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1:41 02/07/30【レコメンド】

他人に本やCDを勧める方法は、厳密に言うと2種類ある。

1.相手の好みと極力適合するものを勧める。
2.相手の好み関係なく、自分が良いと思うものを勧める。

勧められる側は1を期待しているのに、勧める側は2の態度を貫き続けることがよくある。また、それほど多いケースではないけど、勧められる側は2を期待しているのに勧める側は1を押し通すこともある。他人から勧められたものを気に入ることが少ないのは、この行き違いに拠るところが大きい。

だから私は、どっちの側にまわるときでも、今するべきことは1なのか2なのかはハッキリさせることを心がけている。CD感想企画の時は2を期待していたので「マンネリやだー、違うのが聴きたい」みたいな書き方をしたし、昨日の映画の話では1を求めていたからあらかじめ自分の好みのタイプを提示したわけだ。

1でも2でもどっちでもいいから、何か良い物を教えて、と言ってくる人もよくいる。こういう場合は、どうせどっちでもいいのなら、と、いきなり自分の好きなものを勧めても大抵は失敗する。

まずは相手の好みに合わせたものを幾つか差し出したほうがいい。そして、「この人が持ってくるものは面白い」という信頼を勝ち得てから、本当に自分が布教したいものをぶつけてみる。こうしたほうが、相手が受け容れてくれる確立が抜群に高くなるはずだ。
 

1:18 02/07/29【文化的生活】

★夏休みだからビデオでも見ようかと。オススメの映画あったら教えて下さい。参考までに、当方の好みは「テルミン」「ベルベットゴールドマイン」のような音楽による音楽のための映画、「π」「メメント」のような思想あるサイコホラー、あと何系なのか知らないけど「17歳のカルテ」「イルマーレ」とか良かったなあ。そんな感じで。
 

★CDを聴いて感想を書こう企画No.3
Brass Monkey『See How It Runs』
まじ姉推薦)

イギリスのバンドだそうです。トラッドな旋律にブラス楽器にアコーディオンときたら、私の口に合わないわけがありません。とりわけアコーディオン主導の曲は無条件肯定してしまう癖があるので、きっと甘々な評価になってると思います。そこらへん、差し引いて下さい……。

1曲目が、少しずつ違った旋律を複数の楽器で同時に演奏しているポリフォニー曲だったので、もしやルネサンス系か?と思ったのですが、どうやらそれは傍流だったみたいです。特に歌入りの曲では、他の楽器は伴奏に徹しているかボーカルと同じ主旋律をなぞっているかのどちらかで、せいぜい「ちょっと目立つオブリガート」が出てくる程度でした。パーカッションは最低限に抑え(ない曲もある)、一切無駄のない編成です。倍音だけのハモりを多用するなどコードは簡素なのに、リズムは意外と複雑で、随所で変拍子が見られました(ごちそうさま♪)。

そして、忘れてはならないのは歌詞。どこまでがトラディッショナルから拾ってきた詩で、どこまでがオリジナルなのかはライナーを読んでもよく分からなかったのですが、実際に発音してみると驚くほどリズム感があって舌触りが良いのです。旋律への当てはめ方も無理がないし、気の利いた韻の踏み方はまるでマザーグースのようです、と言ったら褒めすぎかな?

録音のせいなのか声質のせいなのか、いかにも真空管ラジオから流れてきそうなボーカルは、歌詞の響きとも旋律の雰囲気とも非常に合っていました。なんか後ろ向きな気もするけど、モノがモノだけにヘタに前を向くと失敗しそうだからこれでいいんじゃないでしょうか。
 

2:28 02/07/28【Time Goes By】

過去の自分は今以上にコミュニケーションが下手で、いろいろと無茶もした。今でも時々その頃のことを思いだし、綴ってみようとするのは、懐かしさが半分、反面教師にしなくちゃという気持ちが半分。「そんなに懐かしいなら、また無茶してみれば?」なんて言うのは本末転倒だ。

今の私は、好きな人が何時のバスに乗って学校に来るのかをつきとめて同じバスに乗ろうとする暇があったら、直接電話して映画に誘うだろう。相手に彼女がいると分かったら、あっさりと諦めて次を捜すだろう。グレてしまった元友人の誘いに興味本位で付いていくことも、生理が止まるまでダイエットすることもなかっただろう。組織の制度に不満があったらミーティングでいきなり演説するよりも権力のある人に個人的に働きかけて根回しすることのほうを選ぶだろう。

私はつまらない人間になってしまったのだろうか。
そうかもしれない。
でも、悲しくはない。
長い時間が過ぎてしまったのだから。その間に、肩書きも変わった。住む家も、周りの人間も、環境も全て変わった。恋もした。あれほど好きだった演劇もやめた。考え方や行動パターンの1つや2つが変化するためには、十分すぎるほどの時間だった。
 

