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5:26 2003/05/31【rpm】

時間というのは主観的なもので、時計の針の動く早さと自分の脳や身体の動く早さの差によって決まるのです。意識的に作ろうとしなければ出来ないものなんですよ。脳の回転数を下げたままでいたら、起きてご飯食べて更新して風呂入って寝るだけで余裕で1日終わってしまう上に忙しかったような錯覚までおぼえてしまうのです。

「病院に行ってた」とか「付き合いで飲みに行かなきゃいけない」とか、ただの口実に過ぎません。心身の回転数を上げて時間を作ろうという努力をしてないだけ。確かにね、常時何かをやっていたことには変わりないので「忙しかったから勉強する暇なんてなかった」というのは嘘ではないけど、自らの状態を意識的に変えれば、スケジュール変更しなくても忙しくなくなるのです。

それが出来ない自分は死ぬといいと思う。出来る人ってのは「もうこんな時間か」と思うことより「まだこんな時間か」と思うことのほうがずっと多いんだろうな。
 

2:53 2003/05/30【わたしと世界を繋ぐもの】

大抵の行動は、どうにかして世界と関わりたい、という意志によって成り立っているんじゃないかと思う。世界と繋がって、作用を与えれば反作用が返ってくるのを確かめて、それによって自分が生きてることを確かめたいって思っている。だから、友達作ったり、仕事したり、webサイト作ったり、小説書いたり、小説読んだりしてるんじゃないだろうか。

ああ今回路が繋がったって思う瞬間ほど気持ちがいいものはない。だけど最近の回路は意外と複雑に出来ていて、なかなか繋がってくれない。大声で叫んだり、全速力で走ったり、おいしいごはんを食べたぐらいじゃびくともしない。だから、文章を書く時はうんと集中して神経を尖らせてないといけない。夕方の空を見上げて飛行船を見つけた瞬間とか、うたたねしながら時計の針の音が聞こえてきた瞬間とか、そういう重箱の隅みたいな所から糸口を探さなきゃいけない。

だけど私は、もっとシンプルな方法で繋がることを諦めてはいない。冷たい河の水面に指を触れただけで命の重みを感じられるような瞬間が、一生のうちにあと何回かはあるはずだと思う。そういう瞬間を書き留めておくことこそが、文章書きの醍醐味だ。だから来るその時のために、今のうちから注意力と観察力を磨いておかなくてはならないのである。
 

0:52 2003/05/29【究極の選択】

高校2年まで、ピアノをやっていた。
小さい頃にピアノ習っていたという人はたくさんいるとは思うけど、私は中でも割と本格的にやっていた。過半数が音大受験者という選抜コースに通い、いろんな趣味や勉強を犠牲にして練習していた。

ある日、ふと思った。確かに私はピアノが好きだ。でも、数ある趣味の一つとして好きなのであって、特別に好きなわけではない。それなのに、ピアノをやっていると他を全て犠牲にしなければならない。これってどうなん? ピアノ一つ諦めて、他の三つ四つの趣味を生かしたほうが合理的なんじゃない?

そして、受験生になると同時にピアノをやめた。後悔はしていない。もとからピアノで食えるほどの才能はなかったし、やめたおかげで他にいろいろなことが出来たからだ。

えーと、最近思うのですが、哲学は私の数ある趣味の中の一つでしかないのに、哲学やってると他のことが全然出来なくなってしまうのですね。どうせ大学教授になんてなれるわきゃないんだから、とっとと大学なんてやめて、犠牲にしていた他の沢山の趣味を取り戻したほうが……。

……。

何も気付いてません。今何も気付きませんでした。
 

23:37 2003/05/27【居場所は2ヶ所作ろうという法則】

何か1つのものに依存してしまうのは非常に危険だ。その「何か」と自分の関係が悪化して、修復の可能性が薄い時に、思い切って関係を断ち切って他の場所に行こうという選択肢が見えなくなってしまう。「私はここに居る以外に居きる方法はないのだ」と思いこんでしまうので、どれだけ嫌な思いをさせられてもそこに居続けてしまう。

過去2回ぐらいそういう泥沼に陥って酷い目に遭ったので、それ以後は「居場所は常に2ヶ所作っておけ」というのを自分の中の鉄則にしている。そうすれば、片方と接触不良を起こした時に暫定的にでももう片方に逃げることが出来るし、距離と視点を変えることによって、やめるべきか変えるべきか自分が変わるべきなのかが見えてくる。メインの場所を充実させるためにこそ、サブの存在が必要になることは多い。

とはいえ、逆に4つも5つも居場所を用意してしまうと、やらなければいけないことが飽和して全部中途半端になって失踪したくなったりするのだけど(今の私)。
 

23:18 2003/05/26【バランス感覚】

友人と飲んでいると、この人は本当に私と居て楽しいのだろうか、もしかして無理矢理付き合ってくれているだけなんじゃないだろうか、とか考えてしまう。すごく魅力的で、こちらから熱烈なアタックをして友人になってもらった相手の場合は、特に。

