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14:48 02/08/31【帰ってきた日は更新しないの法則】

東京帰還です。
私は同じ道を通るのを退屈がる性質があるので、関西方面に行くときもなるべく行ったことのない経路を選びます。現在まで、高速バス、新幹線、東海道線、中央線、飯田線経路をそれぞれ踏破。
次に行く機会があったらどうしよう。もはや空路ぐらいしか残ってないような。あと自転車とか。
 
0:17 02/08/30【風邪療養中】

女のカンはけっこう鋭いんだぞというお話。

ずっと昔のこと。私は、A君に秘かに憧れていた。秘かに、というところがポイント。私の気持ちは、直接相談したり愚痴ったりしていた友人以外には誰にも悟られていないという自信があった。
一方、ちょうどその頃、B君という人が、私に対して好意を持っていたみたいだった(そこ、あり得ないとか言うな! 私だって若い頃は「若さ」という取り柄があったんだい!)。B君の感情表現はけっこう露骨だったので、周囲の人はけっこう気付いていたが、私は対処法に困って気付かないフリをしていた。

そんな時、私がたびたび何者かによって嫌がらせを受けるようになる。嫌がらせの犯人については、女性だという他は何も分からない。動機も口にしない。
「B君ファンの女の子が犯人なんじゃない?」
多くの友人が、このような推測をした。確かに、「男に色目ばかり使うな」みたいな手紙をもらったこともあるし、状況を素直に分析するとそういう結論になるのだろう。

しかし私は、犯人はむしろA君のファンの女の子だろうと思っていた。そして事実、A君が私でない別の女の子と付き合いだした途端に、嫌がらせはぴったりとなくなったのだ。

もう一度確認しよう。私はA君に、「秘かに」憧れていた。嫌がらせの犯人は、それを見抜いていたことになる。そして更に、私は犯人がA君ファンであることを見抜いた。
女のカンがいざ発動すれば、低確率の更に2乗の事象が真になってしまう。そこの貴方、侮らないほうがいいですよ(微笑)。
 

1:57 02/08/29【城崎・天橋立編】

それでも1人旅は続いています。

★山陰本線!
って、JR幹線のはず。「本」がつくぐらい偉い路線のはず。
それがどうして、普通電車の数が特急電車の数よりも少ないんだ!
しかもなんで2両のワンマン電車なんだ!
鳥取県民は旅行に行くとき以外は電車に乗らないのか!

多少のショックを受けつつも、目指すは城崎。途中、浜坂という駅で乗り継がなくてはいけない。乗り継ぎ時間、40分。まあ、このくらいの接続の悪さは珍しいものでもないので許そう。しかし、浜坂駅に着いたとき、向かい側のホームに、40分後に発車する電車が待っていたのだ。
つまり、「接続が悪くて」40分待ちになってしまったのではなく、「40分差で連絡していた」ってこと。この時間感覚、ただ者じゃねえ。
 

 

やっとのことで城崎。さすがに「蜂の死骸なんて落ちてないじゃん!」ってな怒り方はしないけど、改めてここって自分の車がないと温泉に入る以外に何も出来ない場所なんだなーと実感する。そこで、5時間ぐらい滞在しようと思っていた予定を変更して、温泉だけ入ってさっさと別の場所に行くことにした。

路線図を眺めていると、「天橋立」という文字が目に入る。ここって、観光地だよね。だったら観光できるはず。そうだ、確か高校の地理の時間に国内の砂嘴の例として教わったような気がする(#普通はそういう思い出し方はしません)。
そういえば、日本国内で砂嘴を見たことってまだないや。世界規模でもカナダに短期留学したときに1回観たっきりだ。これは、見ておく価値がありそうだ。かくして、たった1両の北近畿タンゴ鉄道に乗って、天橋立を目指すことにした。
 

★富士山の法則。

遠くから見て美しい景色は、間近から見るとどうでもいい景色である。
富士山がその好例。

天橋立も、富士山の法則を適用して問題なさそうだった。実際にその上を歩いてみると、ただの道だ。やっぱり遠くから見ないと駄目らしい。そこで、いったん引き返し、モーターボートで対岸に渡り、ケーブルカーに乗って「股覗き」で有名な傘松公演へ。ボートの運転手のおじさんが缶ジュースをおごってくれた。京都府民、いい人だ!

スカートだったので股覗きはしなかったけど、確かに一風変わった風景だった。もうちょっと細ければかなり理想の砂嘴なんだけどなあ。眺めていると、地理で習った潮の流れが予想できて面白かった(#普通はそういう楽しみかたはしません)。
 

 

21:09 02/08/27【鳥取】

日本全国神出鬼没のifです。
風邪のほうは、喉の痛みを除いてだいたい治まったので、予定よりも1日遅れで鳥取にたどり着きました。

鳥取砂丘! 秋吉台と並んで本州の2大行ってみたいところだった鳥取砂丘!
「砂丘をいくつ越えしか波音のまぢかにきこえて海まだ見えず」(枝野登代秋)を読んで以来憧れだった鳥取砂丘!
……。
海、見えるじゃん。
しかも、「砂丘はあそこで終わり」という境目がはっきり見渡せてしまう。これは致命的だ。一歩間違えば「日本の砂漠」というよりも「すごく広い砂浜」と表現したくなるくらい、致命的だ。

何か納得できない気持ちを抱きながら海に向かって歩き出して、まもなく先ほどの第一印象の間違いに気付く。これはやっぱり「すごく広い砂浜」なんかじゃない、「日本の砂漠」だ。そうでなければ、こんなに熱くて、こんなに歩きにくいわけがない。

下りは良い、下りは。問題は上り。1歩踏み出しても半歩分以上は滑り落ちてしまう。疲れたからと言って休もうとすると、更に滑り落ちてしまう。つまり、先に進むためには、どんなに息切れしようと常に一定速度以上で歩き続けなければいけないってこと。まさに蟻地獄。

変化のない風景のせいなのか、照り返しのせいなのか、目の錯覚が起きて遠近感がなくなってくる。海と砂丘が重なってチカチカ見えた。砂漠で蜃気楼に惑わされる人の気持ちがちょっと分かった。

一段落ついたところで、さすがに疲れて座り込んでいると、通りがかりの観光馬車のお兄さんが心配してくれて、バス停まで無料で送ってくれた。ごん太君(馬)、ありがとう。こういうときだけは、元々悪い顔色で得したと思う。

ちなみにこの砂丘の砂は60度以上あり、卵を持ってきて埋めておくと温泉卵ならぬ砂卵が出来るらしい。くぅ、つい数日前に「旅行に行くときは生卵持参で!」という教訓を得たばかりだったのに。
 

