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23:06 2003/04/29【オンリーワン】

競って負けたとしたら、それなりに悔しいと思うんだろうけど、競ってもない分野や相手に関して悔しいとかねたましいとか言う気持ちはよく分からない。たとえば、ちょうど自分が書きたかったようなお話を自分よりも上手く書いてベストセラーになった人がいたとしたら、ものすごく悔しいと思う。私にもそれだけの才能ときっかけがあったなら、と嘆くだろう。でも、全然違うジャンルでベストセラーが出ても、ただ、へー凄いなーって思うだけだ。だって、それは私の書きたいものではない。だから仮に、未来から来た人に「こういうの書いて発表すれば人気出るよ」と教えてもらったとしても、書かないと思う(いや、お金に困ってたら生活のために書くかもしれないが、それはまた別問題である)。自らの意志で選んだ運命なんだから、腹なんて立ちようがない。

他人によく嫉妬する人は、自分のやりたいことをやってないんじゃないだろうか。自分のより上手い他人の作品は砂の数ほどあるけど、本当は自分が書きたかったことが書かれてしまっている他人の作品は、ごく希である。

と、かっこよく結論をまとめようと思ったら、これってまるっきり「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」のことじゃんと気づいた。あからさまに先を越されていた。思わずSMAPに嫉妬。この嫉妬は嫉妬としては一応正しい。
 

14:59 2003/04/29【西陽の当たる部屋】

ゴールデンウイークの予定は仕事と研究しか入ってないわけですが、これって学生としては非常に正しい態度だと思うのです。だってさ、今ってどこに行っても混んでるし、場所によっては普段よりも高めの値段設定になってるじゃないですか。そんな時に好きこのんで出かけようとは思いません。家に閉じこもっているべき。そして、浮いたお金で学期中の平日に授業をサボって1人旅に行く。これ最強。空いてるし安いし、大学の単位がちょっと気になるけど良いことだらけです。というわけでゴールデンウイークは自分の意志で何もしません。誘われてないからじゃありません。
 

4:51 2003/04/29【リスクヘッジ】

「作品度」という言葉を新しく作ることにした。たとえば、絵と写真だったら絵のほうが作品度が高い。なぜならシャッターを押すのは一瞬だけど絵を描くのは長い時間がかかるからだ。手間暇かけているぶん、より「俺は作品なんだぞ!」って感じがする。また、散文詩よりも定型詩のほうが作品度が高い。韻を踏んだり字数を合わせたり大変そうだからだ。

作品度が低いからといって、価値が低いというわけではない。絵も写真も、同じ立派な芸術だ。だったらなぜ、絵を描く人がいなくならないのだろうか。定型詩は絶滅しないのだろうか。同じ価値の結果が出るのなら短時間で出来たほうがお得じゃないか。

理由はいろいろあるのだろうけど、その一つは、作品度の高い分野のほうがギャンブル性が低い、てことだと思う。傑作になるか駄作になるかが運やタイミングよって決まってしまわず、実力や努力が反映されやすい。だから、いろんな意味で堅実な人が選びたくなる表現方法ってことになる。

反対に、作品度の低い分野に没頭しているややギャンブラーな人たちは、手間暇のかわりにリスクヘッジとして「思想」を用意する傾向がある。「芸術とは何か」という思想は、こうやって境界らへんから必然的に生まれてくる。私自身は臆病で何でも三十一文字にまとめようとしてしまうぐらいの非ギャンブラーなのだけれど、気が付くと彼らの思想に惹かれ魅入ってしまうのは、その切実さ故なのだろう。
 

14:59 2003/04/27【同じ意味で】

過度のお世辞も同じぐらい相手を疲れさせるかもしれない。適度なおせじだったら「ありがとうございますー」「あはは、それほどでもないですよー」って答えていればいいけど、あまりに実状とかけ離れたことを言われたらわざわざ否定の言葉を考えなくてはいけないから。
 