15:07 02/07/26【ノープロブレム】

自分が創ったものの客観的評価が知りたいという感情はごく自然だ。私も少し前までは、会う人会う人に「ね、私のサイト、どう思う?」と尋ねていた。返ってくる答えはいつも「良いと思うよ?」。その答えに、私はちっとも納得できなかった。良いわけないのだ。本当に良いなら、もっとたくさんの人が訪れるはずだし、もっとたくさんの人からホメてもらえるはずだ。そうでないということは、良くないということであり、良くないことには何らかの理由がある。私はその理由が知りたいのだ。その原因を知って、取り除くことによって、本当に良くしたいのだ。そこで、前以上の頻度で、「ね、私のサイトどう思う?」と尋ねるようになる。「良いと思うよ?」というお決まりの答えが返ってくるたびに余計に焦り、苛つき、怒り、問う声も大きくなってくる。

やがて私は声を枯らしてしまった。もう、誰に問いかけることもできない。誰にも問いかけないから、誰かから「良いと思うよ?」と言われることもない。「良いと思うよ?」と言われることがなくなったため、それに対して怒ることも苛立つこともなくなった。

私が最も苛立っていた時期に、私からの問いかけに答える暇なく閉鎖したサイトが復活した。しかし、私はもう彼女に問いかけようとは思えない。問題の最も根本的な解決は、問題意識自体の消滅である。
 

2:27 02/07/26【初体験】

★24歳にしてコミケを初体験することになりそう。8月11日午後、学漫スペースの東女SF研コーナーにて店番している予定です。フリーペーパーも用意しますので、よろしければお立ち寄り下さい。
 

★噂の関西オフですが、8月24日土曜日にしようかと思ってます。難波か梅田で適当に飲むだけです。参加するかも……という方は、詳細をお送りしますので、メール下さい。ROMの方も歓迎です。
 

23:20 02/07/24【誤読パターン】

★記念すべき誕生日の夕飯は「近所の蕎麦屋の冷やしたぬき蕎麦」(もちろん独り)。
今日のMILK JUICEの更新は非常に楽しみだったんだけど、大して面白い人がいない。可も不可もない自分の存在を確認させられたみたいで鬱です。

★CD整理期間中。

聴き終わったあとケースに戻すのを億劫がってしまったが故に何が何だか分からなくなったCD-Rを同定するのにコンポがフル稼働しています。CD感想企画はもう少しお待ち下さい。

★私の文章が誤読されるパターンが分かってきた。
「みんなはAだと言うけど私はBだと思う」「一見するとAに見えるけどよく考えたらBっぽい」と書いたとき、当然、私の主張はBのほうになる。しかし、この類の文章を書くと、「へえ、ifの考えってAなんだ」と言われてしまうことが非常に多いのだ。
いくら私に文章力がないといっても、正反対の主張にとられてしまうほどハチャメチャではないはずだ。ちゃんと前半と後半の間に「しかし」「本当は」「実を言うと」系の語も入っているし。
多分、価値観の基が違うのだろう。私にとって、「みんなの考え」「一見して見えるもの」は警戒すべきものであり、必ず再考の対象になる。しかし世の中には、「みんなの考え」「一見して見えるもの」を最終的な結論として抵抗なく受け容れてしまえる人というのがけっこうな割合で存在する。そういう人には、前半の文章が私の主張であるかのように見えてしまうのかもしれない。
 

22:23 02/07/23【また影を見た】

何かある未知のものの原因を何かある既知のものへ帰着させてしまうことは、気持ちをほっとさせ、安心させ、満足させ、その上、ある種の権力の感情を引き起こします。(中略)
それ故、原因として探し求められるのは(中略)、見知らぬものや新しいものや未経験のものを極めて迅速に、かつ頻繁に排除してしまうような種類の説明、つまり最も習慣的な説明であります。──銀行家はすぐさま「業務」のことを思い、キリスト者は「罪」のことを考え、少女は自分の恋に想いを馳せるという次第であります。
(ニーチェ『偶像の黄昏』「四大錯誤」より)

私たちはいつだって漠然とした満たされない感情を抱えている。それはきっと、遡っていけば「死の不安」なのかもしれないけど、日常レベルでは正体不明としか言いようのない不快感だ。
恋だの、生き甲斐だの、進路だの、いろいろな理由をつけて悩んでいるけど、本当の理由はもっと別の所にあるのかもしれない。いや、むしろ、どこにもないのかもしれない。だからこそ満たそうと躍起になり、しかし永遠に満たされないのだ。

私は今、悲しくて仕方がない。わけもわからず、とにかく泣きたいぐらい悲しい。そして、その気持ちを、消えたはずの名前を今朝ペーパーバックの中から見つけてしまったことと、勝手に結びつけている。

それだけに決まってる。
 

20:29 02/07/22【9巻を譲ってくれる人、募集中】

中学生になったばかりの頃だったと思う。我が家の本棚には、篠原千絵「闇のパープルアイ」の9巻だけがあった。
確か行きつけの古本屋で3冊100円セールをしていたんだと思う。しかし、欲しい本が2冊しか見つからなかった(その2冊は、当時熱狂していた新井素子だったと記憶している)。そこで、ちょうど手前にあって絵も好みだったその漫画を、深い考えもなく数合わせに入れたのだった。

