえてくると、芙美は堰を切ったように伝え始める。
「もしもし」
「あの、あのね、隆信君、あたしずっと言おうと思ってたんだけどなかなか言えなくて、その、隆信君のこと……」
「ごめん」
受話器から聞こえてきたのは非情な言葉だった。
「え、いや、あたしこそ、突然でごめん。今の気にしなくていいから」
受話器の向こうからはまだ何か声が聞こえてきたような気もしたけれど、芙美はそれを封じ込めるように受話器を置き、絶望的な気分で校門をくぐった。教科書を教室に置いてきてしまったことに気付いたけれど、取りに帰る気にはなれない。涙をこらえながら、のろのろと駅に向かう。
「芙美ちゃん、芙美ちゃん」
しばらくすると、息切れした隆信の声が後ろから聞こえた。さっきの今ではどう反応すればいいのか分からない。地面を睨んで余計に足を速めようとする芙美の進路に、声の主はすっと滑り込んだ。さすがに無視するわけにいかなくなった芙美は、立ち止まって顔を上げた。
「誤解してると思うんだけど、さっき電話に出たの、道雄なんだよ」
「え?」
「あんな展開になるとは思ってなかったから、あいつ動揺して、咄嗟に謝っちゃったみたいで」
「その、俺は嬉しかったから」
「……」
「ほんと、嬉しかったから」
「……ありがと」
二人は小さな笑顔を交わし、しばらく無言で駅に向かって歩いた。その距離は少しずつ近づいていくけど、決して身体が触れることはない。道の向こう側では、スカートを短くした私立の女子高生たちが高校指定の靴下をルーズソックスに履き替えている。今日は彼氏の家にお泊まりなんだ、なんて会話も聞こえてくるけれど、二人にとってやはりそんな文化はどこか遠くの世界の出来事のようにしか思えなかった。
 

2:25 2004/02/12【帰還】

俗世間ではこの時期、随所でいわゆる冬服の最終バーゲンなるイベントをやっているらしいです。俗世間から隔離された受験生であるところの私も、お昼休みや通学途中に通りがかったお店のショーウインドウで色鮮やかにきらめくディスプレイに引き込まれてしまうことが多々あるわけです。

そうやってふらふらと吸い込まれてしまったバーゲン中のお店で、私と赤いセーターは出会いました。「半額」という札の貼られたそのセーターは、色合いも形も非常に私好みで、今買っておけば末永く良きパートナーとして活躍してくれるであろうと思われました。

ところが、レジに持っていく途中に重要なことに気付いたのです。私、お金持ってたっけ。そっと財布をチェックしてみると、案の定1000円しか入っていませんでした。あぶないあぶない、今のうちに気付いて良かった。私はセーターをなるべく棚の奥のほうの、目立たない場所に埋め込んで隠し、近くのコンビニにお金をおろしに行ったのでした。

そして5分後。十分なお金を持って再び店に入り、さっきセーターを隠した場所を探ってみます。5分の間に売れてしまっていたらショックだったけど、ちゃんと残ってました。思わず安堵のため息。今度こそレジに持っていってお会計してもらいました。すると、レジのお姉さんが一言。

「あ、戻ってきたんですね? お帰りなさい」

一 部 始 終 を 見 ら れ て た !

私が鏡の前でへらへらしながら何度もセーターを合わせたり、財布をチェックするなりなぜかUターンして商品を一生懸命隠したりしている全てを見られていた……。このお店には二度と足を踏み入れられないと思った瞬間でした。
 

12:38 2004/02/07【ウエディング方式】

最近ネットで話題になっている会社で「株式会社ウエディング」っていうのがありますね。グーグルでこの会社を検索すると、絶賛したページが幾つも出てくるのですが、これらのページが全て同一IPだという件です(このサイトの1/10〜14あたりを参照)。もちろん、同一IPだからと言って即、これらのサイト群が関係者が広告目的で作成したものだとは言えませんけど、仮にそうだとしたら素晴らしい広告方法だと思うんです。サイトを作るくらい、大した手間ではないし、私もやってみようかしらなんて思ってしまうのです。