 

★その後、浦富海岸の島めぐりへ。
「山陰の松島」と呼ばれるとか、歌人の誰それに「松島は松島、浦富は浦富」と絶賛されたとか、誇らしげに解説してくれるのだが、強調されればされるほど、松島に対するコンプレックスのようなものを感じてしまうのは気のせいだろうか。

わざわざ他の場所と比較なんてしなくても、十分綺麗なのに。っていうか、景色の美しさで言ったら砂丘より浦富海岸のほうが上だと思う。20メートル下の底が見渡せるほど澄んだ水に、傾いた花崗岩の地層が露出したギザギザの島が、辺り一面に浮いている。ところどころ、地層が波にえぐりとられて洞窟のようになっている島もある。なんともインスピレーションをかき立てられる、不思議な風景だった。
 

 

22:45 02/08/26【昔から旅行の前日に熱を出す子どもだった】

放浪挫折中のifです。

夜中起きると、頭が痛くて喉が痛くて熱が出ていました。この症状を科学的に分析するに、風邪だと思います。38度超の熱を出したのなんて数年ぶりです。

予定では今日から鳥取に行くはずだったんですけど、仕方なく寝ていました。病院行こうにも、保険証のコピーなんて高度な物体は持ってこなかったし。あーあ、ホテルのキャンセル料が痛いよお。

ところで、一般的に体温というのは、夜中12時頃が一番高くて、午前8時くらいが一番低くなるようにできているんですよね。どころが私の熱を計ってみると、午前8時頃が最高潮で昼過ぎが最も低くなるのです。これって、つまり、私にとっての「夜中」は午前8時ってことじゃ……。

父さん母さん、あなた達の一人娘は骨の髄まで夜型人間です。
 

22:25 02/08/25【USJ】

相変わらず放浪中のifです。

USJに行ってきました。なぜか関西弁でボケる外国人のショー出演者、なぜか関西弁で漫才している街頭パフォーマー、なぜか「使用禁止」のふだがかかった冷水機の前でミネラルウォーターを無料配布しているスタッフ、なぜか花火が中止になってしまったお詫びと称してソフトドリンクが無料になっているレストランなど、いろいろフシギなものを見てきました。
映画の世界観を表現したというよりも、単にアメリカのダウンタウンを再現しただけのような街並みを、マドンナやチャップリンと一緒にスヌーピーやセサミストリートのキャラが練り歩いていました。ハリウッド関係ないじゃん。このカオスっぷりは計算されたものなのでしょうか。ひそかにミッキーマウスとか混ざって歩いていても、もはや誰も気にしないかもしれません。
 

 

私は本場L.A.のユニバーサルスタジオに行ったことあるんですけど、共通しているアトラクションについてはほぼ同じ設備だったと思います。ドライアイスの演出なんかは大阪のほうが派手だったかも。技術が進歩したからなのか、派手好きのお国柄のおかげなのかは不明。

そうそう、水に濡れることはL.A.のほうが多かったけど、爆発したり炎を使ったりすることは大阪のほうが多かったような気がします。

結論。アメリカ人は水遊びが好きで、大阪人は火遊びが好きである。
 

2:24 02/08/25【7時間同じ電車に乗りっぱなし】

国内某所を放浪中のifです。

旅好きとして、一度乗ってみたかったんですよ、飯田線。各駅停車にゆられつつ、好きな本を読んだり、時々天竜川の景色で目を休めたりしていたら気持ちいいだろうなあ、と。そこで、朝5時半の酒臭い中央始発線に乗って、上諏訪で朝食として野沢菜おやきを食べて、ついに目当ての列車に乗車成功!
 

 

思った通り、天竜峡〜大嵐付近は絶景でした。人家の影も形もない断崖絶壁を、ぎしぎしと鳴きながら走り抜けていく車体。青っぽい水の表面ギリギリまで針葉樹で覆われた山。その上、後ろの席に座っていたカップルの男のほう(鉄道ファンと思われる)が駅に止まるたびに大声で隣の女性に解説するのです。どうしても聞こえてしまうので、仕方なく聞いていると、曰く、ここの駅の前には吊り橋があったけど落ちてしまったのだとか、ここら辺は昔は大きな街だったけど水底に沈んでしまったのだ、とか。わーい、無料ガイドだ。おかげで無駄に飯田線の知識がついてしまいました。
そんな知識本気でどうでもいいのですが。
 

18:24 02/08/23【巨大バッタ】

★実家に帰ろうが旅行に行こうが更新を怠らないのに、最も更新しやすい状況である自宅に戻った途端に更新を怠るっていかにも私らしいと思いませんか?

★協議の結果、「スポンサー(母)と2人でディズニーシーに行く」という楽しいんだか楽しくないんだか分からない強制イベントを1日ずらすことに成功したので、ドクデスに行けることになりました。今更ですがトップにバナー貼っておきます。

★この前まで水戸芸術館で面白い企画をしてた。Cafe In Mitoと題して、市内の至る所に一行詩の垂れ幕やオブジェを配置したり、バケツをかぶった人に商店街を行列させるパフォーマンスをしたり。

その中でもメイン企画だった巨大バッタだけは一応見に行った。せいぜい教室1個分ぐらいの大きさだと思っていたら、体育館1個分くらいの大きさで、さすがに驚く。
(バッタ君の右手の先に居るのが人間)

入場料をとって儲けるわけでもなく、中に入って遊べるわけでもなく、ただそこにあるだけというナンセンスさがたまらない。しかし、なぜバッタ。どうせなら、夏らしく巨大蝉にするとか、水戸だから巨大水戸黄門にするとか、いろいろやりようがあったのに。

と思ったら、
2001年横浜トリエンナーレで発表された全長50メートルの巨大バッタ<飛蝗(プロジェクト・インセクト・ワールド)>を水戸芸術館広場(8/10-8/18)に設置。

使い回しだったのか。バッタにしなければならない理由は文字通り皆無だったわけだ。ここまで徹底したナンセンスも珍しい。

★水戸芸術館には、ACMという専属劇団があるのだが、これが実に面白い。
彼らは水戸市から給料をもらっているので、経済的な理由で客に媚びる必要がない。娯楽性の低い作品や実験的な作品でも、売れ行きを気にせずに好きなように発表することが出来る。そして、そのような実験を繰り返しているうちに、結果として新しい面白さを持ったスタイルの作品が産み出されてくる。

客が来ようが来まいが金銭的に損する訳じゃない、という意味では、Webサイトも一緒だ(バナー広告で儲けるつもりなら別だけど)。だったらもうちょっと、実験してもいいんじゃない? 客の目を気にせずに自分の好きなことを書いてもいいんじゃない?
 