読んでみてけっこう気に入ったので、他の巻も買おうかなと迷っているうちに、友人が全巻持っていることが判明した。そこで残りは借りて済ませてしまい、その9巻はいつまでもぽつんと本棚に並んでいた。やがて高校に入り、漫画自体全く読まなくなった私は、大掃除のついでにあっさりと捨ててしまった。

最近またあの漫画を読み返したいなあという気分になって、ブックオフの前を通りかかるたびに100円コーナーを覗き、2、3冊ずつ補充している。ところが、全12巻中11冊まではすぐに揃ったのに、9巻目だけがどうしても見つからない。これは、あの時捨ててしまった奴の怨念なのだろうか?
 

11:30 02/07/22【最近、夜日記を書かずに寝てしまう】

好意と興味は紙一重。

男女問わず、最初は気に入らなかった人に対して、やがて好意を持ってしまうことが多い。本当にどうでもいい人なら最初から無関心なわけで、気に入らないと言うことは、何か私自身の存在を脅かすようなものを持っているということである。それが何なのか知りたい、と思っているうちに、いつのまにか会うのが楽しみになっている。

だから、今現在ifに嫌われているかもしれないと思っているそこのアナタ。
1ヶ月後ぐらいに惚れられる可能性があります。
今のうちに逃げろ!
 

13:58 02/07/21【変拍子で踊ってきました】

変拍子で踊ろうvol.8@表参道FABに行ってきました。
すごく楽しかったけど、すごく疲れた。なんか、寿司と鰻と焼き肉と豚カツを一度に食べさせられたような気分。一種の拷問です。脳内コレステロールが上がりすぎて死にそう。
客入れの音楽からして、アレア、PFM、フォーカス、クリムゾン、MAGMAなど有名どころメドレーで、期待が高まります。次の曲になるたびにあちこちで「この曲なんだったっけ」「ほら、あれだよあれ」とかいう囁きが聞こえてきて、もうイントロ当てクイズ状態。おお、MAGMATシャツの人を2人も発見!

ルインズ
……って、こんなん踊れるかいっ。「7拍子9拍子は当たり前」という煽り文句は本当だった。変拍子というより無拍子とか魔拍子とか言ったほうが良いんじゃないだろうか。吉田さんのドラムは早すぎてスティック見えないし、佐々木さんのベースも弾いてるというよりかき鳴らしてるという感じだし、デュオとは思えない重圧で押し寄せてくる、狂気の30分でした。あと、あのキンキン響くファルセットボイスはやっぱり吉田さん本人が出していたのか。

ポチャカイテ・マルコ
うわ、ルインズの後だとポチャが普通の曲に聴こえるよ!
壷井さんのバイオリン入りバージョンは初めて。確かに以前よりもプログレファン向けの音になっているけど、個人的にポチャのイメージは「キーボードにつぐキーボードの大嵐」だったので、荻野さんにもっと目立って欲しかった。ちなみに荻野さんの眼鏡に萌えている私は、終了後サインをもらいに行こうと企んでいたけど、美女に囲まれていたので断念。けっ、モテが。

●あぶらだこ
個人的にお目当てだったルインズ、ポチャが終わって大満足でしたが、周りのテンションは下がるどころか急上昇。そうか、みんなはあぶらだことシカラムータが目当てだったのね。だから客層に違和感を感じていたのか。
とにかく、「ビックリ」の一言。30分強という短い時間だったので、「ああ、これがあの、あぶらだこなのか」とただただビックリしているだけで終わってしまった。あと30分続けてくれたら一緒に盛り上がれたかもしれなかったなあ。ボーカルが迫力不足だったような気がするんだけど、あれでいいの? ルインズ並の魔拍子なのに、前のほうの客がものすごい勢いで踊りだして恐かった。ダイブされたらどうしようと身の危険を感じた。

シカラムータ
トリがシカラムータで良かった。本当に良かった。他のどのバンドがトリでも、救いのない嫌〜な気分を抱えたまま家に帰らなくてはいけないところだった。最初にラインナップを見たとき、1バンドだけ浮いてるなあという印象を持ったんだけど、そういう計算の上だったのか。クラリネット、バイオリン、チューバなど生楽器盛りだくさんの演奏はもちろんのこと、謎のダンサーが出てきたり坂本弘道さんがドリルで火花散らしてチェロ破壊してたりパフォーマンス面でも楽しませてくれました。
 

17:33 02/07/20【ツボ】

九十九式17日を読んで思いだしたことを少し。

小説を書いていてどうにも行き詰まってしまったときは、「歩きに行く」ことにしている。サイクリングでも替わりにはなるけど、車や電車だけでは駄目。適当な駅で降りて、公園だの喫茶店だのブティックだのに立ち寄りながら何時間もブラブラしていると、頭の中にいろんな言葉がぽこぽこと浮かんできて、やがてそれらが絡まって文章が出来てくる。

