>>home
>>last month
>>next month


 

13:37 2003/10/31【貯金】

大きくなってからゆっくり休めるように、今のうちにうんと走って距離を稼いでおきなさい、と教わったような気がします。目先の楽しいことやラクなことにとらわれずに、常に将来のために貯金をしていきなさい、と。

だけどいつになっても、ゆっくり休める日は来る気配は微塵もないし、貯金した知識や経験を使える場もやってきません。最初は私、休むために走っていたつもりがいつのまにか走るために走っちゃっていたのかな、と反省したんですよ。でも違うみたいなんです。走り溜めしているつもりになっていただけで、実はちっとも溜まっていなかったのです。そもそも溜められるほど速くなんて走れないし、ほんの少し溜まったと思っても、そんな貯金はトイレ休憩しただけで、あっという間に消費されてしまうんです。

2週間起き続けて1週間寝続けるみたいな生活が不可能なのと同じように、20年走り続けて10年休むって生活も不可能なのかもしれません。我々に出来ることはせいぜい、5日間働いて2日間休む程度の、小さなサイクルでの貯金くらいで。定年退職した後だって、なんだかんだ言ってその人なりに慌ただしく走っているような気がしますし。疲れが楽しさを上回らないためには、人生7、80年くらいでちょうどいいのかもしれません。
 

15:09 2003/10/29【ピザでできた女】

私が今、一番日常的に作って食べることが多い料理はイタリアンです。たぶん、米よりもパスタの消費量のほうが多いくらい。何故かあの、トマト、バジル、チーズの風味がすごく性に合うんですよ。

この前母から聞いた話なのですが、私がまだお腹の中にいた頃、母は悪阻がひどくてほとんどものを食べられなかったそうです。でも、なぜか近所の「テンカド」というお店のピザだけは、どんなに食欲のない時でもペロリと食べられたとか。25年も前の話ですから、まだイタメシブームが起こる以前で、ピザと言っても本格的という言葉からはほど遠い、ピザトーストに近いような代物です。あんな油っぽいもの、悪阻の時に食べたら余計に気持ち悪くなりそうなのに、全然そんなことなく週に何回も通って、常連中の常連みたいな存在になっていたそうです。

だからあなたの体細胞の半分くらいは、元をたどればテンカドのピザで出来ているのよ、と母は言います。なるほど、だから私はイタリアンが好きだったのか。三つ子の魂どころか胎児の魂、恐ろしや。
 

18:05 2003/10/27【基準】

たとえば私の知り合いで、ものすごく音楽好きの人がいます。その人は、私がCDをケースから出したまま放っておいたり、ジャケットの冊子が裏返ったまま棚に並べてしまったりするのを見ると、芸術作品を粗末に扱うなと激怒するわけです。

ところがその人は、確かにCDはめちゃ丁寧に扱っているけど、本の扱いは酷いのです。本棚の奥のほうには文庫本から外れたカバージャケットがくしゃくしゃに丸まっているし、栞がわりにページを折ってしまうし、上下逆に本棚に突っ込んでも平気な顔をしているんです。私にしたらそっちのほうがよっぽど芸術作品を粗末にしていると思うので、彼にCDの扱い方を言及されるたびにすごく不愉快になります。だって全然説得力がないじゃないですか。

一般論として芸術作品全般を粗末に扱うな、と言われたのなら、素直に今まで自分がCDにしてきた扱い(といっても、片づけるのが苦手なだけで乱暴なことはしていないつもりですが…)をわびると思います。しかし、状況的に、彼は一般論を言ったわけでなく「俺は音楽が好きだ」という個人的事情から発言しているだけなのだと証明されてしまっています。私は、他人の個人的事情をさも一般論であるが如く押しつけられるのは我慢ならないのです。

本当は一般論なんてものは存在せず、ただ大勢の個人的事情の最大公約数が存在するだけなのかもしれませんけど。確実に信じられる基準がどこかにあるような気がして、それ以外を躍起になって取り除こうとしてしまうあたり、私もまだまだ子供ですね。
 