14:38 2003/04/27【フォロー】

謙遜しすぎてウザい、という言葉の意味がやっと分かってきた。謙遜いいことじゃないか何がいけないんだってずっと思っていたけど、いや一応いいことなんだろうけど、確かに度を過ぎている人と話していて疲れる。なぜなら、「ふつつか者ですが精進したいです」程度の謙遜ならば聞き手は適当に相づちを打っていればいいけど、「私なんて何一つとりえがなくって生きていても有害なだけだし」なんて言われちゃったら、聞き手はその良心にしたがって否定しなければならなくなるからだ。「そんなことないですよー。○○さんだって、□□な良いところがあるじゃないですかー」と。これは面倒くさい。少なくとも、適当に相づちを打っているより10倍以上は精神力を消耗する。錆びついた思考回路をせいいっぱい回転させないと、すぐには気の利いたフォローの言葉が出てこない。

成程、鬱全開モードの時の私は、お人好しな聞き手に余計な労力を使わせていたのか。そりゃウザいわ。お前要するに「そんなことないよー」ってみんなに構って欲しいだけなんじゃないの思われていたに違いない。相手のことを考えるなら、へりくだるのも程々に、というお話でした。
 

22:43 2003/04/26【今日のひとこと】

若いうちしか出来ないことを若いうちに全部やるのは不可能だという衝撃の事実。
 

18:20 2003/04/25【見えない自由が欲しくて】

力のある人は、自分は力がある故に不自由なんだと思っているだろうし、力のない人は、自分は力がない故に不自由なんだと思っているんだろうな。
 

0:07 2003/04/25【慣用句】

お話を書くときに、心がけていることがある。それは、たとえば恋愛小説なら、主人公の行動に関わっているときには「告白」「幼なじみ」「美人」「可愛い」というような類の慣用句を使わない、ということだ(あくまで心がけているだけなので、しばしば便利さに負けて使ってしまうのだけど)。

なぜかというと、これらの言葉は既に記号化されているため、たった一語で微妙なニュアンスや奥に潜むストーリーを全て伝えられたような「つもり」になってしまうからだ。実際は数え切れないパターンがあるはずの現象を、一つのステレオタイプなイメージに縛り付けることで、書き手と読み手両方を、何も知ったことにならないのに全てを知ったような気にさせてしまう。このような慣用句は、想像力にとって有害だと思っている。

「彼女は美人だった」という文章を書いただけで満足して思考停止してはいけない。美人という言葉をもって何が表現したかったのか、もう一度考えてみる。たとえば、色白の肌、彫りの深い目鼻、引き締まった顎のラインを想像する。この時点でやっと、生きた言葉になる。

そういえば以前、とある劇団のワークショップに参加した時に、「老婆の演技をしろ」と言われたことがあった。その場にいた30人は、全員がよろよろ歩く腰の曲がった老婆になったのだが、演出家は激怒した。「お前らは何も見てない、何も考えてない。そうだろう? 背中を伸ばして颯爽と歩く老婆がいる可能性なんて1ミリ秒も考えなかったんだろう?」と。

今なら、その演出家が言いたかった意味が分かるような気がする。
 

23:24 2003/04/23【Hot Spice】

やることが溜まってるので今日はフォームレスのみ。

うららたん

お元気ですか。私は非モテ街道をまっしぐらですよ。
さて。
大人になるって少し悲しいことなのかもしれません。私が恋をしても誰かと知り合っても、他人と完全に分かり合うということは不可能だと思ってしまうというのは、幼い頃には想像もつかなかったことなのです。誰かを知りたいと思ったら完全に、完璧に知れると思っていた。その可能性を私はもうあきらめつつあるのです。結局他人だから、とどこかであきらめるのは誰にでもあることなのでしょうか。必要なことでしょうか。私は少しは必要で、あまり過剰にそんな意識があってはあまりよくないような気がします。
なんだか暗くなりました。すみません。

わわ、なんか本当に暗いぞ。大丈夫か。
さて。
完全に知るなんて普通に無理!
というか、私がもし誰かと完全に分かり合えたとしたら、もうその人と積極的に遊ぼうとは思わない。だって、つまんないじゃん。それ以上新しい刺激をもらえないし、与えることもできないなんて。実際は、100%に近づいてく漸近線にはなれても絶対に到達しないからこそ、一緒にいて楽しいんだと思う。到達することではなくて、到達しようとする過程こそが醍醐味っつーか。