この現象を、自分では「足の裏の“創作ツボ”が刺激された」と説明している。要するに、文章を書くためには自分の足で歩いて得た知識や経験が不可欠だということなのだろう。もちろん、本やテレビから得た知識が無意味だってわけではなくて、両方揃っていて初めて機能するんじゃないかな、と思う。

俵万智は「よつ葉のエッセイ」で、詩人が才能を枯渇させないための最も実際的な方法は「取材をする」ことだと述べていた。勝手ながら、「取材する時は自分の足で!」と付け加えたい。百聞は一見に如かずというか、実際に自分の目で見て耳で聞いて手で触れないことには、自分の言葉で思考することもできない。

ちなみに、私はX脚のせいか、長い間歩いていると親指の付け根のあたりが痛くなってくる。“創作ツボ”はこの辺にあるらしい。
 

6:04 02/07/20【虹の橋】

★昔の公約通り、カウンタ77777踏んだ方には粗品をプレゼントしますのでメールかBBSでお知らせ下さい。

★お台場ってけっこう好きです。特に、パレットタウンや国際展示場のような華やかな場所ではなく、デックスと居住区の間付近の、突然スーパーマーケットが出没して下校途中の小学生が歩いていたりする、あの不思議さがたまりません。メディアージュ内にあったTLGというライブハウスでのライブを何回か手伝ったので愛着もあるのかもしれません。

そんでもって、突然「海が見たい」なんてトチ狂った感情を抱いてしまったこともあり、レインボーブリッジを歩いて渡ってみました。1人で。平日だったので殆ど人は居ませんでしたが、それでも渡り終わるまでに3組ほどのカップルとすれ違い、まるで自殺者を見るかのような不審そうな目で見られました。(リンダオフの時に間違って買ってしまった白黒フィルムの残りを使ったので白黒写真)
  

 

どうして橋とかトンネルとかを通る時ってこんなにワクワクするのでしょう。小さい頃に公園とか行った時も、コンクリートの小山や川に橋やトンネルを見つけると片っ端から制覇してみませんでしたか? あと、獣道なんかもいいですね。道が細ければ細いほど、その向こうの霧で隠れた部分が魅力的に思えて、先へ先へと行ってみたくなります。
普通じゃ絶対に行けない場所に対する憧れなのでしょうか。わざわざ橋を架けたりトンネルを掘ったり多大な労力を費やさなくては見られないはずの場所を見せてくれるという喜び。見飽きた世界を背にして渡った先には、何か新しい可能性に満ちあふれた世界が広がっているような気がするのです。

そんなものはどこにもないのに。
 

23:45 02/07/17【ドミナント】

「好きなコード? そうだな、sus4thかな」
「何故?」
「曲の終わりの頃に使うとなんとなくかっこよくなるし、それ以外もいろいろ使えて便利だし」
「へえ、○○君、詳しいね」

電車の中でこんな会話を交わすカップル。その前の席で「けっ」と思いながら聴いている私。かっこつけてるんじゃねーよ。お前、ただsus4thって言ってみたいだけとちゃうか。彼女もそんな自己陶酔男の顔ををうっとりと眺めてるし、もう見てらんない。あー、それ以上密着するな、暑苦しい。嫉妬じゃないぞ。嫉妬じゃないからな。

2人が降りてから、果たして自分の好きなコードは何だろうと考えてみた。そして、私が曲を聴いていてグッとくるメロディーは、だいたいVかV7に乗っていることが多いことに気付いた。しかも、サビの直前とかに出てくる「(D7→)G7(→C)」とか、「(F→)E(→Am)」とか、そういう強烈に帰りたがっている響きに共感することが多い。

きっと私自身が、どこかに帰りたがっているからなのかなあ、と思う。今の自分に対して、ものすごくアンバランスな不安を感じていて、やがて全てを収めてくれる解決点を捜しているのだ。
そういえば、ヤマハの専門コース時代、作曲コンクールに出す曲をV7で終わらせてしまい、先生に怒られて直されたことがあったっけ。子供心に変わったことをしてみたかったんだとは思うけど、もしかしたら、当時から私は捜していたのかもしれない。

あれから10年強。私の「ドミソ」は、世界中どこを捜しても見つからない。
 

17:00 02/07/17【10分で分かるリドミ文化講座】

ほぼ私信につき、別ファイルに格納。
 
21:01 02/07/15【リンク】

久しぶりにリンク元解析をチェックしてみたら、はてなアンテナが20個近く引っかかっていて困惑気味です。いや、確かに私も便利だ便利だと煽っていた1人なんですけどね。「アンテナがあるからもう普通のリンク集は要らない」なんて過激なことを書いている人もいたのにはさすがに仰天しました。
それは違うよ!!
アンテナはあくまでも巡回用であって、発掘用にはならないのです。リンク集とは違う性格のものであり、どちらか一方があれば良いというわけではないんです。どうか、早まってリンク集を消去したりしないでください。
今一度、思い出して下さい。アンテナは、登録サイトを更新時間順に上から並べます。つまり、アンテナだけに頼りすぎると「質は良いけど更新頻度の低い」サイトが埋もれてしまう可能性があるのです。質至上主義のサイトがちゃんと生き残り、メジャーな存在になれたのは、非アンテナ文化のおかげ言っても過言ではないと思っています。