社会で認められているわけでもなく、かといって社会からはみ出しているわけでもなく、今の自分の位置はあまりにも中途半端だ。真面目に研究している院生を見るたびに劣等感に苛まれ、大学中退してインドを放浪している同窓生から写真が届く度に羨望の眼差しで見つめてしまう。そして、ひとしきり悔しがった後は、退学にもならなければ特別評価もされない程度の勉強をして、毒にも薬にもならない趣味に時間を使う。

それをバランス感覚と呼ぶのなら、なんて面白みのない感覚なのだろう。
 

21:28 2003/05/23【証明写真】

パスポートの更新をしてきました。
前の時は未成年だったので5年パスポートでしたが、今回は10年用を申請できます。10年間も使わなきゃいけないのですから、うっかり変な写真で済ませてしまうわけにはいきません。昨日のうちにバッチリ化粧して、髪も珍しくブローして、最大限に見れる顔にしてから証明写真を撮っておきました。あとは、住民票に戸籍抄本に官製ハガキ。完璧に書類を揃えて、窓口に提出しました。

「あー、この写真、髪で輪郭が隠れちゃってるから駄目ねえ。撮り直して来て」

……えっ。
そんなの聞いてないです。むしろ私はえらの張った顎がコンプレックスなので、一生懸命に輪郭が隠れるように撮っていましたよ。しかも今日の私、昨日の気合いの入り方とは打って変わって、顔はノーメイク、髪は寝癖のついたままで来てます。鏡に映っている自分は人間というよりはもはや化け物です。グロ画像です。この姿で、写真を撮れと? 思わず、じゃあ今日は申請するのやめておきますと言いそうになったけど、このチャンスを逃すと当分の間、暇な平日がないので、出発に間に合いません。選択肢は1つしかないのです。

かくして私は、今後10年間も、グロ画像入りのパスポートを使い続けなければいけない羽目に陥ったのでした。誰を呪うべきですか。
 

4:45 2003/05/23【履歴書に写真が必要という事実】

先日、学部時代の友人から、「この社会不適応の引きこもりめ、どうせ金なくてまたガス代延滞してるんだろ!うちの会社でエキストラのバイトとして雇ってやるからありがたく思って写真を送れ!」と言われたので、「ははあ、社会人様、お仕事ありがたく頂戴させていただきます」と写真フォルダを探してみました。
 

桜の写真(風景写真のみ)。
梅の写真(風景写真のみ)。
麻雀に負けてちゆ衣装を着せられた時の写真。
旅行の写真(風景写真のみ)。
イルミネーションの写真(風景写真のみ)。
友達の家でチャイナ服着て記念撮影した写真。
雪の写真(風景写真のみ)。
都庁と新宿御苑の写真(風景写真のみ)。
女友達とストリップショーを冷やかしに行った時に踊り子さんと一緒に撮った写真。
旅行の写真(風景写真のみ)。
 

え、えーと。
私は自分の顔が大嫌いなので、よっぽどレアなことがない限り写真に写ろうとはしないのですが、レアなことがあった時に撮った写真というのは、当然あらゆる意味でレアな写真になってしまうわけで。いや可愛い娘ならいいけど不細工ヲタ女のちゆ衣装とかチャイナ服とかもはや精神的ブラクラです。ああ、こんなことなら普段からもう少し写真を撮っておくべきだったと後悔しつつも、一番マシそうなストリップショーの写真をトリミングして送ることにしました。

というかデジカメ持ってるんだから今ここで撮ればよかったという事実に気付いたのは、送信ボタンを押した後でした。
 

7:09 2003/05/21【虹色に輝きながら蠢くもの】

怠惰な私たちはなるべく多くの視覚から目を瞑り、耳をふさいで生きられる方法を選びがちである。そうやって退屈だけど安全なルーティーンが構築される。

向上心のある人ほど、この凝り固まった生活リズムから抜け出して、新しいものを得ようとするものだ。でも、ルーティーンから本当に遠ざかるなんて出来やしない。どんなに瑞々しくて変化に富んだ経験でも、掌の中に入った途端に乾いて小さな黒い塊となり、やがて消えてしまう。特に、その「新しいもの」が単に珍しくて刺激的なだけのものだった時は、ほんの一瞬でジュっと蒸発してなくなってしまう。
一見して特に珍しくなくても、感動したり考えさせられたりしたものだったら、もう少し長い間掌の中に留まっていてくれる。しかしそれだって、長くても数年で色あせてしまう。

それはきっと、遠くのほうで虹色に輝きながら蠢いているものを、何の変哲もない黒い塊に変えてしまう働きは、必ずしも唾棄すべきものではなく、私たちの存在の本質的な部分に関わっているからだ。この働きがなかったら、そもそも何かを知ることも、考えることも不可能になってしまうに違いない。

だとしたら最も警戒すべきなのは、単に珍妙で目新しいだけのものを漁ることで、ルーティーンから抜け出せたと錯覚してしまうことだと思う。それは単に無力さからの逃避であって、目を瞑り耳をふさいでいる人と何ら変わりない。まずは目を開けて、輝きを失った黒い塊をもう一度じっくり見てみよう。もしかしたら次にすべきことが見えてくるかもしれない。
 