10:00 2003/10/26【進路】

決めた! 私、もう大学やめる。そして、全国の眼鏡フェチ代表としてここに入る! と、法事で東京に来た両親に言ったら本気で殴られました。
 

2:52 2003/10/26【適応】

5日間留守にしてただけで死亡説を流すのはやめてください。ごめんなさい、君望にハマってしまっていて多忙につき更新できませんでした。現在、メール・掲示板のレスも出来ていませんが気長にお待ち下さい。それで、どうしても茜妊娠エンドにだけたどり着けない(8月12日の「助けない」という選択肢が出ない)のですが何が悪いのでしょうか誰か教えて。

さて、私の家の近所には、1年前くらいに出来たばかりのラーメン屋があるのですが、安くてそこそこ美味しかったので2ヶ月に1回ペースで食べに行きます。

新規開店のお店のいいところって、「変化していく様子を見られる」って点があると思うんです。この店も例外ではなく、最初の頃はシンプルで機能的な内装で、2、30代男性の1人客が中心でした。それがだんだん細々したインテリアが増えて、食券制だったのがテーブルまでオーダーを取りに来るシステムになり、ウエイター役の人の喋り方がだんだん柔らかくなっていきました。この前行った時は、漫画本のぎっしり詰まった本棚が導入されていてびっくりしました。一軒家が多くて小学校が近いという環境に適応してきたのでしょうか。最近は、家族連れの客で賑わうようになっていました。

お店が地域に馴染んでいく様子を見るのって嬉しいです。転校生がクラスに馴染んでいく様子を見守るのに似ているかもしれません。最初は緊張と反発の入り混じった態度でぎこちない返事しかしてくれなかった転校生が、だんだん心を開いて、新しい場所の流儀も覚え、笑顔を見せてくれるようになる過程、というか。

そして、どれだけ態度や雰囲気が変わっても、味自体はそのまんま変わっていない。だからこそ嬉しいのだと思います。
 

7:41 2003/10/21【リフレッシュ】

煮詰まっていた気分からふと目が覚めた瞬間って、「匂い」が関わっていることが多いです。たとえば以前、私が書きかけの卒論を放り出して引きこもってしまった時、再び頑張ってみようと思ったきっかけは「印刷室の匂い」でした。3週間ほど夜中にコンビニに行く以外に家の外に出ていなかった私にとって、パルプとインクの混ざった強烈な匂いを受けた瞬間は、全身に電気が走るくらいのショックだったんです。

最近では、疲れて何もやる気が出なくて街をふらふらとさまよっていた時に、何の気なしに入った雑貨屋さんがお香の匂いで満たされていて、その匂いを深く吸い込んだ途端に頭の中のこんがらがっていた糸がほわーっと解けていくのを感じました。おかげでその雑貨屋さんでアロマエッセンスを数種類衝動買いしてしまい、今でもよく気分転換に使っています。

テレビやネットの影響なのか、私たちは視覚・聴覚の刺激には慣れてしまっているように感じます。触覚や味覚に関しては、快いと思う方向性で新しい刺激を探すのが困難です(せいぜい氷水で顔を洗うとか、ミントガムを噛むとかくらい)。それに対して匂いというのは、非日常的であるにも関わらず数百円で得ることができる、穴場な刺激なのかもしれません。掌くらいの器に熱湯を注いで、その上からアロマエッセンスを2、3滴。疲れ気味な方はぜひお試し下さい。
 

1:44 2003/10/20【変換】

「○○が楽しくて××がおろそかになってしまう」「○○に夢中で××がはかどらない」等と言う時は、ほんの少し考え方を変えれば「○○が楽しいからこそ××もやる気が出る」、っていう方向に持って行けると思うのです。