今更リンク論とか照れくさいけど、はてなアンテナの普及しつつある今、テキストサイトはある種の過渡期ではないかと思います。つまり、津田日記リンクスから受け継がれてきた非アンテナ文化とべんりくんから受け継がれているアンテナ文化の統合が起こりつつある、という意味で。どうせなら、今までよりもっと面白く、もっと可能性が広がる方向で統合したいですよね。
 

6:22 02/07/15【僕女】

女に生まれたことは基本的に納得している。女で得した経験と損した経験はだいたい同数だったと思うので、今以上の贅沢は言わない。ただ、あえて言えば1つだけ、男の人が羨ましくてたまらない点がある。それは一人称「僕」を使えるということだ。

「僕」という言葉が大好きなのだ。「ぼく」ではなく、「ボク」でもなく、「僕」。大人の安定感と少年のあそび心を兼ね揃えたような響き、憧れてしまう。白状すると、高校の頃試しに使ってみたことがあるんだけど(いわゆる「僕女」ですね。ただしオタクではありません。)、やっぱりサマにはならなかった。

私の中には一種の「理想の思想」が棲んでいる。仮にそいつに人格があるとしたら、一人称は「僕」を使うに決まっている。以下、そいつのことはαと呼ぶことにするが、私が哲学だの何だのを考えるときは、いつも彼と対話している。αの機嫌がいいときは、問いをぶつければぶつけるだけ答えを返してくれるけど、そうでない時は黙りこくって一欠片の言葉さえよこさない。彼の思想を自分のものにするまでには、きっと何十年とかかると思う。

だから私は、現実世界にαと似た人を捜していた。話しかけてもちっとも反応してくれない彼の替わりに、問いかければ必ず答えてくれる思想と、その思想を自在に操れる人を。今のところ、ハイデガーが一番αに近いような気がする。

そして、ちょうどハイデガーと出会ったと時期を同じくして、私は一人称「僕」を使うのをすっぱりやめた。
 

14:40 02/07/14【結論】

★ああ、ネットを通じた広くて浅い人間関係は心地良いなあ。と、ひきこもりっぽい台詞を言ってみる。今日から実質夏休みです。夏休みに入った途端に鬱状態から抜け出すのは「ただの駄目人間」である証拠でしょうか。
 

★結論を出さない文章は、しばしば必要以上にかっこよく見える。

なぜなら、完璧な結論などあり得ないから。どんな主張をしたにしても、絶対に欠点が見つかってしまい、ああ所詮この人はこの程度かと思われてしまう。
一方、あらゆる仮説を否定するだけ否定して、じゃあ自分はどう思うのかは隠したまま去っていけば、この人はまだ誰も知らない最善の結論を持っているのかもしれない、と誤解させることができる。まだ見ぬ意見というものは、既知のどんな意見よりも優れているように感じるものだ。

否定することは簡単だ。ただ首を横に振ればいい。
肯定することは野暮だ。ベストじゃなくてベター、歯切れが悪くて、現実的で、泥臭い肯定にならざるを得ない。
でも、だからこそ私は、肯定したいと思う。
ありもしない理想の世界を崇拝するのはやめて、この地上にある不完全な言葉の中から1つの結論を支持しよう。
 

23:58 02/07/11【ブラッディメアリ】

如星さん流トマトスープを作ってみようかと思ってわざわざトマトジュースを買ってきたのに、気が付いた時は牛乳の替わりにウォッカが注がれてブラッディメアリになってしまいました。世の中そんなものです。
 

短歌集をアップしました。
 

18:27 02/07/09【条件】

男女問わず、この人とうまくやっていけるだろうか?と思っているとき、特に注視するポイントが4つある。

1つは、目。これはきっと、インプットの象徴なのだと思う。もちろん色や形ではなく、表情や仕草の問題。どんな目で世界を見ているのか、どんな目で私を見ているのか、一人一人みんな違う。目を合わせるのが上手い人は多いけど、個人的には目をそらすのが上手な人のほうが好感度が高いみたいだ。

もう1つは、語彙。これはアウトプットの象徴。いや、アウトプットそのものか。同じ対象を表すのに、和語を使うのか漢語を使うのか、それとも片仮名なのか、また一人称は「私」か「あたし」か「オレ」か「僕」か。その人の語彙は、その人の世界そのものだ。

3つめは、手。これはきっと、一方的なインプットでもアウトプットでもなく、作用と反作用を伴う双方向コミュニケーションの象徴なんだと思う。握手は1人ではできない。相手に気付かれずに触れることも出来ない。たとえば冗談を言って小突かれるとか、狭い道路で車とすれ違う時にふっと肩を引き寄せられるとか、そういういやらしくないタッチに惹かれる。
 