何のために言葉がある? 個と個が永遠に分かり合えない存在だからこそ、共存のために言葉を発し続けなくてはいけないんじゃない? でも言葉と言葉の触れあいって気持ちいいよね。肌と肌の触れあいと同じくらい、もしくはそれ以上に。私は、理解不能な他人がうじゃうじゃいるこの世界に生まれてきたことを感謝したい。おかげで毎日が滅茶苦茶楽しい。
 

21:47 2003/04/22【それはちょっと】

親からフォームメールが届き、掲示板で同窓生が集い、大学の研究室で日記の誤字脱字を指摘されるサイト管理人のifですこんにちは。サイトバレ閉鎖って何ですか。一応フォームレスしてみると、ゴールデンウィークは帰りません>親。
 

19:29 2003/04/22【Can you hear me?】

感情を表現するには、母音よりも子音のほうが適している。特に無声音が持つインパクトは強力で、吐き出すような発音、柔らかくつつむような発音、ありとあらゆる心の動きが詰まっている。一般的に無声音の多い声、つまりハスキーボイスが魅力的だとされるのは、そこに含まれる話し手の情報が少し多い(ように感じられる)からなのではないだろうか。

詩歌では母音で韻を踏むことが普通だが、個人的にはむしろ同じ子音を重ねて響きを出している作品が好きだ。自分の中で短歌のイデアだと思っているのは、小野小町の「思いつつ寝ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを」という歌なんだけど、その内容の王道さに加えて下の句のS音の連続が美しいと思う。日本語とはこれほどまで舌触りの良い言葉だったのか、と感動したのを覚えている。

書くことに困ったら、まず声に出してみよう。舌の上に乗せてみて初めて価値が分かる表現もある。音声から受けたインスピレーションを櫂にして進んで行くと、普段とは違う景色が見えるかもしれない。
 

23:48 2003/04/21【キャラ立ち】

ご存じの通り、私は学部とは違う大学の院に進んだわけですが、周りの人たちは当然、学部時代から同じようなゼミを取っていて互いに見知っているわけです。そこには既に私抜きのコミュニティが出来ていて、このコミュニティ内でのキャラや立ち位置がなんとなく決まっています(真面目な○○さん、甘えキャラの○○さん、やる気ないキャラの○○さん、等)。んで、その中に突然入り込んできたストレンジャーな私は、やはり始めの頃は自分の居場所をなかなか確立できずに悩みました。「この人はこういう人」みたいな前提を共有できてないと、会話もなかなか弾まずに空回りしてしまって、気まずい思いをしてしまうんですよね。

入学(入院)から1年。最近になってやっと、念願の「キャラ立ち」を達成できた気がします。

「滅多に現れないレアキャラ」として。
 

3:46 2003/04/21【はてなダイアリーについて考えてみた】

★長所

・ftpの手間が省けるし携帯からも更新できるため、メモページとしては便利。
・日常日記を書いている人は、キーワード機能やおとなり日記機能で興味の対象が似ている日記を見つけることが出来るので、好きなサイトが増えたり友達が増えたりするかもしれない。コメント機能やリンク元表示機能などのおかげでコミュニケーションが取りやすい。

★短所

・フィクション日記では、キーワード機能やおとなり日記機能によるメリットは少ない。むしろはてなダイアリー全体の検索精度を下げることにもなる。
(例外は短歌日記などのはてなダイアリークラブ。上手く使えば同じジャンルの創作活動をしている人たちが繋がって切磋琢磨しあえると思う)
・充実した小見出し関連の機能は、長文をたまに更新するより短文を頻繁に更新するのに適したスタイルである。よってみんながはてなダイアリーを使い始めたら、長文日記・フィクション日記の割合が減るかもしれない。杞憂に見えるかもしれないが、昔から自作日記ツールで更新して、自作アンテナで他サイトの更新を取得していたようなコミュニティに長文書きが少ないことを考えると、今は住み分けていても数年後には思考がツールに規定されてしまうこともあり得る。