好きとか楽しいとかいうポジティブな感情は、必ずポジティブなエネルギーとして使えるはず。いや、むしろ使わなきゃいけないと思っています。好きなもの、好きな感情を汚さないためにも。何かを好きになるということは、そのために自分が堕落するようなことが決してあってはならないという重い責任を負うことでもあるのです。
 

6:20 2003/10/19【大河の一滴】

読者に何を望んでいるの?と聞かれて考え込んでしまった。感想をいただけたらもちろん嬉しいし、批判も誹謗になっていない限り感謝しつつ受け取っているけど、もらえないならもらえないなりになんとかやっていけそうな気もする。では、ただ愚痴を垂れ流したいだけなのかと言われれば、一応自分なりにせいいっぱいエンターテイメントとして昇華させているつもりだし、違うと信じたい。プロのライターになりたいのなら、webサイトなんて作ってるよりももっと他にやることがあるはずだし、友達が増えるのは嬉しいけどそれが目的というわけでもない。

多分私は、私の文章から何かインスピレーションなりヒントなりを得て、別のもっと面白い文章を書いてくれる人が現れてくれたらいいなーと思っているのだ。自分の持っている部品は大きな作品を作るには全然足りないから、せめて誰か、大きな作品が作れそうなのに部品が2、3個足りなくて困っている人がいたら、その足りない部分を提供するくらいの貢献はしたい。もしも未来の誰かの中で私の一欠片が生き続けてくれたとしたら、これほど幸せなことはない。

我々は皆、大河の一滴だ。そんなババ臭いことを言う歳になってしまった自分に愕然としつつも、若い人には、私の思考方法や経験で使えそうな部品があったらどんどん持っていって欲しいと本気で思う。もちろん完成品をそのまま持っていくのはお互いのためにも推奨できないので、あくまで部品を、ね。
 

8:14 2003/10/18【秋物警報】

最近の流行りの服って、ゆるゆるでだらだらしてるシルエットのが多いですよね。あれ、私嫌いなんです。もっとカチっとしてピタっとしてないと着ていて落ち着かない。一応流行は取り入れたいけど、でも不本意な出費はしたくないし……と悩んでいるうちに、お出かけの時に着られる服が本格的に少なくなってきました。仕方なく、ここはいっちょちゃんとお洒落っぽい服を買うか、と財布を握りしめて街に出たわけです。

ところで私が気合いを入れてお洒落するのって、合コンの時くらいです。数合わせとはいえ呼んでくれた幹事様の顔を立てるために、身なりだけでも一応まともな女性を装わなくちゃと思うので、頑張ってメイクして流行系の服を着て、ネットの話なんてしないように自制し、「酒キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!」みたいな2ちゃんねる語も話さないように気をつけているんです。だけど、やはりファンデーションの奥からにじみ出る本性は隠せなかったらしくて、最近は誰も合コンに呼んでくれなくなってしまいました。

……あれ? 合コンに呼ばれなくなったのなら、流行の服を新調する必要ないじゃん。そうだそうだ、気付いて良かった。危うく無駄な買い物をするところだった。もうお洒落なんてどうでもいい。浮いた1万円ではCDでも買うことにします。

女としての最後の砦が崩れたり、とか言うな。
 

11:14 2003/10/16【デジャブ】

中学生の時でした。ある日、いつものように授業を受けに理科室に行くと、自分の机の上に「○○(人気漫画のキャラ)かっこいい♪」と書いてありました。同じ席を使っている他のクラスの誰かが書いたのでしょう。そこで私は、その下に「××(同じ漫画の別のキャラ)のほうがかっこいいよ!」と書き加えておきました。

3日後くらいにまた理科室に行くと、私の書いた文章の下に、前と同じ字体で「最近は△△(今週号で登場したばかりの別のキャラ)も良いと思うようになってきた」と書かれてありました。私は更に、「確かに△△はいいね」と書き加えておきました。そのような他愛のないやりとりは3ヶ月ほど続いたのですが、席替えがあったので途絶えてしまい、ついに相手がどこのクラスの誰なのかは分かりませんでした。

