2XXX年の携帯事情
 

タイムリミットまであと1時間。
僕の会社の入っているビルは、電磁波対策として、携帯電話全面禁止となっている。最初に導入された時は賛否両論だったけれど、まともな会社なら携帯電話禁止が当たり前、という風潮になってきた現在では、先駆者としてマスコミの取材を受けることもしばしばだった。

ところで今日は、2月13日は、僕の彼女の誕生日だ。仕事が遅くなりそうだから会えないということは伝えてあるし、来週会った時に渡すためのプレゼントも買ってある。インターネットでのグリーティングカードも既に送ってあるけれど、やはり電話くらいはするべきだろう。彼女の声も聞きたいし、自分の気持ちも自分の声で伝えたい。そのためには、あと1時間以内に電話しないと誕生日が終わってしまう 。現在、午後11時。

会社のビルを出ると、急いで鞄から携帯電話を出して、電源を入れようとする。と、
「すいません、南西区は路上での携帯電話使用は禁止されていますよ」
通りがかりのおばさんに注意されてしまった。そういえばそうだった。先月から新しい条例が出来て、路上で携帯電話を使ったら罰金2万円を取られることになっていたのだった。僕は慌てて携帯を鞄にしまい、おばさんに謝ると、小走りに駅を目指した。

「本日は、日本電鉄をご利用いただきまことにありがとうございます。当駅では、平日昼間の携帯電話の使用はご遠慮いただいております。どうかご理解の上、ご協力お願いします」
駅構内ではしきりにそんなアナウンスが流れている。ここ最近の嫌電磁波ブームのおかげで、ある程度大きな駅はみんな携帯電話禁止になってしまった。無論、車内での使用は何十年も前から禁止になっているので、もうしばらくは彼女に電話することは出来ない。苛立った気持ちを抑えながら、電車に乗り込む。

タイムリミットまであと15分。
「……日本電鉄をご利用いただきまことにありがとうございます。当駅では、平日昼間の携帯電話の使用はご遠慮いただいております」
自宅最寄りの降車駅でも、同じアナウンスが流れている。郊外とはいえ、地域のターミナル駅なので、こういうことはけっこう厳しいのだ。更に、区全体というわけではないけど、駅周辺の繁華街はけっこうな広範囲で路上での携帯電話の使用が禁止されている。果たして今日中に電話できるかどうか、かなり怪しくなってきた。
全速力で改札を抜けると、ダメ元で近くの喫茶店に飛びこんだ。
「すいません、このお店、携帯電話、使用できますか?」
「あー、すいませんねえ、うちはダメなのよ」
「そうですか。分かりました」
3軒ほど聞いてみたけれど、どこもつれない返事だ。あと10分。僕はついに観念して、家まで走ることにした。

普段、駅から僕の家までは歩いて15分ほどかかる。その倍の早さで走れば、なんとか今日の日付中に電話が出来るはずだ。じくじくと痛み出したわき腹を押さえながら、ひたすら走った。激しく息を吸いすぎたせいで、喉の奥から血のような鉄っぽい臭いがしてくる。

路上携帯電話禁止地域のちょうど境目付近に僕の家はある。着いたとき、時計は11時58分を指していた。やった、間に合った。ギリギリだけど、間に合ったことには変わりない。部屋に飛び込むと同時に携帯の電源を入れて、彼女の電話番号を押した。
「この電話番号は、現在、電波の届く範囲にいないか、電源が入っていません」
受話器から流れてきたのは、無情なメッセージだった。今まで全速力で走ったのは何だったのだろう。僕はショックのあまり頭の中が真っ白になり、膝をついてへたり込んでしまった。と同時に、時計が午前0時を告げる「ピピッ」という音を鳴らした。

そのときだった。
ドアがノックされる音で、我に返った。
「はい、少々お待ちさい」
こんな時間に誰だろう、と不審に思いながら窓の外を見ると、そこに立っているのは彼女だった。
「突然来ちゃってごめんね。何度か電話してみたけど、あなたの会社って携帯禁止だから、電源切れてて繋がらなかったし。……はい、これ、チョコレート。どうしても、今日渡しておきたかったの」
そう言われて初めて、今日、14日がバレンタインデーだったことを思い出した。13日の誕生日のことだけで頭がいっぱいで、
完全に失念していたのだった。
「君こそ誕生日おめでとう。13日中に電話できなくてごめん。……ああ、玄関じゃ寒いからあがって。プレゼントも渡したいし」
そうだ、声が聞きたいのなら、僅かな時間でもいいから会いに行けば良かったのだ。意地になって携帯電話など使う必要はなかった。僕は、これから彼女の声が恋しくなった時は、少しくらい遅い時間でも頑張って会いに行こう、と心の中で誓ったのだった。
 

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