まとめると、フィクション日記や長文日記を書くのが好きな人がはてなダイアリーを導入する時は、自覚的にならないと目的が手段に食われる可能性があるから気を付けてね、というところだろうか。以前、はてなアンテナブームについて書いた時も、似たような結論が出たような気がする。更新頻度を煽りがちなはてなアンテナは、はてなダイアリータイプのコミュニティにとって一番メリットが大きいのだ。
 

17:50 2003/04/20【BackGround Voice】

「大変お騒がせしています」って本当に騒がしいよ。いいから黙れ。うちはバス通りと面しているので朝から選挙カーがひっきりなしに通っていて血管が切れそう。

元来私は、人の声は嫌いではない。むしろ好きだ。試験勉強をするときは、静かな図書館よりも、ざわついたマックのほうがはかどるぐらい。隣の席の女子高生の話し声などは、別に集中力の妨げにはならない。でも、候補者名を連呼するウグイス嬢の声だけは駄目だった。多分、「人の声」に聞こえないからだと思う。それは、駅前演説と違って俺の政策を聞いてくれという情熱も伴わず、「たけや〜さおだけ〜」と違い買って欲しいという意志も感じさせない、「機械の声」だ。人間が機械の声で喋っているという事実にこの上もない苛立ちを覚える。
 

21:17 2003/04/18【神出鬼没】

大学食堂で、知り合いの教授から声をかけられた。

「うわ、ifさんだ」
「?」
「いや、どうも最近ifさんが大学にいることがあるらしいという噂があって」
「……」
「ちらほら目撃情報があったんだけど」
「……」
「本当にifさんだ」
「……」

私は座敷童子か何かか。
 

23:26 2003/04/17【南風に酔う】

我が家のベランダには30センチ四方の家庭菜園がある。引っ越して最初の頃は色気を出してハーブなどを植えていたのだけど、すぐに水をやり忘れてしまう私には向いてないことが判明して、結局ダイコン系の育ちやすそうな野菜(小松菜と、もう1つはつまみ菜か何か)を植えてある。

先月芽を出したものの、しばらくは寒さのためか二葉のまま成長せず、地面に張り付くようにして春を待っていた。それが最近あたたかくなったら、あっという間に本葉を出してみるみるうちに大きくなった。あまりに嬉しそうに葉を伸ばしているので、収穫して食べてしまうには忍びなくてそのまま様子を見ていたら、ついに今日、花を咲かせた。菜の花に似た、黄色くて可愛い花だった。

そういや小松菜の花なんて見るのは初めてだ。どこにでも売っている平凡な野菜なのに。春は、何かと得した気分になることが多い。
 

 

12:47 2003/04/17【完走】

禁肉マラソン無事終了しました。
 

21:05 2003/04/16【かっこいい女であれ、と言われても】

だいたい「かっこいい」って意味分からない。「正しい」とか「有能」とかだったら、まだ何となく共通の基準があるような気がするけど、かっこいいって何だ。常識に逆らって社会に反抗してればかっこいいのだろうか。それだったら犯罪者や引きこもらーはなぜかっこよくないんだろう。それとも社会に適応して認められていればかっこいいのだろうか。これも日々歯車となって働く社畜とどう区別をつければいいのか分からない。

どちらかと言えば、社会に適応するよりも社会に反抗するほうが簡単かもしれない。ちゃんと反抗するのはものすごく難しいだろうけど、一見反抗しているように装うのは1分で出来る。1分で出来たインスタントかっこいい人が世に溢れてる。

難しい方法と簡単な方法があった場合、大抵は難しいほうが「ホンモノ」、簡単なほうが「ニセモノ」だ。仕方ない、私は社会適応を目指さなきゃいけないらしい。明日から学校行くかー。
 