0:20 02/08/22【東北家族旅行記・後編】

★間歇泉
間歇泉「雲竜」のほうは5分に1回、「弁天」のほうは25分に1回、温泉が噴水状に湧いてくる。25分待って、吹き上がっている時間はたったの20秒である。珍しいのは分かるけど、これで400円もぼられるのは如何なものか。

しかし、どうして観光地ってのは、自然に出来た単なる温泉に「雲竜」だの「弁天」だの大袈裟な名前を付けたがるのだろう。どうせなら、もっと親しみやすい名前を付ければいいのに。
「今日のマサカズはちょっと出が悪いなあ」
「おお、アケミが吹き上がってきたぞ!」
なんとなくエロく聞こえるのはあなたの心が汚れているからです。

※写真はパンフレットより
(おすすめ度●●○○○)

★地獄谷
入場無料の遊歩道沿いの至る所から、温泉がごぼごぼと湧きだしている。中には間歇泉もあり、突然熱湯が吹きだすのに驚いて飛び退くと反対側の崖に落ちる仕様になっている。もちろん崖の下も熱湯の池である。危険だ。と思ったら、よく見ると「非常に危険なので各自の責任で散策して下さい」とかいう看板がかかっていた。

歩いているうちに、このスリル感がやみつきになってくるから不思議。途中、「卵はここで茹でて下さい」と書かれた池があったのに、生卵を持ち合わせていなかったのが唯一の心残り。っていうか普通持ってません。
(おすすめ度●●●○○)

★「鳴子の風」ブルワリー
あけびやら、古代米やら、ブルーベリーやら、いろんなものが入った地ビール(いろんなものを入れているので法律上の表記は発泡酒)を作っている。工場見学も出来るとパンフレットには書いてあったが、見学とは名ばかりで、手打ち蕎麦屋の実演コーナーぐらいのガラス窓1枚から覗けるようになっているだけだった。
試飲ぐらいさせてくれればいいのに、味を確かめるためには、買って飲むかレストランで金払って飲むかしかない。仕方がないから全種類買うことにした。見事に販促戦略にハマっている私。

あけび入りは酸味が強くエールビールのような香り、古代米入りは黒ビールみたいな苦みがあって、なかなか美味しい。他のはまだ飲んでないけど、お土産にはもってこいだと思う。
(酒飲みへのおすすめ度●●●●●・非酒飲みへのおすすめ度●●○○○)

★昼御飯
午後1時近く、ちょうどお腹が空いてきた頃に仙台宮城ICに差し掛かる。よし、じゃあお昼ご飯は牛タンだ!牛タン食うぞ!と家族で盛り上がる。
仙台の第一印象は、駅でかっ!だった。一極集中させちゃいけない規模なのに無理やり一極集中させてしまったらこういう街並みになるのだろうか。デパートもでかっ! しかも、市街地のど真ん中からトンネルたった1本抜けただけで、一面の山景色になってしまう。住宅地はどこに?

果たして行き当たりばったりで店を見つけられるだろうか、と思っていたけど、完全に杞憂だった。レストラン10軒に1軒の割合で、看板に「牛タン」と書いてある。仙台市民は10食に1回は牛タンを食べるに違いない。
あれこれ迷った後、き助(「き」は七が3つ並んだ字)という店で食べた牛タン定食は、いつも高田馬場のねぎしで食べる牛タン定食の3倍は美味しかった。成程、これなら10食に1回食べたくなるかもしれない。食べないけど。

★そして帰路
お腹一杯になって、父@ドライバーはだるそうにブラックガムに手を伸ばした。
私「父さん眠いの? じゃ、運転代わろうか〜?」
父「いいっ! 絶対にいいっ! もう目が覚めた! 完全に覚めた! だから僕が運転する!」
さすが父。自分の娘の技術がどの程度のもんなのかきちんと理解していらっしゃる。私が運転しているところを直接見たことはないはずなのになー。
 

0:29 02/08/21【東北家族旅行記・前編】

高速道路を片道4時間のドライブ。
夜はお洒落なペンションでワインを片手におしゃべり。親と。
(あ、今の「親と。」は極太フォント赤文字な感じで。)
というわけで、1泊2日の親孝行をしてきました。
写真は全てパンフレットからの転載です。

★中尊寺
歴史好きの父は一度はここに来てみたいと思っていたらしく、源がどーの、藤原がどーのと嬉しそうに語ってくれるのだが、中学校以来日本史を勉強したことがない私は「金色堂って、要するに金色の堂じゃん」と身も蓋もない感想を持っただけだった。どうせなら、中に入っている藤原誰とかのミイラとやらが見られれば良かったのに。

 

(おすすめ度●●●○○)

★幽玄洞
堂には興味ないけど洞は大好き。
狭く深い道を降りていく時は最高にワクワクする。ひやっとした空気とポタポタと水がたれる音が、冒険心を刺激する。この鍾乳洞は、ウミユリや三葉虫の化石が見られることで有名ということ。確かに良く見ると、ウミユリの茎っぽい模様があちこちについている。鍾乳石自体は比較的小規模で、目を見張るほどの絶景ではなかったけど、洞窟の雰囲気は十分に楽しめた。

(おすすめ度●●●○○)

★げいび渓の川下り
『げいび渓まであと9キロ』
の表示を信じて進む。5分後、また表示があった。
『げいび渓まであと9キロ』
減ってません。今ぜったい3キロは進んだはずなのに。更に5分後。
『げいび渓まであと11キロ』
増えてるし!
そしてまた30秒後。
『げいび渓まであと5キロ』
あり得ない! どう考えても6キロも進んでないよ! 角を曲がっただけだよ!
なんかこの辺は時空が歪んでいるみたいだ。増えたり減ったりしながらなんとか目的地にたどり着いた。

木製のボートに乗って砂鉄川を下る。
観光客がエサをあげるせいで、船着場にはウグイが大繁殖していた。手でつかめそうなくらいうじゃうじゃ泳いでいる。食べ物を投げると、恐いぐらいの勢いで群がって、水しぶきをあげながら奪い合っていた。石や落ち葉を投げても同じく群がって奪い合った。馬鹿だ。
船が動き出し、やっとこの魚地獄から解放されると思ったのだが、甘かった。ウグイの大群、そのままぴったり着いてきてやんの。船から半径1メートルだけ無茶苦茶な人口密度、いや魚口密度だ。水の上ではなくウグイの上を走っているみたいで気持ち悪い。結局、奴らは90分間の航海の間、ずっとひっついていた。自然のエサを取る能力なんて完全に退化しているに違いない。