その5年後くらいに初めてインターネットに繋ぎ、BBSというのに書き込んだのですが、妙な既視感を覚えたんですよ。なんかこのドキドキ感、身に覚えがあるなーと。

また同じ頃、昇降口に文芸部が発行したフリーペーパーが置いてあったのですが、私はその中でも□□というペンネームの人の文章が大好きでした。中の人が男なのか女なのかも知らないまま、毎月の発行を楽しみにしていたのです。

数ヶ月後に学園祭があり、文芸部もブースを出していました。試しに私はそのブースに行ってみて、□□さんの中の人ともお会いすることが出来たのです。残念ながら、話してみたらあまり好きなタイプでなかったのでその後やりとりが続くことはなかったのですが、場合によってはそれがきっかけで素敵な友情や恋がスタートしたのかもしれません。

その7年後くらいに初めてインターネットのオフ会というものに顔を出したのですが、やはり何か既視感を覚えたのです。この感覚、知ってる。絶対に以前に経験したことがある、と。

ネット上の人間関係って、今までなかった新しい形だと思われがちです。でも、本当は昔から身近にあったものが顕在化しただけなのかも、と思う今日この頃。
 

9:08 2003/10/16【行動主義】

「人からどう思われているか」というのは「自分で自分をどう思うか」と同じくらい、下手するとそれ以上にアイデンティティに関わってくるものです。本当の私がどんな性格で何を思っているかなんて、誰にも分かりません。自分にだって分かりません。あるのかないのかも分からないような曖昧なものに判断を頼るよりは、「内心」「本当は」って部分はブラックボックスとして扱い、目に見える言動のみを基準にしたほうが合理的です。たとえ無意識下で「めんどくせー」って思っていたとしても、表面上はごく自然に老人に席を譲れるのならば、その人は思いやりのある人だと言ってしまって良いと思うのです。「みんなは私のことを○○と言うけど本当は××なんだ」なんて主張は論理的にはナンセンスです。

ただし、始めの頃は違和感を感じていた内面と外面の差が、人から言われているうちに狭まってくる例もあります。綺麗だとホメられているうちに本当に身の回りに気を使うようになって綺麗になっていったり、逆に無能呼ばわりされているうちにどんどん自信を失って何も出来なくなってしまったり。だから、自分の理想とする自分になりたいという動機で、イメージの訂正を求めるのならアリだと思います。

ここで私は1つみなさんにお願いしたいことがあります。うちのサイト名は「イフトゥーイトセルフ」と読みます。リンクページにもちゃんと明記してありました(注:どうでも良くなったので最近削除しました)。一般的に使われている「イフイットセルフ」というカコワルイ読み方は間違いなのです。「トゥー(矢印の部分はこう読む)」に込めた私の想いを理解してください。確かに最近は自分でも諦めがちで、いちいち訂正するのをやめてしまったのですが、決して想いを失ったわけじゃないんです。どれだけ他人からレッテルを貼られたって、これだけは断じて譲れません。

(某イベントにて)
初対面の人「ifさんってもしかして、イフトゥーイトセルフのifさんですか?」
if「はいそうです。イフイットセルフのifです」

あ。
 

12:44 2003/10/13【ひとこと】

「起承転結」とか「勧善懲悪」とかをありきたりで陳腐な発想だと感じるか、それとも普遍的で様式美のある発想だと感じるかの違いなんて、要するに自分がその発想を好むか好まないかという程度のものだ。
 

4:33 2003/10/12【更新】

短歌集更新しました。
 

11:14 2003/10/11【反動】

今週号のSPA!に、10代のころに強烈な欲求不満があるとその後反動が出るって話が載ってました。全然モテなかった男性がその後ナンパ師になりヒモで食っていくようになったり、お嬢様高校で1人だけブランド物が買えなかった女性が、社会人になってから反動で買い物依存症になったり、と。