2:26 2003/04/16【言葉フェチ】

文は人なり、てのは本当だと思う。

私は、ある人がどういう人なのか知りたいと思ったときは、まず最初に文章を読む。そこにどんな語彙が選ばれているのか、どんな思考ルーチンが働いているのか、読者との距離をどのくらい置いているのか、そういう要素で判断する。だから、リアルで単に飲んでいるより、雑文祭などの文章を読んでいる時のほうが「いろんな人と出会っている感」を感じるくらいだ。

真摯な姿勢で言葉に向かっている人が好きだ。文章力のある人、という意味ではない。言葉に喋らされるのではなく言葉を喋っている人。その人自身の意志で選び取られた言葉ほど美しい言葉はない。そうでない文章は、実験文学などいくつかの例外を除けば、3行と読み続けることが出来ない。
言葉は使う人と結びついて初めて意味があるのだ、というテーゼに反感を覚えたくなる気持ちも分かる。でも私はあえて、その運命的なロマンチックさに溺れてみたい。
 

0:30 2003/04/14【興味が生まれる時】

テキストサイト的行動規範「迷った時はネタになるほうを選択する」に照らし合わせた結果、都知事選に行こうという結論が導き出されました。世の中を限りなくダメにする方向にしか働かないと思っていたこの行動規範だったのですが、まさかこんな風にプラスに働く可能性があったとは。

実はこれ、私にとって初選挙だったのですよ。去年までは住民票が実家にあったので、不在者投票の手間をかけてまで今住んでいるわけでもなくこれから住む予定があるわけでもない地方の政治に関わろうとは思わなかったのです。でも今回は自分の生活に直接関係があることですから、きちんと慎重に考えなくてはなりません。というわけで、公報なんて面倒だから読まずになんとなくイメージっていうか雰囲気? みたいな? 適当な決め方をして、投票所に向かったのでした。

ところが、いざ鉛筆を握った瞬間、ものすごく緊張してしまったのです。もしもこの一票のせいで結果が決まってしまって、当選した人がとんでもない政策を始めてしまったらどうしよう、と。ああ、公報ちゃんと読んでおけば良かった。もっとじっくり考えて決めるべきだったと激しく後悔。

前から私は「研究好きの人が研究するのではなく、研究をしているうちに研究好きになるのだ」みたいな主張をしていたのですが、これって何にでも当てはまるんですね。すなわち、「政治に興味のある人が選挙に行くわけではなく、選挙に行くから政治に興味が出てくるのだ」と。
 

6:19 2003/04/13【命綱】

樹海に入るときにはロープを持って、ね。

そして、吉と出るか狂と出るか分からないような場所に足を踏み込むときは、マズイと思ったらすぐに引き返せるような口実を用意して。ロープの長さの分までしか入り込めないけどそれでも構わない。独りで迷う心細さだけはもう嫌だから。
 

4:37 2003/04/12【流れを止めないで】

私はずっと求めて、そして享受するだけだった。

小学生から高校生にかけては、毎日平均1冊分の本から言葉をもらっていた。大学に入ってからは読書頻度はかなり落ちたけど、そのかわりに毎日数十のwebサイトから言葉をもらっていた。そうやって新しい知識を得たり、ワクワクした気分になったり、悲しい気持ちを慰められたり、自分の中の問いを掘り起こしてもらったりしていた。言葉は無尽蔵にあって、欲しいと思えばいつでも手に入るような錯覚を覚えていた。そしてお腹の空いた雛鳥のように、ただひたすら美味しい言葉を紡いでくれる人を待っていたのだ。

そろそろこの、膨大な借りを返せるようになりたいと思う。能力とかは置いておいても、少なくとも年齢的には立派なババアなのだから。いつまでも口を開けた雛鳥でいるわけにはいかない。私が今まで受けた感動の千分の一でもいいから、誰かに返したい。今はまだ無理でも、数年のうちには、何人かの人を元気づけるようなテキストが書けるようになりたい。

テキストサイト村に何かが欠けているとしたら、この「借りを返す」という発想なんじゃないか、と思ったり。
 

17:35 2003/04/11【春が来るたびに】

泣いてもいいですか。
そう自問した結果、「泣いたって何の解決にもならないからやめておけ」という答えが出てきました。もっともです。

じゃあ、かわりに、大きな声で叫んでもいいですか。
私は閉鎖しません、と。
もしも、このサイトの更新を良い意味で楽しみにしてくれている、奇特な方がいらっしゃるなら。どうか安心してください。
「あなたが私に飽きずにいるうちは、私はここに居ます」