景色自体は、確かに良かった。そびえ立つ岩壁から細い木が沢山生えている様子はちょっと不思議な雰囲気。母によると北海道の風景に似ているそうだ。

(おすすめ度●●●●○)

★ペンション「ウタピト・タピト
やや南下して、鳴子温泉郷の近く、鬼首(おにこうべ)高原にあるペンション村の最上段に位置する建物がそれだった。奥さんの作ったポプリとかパッチワークとか布人形とかがいっぱい飾ってあり、乙女ちっくかつレトロな部屋。メイドさんがお辞儀をしているデザインの人形が玄関に飾ってあるのを見て、父親が「これ可愛いなあ、これいいなあ」と繰り返していた。まさか他でもない我が父にメイド属性があったなんて。

食事のあとのお風呂には、輪切りレモン、摘んだばかりのレモンバーム、ローズマリーなどの葉がわさわさと浮かべられていた。確かにいい香りなんだけど、うーん、なんだか自分が煮豚か何かになってしまったような気分だ。
(おすすめ度●●●●○)
 

22:43 02/08/19【simple is best?】

文体が最初にあるわけではない。まず書きたいものがあって、そこから文体が出てくるのだ。
(by高村薫)

華麗な文体、個性的な文体の小説があまり好きでない。
私が演奏家でなく作曲家だからかもしれない(8/16【コンポーザー】参照)。特徴ある文体は、それ自体が読書の邪魔をしているように思えるのだ。一つ一つの表現にばかり目がいってしまって、物語の起伏や作者の思想などを思う存分楽しめなくなってしまう。

だから、私好みの文体とは、読者の目を惹きつけない文体、華美に走りすぎず奇抜なこともぜずに文章の内容を引き立ててくれる文体、ということになる。しかし、それは決して「文体なんてどうでもいい」という意味ではない。むしろ書き手は、文体に対して細心の注意を払わなくてはならない。細心の注意を払って、読書を妨げず伝えたいことを正確に伝わるような書き方をしなければいけないと思うのだ。これは、麗々しい名文を書くことよりもずっと難しい。

デザインも同じなんだろうと思う。まず書きたいものがあって、そこからデザインが出てくるのだ。
読書の邪魔にならず、内容を引き立ててくれるようなデザインを考えるのは、人目を引くデザインを考えるよりもずっと高度なセンスと技術が要求されるに違いない。

当然の如く、私はそんなセンスも技術も持ち合わせていないのだった。あーあ。
 

21:40 02/08/17【東北に行ってきます】

★近いうちに個人本を出します。
サイト未掲載小説も載せるつもりですが、未掲載だけに誰にも駄目出されてないので、誤字脱字や分かりにくい部分がないか心配です。読んで感想を言ってくださる親切な方を募集中です。メールくだされば、該当小説をアップロードしたURLを教えます。なお、いつも感想を言って下さる数名の方(謝謝!)には強制的にURLを送りつけるので、該当者は仕方ないなあと苦笑しながら読むなり捨てるなりしてください。
 

7/24の続き。
一般的なコミュニケーションのための文章において、伝えたかったことと伝わったことの差が鋭角であるなら、それは誤読とは言わない。「応用」とか「発展」とか「別角度からの意見」とか「実験的解釈」と言えばいい。誤読というのは、文意と正反対に近い解釈や全く関係のない解釈をされてしまった時のことであり、単に文の見落としや誤った前提知識からの邪推によって起こる。この類のつまらない誤読は、何も新しいものは産み出さない。避けられるなら避けるにこしたことはない。

どうすれば避けられるのだろう。試しに今まで私の日記やメールが誤読されたケースを集めてみた。

例1
if「みんなエンデの作品の中では『モモ』が好きみたいだけど、私は『鏡の中の鏡』が好きだなあ」
K「気が合うねー、私もエンデの『モモ』大好き」

例2
if「みんなは私のことを議論好きだと思ってるみたいだけど、それは誤解であって、本当は決して議論好きなわけではないのです」
T「気が合うねー、私も議論好きだよ」

例3
if「みんな最近韓国を批判してるみたいだけど、ちょっと目に余るなあ」
T「ifって嫌韓派なのねー」

7月24日の結論は単なる直感だったけど、実例を見てみるとやはりこの、文章の前半だけに反応されてしまうパターンが圧倒的に多い。このパターンが最も誤読が起きやすいとしたら、「よりにもよって」正反対の意見に解釈されてしまうのも頷ける。

そこで、初歩的な誤読を防ぐための文章術について考えてみた。
例1だったら、
「みんなエンデの作品の中では『モモ』が好きみたいだけど、私は『鏡の中の鏡』が好きだなあ」

「私、エンデの作品の中では『鏡の中の鏡』が好きだなあ。みんなは『モモ』が好きみたいだけど」
このように書き換えればいいのではないだろうか。
しばらく実践してみようと思う。上手くいったかどうかの結果は後ほどお伝えしたい。
 

0:20 02/08/17【中毒性】

友人と電話していて、パチンコ好きな男の人はifに好意を持ってくれる確立が高いのではないかという仮説が出た。

私の人間付き合いは、かなり波がある。Webサイト上を例に取ると、同じサイトをある時期は1日3回ぐらい訪れるのに、ある日を境に突然ぷっつりと見に行かなくなり、それが2、3ヶ月置きに繰り返される。ケンカしたから見に行かなくなったとか、デザインが改良されたから毎日見に行くようになったとか、そういう具体的な理由は一切ない。偶然の運だけでモード変換が起こるのだ。

この波が、パチンコの出玉の波と同じように、ある種の人々にとって中毒性があるのではないかというのだ。近いうちに確変が来ると信じて、ついつい時間と労力を無駄に消費させてしまう。そして無駄に消費した分を取り戻すために、更に待ち続けてしまう、と。

まあ、残念ながら私はモテないのでこの仮説は間違いである可能性が高いのですが。
仮に本当に中毒性があったとしても、その結果得られるのはたぶん恋人じゃなくてストーカーです。
 

0:01 02/08/16【コンポーザー】

音楽に作曲家と演奏家がいるように、文章にも作曲家と演奏家がいるように思える。もっとも、文章の場合は大抵は作曲家が演奏家も兼ねてはいるが。

文章の演奏家は、豊富な語彙とそれを最大限に使いこなせるだけの文章力を持ち、確立された文体で言葉を奏で続けることが出来る人。そして文章の作曲家とは、思想を基に人間の在り方のリズムにマッチした物語を組み立てる人。村上春樹なんかはどちらかと言えば演奏家だと思うし、星新一は作曲家だ。