たとえば、たとえばですよ。このサイトを読んで、「ifさんってどんな人なんだろう」と興味を覚えた眼鏡のお兄さんがいたとします。彼がさっそくグーグルで検索すると、

1サイト目:当然公式サイトである「if→itself」。
2サイト目:タイトルは「友人紹介:ifさんについて」で、内容は「ifさんってとっても素敵な女性です!」とか書いておく。
3サイト目:タイトルは「ifさんに感謝!」で、内容は「ifさんと友達になってから身の回りに良いことがたくさん起きるようになりました!」とか。
4サイト目:タイトルは「最近会ったテキストサイト管理人」で、内容は「ダントツでif→itselfの人が魅力的だと思います!」と。
(5サイト目、6サイト目、と同じような絶賛サイトが続く)

という結果が出てくるわけです。公正公平なグーグルがそう言っているのだから、きっとifさんとは可愛くて心も美しい素敵な女性に違いない、と彼は考えて、密かに憧憬を抱くようになるわけです。そしてついに2人は出会い……。

出会った瞬間、「なんだ、こんなブスヲタだったのかよ」と一瞬で夢から覚めるわけです。ダメだ。使えねえ。
 

2:15 2004/02/06【夢】

小学生くらいの時は、将来は女優になりたいだの歌手になりたいだのほざいていたし、大学生になってもまだライターになるんだとかのたまっていたのですが、最近はさすがに落ち着いてきて、平凡でいいから安定した仕事に就きたいなあと思うようになったわけです。

夢、というのはつまり、起きたら消える幻です。幻でない目標とは、今より少しベターな現実のことです。ないものを追いかけるのではなく、少し背伸びすれば手の届くくらいの現実を目指して、地道に努力するしかないんだなーと思ってます。

しかし、今考えてみると、大学に行っていた時の私、恥ずかしながら学問の分野ではめちゃくちゃ夢を見てました。小手先の技術で既存の有名な論文をマイナーチェンジしたようなレポートを出すなんてつまんない、いつか必ず全てを包括した絶対的な真理を見つけてやるんだ!みたいな幻想にとらわれてたような側面がありました。

ああ、だから自分は、限られた時間を何に使おうか決断を迫られた時、修論を書くよりも資格試験を受けることのほうを選んだのか。そろそろ、美しくなくていいから確実なものが欲しいです。夢の世界より現実世界、そして現実世界よりもインターネット。(最後が微妙に間違っている)
 

1:42 2004/02/05【最終目的地】

私のような中途半端な酒好きは、高価なモルトやワインばかり賛美して国産ビールや居酒屋カクテルを疎んじてしまいがちですが、本当に酒好きを極めてる人に聞くと、発泡酒やレモンサワーでも美味しく作れば美味しいんだ、と諭されてしまいます。また、私のような中途半端な激辛マニアは、一味唐辛子を料理が見えなくなるまでたっぷりかけて食べて喜んでるわけですが、一度激辛道の行き着くところまで行ってしまった人は、全然辛くない七味唐辛子を香りづけ程度に振り掛けて満足げに食べていたしります。

きっと行き着くところまで行ってしまった人は、今まで「目的」だと思っていたものが、更に奥にある場所(幸福、みたいな)へ達するための「手段」でしかなかったことに気付くのでしょう。そして新しい目的にたどり着くためには、今までがむしゃらに進んできた他にもいろんな経路があることを知るのです。私もいつかその極みに達してみたいものです。自らの健康のためにも。(一味唐辛子のビンが4日で空になりました)
 

0:41 2004/02/05【引きこもりたい発作】

稀に流れ弾ならぬ流れ小石に当たってしまうことくらいはあってもいいから、誰かから石を投げつけられることはなく暮らしたい、と思うのですがそれは不可能なのでしょうか。他人を貶めようとしているわけでもないし、身の程も知ってるつもりです。ただ、今ここにあるパンを買うお金と、たまに本を読んだり友達と過ごしたりするささやかな幸せの時間を守りたいだけなのに、それすら贅沢なのでしょうか。うん、分かってます。生きることは他人と関わることだし、他人と関わっている限り、時々石を投げつけられることは避けられません。でも、人生がデフォルトでは不幸の側にあるだなんて信じたくないです。もしそうならば、目も耳も塞いで引きこもったほうがマシってことになってしまいます。
 