なぜならそれは、本当は私自身が聞きたかった言葉なのです。
 

23:28 2003/04/10【聞いてもらうための態度】

相手を説得するためには、なるべく相手に理解できる言葉で、つまり相手が立っている論理体系の上まで行って話しかけたほうがいい。それは常識だ。理解できない奴が悪いとばかりに自分の言語のみで話し続けるのは、アメリカ人を説得するのに日本語でまくしたててるようなものだ。説得されてくれるわけがない。煩そうにスルーされるのがオチだろう。どこの馬の骨とも知れないたった一人の意見を理解するために、わざわざ日本語を勉強しようと思ってくれるお人好しなんているわけがない。相手には、そもそも他人の意見を聞く義務などないし、聞きたいとも思ってないのだから。どうしても聞いて欲しければ英語で話せ。でなければ黙れ。通じない言葉はどれだけ声を大きくしても通じない。迷惑なだけだ。

まあ、さすがに彼方から受信した宇宙語喋ってる人を説得するために宇宙語を学べとは言わない。そういう場合はさっさと説得を諦めて逃げるが吉。
 

23:46 2003/04/09【Ich denke das】

存在というのは一つの点のことではなくて、その点から出てる、またはその点へ入っていく矢印のことだと思っている。

「私は」「私は」と言う人は嫌われるらしい。でも自分としては、あまりにも非常識な範囲でなければ別に不快とは思わない。むしろ歓迎すらする。人混みの中でボーっとしている時に、「私は」という言葉が聞こえてくるとドキッとするのだ。「私たちは」なんて曖昧な言葉じゃ駄目だ。

自分の外側に主体となる自我がある、他者がいる、という事実。その事実が明らかになった瞬間に、自分と他者の間に矢印が結ばれる。そして、自分の存在が明らかになったような気持ちの良さを感じる。だから堂々と言って欲しい。「私はこう思う」と。
 

0:05 2003/04/09【もう一人の自分】

自分と似ているところがあって、しかも明らかに自分よりヤバい人から目をそらしたくなるのは言うまでもない。そういう人は大抵、自分が、社会に適応するためにがんばって隠している汚い部分を恥ずかしげもなく晒している人だからだ。

しかし、別にどっちが正しいとかヤバいとかいうわけではなく、ただ自分と似ていながらちょっと違う人というのでも、見たくないと思ってしまうことがある。これは何故だろうか。

多分、それが「もう一人の自分」だからなのだと思う。今まで非常に迷う選択を強いられた時に、私とは反対の方向を選んだ人。ほんの少し運命の糸車がズレていたら自分がそうなっていたかもしれない人。その選択が可逆的なものならいいけど、普通はもう戻れない。自分の選んだ方向が正しかったと信じていたいので、「あの時逆を選んだ自分」が成功するところから目をそらそうとする。

ほら、就職して上手くいってる昔の哲学仲間に会うとどうしようもない気分になるみたいに。
 

23:43 2003/04/08【本音なんだけど】

「中の人」の間違った使い方。

if 「その眼鏡、いいねー」
眼鏡男 「まあ、着けてる人がいい男だからね」
if 「中の人などいない!」
 

23:22 2003/04/07【ブラックボックス】

偏った情報しかないのに判断なんてできねえよ。と言い捨てて逃げたいのはやまやまだけど、世の中は偏った情報しかないことのほうが普通なのでやっぱりどうにかして判断しなきゃいけないらしい。

まずは態度や表情みたいに内容に直接関係のない情報を取り除く。次に信憑性のあるソースを明示しているかどうか調べる。ここまではさして難しくはない。更に、発言内での(または過去の発言との)矛盾がないかどうかを調べる。同時に既に確実であると判明している別の情報との矛盾も探す。ここらへんでだいたいわけわかんなくなる。だいたい本当の本当に信頼できるソースなんてものすごく少ないのだ。それ以外を全て切り捨てようとしてしまうと、何に対しても疑心暗鬼になっているだけ進歩のないニヒリストになってしまう。