私はまだどちらの能力にも乏しいけど、あえて言うなら演奏家タイプではなく作曲家タイプだと思っている。実際に文章を書いているときよりも物語のプロットを考えているときのほうが楽しい。出来ることなら誰か代わりに書いて欲しいと考えることすらある。

演奏家は経過を重視し、作曲家は結果を重視する。
経過と結果、もちろんどちらか片方がより大切ということはなく、両方を鍛えるに越したことはない。私もたまには、結果に重きを置かない文章、オチに頼らない文章を書いてみなくては、と思う。
だから今日の日記にはオチがない。
 

0:00 02/08/15【effection】

小説でも、音楽でも、好きな作品が増えることは無条件に幸せなことだ。

「A君って、○○××のファンなんだって」
クラスメイトからそんな情報が入ってきた。
私はその頃、A君に片思いしていた。A君のことがもっと知りたい、A君と同じ視点で世界を眺めてみたい、と思っていたから、さっそく○○××のCDをレンタルしてみた。

最初の2、3回は、正直あまりピンとこなかった。でも、あの人が好きな音楽なんだから、絶対に良い音楽のはずだわ、と信じて繰り返し聴いているうちに、だんだんその曲の良さが分かってきた。やがて私はすっかり○○××のファンになってしまった。

「A君って、○○××のファンなんだって?」
ある日、私は勇気を振り絞って彼に話しかけてみた。私も同じくファンなの、ファーストアルバムが一番いいよね、と会話のシュミレーションもバッチリ……の予定だったのに。
「え? 俺が好きなのは○○△△だけど」
クラスメイトからの情報はガセだったのだ。A君がファンだったのは、名字が同じ別のミュージシャンだった。

家の本棚に並んだ○○××のCDを見ながら、まあそれも良し、と呟いた。
A君が居なかったら○○××の作品の良さを理解できなかっただろうという事実にはかわりないのだから。
そう、好きな作品が増えることは無条件に幸せなことだ。
 

23:48 02/08/13【イバラッキー】

★実は昨日から水戸の実家に帰ってます。慌ただしく出てきてしまったせいで、読もうと思っていた本や聴こうと思っていたCDをみんな東京の家に忘れてきました。ところが読まなきゃいけない論文集はなぜか忘れずに荷物の中に入っています。いーかげん早く研究を再開しろという啓示なのでしょうか。ここ2週間ほど続けていた、1日平均10冊近く漫画を読み、5枚以上のCDを聴き、へろへろになるまで酒を飲み、ふらふらと散歩し、ビデオを観るという生活にもそろそろ飽きてきたことだし、ちょうど良いか。
 

★批評するためには、自分の中である程度の基準を持っていることが不可欠だ。だからこそ、たとえばサイト批評は、サイト論の一種と言ってもいいだろう。他のサイトへの言及や議論を通じて、発言者の考える理想のサイトの在り方が必ず浮かび上がってくる。

何よりも魅力的なのは、そのようにして批評から生まれてきたサイト論は、抽象的で静的な空間に閉じこめられた言葉ではなく、もっとダイナミックで、息をして鼓動を打つ思想になりうるということだ。

最も高次の思想とは「生きること」「存在すること」だとハンナ・アーレントは言う。生きることは変化していくことだ。美しくて死んだ言葉は捨てたい。衝突の火花から芽ばえた動的な言葉に乗って、止揚という名の螺旋階段を上っていけるのだろうか。
 

23:50 02/08/12【無人島サイト】

ある音楽雑誌で「無人島レコード」という企画があった。あなたがもし無人島に島流しされるなら、どのレコードを持っていくか(無人島にも再生装置はあると仮定する)挙げてみようという、ただそれだけの企画なんだけど、ただ単に「好きなレコードを挙げよ」というよりも奥が深い。繰り返し長期間に渡って聴くに耐える作品という条件が加わることによって、単なる話題性や刺激性を求めるだけの底の浅い好奇心が排除され、新しい基準が生まれてくる。(もちろん底の浅さが悪いというわけではなく、浅さを持った作品には親しみやすさや娯楽性というメリットもある。ただ、無人島に持っていくのにはあまり向いていないというだけである)

そこで、無人島テキストサイトというのを考えてみる。なぜかインターネット設備のある無人島で1日5サイトだけを観ることが許されるなら、どこを選ぶだろうか。死ぬほど暇しているのだろうから、更新頻度や1回の更新量は重要なファクターになる。また、小綺麗にまとまってしまっている文章よりも、読者に考える余地を残しているような多義的な文章のほうが有利になるだろう。

よろしければ、皆さんにとっての「無人島テキストサイト」を教えて下さい。私だったら、PlaceboU r a y a s u  U n l i m i t e dサイコドクターあばれ旅九十九式猫を起こさないように、の5つかな。自分で言い出しておいてなんだけど、5つに絞るのは無茶苦茶ツライや。
 

21:41 02/08/11【別世界】

人生初コミケしてきました。
視覚的に暑かったです。そして視覚的に疲れました。本当にあそこは日本だったのでしょうか。感想を一言で言うとすると、何だろう。「凄かった」?「びっくりした」?「カルチャーショック」? 微妙に違うなあ。「トラウマになった」と表現するのが一番近いかもしれません。夢に出てきてうなされそう。いや、それなりに楽しんだつもりですけど。

私は普段から「ガリヲタ好き」「ガリヲタ萌えー」と公言して憚らない人なわけですが、
ごめんなさい、それ撤回します。
モノには限度があります。私が好きなのはあくまでも「痩せ形の趣味人」であって、決して「ガリヲタ」ではなかったという事実を嫌というほど実感させられました。

とりあえず東女SF研の会誌は完売したのでめでたしめでたしです。
如星さんの本、1冊買わせていただきましたー。
むいろうさん来てくれてありがとう。
半年後は、個人誌を持って参加する予定ですのでよろしくお願いします。
 

22:20 02/08/10【好奇心】

伝統的で見慣れた道ばかり選んでしまうことが、真理から遠ざかろうとする人間の性なのだとしたら、新しくて物珍しい道を見つけるとつい飛び込んでしまうことだって、同じく真理から遠ざかろうとする人間の性なのだと思う。

なぜならそのような好奇心は、我々に何か新しい知識を手に入れたような錯覚を覚えさせるだけだからだ。錯覚を錯覚であると気付かせないためには、常に新しい刺激を求め続けなければならない。そのため、対象を理解する域に達しないまま次の対象へと移ってしまい、思考するための余裕を持つことが許されない。