2:22 2004/02/04【眼鏡を下さい】

味はそこそこだけど、安いパスタ屋が某資格学校の近くにありまして、なんとなくアットホームな雰囲気が気に入ったのでたまに食べに行きます。今日もランチでも食べようかと思ってその店に行ったところ、いつもはおばさん1人が接客しているのに、レジが並んでしまっていたせいか、調理担当のお兄さんが注文取りに来ていました。

今まで彼の声だけは聞いたことあったけど、姿を見たのが今日が初めてです。で、そのお兄さんがかっこ良かったんですよ。まさかこんな眼鏡の似合う人だったなんて! 広い東京で、何も知らずに偶然彼のイタメシ屋に通っていたのは、運命だったのかもしれません。

「ご注文は何になさいますか」
私の心の動揺も知らず、お兄さんは伝票を片手ににっこりと微笑みかけてくるのです。ああ、言ってしまいたい。「あなたの眼鏡を下さい」と。
「あの、ご注文は」
「ええと、その、メ、メガ、メガ……メカジキのバジルパスタを下さい」
「かしこまりました」
言えませんでした。やっぱり私は臆病者です。せめてお名前くらい聞きたいと思っていたのですが、その直後に店内は客の波が引いてしまい、いつものおばさん1人接客体制に戻ってしまいました。再び彼のお顔を拝むためには、確率的にはあと5回くらい通わなきゃいけなそうです。えー、これから毎日昼食はパスタですか?
 

23:48 2004/02/02【穴を埋める】

我々は放っておくと、好きなことや興味のあることは積極的に関わっていくけど、嫌いなものや苦手なものは出来るだけ避けて通ろうとしてしまします。だから時間が経つにつれて、好きなことについてはどんどん詳しくなり、嫌いなことについてはどんどん疎くなっていきます。

本当は、嫌いなことでも無理して関わっておいたほうが、かえって好きなことの役に立つってことが多いと思います。例えば、科学が好きだけど英語は嫌いという人の場合、苦痛でも英語を勉強しておくと英語で書かれた科学の論文をいち早く読むことが出来るわけです。だから時々、自分の選択が積み重なって出来てしまった穴を埋める作業をしないと、好きなことでさえ限界にぶつかりやすくなってしまいます。

私の場合、最初に穴埋め作業をさせられたのは大学受験の時でした。国立大学が第一志望だったのでセンター試験で7科目受けなくてはならず、ずっと逃げていた苦手科目にも向き合わざるを得なかったわけです。その後、大学では基本的に好きな勉強だけしていましたが、現在は就職のためにまた、興味なかった分野の勉強もしなければいけなくなりました。

入学試験や入社試験というのは単に選抜するってだけの意味ではなくて、受験生1人1人の穴を埋めてくれるという意義もあるのではないでしょうか。できれば社会人になってからも、10年に1回くらい、そういう機会があればいいのに、と思います。
 

10:54 2004/02/01【四コマ効果】

新聞を読むときは、まず一面をじっくり読んで、二面、三面……と興味ある記事だけを拾っていって、最後に社会面にある四コマ漫画を読んで終わりにします。四コマ目のオチが決まっていると、なんとなく気持ちが落ち着いて、さあ学校に出かけようという気分になるのです。

テキストサイトを読むときもそれと似た効果を期待していることがあって、毎夜最後に巡回するサイトは、創作系や思索系などは避けて、例えば一流ホームページみたいなオチのあるサイトにしています。最後の行のフォント大の赤文字を見ると、なんとなく安心して、さあ寝るかという気分になるわけです。

無意識のうちに同じような期待をしてオチ重視系のサイトを読んでいる人って、けっこういるんじゃないでしょうか。テキストサイト一般化に際して、オチ系サイトがどこも更新されなかった翌朝の通勤電車を見渡すと目にクマを作った人がいっぱいいる、なんて世の中を想像すると楽しいです。
 
 
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