最後の1つは、私の気まぐれとワガママに耐えられるだけの忍耐力の有無
 

22:52 02/07/08【真相】

★懲りずに大学の精神科医I先生に相談しに行きました。だって無料なんだもん。で、再び「授業かったるー」と愚痴りまくったのですが、この先生、なかなか大物であることが判明。「じゃあ、大学なんてやめちゃえやめちゃえ♪」と煽られてしまいました。その上、私がハイデガー専攻と知ったとたんに、どうせ知ってるでしょと言わんばかりに専門用語をバリバリ使って精神分析学だか何だかの議論をふっかけられました。一体患者を何だと思っているんですか。
先生「だってあなた健康だもの。患者じゃないもの」
if「えーとそれってつまり、『病名:駄目人間』ってことですか?」
先生「まあ、そういうところかしらね」

肯定しないでください。
 

★リクエストされたCDを全部聞いて感想を書いてみよう企画 第2回

ムーンライダーズ『青空百景』(Naoyaさん指定)

82年の作品だそうです。時代的には私が一番苦手な頃なのでちと不安。
複雑なコーラスワークを駆使してボーカルを楽器の一つとして曲の中に溶け込まそうとしているけど、他の楽器群がいまいち目立たないせいで結果的に「歌謡曲」になってしまっている、という第一印象。ドラムのまっすぐな音はけっこう好きだけど、伴奏の域を出ているとは言い難いし。あー、なんだろう、このパッとしなさは。きっと80年代好きの人にとってはこのパッとしなさこそがたまらないんだろうなあ。
「これ一度使ってみたかったんだー」って感じのピコピコ音とかはあえて聴かなかったことにしますが、実はボーカルに限ってはかなり気に入りました。地声に近くて良い意味でテキトーな歌い方が嫌みっぽくなくて楽しそう。思わず口ずさみたくなるようなフレーズを何重にも重ね、ズラし、拡散させて、聴き手をその影のある世界にふんわりと包み込んでしまいます。4拍子でも2拍子っぽく聴こえる曲が多いせいか、一緒に行進したくなりました。
あ、あと私の好きなレベッカとかスパイラルライフ(多分、石田小吉のほう)とかがこのアルバムから微妙な引用をやっていることに気付いて思わずニヤリとしました。
 

23:55 02/07/07【パラドックス】

ぜったい矛盾してる。

奇を衒った作品って嫌いだ。目的としての新しさになんて価値がない。それは私たちを惑わせ、本当に大切なものを見失わせる結果を生むからだ。
……なのに実際、私が好きなCD、小説、演劇など並べてみると、「前衛」と評されている物が妙に多い。

友達付き合いって面倒くさい。他人に合わせなきゃいけないのって苦痛だし、誰にも束縛されず独りで勝手気ままに行動していたほうがずっと楽だ。
……なのに実際、飲みの誘いは先約がない限り絶対に断らない。単に酒が飲みたいだけという説も

前者の矛盾の原因には、うすうす気付いている。私は本当は、一見派手で新鮮なものが大好きなミーハー人間なのだ。しかし、そんな自分に危機感を持っている。本能の赴くまま新しいものを追って、いろんな物を見逃してしまったらヤバいなあ、と。だからこそ「奇を衒った作品って嫌い!」と自分に言い聞かせてセーブしているのだ。

後者の矛盾の原因も同じなのだろうか。そうかもしれない。私は本当は寂しがりで、他人の影響を受けやすく、周りの流行や世論に流されてしまいやすい体質なんだ。だからこそ、それを避けるために単独行動しているのかもしれない。
ああ、きっとそうだ。他人といる時息苦しく感じるのは、他人に縛られているからではない。自分で自分の縄をきつく締め直してしまうかだ。変わってしまうことを恐れて、密室に閉じこもってしまうから酸欠になる。意識的にもっと縄を緩めて、流されることを容認すれば苦しくなくなるに違いない。
 

いや緩めないけど。
 

18:41 02/07/06【音という表現】

★下の企画の話題と関連して。

J-POPの歌手は、Vo.の表現力を歌詞に頼りすぎている人が多いような気がします。「日本人しか聴かないんだから」という状況に甘えている、というか。確かに、頼りたくなる気持ちは非常によく分かります。形象としての言葉だったら日本語のほうが幅が広いけど、音声としての言葉だったら幅の広さでは英語のほうがやや有利、という事実は否定できないからです。たとえばシャウトは子音で終わったほうがかっこいいし、一音節の中で変化を付けられる「R」や二重母音、強い溜めと放出を表現できる「F」「V」など、楽器としてのボーカルに有利な要素が英語には幾つもあります。 しかし、狭い幅の中でレベルを上げていくことは十分に可能なはずです。どうせ歌詞を聴けば伝わるからいいやじゃなくて、たとえ全部「ダバダバダ〜」で歌っても伝えたいことがちゃんと伝わるようなVo.を目指して欲しいなあ。 メジャーな洋楽シーンに非常に優れたボーカリストが多いのは、非英語圏を含めた全世界で聴かれることを前提としているからじゃないかと思うのです。歌詞が聞こえない奴らにもCDを買ってもらわなきゃいけない。感動させなきゃいけない。そのようなプレッシャーが無意識のうちにあるからこそ、表現力の差が生まれるのです。
 