私の場合、高校の頃に何が一番悔しかったかって、門限が早いことでした。友達と一緒に夕飯食べてから帰ることも出来なかったし、部活の打ち上げも最初の1時間しか参加できなかったのです。今私が週に2回は飲みに行ってそのうち1回はオールするような生活をしているのは、考えてみれば当時の反動に違いありません。

普段はそんなに熱くなって理性を失うようなことはない私ですが、門限に関してだけは今でも過剰反応してしまって、帰省中に飲み会があった時など母が何気なく「終バスまでに帰ってきなさいねー」と言っただけでカッっとなって怒鳴りつけそうになるんです。客観的に見てこれ以上居てもだるだる飲んでるだけなのに、自分が帰った後にはいつも何か楽しいことが起こっているに違いないと思い込んでしまい、どうしても最後の最後まで居ないと気が済まないのです。

最近めっきり本を読まなくなり、漫画ばっかり読んでいるのも、実家の頃漫画を読ませてもらえなかった反動だと思います。二十歳過ぎてやっと漫画の面白さを知ってしまいました。こんなに面白いものなら、今まで親に隠れてでも読んでおけばよかった!と後悔しています。

ライブによく行くのも、単館上映の映画をよく観に行くのも、高校まで茨城の片田舎に住んでいて観たくても観られなかった反動だと思います。

インターネット中毒になってしまったのも……あれっ、インターネットは一体何の反動だろう? せっかく、勉強をサボってばかりいる大義名分が出来たと思ったのに。困った。インターネットだけはどうしても反動現象にこじつけられないよ!(こじつけだったのか)
 

22:57 2003/10/09【癖】

私は考え事をする時に髪をさわる癖があります。せめて人前では止めようと気を付けてるのですが、なかなか直せません。他にも、爪を噛む癖のある人とか、貧乏揺すりの癖がある人とかいろいろあるけど、その癖が発現するのが「考え事をしている時」って場合が多いように感じます。

これは偶然ではなくて、考え事をすることと癖の間には、何か必然的な関係があるのではないでしょうか。たとえば自分の身体を触ったり、動かしたりする動作は、自分の存在を確認する動作だと解釈することができます。人間の感覚器官は基本的に変化を捉えるように出来ていて、それは視覚ですら例外ではなく、静止したものを見るためには眼球のほうを微細に振動させなければいけません。つまり我々は、動き続け変化し続ける自己しか知覚できないのです。

自己とは紛れもない「考え事」の主体です。髪を触ったり爪を噛んだりすることの裏には、主体なき思想はありえないという事実が隠れているのかもしれません。
 

0:43 2003/10/09【遺言】

私のことをすごく可愛がってくれた大叔父がいました。近所に住んでいたこともあって毎週のように遊びに行っていたのですが、そのたびに私はずっと膝の上に乗って降りようとしなかったそうです。よくお小遣いもくれたし、大きくなってからも相談事にのってもらったりして、祖父と同じくらい大好きでした。

その大叔父が癌で亡くなったのは、私が高校3年の冬でした。ちょうどお見舞いに行った日の夜に昏睡状態に陥って、数日後に息をひきとりました。ベッドの上で私と交わした会話が、最期の言葉だったそうです。

一番最期の台詞は、「if、焦るな」でした。その時はよく意味が分からなかったのですが、数ヶ月後に大学受験をして、滑り止め1校のみ合格した時に、ふと思い出したのです。既に入学金は払ってしまっていたのですが、本当に妥協してまで、大急ぎで大学生になる必要あるのだろうか?と。