3:03 2003/05/22【自称非モテ多すぎ】

なぜ我々はモテないのか、という問題をとあるネットの人と小一時間議論した結果、「ネットが楽しすぎるから、恋人を作ろうというモチベーションがなくなってしまうのだ」という結論に達した。確かに、オフ会とデートがダブルブッキングしたとしたら普通オフ会を取るよね! だってそっちのほうが楽しそうだもん。好きな人に「今晩泊まりに来ない?」と誘われたとしても、泊まってしまったらその日の更新と巡回が出来なくなるからという理由で断るよ。我が生活で最も重要な要素は一寸の迷いもなくインターネットなので、ネット生活さえ充実していれば彼氏なんていなくても全然淋しくない。ほんと、これっぽっちも興味ないね恋愛なんて。負け惜しみじゃないってば。
 

23:16 2003/05/19【幸福のインターネット】

教職課程を取っておけば良かったなあと後悔することがある。取ってたら学部を4年で卒業できなかったの確定なんだけどさ。どうやら私程度の能力では、大学で得た知識で人類の役に立つことはおろか、学会の役に立つことすらまともに出来そうもないから、せめて未知なる力を持った次代にその知識を伝える役割を担うという方法で貢献したかったな、と。

いやむしろ、人類だの世界だの青臭いことこの上ない発想を抱いてたってほうが問題か。1人の人間に世界を救うなんて大それた事が出来るわけがない。ただそのかわりに、身近にいる数人の友人の背負う荷物を軽くしてあげるぐらいなら出来る。侮るなかれ、ある人が1年につき他の1人を幸せに出来る(そして幸せにしてもらえた人は次の年から1年につき他の1人を幸せに出来る)と仮定すると、33年後には全人類が幸せになるって計算が成り立つんだから。もし自分の所でその流れを止めてしまったら、10年後には1024人の幸せになれるはずだった人たちがなり損ねるんだから。

幸福のマルチ商法。しかも、小学校の道徳で習った「幸福は分けると増えるものだ」という命題が真であるなら、普通のマルチ商法と違って下位層の人が損することもない。どうですかこの話、一口乗ってみませんか? 賛同者はまず私を幸せにすると良いと思うよ、ほらほら!
 

23:38 2003/05/18【夜行性のための病院】

近所に、日曜日以外は午後7時まで開いている病院があります。腕は特別良いというわけでもなく、何でもアリのいわゆる町のお医者さんという雰囲気なんですけど、日没前に外を出歩くことなど滅多にない夜行性の私にとっては、非常にありがたい病院なのです。

先日、持病の慢性蕁麻疹の薬が切れてしまったのですが、いつも行っている皮膚科専門の病院はとっくに閉まっている時間だったので、仕方なくその病院に行きました。着いたのは受付終了の5分前、午後6時55分。もう帰る準備を始めていた受付嬢に露骨に嫌な顔をされました。引きこもりですいません。駄目人間ですいません。昼過ぎに起きてシャワー浴びてネット巡回し終わるとどうしてもこの時間になっちゃうんです。

と思ったら、6時59分頃になって、立て続けに5人ぐらい駆け込み患者が入ってきました。なーんだ、この病院をかかりつけにしている人ってみんなそんな奴らだったんじゃん!(勝手に感じる仲間意識)
 

20:34 2003/05/17【共感】

もう少し世の中の流れについていけるようにならなくてはと、最近流行ってるっぽいCDを何枚か借りてきました。で、思ったのですが、最近の歌詞って、たとえば「悲しい、泣きたい、でも立ち直らなくちゃ」みたいな感情だけはあらゆる比喩を使って美しく描き上げているのに、「そもそも何が起こったから悲しくなったのか」に全く触れられていないことが多くないですか? 失恋したのか、夢を挫折したのか、それとも都会の生活の中でふと孤独を感じたのか、さっぱり分からないのです。

どんな聞き手だって理由はともあれ悲しい感情の一つや二つ抱えているわけですから、その原因のエピソードはぼかしたほうが共感を得られるのかもしれません。でもその場合の共感っていうのは、あくまで各自が勝手に自分のケースに当てはめて解釈してしまったが故の共感であって、詞の書き手が本当に言いたかった気持ちは全然伝わってないのです。お前らそれでいいんですか?