★リクエストされたCDを全部聞いて感想を書いてみよう企画 第1回

Dir en grey『鬼葬』rougeさん指定)

KOЯNから黒人系の影響をとり除いて、更にVo.をビジュアル系に差し替えたような感じ、と言えば雰囲気は伝わるでしょうか。攻撃的なアレンジに、意外と切ないメロディーを上手に乗せている、良質のヘヴィ・ロックです。演奏も水準に達していて、ギターは凄くいい音を出してるし、ドラムの手数もまずまず多いです(欲を言えばタムはもっと気合い入れて叩いてー!)。ベースはやや音域が狭くて地味だなあと思ったけど、他のパートが暴れているのでかえってバランスが取れてます。ただしVo.はどうも好きになれません。シャウトが似合う曲調なのに、声量がやや貧弱です。マイクに口近づけすぎ。

えっと、「歌詞についてコメントが欲しい」ということなのですが、このアルバム、日本語で歌っていて、歌詞カードにはその英訳が載っているのです。これはつまり普通に考えれば、いわゆる音声としての言語、楽器としてのボーカルを楽しんで欲しい、というサインだと思うので(もしも、rougeさんのおっしゃるように表現における日本語の優位を説きたいのだったら、もっとハッキリ発音するはず)、歌詞についてグダグダ言うのは野暮じゃないかなあ。

一応少しだけ言っておくと、歌詞において大切なのは、メロディーとの一致(その節で一番盛り上がる音のところに歌詞の単語のアクセントを持ってきたり、似たようなメロディの所には似たような発音の単語を持ってきたりetc)、意味の一致(暗い曲には暗い歌詞、サビにはテーマとなる言葉、転換部には状況の転換を示す言葉etc)、この2つだと思っています。歌詞のみで完結した文学性を求めるなら、買うべきものは詩集であってCDではありません。
『鬼葬』の場合、前者の一致が為されているのかどうかはよく分かりませんでした。だって何を言ってるのか聴き取れないんだもん。後者の一致のほうですが、英訳を読む限り、fuckとかdeathとか物騒な単語が沢山出てきて曲のイメージに合っていると思うので、まあ良いんじゃないかあ、としか言いようがありません。
 

9:40 02/07/05【存在? 非存在?】

★うわー。このやり切れない気持ちをどこにぶつけたら良いのだろう。
かつてネット上だけに存在していて、今はネット上にすら存在しない人格が、私の心から離れない。時間をかけて封印しようとしてるのに、いつも最後の段階で影になって出てきて苦しくなる。
ごめんなさい。分かる人だけ分かってください。
 

★というわけで、やっと7月2日の続きです。自分のドイツ語解読能力のなさに鬱。
解釈学的循環(部分を理解しないと全体を理解できないが、全体を理解していないと部分を理解できない)の打開策としてSpiralという概念を提唱したわけですが、実は私は、このhermeneutic spiral以外に本当の理解はあり得ないとすら思っています。

なぜなら、私たち人間の存在形式自体が、「世界−内−存在」と呼ばれるものであり、部分と全体──世界と私の間での循環を本質的に抱えているからです。人間は、この「世界−内−存在」を了解するという仕方で生きています。人間による全ての理解は人間の存在の部分であり、解釈学的循環の部分なのです。

以上、ハイデガーのパクリ、じゃなくて受け売りでした。

決定的に重要なことは、循環の中から抜け出すことではなく、正当な仕方でその中に入り込むことである。了解にそなわるこの循環は、ありふれた認識様式がその中で動き回っている堂々めぐりではなく、人間そのものの実存論的なプレ構造の表現なのである。
(『存在と時間』5章32節)

そして今のは引用。
 

1:23 02/07/04【effection】

M~3のウエダさんがフルートを買ったという話に触発され、「おもちゃ」として手風琴を買ってしまいました。単なる小さいアコーディオンかと思っていたら、蛇腹を開くときと閉じるときで音が違うのね(つまりハーモニカ方式)。7鍵盤×2=14音でどこまで表現できるのか、意外と奥が深いです。けっこう長く遊べそう。
 