悩んだ末浪人することに決めて、その結果入った大学は非常に自分に合っていて、楽しい4年間を過ごすことが出来ました。大叔父の遺言は正しかったと思っています。

だから今、学部卒業後に大学院なんかに入ってしまって、しかも普通の人よりも院を卒業するのに1年多くかかりそうなのも、ひとえに遺言を守っているからなのです! この前、先に就職した後輩に「僕社会人なんで奢りますよー」と言われてしまったのですが、ちっとも焦ってません!(いいからそろそろ焦れ)
 

12:54 2003/10/08【宣伝です】

ifが制作・広報で関わっているUZ JSME DOMAというチェコのバカ騒ぎチェンバーロックバンドの来日ライブが10/11〜13にあります。高速変拍子の曲を管楽器入りで演奏しながら(かなり上手いです)、おっさんが走り回って奇声をあげたり、画家がステージ上で絵を描いたりします。レコメン系、フランク・ザッパ、渋さ知ラズ等がお好きな方はぜひいらしてください。

→告知サイト
サンプル音源1 サンプル音源2

横浜・東京では、たぶん私は受付のあたりでCD売ってます。安達裕実をもっと山田花子に近づけて更に両頬を20回ずつ殴ったような顔をした20代女性が暇そうにしていたら構ってください。
 

23:50 2003/10/06【中の人】

テキスポのインタビューで、冗談のつもりで「実はネカマでした」と言ったら、「道理で文章に色気がないと思っていました。納得です」「実は前からずっとネカマだろうと思ってました。やっぱりそうだったんですね」等の反応が続々と送られてきて軽く凹んでおります。お前ら、ネタをネタと見抜(ry

ぴろ〜ん(メール着信音)

「オフ会に来ているのも妹じゃなくて中の人のほうなんじゃないですか? だって、全然胸なかったし
私……本当に……女なのでしょうか?(自分で自信がなくなってきた)
 

19:20 2003/10/05【貧乏性】

自分はたまに人からポジティブ思考でいいねと言われることがあるのですが、どちらかというとポジティブというよりも単に貧乏性なだけじゃないかと思っています。

本当に心の広い人っていうのは、何か悪いことがあったらその事実をそのまんま認めて、まあ仕方ないやーと笑える人なのではないでしょうか。余裕があるからこそ、費やした時間やお金に対して見返りがなくてもダメージが少ないのだろうな、と。

私は全然余裕がないので、とにかく差し引きマイナスの状況が許せないんですよ。だから無理矢理にでも、何かを得たことにしたいんです。例えば食べに行ったレストランが不味かったら、「このレストランは不味いという知識を得ることができたから得した」と思うし、電車を乗り越してしまった時はそこで観光してから帰ることで有意義だったと思おうとするし、誤解に基づいて非難されたら「自分の文章の書き方がマズいから直さなきゃいけないってことが分かって良かった」と思いこむことにしてます。見方によってはめちゃくちゃセコい思考回路です。

だからたとえば今日。一日中だらだらしていて何もしないまま夜になってしまったわけですが、その時間は多分「充電」のために役に立っていたと思っています。1週間分くらいは充電できたはず。ああ、大変有意義な日だった!
 

21:27 2003/10/05【お知らせ】

テキスポに陵辱されたよ!
 

10:52 2003/10/04【反応】

広義の芸術に関わっている人の凄いと思うところは、作品を創る感性とか技術とかももちろんそうだけど、「正気でいられる」ってことだと思うのです。普通、私たちが経験しているコミュニケーションって双方向的なものですよね。見られている時はこっちも見ているし、話しかけられたら話しかけているはずです。そのようなやりとりによって、自分の位置や形を確認しているわけです。

でもそれがいったん作品という形で出てしまうと状況は変わってきて、こちらの表現は向こうに伝わっているのに、向こうの言葉はほとんどこちらには伝わって来ないのです。自分は常に見られているのに相手の姿は見えないのです。このアンバランスなコミュニケーションは、下手するとアイデンティティ崩壊の危機を招いてもおかしくないくらい歪んでいるはずです。