論理的な意味での主観が避けられないのは当然として、もっと一般的な意味でも主観が全然避けられないだなんて。ブラックボックスにつまづいて転ばないようにするは、不可能だ。そんな危険な場所を歩くのは、誰だって怖い。「信仰を持てる人は幸せ」という命題の意味がやっと実感として理解できた気がする。
 

2:07 2003/04/07【ひとり】

一人になるのがつらいのは、好きだと思う空間に居る時です。たとえば大学なんて単位のために行っているようなもので居場所なんて欲しいとも思ってないので、一人で昼食を食べるのも全然嫌じゃありません。むしろ群れて食ってる奴らを見ると心の中で「お前ら飯も一人で食えないのかよ」と悪態をついていたりもします。

また、既にコミットしてしまった空間で一人でいるのも何も感じません。サークルの部室でみんなが雑談しているのに一人でレポート書いてるなんてシチュエーションがそうです。自分の都合のために自分の意志で一人でいるのだから、淋しくなんてありません。

問題はまだコミットしてないけど将来的にコミットしたいと思っている空間です。そこでは何としてでも一人になるのは避けなくてはなりません。「みんなと気があって協調性のある私」を演出しなければいけないのですから。もしも一人になってしまったら、それはウザがられたからじゃなくて自分の意志なんだと言うことをアピールする必要があります。たとえば、おもむろに携帯を取りだして、「仕事のメールが届いているかもしれないんだよねー」って顔でメールチェック。これ最強。

オフ会とかで私が1時間毎ぐらいに携帯でアンテナチェックをしているのは、そういう強迫観念故です。決してテキストサイトジャンキーだからじゃありません。どっちもどっちって言うのは却下。
 

★フォームレス。

とーやさん
>今日(4/6)の話は、要するに、人間万事饅頭怖いってことですね。

その通りです。私が何行も使って説明したのをたった8文字で見事にまとめられてしまったよ。ああ、お金怖い。眼鏡怖い。
 

0:27 2003/04/06【駄目と言われると】

普段私が暇で暇で死にそうな時は誰も構ってくれないのに取り込み中表示している時に限っていろんな人に話しかけられたり電話かかってきたりする。何だよそれ。嫌がらせか。話しかけるなと言われると話したくなるものなんだろうか。ほら、電車内で「携帯電話の使用はご遠慮下さい」と言われると無性にメールチェックしたくなるみたいに。

つまり、今後淋しくて誰かに話しかけて欲しいと思ったときは、「超いそがしーんだから私に構わないでよ」って意志表示してみればいいのかもしれない。人間関係、押しだけじゃ駄目。やっぱ引きも大切だよね。よし。

あーいそがしーなー。メールとか書き込みとか全然欲しくないなー。
 

21:36 2003/04/05【警戒】

★連歌やってくれるって人が何人かいらしたのでやってみようと思います。あとで改めて告知します。

★天の邪鬼だからってのもあるんだろうけど、楽しい時、物事が一見良い方向に進んでいるように見えるときほど警戒してしまう。いやむしろ警戒するべきだと思う。世の中そんなに甘くない。絶対にどこかに落とし穴があるはずだ。むしろ有頂天になっているときは、普通だったら簡単に気づけるような落とし穴すら見落としてしまいがちだから、非常にリスクが高い。

反対に、鬱の時はマズいことが起きたり起こしたりしないかどうかに非常に敏感になってるので、それほどヤバい事態に陥ることは少ないような気がする。だから私がいま鬱なのは、私にとっては良いことに違いないのである。
 

22:02 2003/04/03【物語る】

★短歌の理想型は相聞歌だと思う。家族や友達への思いを込めた歌でもよし。季節の情景とか自然の美しさを詠むなら、短歌よりも俳句のほうが適している。自然に修飾は要らない。解釈したり加工したりして余計な物語をくっつけなくても、ただそのものを提示すればいい。一方人間は、誰かによって解釈され、物語の中に位置づけることでより人間らしさが際だってくる。だから物語を語れるだけの文字数が必要になる。