商業的には正しい態度なんだってことは認めます。しかし、毎日テレビや有線放送から垂れ流される流行歌に耳を慣らされてしまった私たちが、「伝える」なんてどうせその程度の行為だ、と思いこむようになってしまったら淋しいと思います。確かに共感なんて誤解ばっかりだけど、それにしてもここまで誤解ばっかりではないですよ。ちゃんと書けばあと数歩は先に進めるんですよ。
 

21:47 2003/05/16【ズレ】

書いた時点でそれは「本来書かれるはずだったもの」とは違う、いわばニセモノになってしまう、って言う人がいる。一方、書かれたものこそがホンモノであり、「本来書かれるはずだったもの」などは実在しない幻だ、という人もいる。

どちらがホンモノでどちらがニセモノなのか、というのは問題じゃない。片方から見たらもう片方がニセモノに見える、というだけで、みんな自分の好きなほうを、あるいは両方を勝手に崇めるなり奉るなりすればいい。確実に言えるのは、両者は一般的な意味で(言語ゲームとか出してきて反論するのはやめてね)一致しない、ということ。

言葉はいつも自分が言いたかったことを、そして同時に自分自身を貶める、だから書くの止めたい、と彼女は言った。確かに、何も歪めたくないのであれば何も書かなければいい。しかし、貶められることを知りつつ、にもかかわらず書かずにいられない思うことこそが尊いのではないだろうか。私は何か正確な知識が欲しかったのではなく、正確になんて表現できないけどそれでも伝えたいという気持ちに触れたかったのだと思う。誰かの意志で言わされているのではなく、自分の意志で話している限り、不本意にズレていようと意図的にズラしていようと、聴かせて欲しい。
 

20:41 2003/05/15【灯火】

闇が美しいのは、闇が私たちの不安を煽り惑わせるからではなく、その中ではどんな微かな灯でもくっきりと見えるからではないでしょうか。

そして、そんな闇の中で、何とかして火を熾そうとする試みを表現と呼ぶのだと思います。ただ、「暗くて怖い、誰か助けて」と叫んでいるだけの人を表現者とは呼びたくありません。自分から腰を上げ、手探りで燃えそうな大鋸屑を集め、火打ち石を打ってみて初めてクリエイティブな行為と言えるのです。

あなたの隣で私の石を打ってもいいですか。みんなで集まったほうが綺麗だと思うのです。生まれては消え、生まれては消えていく火花の一つ一つを愛しいと思います。一つたりとも見逃したくありません。やがて時が過ぎ大半の人に忘れられてしまっても、私は覚えていたいと思うのです。
 

3:53 2003/05/15【やっと30分以上続いた】

テキストプレイに参加しました。→これが私の生きる道
 

3:20 2003/05/14【投資】

水戸芸術館という施設があります。水戸市民から巻き上げた税金で、茨城の田舎に需要があるとは思えないようなマニアックな現代美術や現代演劇を次々と誘致してしまおうという(音楽部門だけは何故か王道でしたが)ある意味トンデモな施設です。興味のない人からは税金の無駄遣いだと批判されることも多いけれど、芸術振興という当初の目的から鑑みればまあ成功と言っても良いぐらいの成果を出しています。

成功の理由は、とにかくひたすら高校生に投資したという点が大きかったと思います。水戸芸術館では、高校生は多くの展覧会やワークショップにタダ同然で入れるのです。これが中学生や小学生だったら、投資した費用を回収するまでに時間がかかって仕方ないし、難解な現代芸術を楽しめるとは限らない年齢なので、無理矢理見せてもかえって嫌いになってしまいかねません。その点で高校生なら、ほんの2、3年待てばお金も行動力も持った成人になって戻ってきてくれるのだから効率的です。また人生の中で最も知識や感性を吸収する力の強い時期ですから、観せた作品を好きになってもらえる可能性も大きいわけです。

……と考えると、テキストサイト村の振興のためにも、高校生に投資するという方法は有効のような気がします。多くの管理人が大学生時代にサイトのピークを迎えるという現状から考えて、3年後のテキストサイトを担うのは、今の高校生です。自分よりうんと若い人の作ったサイトって、どうしても青臭さが鼻についてしまったり(もちろん、反対にこの人自分よりもオトナじゃん!と思うこともあるけど)若い頃の自分の姿とダブってこそばゆかったりして避けてしまいがちだったのですが、むしろ先人たちの素晴らしい遺産を伝えるべく積極的に関わってみるというのもアリなのかなあと思いました。高校生に限らず、ネットって初心者に対して厳しい態度をとる傾向があるけど、誰もが踏まれて育つ麦というわけではなく、踏まれたら枯れてしまう稲の中にもすごい潜在能力を持った人がいると思うんです。そういう人も投資を受けられるようなシステムが出来たら、長い目で見ると界隈の発展に繋がるんじゃないでしょうか。
 

5:49 2003/05/13【出会い系】

イシザワ原色日記(ヤフーパーソナルズに挑戦中)を読んで、出会い系サイトってどんなものなんだろうと思い、試しにヤフーパーソナルズを覗いてみました。適当に検索して出てきた数人分のプロフィールをざっと眺めてみたのですが……。

なぜこんなに眼鏡が少ない。

自分の周辺にいる男性の眼鏡率は常に50%を超えているのに、ヤフーパーソナルズでは1割にも満たないなんて。しかもその1割も、甘いマスクの男の子のオサレな写真ばかりなのです。おかしい。絶対におかしい。なぜヲタ眼鏡がいない。これではちっとも萌えられない。