最も大切なのは、思考の有無である。伝統にしがみつく人間が批判されるのは、伝統が悪いからではなく、思考停止が悪いのだ。ここの所をはき違えてはならない。

同じ思考停止批判でも、伝統に抗おうとする意見はかっこよく響くのに、好奇心に抗おうとする意見を言う人は臆病者に見えてしまうことがある。
私は、かっこいい意見ばかり言う人を信頼しない。
 

22:59 02/08/08【テキスト原理主義】

Web日記を書いている時は違うけど、紙媒体で小説を書くときの私は、かなり徹底したテキスト原理主義過激派だ。小説の善し悪しを決めるのは純粋にテキストだけであり、凝ったレイアウトやフォントや挿し絵によって価値が上がることは決してない。それどころか、純粋なテキストのみが究極の完成型であると考えれば、それ以外のどんな要素でも付加すればするだけ全体としての価値を下げることになる、とすら考えている。

だから、私の好きなように印刷させると、レイアウトはデフォルトのまま、最も特徴のないフォント(MS明朝とか)で、最も特徴のない紙(10円コピーに備え付けてあるやつ)に、最も特徴のない色(黒)で印刷するのが最良だ、ということになる。しかし、この方法が世間には不評だというのも知っているから、なんとか妥協点を見つけようと努力をしているつもりだ。

今、コミケ用のフリーペーパーを作っているのだが、やはりテキストだけだと世間的には物足りないのだろうな、と思う。そこで、絵は描けないのでスクリーントーンでも貼って華やかにしようと、近所で一番大きい文房具屋へと足を運んだ。

さて、テキスト原理主義過激派としては、極力新しい要素を付け加えないために、何かの形をしているわけでもなく、どんな雰囲気も醸し出さないような模様のスクリーントーンを捜さなければいけない。しかし、大きな棚4つに何百種類と並んでいる商品を1時間かけて物色してみたが、これだと思うものは見つからなかった。

閉店の音楽を聞きながら、ふと気付く。
スクリーントーンというのはそもそも、何かの形または何かの雰囲気を描写するためにあるものではなかったか。私はこの1時間、いわば「何の栄養も含まれていない栄養食品」を捜していたのだ。見つからないはずだ。まあ、「ただの点々」とか「ただのストライプ」とかなら形も雰囲気も付加されることはないだろうけど、それじゃそもそもフリーペーパーの飾りにはなってくれない。

妥協点への道のりは果てしなく遠い。
 

22:48 02/08/07【日記はテキストを志向する】

個体発生は系統進化を繰り返す。

index.htmを初めてアップロードしてから3年半、一般公開してからはもうすぐ3年経つけど、「テキストサイト」というものの存在を知ってからは2年に満たない。つまり、最初の1年分の日記は、テキストサイトを全く意識せずに書いていたことになる。

ところが、この1年分のログを読み返してみると、羅列報告だけの日常日記が徐々にテキストサイトっぽくなっていく様子が手に取るように分かる。これは誰の影響でもなく、自然に起こった変化なのだ。やはり友人が大学の授業で作らされたサイト群も、日に日に文章が他人の目を意識したものになっていくことが多い(そうでない場合はすぐに閉鎖している)。

テキストサイトコミュニティは、数人のカリスマとその影響を受けたサイト群がピラミッド型に並んでいるというよりも、さながらパラダイムの変換の時のように、生まれるべくして生まれたと思えてならない。多分、ファニゲがなくても、侍魂がなくても、愛・蔵太さんがいなくても、誰かその代わりになるような存在が必ず出てきて、このコミュニティは出現しただろう。

だからこそ、面白い。
 

17:49 02/08/06【あつがなつい】

告知再びー。

・鳥取一人旅のついでに、関西オフします。8月24日土曜日の夜6時ごろから大阪・難波の適当な居酒屋で飲みます。ROMの方の参加も歓迎ですので、メール下さい。

・コミケですが、3日目つまり11日の13時以降、東5のフ−45b(東京女子大SF研)に居ます。東女SF研の会誌を売っているだけで別に面白いものはありませんが、退屈がっていると思うので、近くまで来たらぜひ声をかけてください。
 

23:20 02/08/05【カフェ飯考】

自称グルメな人たちの間では、「カフェ飯」は不評らしい。曰く、量が少ない、見た目がオシャレなだけ、等々。

しかし、見た目を綺麗にすることと美味しくすることが決して矛盾しないということは、フランス料理や懐石料理を思い出せば明らかだろう。栄養面でも、小林カツ代のお弁当の本に、「色をたくさん入れて鮮やかに見えるようにすれば、自ずと栄養のバランスも良くなる」書いてあったように、むしろプラスになる。量が少ないのは、今のところオーダーするのはほとんど若い女性客だという現状を考えると仕方ないとしても、カフェ飯は決して馬鹿にできる料理スタイルではないと思う。むしろ、「全てを1皿に盛りつけなければいけない」「見た目が綺麗じゃないといけない」という制約を受けることによって、新たな可能性が出てくると思っている。

たとえば、最近あちこちで見かけるようになった「ごはんの上に生のサニーレタス」というスタイルは、カフェの発見だと思っている。普通に考えれば絶対に不味いはずなのに、近所のカフェの「スパイシーポークボウル(ご飯にレタス、トマトソース味の豚肉が乗っている)」や「アボガドサラダごはん(すし飯の上にアボガド、レタス、トマト等が乗っていて、醤油とマヨネーズがかかっている)」では、レタスをおかずと見なしても何の違和感もなく、美味しく食べられた。

そういう、生のサニーレタスが乗ったごはんみたいなテキストが書けるようになりたいなあ。
 

1:17 02/08/05【ONE or NONE?】

容易に一般化できないほど複雑で広範囲の現象について、1か0かで語れるわけがないと何度も言っているのに。

たとえば貴方は言う。「J-POP、好き?嫌い?」と。
そんなん、「好きな曲もあれば嫌いな曲もある」に決まってるじゃん!と思うのだが、なぜかその質問に対して好きあるいは嫌いと即答できてしまう人が多い。そこには何か誤魔化しの力が働いている。分かった気になって一刻も早く結論を出せば全てが上手くいく、と思い込まされている。

だからと言って、「1曲1曲みんな違うんだから」なんて逃げ方を奨励しているわけではない。要素に分割することを拒み、あくまで全体として考えたいのであれば、我々はまず「J-POPとは何か」を考えなくてはならないと言っているのだ。決定的にJ-POPをJ-POPたらしめているものを見つけ、提示することが出来るなら、私はその問いに対して真摯に答えよう。
(もちろん、文中の「J-POP」は「テキストサイト」「映画」「漫画」など好きな言葉に置き換えて下さい)
 