ではなぜ崩壊しないで済むかというと、芸術作品というもの自体には、「向こうの言葉がこちらに伝わってくる」ことを内包しているからだと思うのです。単に「読者の反応を予想している」って意味じゃなくて。もっと高次の次元で、見る側と見られる側、両方の立場が止揚された時に生まれるのが芸術なのだと思います。

私はまだまだ未熟なのでその域に達することが出来ません。だからつい具体的な反応を求めてしまい、何も返ってこなかったらめっちゃブルーになっているわけです。仕方ない……と思うのです! メールフォームはこのページの一番下にあります!(何かを言いたげな目で)
 

21:02 2003/10/02【スカトロ日記・後編】

(前編より続く)
仕方ないので自分の土俵で勝負します。哲学でスカトロジーについて触れている人といったらジョルジュ・バタイユ。「WC」「太陽肛門」なんてそのまんまなタイトルの小説を書いていることでも有名です。

彼は徹底的な物質主義者で、神とか理性とか美とかイデアとか、そういう麗々しい概念を全て否定していました。スカトロジーを描くのも、男女の性行為を「愛」のような精神的な概念へ昇華させてしまうのを嫌い、そこに汚物を絡ませることであくまで物質的・動物的な行為であると強調するためです。

物質主義を極めていくと、芸術や宗教も、物質の運動の現れと解釈できるようになります。芸術における対象を認識しようとする力は、対象への破壊衝動に置き換えられ、具体的には切り取られたゴッホの耳として描かれます。宗教の物質性、そして理念的な神の死は、汚物を垂れ流しながら息絶えるイエス・キリストという形で提示されます。

まあ、つまりだ。スカトロジーとは、理性の制御を取り払った世界の本質の象徴と言えるのです。理性に統率された世界では人間は神に憧れることになっているけど、物質的世界観においてはスカトロに憧れるのです。よって、スカトロは神。現段階で、このトップページ上には20回「スカトロ」という言葉が出てくるわけですが、そんなif→itselfも神。あなたも神になりたかったら、汚物を垂れ流しながら私に近づいてきてくるといいと思います。全速力で逃げながら警察呼びます。

−−−−−−−−−−

で、次の人。「どこに回せばネタ的に面白いだろう」と一瞬考えてしまったのですが、なんかちょっと前にみんながそういうことを考えた結果、最終的には収拾つかなくなって立ち消えてしまった似たような企画(しりとr……ゴホン)があったような気がしてならないので、普通に好きなサイトに回したいと思います。
というわけで秩序なき脳細胞のとーやさん、テーマは「死に至る病」でお願いします。
 

17:49 2003/10/02【スカトロ日記・前編】

この企画Numeriからバトン渡されました。それはいいんだけど、指定されたテーマが「スカトロ」っていうのはどうなんですか。確かに私は人形の下着を買って「Numeri」名義で領収書を切りました。あれは少し嫌がらせの度が過ぎていたかもしれないと反省してます。でも、だからといってこんな逆襲の仕方はないと思うんです。

ともかく、何か書かなくてはなりません。最初はα汁の荒井さんが出演したスカトロビデオの映像を借りて、ちらっとだけ見て「荒井キモい」とか感想書いてお茶を濁そうと思っていたのですが、電話したら「そのビデオはまだ編集が終わってないので持ち出せない」と断られてしまいました。仕方なく、ネタを探しに国会図書館へと足を運んだわけです。

ところでスカトロとはスカトロジーの略。最近はもっぱら汚物を用いた性的行為の意味で使われていますが、もともとは汚物に関する物語という意味で、神話学や人類学などで研究の対象となっています。そう、つまりスカトロとは人類学。れっきとした学問なのです。だから恥ずかしくなんてありません。ちっとも恥ずかしくなんてないのです。

検索したら「スカトロジー大全」といういかにもなタイトルがあったので、その本と、フェイクのために社会人類学の本と2冊を借りることにしました。AVと普通の映画のビデオを重ねて借りる学生の気持ちが初めて分かりましたよ。国会図書館は閉架なので、請求票にタイトル等を書いて受付に提出します。