私好みのヲタ眼鏡たちは、趣味が一番大切だから出会い系サイトなんて興味ないということなのでしょうか。だとしたら納得です。それでこそ私の眼鏡。でも、もしも彼らが「眼鏡はモテない」という誤った観念を抱いていて、登録するときに写真を非公開にしたり眼鏡を外したりしていたとしたら、なんて、なんて、哀しいことなのでしょう。

どうかその誤った先入観を捨てて下さい。現在ヤフーパーソナルズではヲタ眼鏡男性が圧倒的な供給不足により希少価値になっていると思われるので、むしろ今こそがチャンスですよ。恥ずかしがらずに眼鏡をかけた写真を晒せば貴男もモテモテです。さあ行け!(ただし不細工なヲタ女にしかモテないかもしれませんが。私とか。)
 

4:16 2003/05/12【ツッコミ】

・その1

「その服かわいいねー」
「ま、着ている人がかわいいからね」
「はあ、何言ってるのこいつ(笑)」
「ひどーい(笑)」
「あはははは」
「あはははは」

・その2

「その服かわいいねー」
「ま、着ている人がかわいいからね」
「本当にそうだよねー(他意のない笑顔)」
「えっ、いやそうじゃなくて」
「だからあたしなんかが着ても駄目なんだろうなー(伏し目がちに)」
「だからそうじゃなくて!」

・その3

「その服かわいいねー」
「ま、着ている人がかわいいからね」
「はあ、何言ってるのこいつ(真顔)」
「えっ?」
「……(このナルシストが!)」
「……(なんか冗談通じてない?!)」

適切なツッコミがあることを前提としたボケというのがいかにリスキーであるかを思い知り中れす。
 

4:18 2003/05/11【きっかけ】

差はどんどん広がり、隔たりはどんどん深くなるように出来ている。

勉強する人は、成績が上がって褒められて嬉しいし、理解する楽しさを分かってくるので、より勉強するようになる。そして勉強しない人は勉強で嫌な思いをすることが多くなるので勉強が嫌いになって、より勉強しなくなる。また、好きな人の言葉には真摯に耳を傾けるので、より誤解が少なくなり、ますます絆が深まるけれど、嫌いな人の言葉は話半分にしか聞かないので、誤解が多くなり、その誤解を正す機会もなく、どんどん心が離れていく。

ほんの少し、誰かがほんの少しの時間と労力を犠牲にすれば、その流れは変わる。無理矢理でも1週間勉強すれば、勉強が好きになる方向に転がっていくかもしれないし、強引にでも話し合う場所を作れば誤解が解けて仲良くなれるかもしれない。でも、誰もそれをしようとしない。故に、向こう岸は遠くなるばかり。気が付いたら手遅れになっているのだ。

だからと言って、私は諦めたくない。まだ手遅れでないうちは、流れを変えるための僅かな努力を怠らないようにしたい、と思ってしまう。好きになれるものを嫌いになってしまっている人を見ているのは哀しいから。きっかけは待つものではなく作るものだ。
 

16:24 2003/05/10【しりとり】

サイトとサイトを限りなく無意味に繋げるしりとり企画極東症候群から回ってきました。「う」ですか。今このサイトで「う」と言ったらタイムリーなアレしかないですよね。

「鬱なインターネットで僕と自爆」

次はNO-FUTUREのサカイさんです。◎→
 

0:24 2003/05/10【無条件肯定】

生きていていいんだよ、と言ってくれる人を捜すより、誰も言ってくれなくても生きていけるくらい強くなるほうが手っ取り早いしリスクも少ないのです。だから何事も、誰かに助けを求める前に自分独りで出来るように心がけよう、ってのが私の主張であります。一見暗い考え方に見えるかもしれないけれど、無条件肯定の精神を突き詰めていくとそのような結論に達するはずです。

おかげで最近は、男の子と一言も口をきかないまま1週間が過ぎてしまっても、脳内彼氏の研一さん(35歳学者)がズレ落ちた眼鏡を直している姿を思い浮かべるだけで幸福感で満たされるようになりました。ああ、満ち足りた気分。
 

18:23 2003/05/08【ミッキーマウスの憂鬱】

「ねえミッキー、ミッキーの中には人が入ってるの?」
「まさか。僕はいつだってこのままの僕だよ」
「寝るときも、お風呂に入るときも?」
「当たり前じゃないか」

「ねえミッキー、ミッキーはここで何をしてるの?」
「僕の役目は、このディズニーランドの中で、みんなと楽しく遊ぶことさ」
「ミッキーはここの職員なんでしょ」
「そうだよ」
「ってことは遊んでるだけで給料もらえるんだ、いいなー」
「……」
「私たちは高い入場料払ってやっと遊べるのに」
「……」
「ミッキーはお給料もらって遊んでるんだ。なんだか、虚しくなっちゃった。騙されたって感じ。私、もうディズニーランドに来るの、やめようかな」
「あのなあ、俺だって大変なんだぞ! 安月給でアホガキの相手もしてやらなきゃいけないし、真夏でもクソ暑い着ぐるみを脱げないし、今だって、汗で頭がびっしょりに……て、あっ」
「なんだ、やっぱり中に人がいたんじゃん!」