★東京プチ散歩#007 杉並中継所

杉並区民の端くれ、しかも、あと数百メートルで「市民」になってしまうという、本当の端くれとして、杉並病発祥の地って一度見てみたかったのですよ。しかし私、けっこう強めのアレルギー体質なので、安全宣言が出ているとはいえそんな物騒な場所に近づいて体調をおかしくしたら困るなあと思い、二の足を踏んでいました。

杉並中継所(不燃ゴミをいったん溜めて圧縮する施設)は、井草の森公園の中にあります。杉並病のサイトにはこの公園の木が枯れてしまった様子の写真とか恐ろしげに掲載されていたので、草木は茶色く変色し地元の人は誰も近づかない荒廃した景色を期待していたのですが、別に植物は普通に緑だったし、近所の子ども達は元気に遊んでいるし、彼氏の散髪をしている女の子なんかもいて、意外にほのぼのとしてました。

ただ、特筆すべき点は、公園内に不自然なほど「買い物袋を持ちましょう」と書かれた旗が立ちまくっていたこと。俺達だって環境対策頑張ってるんだぜ、分かってくれよ、と主張する区役所の人たちの表情が目に見えるようです。

この、わずか4メートルの煙突が悪の元凶。事情を知らずに見ると可愛いもんです。
 
 

17:40 02/08/03【サーフィン】

★どうしてそんなサイト読んでるの?(君の好みじゃないでしょ?)と言われたことがある。確かに、私の巡回リストには好みでないタイプのサイトも沢山入っている。

実を言うと、好みでないからこそ巡回しているのだ。
考えてみれば、私の周辺には似たようなタイプの人間しかいない。音楽オタクか、文学オタクか、インターネットオタクか、哲学オタク。体育会系やオールラウンド系の人脈が完全に欠如しているのだ。

文化系オタクばかりの純粋培養的な生活をしている身としては、せめてインターネット上くらいはタイプの違う人間とコミュニケーションしてみたいじゃないか。そうでもしないと、ますます片寄った人間になってしまう。

考え方の違う人間の書く文章は面白い。自分にはさっぱり良さが分からないのに一日千人以上の人間が訪れるサイトの、どこ辺りにその千人は面白さを見いだしているのか、分析するのは楽しい。そうやって節操なくブックマークを増やしているせいで、巡回に数時間かかり日常生活に支障が出ているという弊害もあるけど。
 

★東京プチ散歩#006 聖蹟桜ヶ丘

猫の恩返しでも見に行こうかな、と思っていたら、どうやらこれって耳を澄ませばの姉妹作品だそうじゃないか。私、耳を澄ませばはまだ観てないのだ。原作の漫画はりぼんに連載しているときにリアルタイムで読んだんだけど。

そこで、ビデオを借りて観てみた。なかなか良かったので、ファンサイトを検索していたら、どうやらあの映画の描写は聖蹟桜ヶ丘がモデルらしいということを知る。ちょうど八王子に行く予定があったので、帰りに途中下車してみた。

土曜丑の日。死ぬほど熱い。暑いじゃなくて熱い。
件の坂道の麓までは、地図でみると遠そうだっだけど、意外とすぐだった。上り始めると、成程、赤い歩道とか、階段とか、どこか既視感を覚える風景が。

 

ぐねぐねと長い坂道は、階段でずいぶんショートカットできる。直射日光の当たらない木陰の道を選んで、てくてく歩く。と、雫ちゃんがクラスの子に告白された神社が。

ここまでのぼると、あとは平坦な道が続いている。しかしコンクリートの照り返しがものすごい。これだったらさっきの坂道のほうが歩いていてまだ楽だ。時間が経つのが急に遅くなる。
なんとかたどり着いたロータリーは、ちょっと期待外れだった。地域の集会所とバス停があるだけで、特に面白い雰囲気ではなかった(ので写真は載せない)。まあ、坂と階段の雰囲気が良かったから許そう。

ちなみにこの辺りは正真正銘の高級住宅地。お城のような家がばしばし建っていて、昼間からタクシーがびゅんびゅん飛ばしていた。15分に1本ぐらい走っている路線バスは空き空き。ブルジョア(チッと舌打ちの音)はバスなんて使わないのだろう。雫ちゃん、聖司君(漢字これで良かったっけ?)と結婚したら玉の輿だぞ!
 

23:44 02/08/02【雨がうるさかった】

★東京プチ散歩#004 辰巳の森緑道公園

どうやら私は「道フェチ」みたいだ。時に橋やトンネルや階段や線路に惹かれるのも、それらが純度の高い道だからなのだろう。私の意志とは関係なく、まだ見ぬどこかに連れていってくれる一本道にさらわれてしまったら、もう抗うことは出来ない。

↑こんな道とか。

↑こんな道とか見てしまったら、引き返せますか!
もうヒールサンダル履いてるのもミニスカートなのもすっかり忘れた。足腰に溜まってきた乳酸がいい具合に脳に作用してハイテンションになってくる(※科学的には間違ってます)。悪い男に騙される女の気分に近いかもしれない。
そんなこんなで、たどり着いたのは、

↑こんな場所。大きな日時計とベンチがあって、静かで、まさにお昼寝スポット。現に近所のおじさんらしき人がベンチの上でいびきかいてました。うん、やっぱりここまで来た甲斐があった。いいなあ。もうちょっと涼しい日だったら、私もお昼寝がしたい。

★東京プチ散歩#005 辰巳の森海浜公園

日時計のあった広場と隣接した道路に、地図発見。どうやらワンブロック先にも公園があるみたいだ。しかも、500メートル四方近くあって凄く広い。これだけ広ければ何かあるだろう、と思って、足を伸ばしてみる。

うーん、何もない。
いや、何もない場所はけっこう好きなんだけど、ヘタにそれなりの遊具があるもんだから余計に中途半端だ。大きな児童公園という感じで、木が少ないので空気もあまり気持ち良くはないし、子どもが多いから読書や昼寝にも向かない。どうやらここは私の居場所ではないようだ。

疲れてきたこともあり、ここで今日の散歩は終了することに。その後、キャンパるの会議で竹橋に行くのに、有楽町線からの乗り換えの不便さにえらい苦労させられました。免許試験場からそのまま東西線に乗れば一本だったという事実には気付かない方向で。
 

22:26 02/08/01【For Walk】

★東京プチ散歩#003 夢の島

最近、「足の裏の創作ツボ」を刺激するためによく歩いている。どうせなので今日から4、5日使って、今まで歩いて気に入ったスポットを紹介しようと思う。003なのは、先々月の台場史跡公園と先月のレインボーブリッジを001と002と見なすことに今決めたからだ。