人間が好きな人、人間を語るのが好きな人は、物語性といういわばもう一つの論理を信じられる人だと思う。学問をする時はまず最初に取り除かなければいけない論理が、ある種の芸術では必要不可欠になる。各々の論理を守るためにこそ、一つに固執しないで使い分けられるようになりたい。
 

★業務連絡。

ネットラジオで連歌をやろうという企画を思いついたのですが、問題は参加者がいるかどうかです。時間の都合さえ合えば参加してもいいという奇特な人がいらっしゃいましたら、無記名でいいので下のフォームから送ってください。私が上の句を詠んで、音楽をかけている間に皆さんは下の句を考えて専用スレに書き込んで、また私が上の句をつけて……、と3往復ぐらいやってみたいです。無理かなあ。
 

14:55 2003/04/03【融合】

テキストサイトの何が面白いかって、パソコンいじるのが好きでその一環としてhtmlも勉強してみたって理系の人と、パソコンとか全然分からないけど自分の文章をいっぱいの人に読んで欲しくて頑張ってhtml覚えた文化系の人が、当たり前のように同居してリンク貼りあって同じイベントに参加してるってことだと思う。なんて学際的な空間なのだろう!
すると今後更に融合すべき分野は自ずと見えてくる。運動系である。今まで、理系の運動好きや物書き志望の運動好きは居ても、純粋な運動好きはあまり居なかったはず。でも私は運動音痴なのでこのままでいいや。続きは誰か考えて。
 

★フォームレス。

>海月さん
>何も考えずに人が死ぬのを反対してはいけませんか?
>いや、まあフセインを弁護する物ではありませんが。

戦争で亡くなる人の命の重さを心から感じていて、リスクを背負ってでもそれを避けるべきだと思っているなら、「何も考えてない人」には該当しないと思います。そうじゃなくて小さい頃教わったからとかみんなが言ってるからって理由で「なんとなく」反戦って言ってる人が多い社会は、長い目で見ると危険です。なぜなら、そのような社会で育った子どもは、たとえば学校で「ユダヤ人は悪だから全員殺せ」と教わるようになって周りもみんなそう言うようになったら、その主張を「なんとなく」支持してしまうかもしれません。既に成人している私たちでも、巧妙なプロパガンダで愛とか平和とか綺麗な言葉を散りばめつつ実際はトンデモな政策を打ち出された時に、騙されて支持してしまいかねません。みんな自分だけは大丈夫って思ってるだろうけど洗脳技術を侮っちゃ駄目です。将来惑わされないためには、常に「何故そうなのか」を自分の言葉で言えるようにして欲しいと思うのです。
 

0:10 2003/04/02【デジャヴ】

エイプリルフールだからって必要以上にはしゃぐの格好悪い。でもエイプリルフールだからって必要以上にはしゃいでいるのを必要以上に悪く言うのも格好悪い。みんな格好悪い。自分が一番格好悪い。

そこまで書いて、似た文章をどっかに書いたなあと思った。何も考えないで反戦反戦って騒ぐの格好悪い。何も考えないで反戦反戦って騒いでいるのを何も考えないで悪く言うのも格好悪い。自分が一番格好悪い。鬱。

アンチテーゼのアンチテーゼのアンチテーゼを辿っていって源流にあったのが幻っていうのは阿呆すぎる。日常の何割くらいが幻に踊らされているだけなんだろう。
 

6:06 2003/04/01【悲願達成】

メゲット成功しました。してません。
篠原さんの眼鏡は今まで見た眼鏡の中で一番素敵でした。彼は、「これからずっと僕の眼鏡は君のものだよ」って約束してくれました。すごく嬉しかった。これから、篠原さんの眼鏡と一緒に幸せな生活を築いて行こうと思います。
イリーナ・フランソワーズの秘密のHP(o^v^o)は本日をもって閉鎖します。今までありがとうございました。

 
 


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