ディズニーランドは正しく遊びましょう。
 

★フォームレス。

>昭ちゃん
先週失恋しました。
……鬱だ氏のう。
……じゃなくてだ、失恋に効く薬知りませんか〜!(泣)

失恋に効く薬と言ったら、1つしかないでしょ。そう、「新しい恋」です。新しい恋をすれば、昔の痛みなんてどこかに飛んでいってしまうはずです。まあ、その新しい恋が破局したときに痛みがまた倍になって返ってくるんですけどね! そしたら更に新しい恋をすればいいだけの話だし! そしてまたやがて痛みが4倍になってこういうのを恋の自転車操業と言います。でも大丈夫。いざとなった時は自己破産(3次元の異性を追うのを止めて、2次元の異性と脳内で結婚して幸せな生活をおくる)という手もありますから。
 

0:09 2003/05/08【アンチ・ニヒリズム】

生まれたときからポジティブなエネルギーに溢れてるような聖人君子なんていやしない。みんな負のエネルギーをどうにかして回転軸をズラして、少しずつ正のエネルギーに変換して、時々押し戻されながらも前に進んでいるんだ。私が付いて行きたいと思う人は、自分だけじゃなく周りの人たちの自己顕示欲までもを労働意欲に、嫉妬を向上心に変換できるような人だ。それが出来る人がこの世界ではリーダーとして成功している。否定は肯定のための助走だし、死は生への燃料だ。nichtに万歳。アンチに乾杯。
 

1:36 2003/05/07【泣きたい理由は】

鬱だと思った時は、暖めるべきか、冷やすべきか、それが問題だ。

お腹が空きすぎて気持ち悪いのか、食べ過ぎて気持ち悪いのか、その区別を付けることは意外と難しい。殊に対象が目に見えない時、心が空きすぎている時と満ちすぎている時の不快感は、困ったことに一見してそっくりなのだ。

心の治療法は漢方薬に似ている。陰が足りなくなっている時は陰を、陽が足りなくなっている時は陽を補給しなければいけない。間違えると逆効果になってしまう。プラスなのかマイナスなのかをきちんと見極めることが大切だ。はてさて、私が必要としているのは、アウトプットすることなのか、インプットすることなのか。外に出て思いっきり運動することなのか、ぐっすり眠って休息をとることなのか。

診断結果:ifさんは陰陽とか言う以前に、勉強することではなく遊ぶことを欲しているから機嫌が悪いみたいです。

も う だ め ぽ 。 死 の う 。

(※五月病雑文祭参加日記)
 

23:05 2003/05/05【空っぽになる前に】

その頃の私は若かったから、常に飢え、渇いていた。そして、たまたまかつて1回だけ私を奇跡的な言葉で救ってくれた、とある歌手に狂っていた。

だけど奇跡は2度は起こらなかった。だからやがて私は、彼の言葉ではなく、彼の言葉の行間に救いを求めるようになった。試みは、始めの頃は上手くいった。強い願望と少しの想像力があれば、真っ白な行間から望むものを次々に取り出すことが出来る。そのためには、行間は広いほうが都合がいい。もっと、もっと広く。気が付けば私は、もはや意味などあるのかないのかも分からない散文の山に埋もれ、なお満たされないでいる餓鬼のようだった。そうしてある日、集めたCDの山に唾を吐きかけた。あなたは私を救ってはくれない、私を救ってくれないあなたなど必要ない、と。

本当に欲しかったのは、救いの言葉なんかじゃなかったのだ。ただ誰かが私に笑いかけてくれたなら、それで良かった。だから私は、今あなたに笑いかけよう。たとえあなたが私に唾を吐きかけても。
 

8:55 2003/05/05【約分できない】

0.01と100分の1とは全然違う。0.01と言ったら饅頭1個のうちのほんの1%、小豆1粒にも足りないくらいだけど、100分の1は饅頭100個のうちのまるまる1個って意味だ。
だから、もし100人いる友達のうちの1人を失ったとしたら、その時の悲しみは0.01なんかじゃない。少なくとも1だ。場合によっては100だったり1000だったり100000000だったりするのだ。そのくらい理解しやがれこの大馬鹿野郎。
 

10:13 2003/05/04【三連休】

岐阜県の人たちは、白装束の人たちを観光資源として活用するといいと思います。通行の邪魔にならなそうな山の中の土地をちょっと貸してあげて、そのかわりに、見学に行く観光客から入場料や記念撮影料をとればいいんです。スカラー波で村おこし。

上九一色村もガリバー王国なんてしょぼいテーマパーク作らないで、素直にオウム記念館作れば良かったのですよ。サティアン見学ツアーとか修行1時間体験コースとかあったら絶対に行ったのに。
 