江東免許試験場で講習を受け、無事に新しい免許を発行してもらったのはお昼過ぎ。このまま帰るもの交通費が勿体なくて、海のほうに向かって歩いてみることにした。

明治通りをひたすら南下。やがて歩行者の姿は消え、車道を走っているのも大型トラックばかりになる。ちなみに今日の私の服装は、ヒールサンダルにミニスカート。ペットボトルの烏龍茶も底をつき、このまま行き倒れたらどうしようという一抹の不安が過ぎる。とはいえ、今更戻るのも面倒なくらい進んでしまったし、一応バス通りなのでギブアップしたらバスに乗ればいいしと思い、がしがし歩き続けることにする。

やがて橋が見えてくる。「夢の島大橋」との文字が。おお、ということはこれが夢の島なのか。水上バスで近くを通り過ぎたことはあったけど、上陸するのは初めてだ。

熱帯植物園とか第五福竜丸記念館とかあるみたいだけど、そういうイベント系の体験はデートや修学旅行のコースに組み込まれてこそ面白いものであって、今は必要ない。一人で居る時に欲しい場所は、歩く場所と本を読む場所と昼寝する場所だけだ。というわけで、海沿いの何とかプロムナードとかいう遊歩道を歩いてみることにした。

見事に人の気配がない。お昼寝には最高のスポットだろう。島を独り占めしているみたいですごくいい気分。自然と鼻歌が出てくる。
そのうちに、遊歩道の石畳は終わり、駐車場に突き当たった。駐車場の反対側からは車道が出ている。さて、ここで問題。今来た道を戻れば最短距離で確実に元の場所に戻れる。一方、この車道を進んだ場合、行き止まりの可能性もあるし、そうでないとしても元の通りに戻るためには相当無駄な時間がかかる。さて、どっちを選ぶ?

迷わずに車道を選ぶ。私には「一度通った道はなるべく通らない」という主義があるのだ。普段からこの原則は死守していて、大学でも行きと帰りで違う道を使うくらいだ。

知らないところに着いてしまったらどうしよう、と内心びくびくしながら、ひたすら歩いた。さっきの遊歩道と違って景色も大して面白くなく、何度かカーブを曲がっているうちに方向感覚も失ってしまう。実際以上に長い時間が経過したような錯覚を覚える。あとで家で地図を見て確認したところ、夢の島を最も大回りの道で一周していたことが分かった。いいかげん疲れて来た頃、やっと見覚えのある通りが現れた。そして、その先にあるのは、新木場駅か。純正東京西部文化にどっぷり浸かっている私、新木場駅が何線なのかも分からない。まあいいや、何線だろうと帰れることには違いない。

……と、帰る気まんまんだったはずなのに、なにやら魅力的な別の遊歩道を見つけてしまう。どれどれ?武蔵野の路? うーん、ちょっとだけ先に行ってみるか。

ちょっとだけ、で済むわけがありません(つづく)。
 

22:22 02/07/31【ライセンス】

誰でも一度は思いつくことだろうと思うけど、私も例外ではなく、昨日の日記を書きながら「テキストサイト免許」なんて概念を思いついてしまった。

作文の実技試験とネチケットの筆記試験に合格しないと、テキストサイトの管理人になることができない。サイト批評サイトやサイトニュースサイトを運営したい場合は二種免許が必要。いずれも3年ごとに免許の更新が必要で、マナー違反もせずトラブルも起こさなかった無事故無違反の管理人には、優良管理人として「ゴールド免許」を発行される。マナー違反やトラブルを起こした場合は、それぞれ決められた点数(大手サイトに相互リンクを申し込む:2点、2ch中堅テキスレで自演:3点、パクリ:15点、オフ会の写真を無断で晒す:20点etc)が加算されていき、一定の点数がたまると免許停止や免許取消になる。

更新時の講習会では、ビデオ「全てを奪うネットバトル」(罵倒が売りのテキストサイト管理人の太郎[新婚]は、ある日勤務時間中に会社から相手のBBSに書き込んだところ、IPを抜かれて社長に通報されてしまう。勤務怠慢に加え、バトル先のサイト管理人が出向中の社長の息子だったことが明らかになり、即刻クビを言い渡される。失業保険だけではマンションのローンが払えず、新居を手放して古いアパートに引っ越すことになった。更に夫婦で菓子折を持って社長の息子[独身]に謝りに行ったことがきっかけで、妻が社長の息子と恋に落ち、離婚されてしまう。まさに人生が滅茶苦茶だ。)を見せられ、リンクの貼り方や掲示板の書き込みマナーについて再確認させられる。

運転免許の講習中でも「ああ、スピード恐い、対向車恐い、事故恐いよお」とガクガクブルブルしてるような私は、テキストサイト免許の講習でも「ああ、文中リンク恐い、ネットバトル恐い、スレ恐いよお」とガクガクブルブル怯えているんだろうなあ。っていうか、怯えています。
 

23:37 02/07/30【緑→青】

免許更新に行ってきました。
旧免許を紛失していたため新宿の運転免許センターでは発行してくれず、江東試験場まで足を伸ばす羽目に。しかも初回だから無事故無違反でも(被害者としての事故はあったけど)2時間講習受けなきゃだし、手数料は高いし、意外と面倒でした。

で、「全てを奪う自動車事故」とかいう感じの題名のビデオを見させられるわけですよ。事故で同乗者が死んでしまったせいで、賠償金のため家を売り、会社もやめさせられ、恋人にもフラれ、人生が滅茶苦茶になってしまうお話。

この手のビデオや恐ろしげな事故写真を見せるのって、確かに自信過剰タイプや飛ばしまくるタイプの運転者に釘をさすのには有効だと思います。しかし、私のような「スピード出すのが恐くて制限速度は死守してしまう」「対向車が恐くて右折できない」といった優柔不断の貰い事故タイプの運転者には逆効果だと思いませんか? うわあ、事故恐い、事故恐いよお、という強迫観念がますます強化されて、今まで以上に優柔不断になり、びくびくしてスピードが出せなくなってしまい、周りにとっちゃえらい迷惑だと思うのですが。

そこで提案。講習の前に心理テストをさせてクラス分けしてはどうでしょう。で、私のような過剰に恐がっている人ばかり集めたグループでは、「車ってこんなに安全なんだよ、もっとスピード出しても平気なんだよ」という内容の講習をするのです。

そんな奴は最初から運転なんかするなって?
ええ、してません。だから無事故無違反なのです。
 

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