と、ここで気付きました。この請求票に書き込んだ整理番号、記録され保存されるんですよねきっと。ってことは、調べたら私がスカトロの本を借りたってことが分かってしまうんですよね。つまり、就職活動した時など経歴調査されて、「あの子はスカトロだから」って理由で落とされたり、眼鏡で白衣の素敵なお兄さんとお見合い話が出ても調査の結果「あの子はスカトロだから」と破談になったりするかもしれないんです。ここで1冊の本を借りてしまったばかりに、一生を棒に振ることに!

やっぱり私には出来ません。どうしよう。迷っているうちに、私の番が来てしまいました。請求票を受け取ろうと差し出された受付のお兄さんの手に、私は、フェイクのために用意した社会人類学の本の請求票のみを渡したのでした。笑顔で「15分ほどお待ち下さい」と受け取るお兄さん。私は頷きながら、もう片方の手で「スカトロジー大全」と書かれた請求票をくしゃっと握りつぶしました。

かくして15分後、私の手元には社会人類学の本のみが届いたのでした。ああ、私って学問好き。わざわざ国会図書館にまで行って、専攻でも何でもない学問の本を借りるだなんて……。で、どうするのよこれ。どうするのよ企画。数時間後の後編を待て。
 

20:23 2003/10/01【眼鏡の日】

みなさん、スカトロスカトロ言ってる場合じゃないですよ。今日は何の日だと思ってるんですか。メガネの日ですよ。この重要さがどうして分かりませんか。テキストサイトの人ってみんな眼鏡好きのはずなんだから(自己中心的世界観)もっと祭りになっていいと思うんですけどね。

仕方なく自分だけでも日頃の感謝と愛を捧げるべく、上野の不忍池沿いにある「めがね之碑」へと巡礼してきました。徳川家康の眼鏡を型取り、眼鏡の日本伝来を記念して建てられた、いわば眼鏡ファンの聖地です。ここまで来れば、きっと全国から集まった眼鏡ファンたちと熱い想いを語り合うことが出来ると思ったんですよ。
 

だけど何なんですか。散歩してるおじいさんばかりじゃないですか。いや、ひょっとしてこの人たちは眼鏡っ婆好きの同胞なのかもしれないと一瞬思いましたが、みんな碑をスルーして歩いていくんです。情けない。情けないですよ私は。お前らお前らの情熱は所詮この程度のものだったのかと。

だいたい、「頭良さそうに見えるからいい」とか「外したら実は美人というのがいい」とか言ってる時点で間違ってるんですよ。眼鏡の魅力はそんなもんじゃない。付けた人の魅力を水増しする道具みたいに扱うなんて失礼です。いいですか、眼鏡の真の魅力とは、それ自体の内包する物語性なんです。見る主体と見られる客体との関連性が、眼鏡に捨象されているわけです。恋愛において眼鏡とはエロスそのものです。ハッキリ言います。身体の全てのパーツの中で一番エロいパーツは眼鏡です。

先日、飲み会でとある男性に「今ここで眼鏡を舐めてみろ」と言われて、拒否したら「この口先だけの眼鏡フェチが」とバカにされてしまったのですが、違うんです。それは、男性だとしたら飲み会の最中に女の子に「今ここで胸を揉んでみろ」と言われたのと同じくらい恥ずかしいことなのです。さすがに人前では出来ないでしょ? そういう台詞はベッドの中でこっそりと囁くものですよ!

どうか、公衆の面前で眼鏡を舐めろなんて、そんな淫らな行為を私に期待するのは止めてください。あ、でもね、眼鏡画像を送ってくれるのは全然構いませんよ。むしろ喜んで受け取りますから。ええ、絶対に間違いなく超喜んで受け取りますから!
 
 


[home]