23:50 2003/05/02【Be careful?】

「気を付けなさい」と親に言われるのが大嫌いだった。
一見安全そうに見えて、実はトラップがあるような道を歩くときに、そのトラップを教えてくれるならもちろん感謝する。でも、この言葉が発せられる時って、大抵は、誰が見ても明らかに危険そうな道を歩くときだ。私だって転ぶのは嫌だから、そういう道で気を付けないわけないじゃないか。当たり前すぎて戸惑ってしまう。

また親は、私が転ぶと勝ち誇ったような態度で「だから気を付けろって言ったのに」と笑う。何度も言うけど、気を付けてないわけないじゃないか。十分気を付けたけど、体力や靴の限界を超えてしまったのだ。限界を超えてしまう可能性を考慮しても行きたかったのだから仕方ないのだ。貴方の助言なんてあってもなくても結果は変わらなかった。

どうも日本では、必要以上に「気を付けて」「大丈夫?」を連呼することが礼儀とされているみたいだけど、これって場合によっては無礼なんじゃないかと思う。たとえば、覚悟を決めて戦場に向かうカメラマンに向かって「気を付けなさいよ」と言えるだろうか。そして、もしも彼が前線に近づきすぎて流れ弾に当たってしまったら、「だから気を付けろと言ったのに」と言えるだろうか。私なら絶対に言えない。気を付けなきゃいけないことは本人が1番分かっているだろうし、リスクを知りつつそれでもやりたいと思っているのだろうから。彼に対して「気を付ける義務」を課すことは、彼の夢を否定することにもなってしまう。

それは極端な例としても、「いってらっしゃい」の替わりみたいに「気を付けて」という言葉を多発するのはあまり感心できない。本当はもっと、重みのある言葉なのだということを知って欲しい。
 

23:48 2003/05/01【ミステリー】

世の中ってどうしてこんなに「市役所の窓口で酷い対応をされた」「警察に酷い目に遭った」という人がたくさんいるのだろう。私はそういう目に遭ったことが一度もない。これは、「web上で会った人に嫌な思いをさせられたことが未だない」のと同じくらいのミステリーだ。

単に私の運がいいだけとか鈍感なだけという説もある。でも、あまりにも嫌な思いをする確率が甚だしく多いと感じる場合は、まずは窓口係や警察に対する自分自身の態度が酷くないかを疑ってみることが必要だろう。窓口係のおじさんだって、不愛想に訊かれたら不愛想に答えたくなるだろうし、警察に呼び止められた時に変に反抗的な対応をしたら、何かうしろめたいことがあるんじゃないかと疑われるのも当然なわけで。

基本的には何事も、自分が為した態度がまた自分に跳ね返ってくるように出来ているのだと思う。己所不欲、勿施於人。
 

00:00 2003/05/01【メイストーム】

※五月病雑文祭開式の挨拶にかえて。

鬱だ鬱だと言っているうちに四月はあっというまに過ぎて、五月病雑文祭が始まってしまった。これから1ヶ月、地獄の日々が待っている。苦しみに甘んじていても何も良いことはないだろうし、さっさと死のう。
鬱だ。五月病掲示板でさっそく怒られた。死のう。
鬱だ、で始まって死のうで終わる日記を書いているひとは何人かいるのに、まだ誰も正式に参加してくれない。これは何ですか、参加表明しちゃって私と仲がいいと思われると嫌だなあとか、うちのサイトから貼られるリンクは無条件にネガティブリンクと認識されているとか、そんな感じの理由なんですか。申しわけないのでそろそろ死のう。
鬱だ。そういえば、私と関わった人は直後に何かトラブルを起こすことが非常に多い。類は友を呼んでいるのか、それとも私がトラブルメーカーなのか、どっちにしろ早く死のう。
鬱だ。上の文章が妙に生臭い。うちはマターリ系創作サイトじゃなかったのか。死のう。
鬱だ。仕事が終わらない。ゴールデンウイークまるつぶれ決定。まあもともと他の予定なんてないけどね。死のう。
鬱だ。というか五月病雑文祭の管理したりこんなどうしようもないテキスト書いたりしてるからこそ仕事が終わらない、そして出かけることもできない、というのが割と真理。死のう。
鬱だ。仕事を片づけるためにガストに行ったのはいいけど、創作する時にもよくガストに行くためなのか、思わず条件反射的に仕事じゃなくて創作をしてしまった。死のう。
鬱だ。というかガストで店員を呼ぶボタンが私の席だけ壊れていて何度押しても鳴らなかった。仕方ないので隣の席のボタンを押して鳴らしたのだけど、何度押しても私の所だけ店員が来ない。5回目ぐらいにやっと来てくれて、ドリンクバーを頼んだのだけど、今度は伝票が来ない。そろそろ帰ろうと思って伝票を下さいと言ったら、出てくるまでにまた5分も待たされた。明らかにドリンクバーだけで長時間ねばるウザい客だと思われてる。死のう。
鬱だ。「個性的だね」といわれたので「ありがとう」と言ったらきょとんとされた。貶し言葉だったらしいよ。死のう。
鬱だ。ネットラジオやりたいのに時間がない。いろんな人に「四月中にやるって言ってたじゃんうそつき」と言われる。死のう。
鬱だなあと思う一番の理由は時間が経つのの異様な早さなんだと思う。これが歳とったということなのか。死のう。
鬱だなあと思っているうちに、さっきまで夜だったのに朝になってるよ。お日様がさんさんと照り輝いているよ。ああ、もう、死のう。
鬱だから出かけないんじゃなくて日焼けしたくないから家に閉じこもっているんだ、と声に出して言ってみたらなんとなくそんな気がしてきた。だから今日もひきこもろうと思う。むしろ死のう。
鬱だ。昨日は大学は休みじゃなかったことに今気づいた。今年度は真面目に授業に出るつもりだったのに。死のう。
鬱だ。今度こそ絶対に大学に行こうと思っている時に限って雨が降る。雨の中濡れながら自転車をこぐのは嫌なので結局ネットをやっているうちに1日が終わってしまった。死のう。
鬱だけどそれなりに頑張ろうと思っていたのに、やっぱりこの講義は先週サボったから今週は出にくいなあと思ってまたサボってしまう。当然、来週はもっと出にくくなるわけで。いいやもう、来週になったら死のう。
鬱だっていうか、もっと切実にやばい。普通にやばい。差し迫っているプレゼンで何を発表すればいいのかさっぱり分からない。そもそもこのままだと参考資料を読む時間もない。いっそのこと死のう。
鬱だ。もう卒論と同じテーマでいいやと思ったんだけど、ここ1年間怠けていたせいで自分で書いた卒論の内容もはっきりと思い出せない。大学院生として存在意義の根本を問われているような気がする。むしろ問われている。死のう。
鬱だ。入学して1年たつというのに、どの建物が何号館なのかさっぱり覚えてない。唯一場所が分かるのがカウンセリングセンターだけだ。払った学費を講義ではなくカウンセリングでばかり還元してもらっている。まさに役立たずな社会のゴミだ。これ以上生きているとみんなに迷惑がかかるから死のう。
鬱だ。実は未だに哲学科の同学年の人のフルネームが言えない。4人しかいないのに。死のう。
鬱だ。というか新しく入った1年生が何人いるのかも知らなければ名前なんかも当然知らない。死のう。
鬱だ。実家から茨城の山菜とか米とか送られてきた。お礼の電話をしたら「ゴールデンウイークに帰省できないくらい勉強頑張ってるみたいだからご褒美だよー」と言われた。頑張ってないのに。死のう。
鬱だ。仕送り前に体重が1キロ減ったのに、さっき測ったらリバウンドして1.5キロ増えていた。このままの体型では夏の薄着に耐えられない。死のう。
鬱だ。ニキビが増えた。死のう。
鬱だ。枝毛も増えた。色気を出して似合わないカラーなんてしたからいけなかったんだ。死のう。
鬱だ。腹の贅肉が指で簡単につまめる。もう一度ダイエットに失敗したら今度こそ死のう。
鬱だ。二の腕の贅肉も指で簡単につまめる。死のう。
鬱だ。便秘だ。死のう。
鬱だ。モテない。死のう。
鬱だという気持ちを誤魔化すためにO美術館に行ったら、企画最終日のせいで通常より閉館時間が早くなっていて、タッチの差で見られなかった。死のう。
鬱だという気持ちを誤魔化すために歌を口ずさみながら夜道を歩いていたら、実はすぐ後ろに人がいた。恥ずかしい。死のう。
鬱だからできない、と言っているけど、本当は実力がないから出来ないのだ。世間へのせめてものおわびに死のう。
鬱だ。面白い文章が書けない。死のう。
鬱だろうと多忙だろうと閉鎖しませんと宣言してしまったような気がするので閉鎖したくても閉鎖できない。ただ一つ、責められずに閉鎖する方法と言ったらあれだ。死のう。
鬱だ。スカラー波に洗脳されそうだ。死のう。
鬱だ。昼は暑くて出かけたくないし夜は寒くて出かけたくない。死のう。
鬱だ。そろそろ美容院に行かなきゃと思うのだけど、美容師さんに馬鹿にされそうで行く勇気がない。そして迷っているうちにどんどん髪型はヤバくなって余計に行きづらくなっている。死のう。
鬱だ。メッセでオンラインになっている人が極端に少ない。みんなゴールデンウイークを堪能しているのか、私が禁止登録されているかどっちかだ。どっちにしても死のう。
鬱だ。新着メールはありません。死のう。
鬱だ。生きていても何もいいことがないから死のう。
鬱だ、という言葉で検索したらうちが一番上に表示されるようになるのが夢です。叶ったら死のう。
鬱だ。これじゃまるっきりテキストプレイだ。あとで読みかえしたら絶対に死にたくなるに違いない。そしたら素直に死のう。
鬱だ。今私が五月病のために鬱になっているのは事実なので、実はこの時点で全ての縛りを満たしていることになる。死のう。
鬱だ。死のう。
 


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