★日本語は便利です。他人の意見を他人の言葉のまま使うことは、「受け売り」と呼べばいいんじゃないかと今気付きました。
 

★ぎょうむれんらく。企画のCD、半分ほど借りました。来週あたりからぼちぼちアップを始めます。
 

8:39 02/07/03【インタビュー】

★毎日新聞キャンパるの会議の日だったので、ついでに社員のSさんにW杯報道について聞いてみました。(注:これは酒の席での雑談なので、毎日新聞としての見解ではないし、Sさんの本当の見解だという保証もありません。苦情等ありましたら私にメールして下さい。)

if「韓国を持ち上げる報道ばかりだったと思うのですが、圧力とかあったんですか?」
S「圧力などは全くないです。外交的な理由ですね」
if「民間の新聞社なのに、外交なんて気にするんですか?」
S「そうです。いい気分にさせてあげたほうが政治的な話し合いもスムーズにいくでしょ。新聞なんてそんなものです。もちろん、バランスをとるために批判的な意見も2、3割は入れるようにしていますけど」
if「えー、2、3割どころか1割もなかったと思うのですが」
S「実際、韓国の実状はそんなに酷くないですよ。一部の変な人たちが騒いでいるだけで。サッカーでも日本を応援してくれた人が過半数じゃないかな。バランス的にはうちの記事くらいで正しかったと思ってます」
if「ある記者さんのコラムで、韓国の実状をそのまま書いて日本に送っても都合が悪い部分は掲載されない、ということが書いてありました」
S「新聞社によりますね。朝日なんかは、そういうこともやってそう。でも、うちは比較的記事の敷居が低いので、何でも載せちゃうと思います」
if「ネットからの働きかけは意識していましたか?」
S「いや、全然」
if「2ちゃんねるなど、無視できない勢力になりつつあると思うのですが」
S「今、はっきり言ってネット上の匿名の意見なんて気にしている記者はいませんよ。2ちゃんねる見てる国民の数なんてたかが知れてるし、社会への影響力もない。まあ、数十年後はどうなるか分かりませんけど」
if「それじゃあ、世論に抗うような意見の居場所はどこにもなくなってしまうじゃないですか」
S「直接言えばいい。現実世界では迎合したふりをして、後になってからネットで匿名の中傷をするなんて陰湿すぎるんです。今の日本には、直接言う勇気のある人がもっと必要だと思いますよ」

残念ながらここで時間切れでした。直接言うと弾圧されるから匿名で言ってるんじゃーん!と思うのですが。大手新聞社にとって2ちゃんねるが痛くもかゆくもないと言われてしまった以上、「みんなで」直接言うのが最も根本的な解決策であるのは確かです。「みんなで」言えばそう簡単に弾圧もできないだろうし。

個人的には、ネット上の意見が実際の世界を動かすようになる日を、「数十年後」ではなく「数年後」にまで近づけられたらいいなと思います。見てろよ、ネットの底力を。そのためにはまず、2ちゃんねる中毒買って下さい。ごめんなさい関係ありませんでした。
 

★昔どこかで読んで賛成!って思った意見があって、何かの折にその意見を自分のサイトに書いたのですが、ずっと後になって「あ、この意見、このサイトで読んだんじゃん!」ってことに気付いて焦ったことがあります。

ちなみにその後、そのサイトの管理人さんには私の意見を逆パクリされました。仕返しでしょうか。でも、こういうコミュニケーションもありなのかな、とちょっと面白かったのでした。

パクリ騒動で閉鎖するサイトとかを見つけるたびに、あの時の酸っぱい思いが甦ってきて、何を書いてもパクリになってしまいそうな強迫観念に襲われます。見てすぐ分かるストーリーや表現のパクリは論外として、オリジナルとは一体何だろう、という問いについて、一度じっくり考えてみたいです。「意見のパクリ」と「同意見」の境界は何なのか。「自分の言葉で書いているかどうか」がキーなんだろうけど、じゃあ自分の言葉って何?
 

2:38 02/07/02【critical thinking】

解釈学的循環(hermeneutic circle)という言葉があります。たとえば何かの文章を読むとき、全体の文意が分からないと1文1文に込められた真意は分かりません。しかし、1文1文を正確に読みとらない限り、全体の文意を理解することは出来ないのです。文章とは、部分と全体の永遠に解き放たれることのない閉鎖回路として、私たち読者の前に立ちはだかっています。

このような循環は、社会と個人の関係にも例えられます。社会が変わるためには構成員が変わらなければいけない、しかし構成員が変わるためには社会が変わらなければいけない、と。

しかし私は、この回路はhermeneutic circleではなくhermeneutic spiralだと思っています。一回りして帰って来たとき、それは完全に同じ場所に戻ってしまったのではなく、螺旋階段の1つ上の階に進むことが出来たのではないか、と。

上から見たときは押しても引いても出口のないように見える議論も、視点を横にずらしてそこから押したり引いたりしてみれば、circleはspiralに変わり、有意義な議論にすることが出来るのです。

と、ここまでが一般論。続きは明日以降。
 

23:39 02/06/30【critical thinking】

★「みなさんから指定されたCDを聴いて感想を書いてみよう企画」のリクエストは締め切りました。せいぜい10枚だろうと思っていたのに、全部で24枚もリクエストされてしまい、嬉しい反面、本当に全部聴けるのか不安だったりもします。
なかなかジャニスに行く時間がとれないので、とりあえず近所のツタヤに行ってみたのですが、24枚中4枚しか置いてないってどうよ。うちの読者は一体どういう音楽の趣味しているんですか(ホメ言葉)。
 

★critical thinking。
これは、ICUに入学した全ての学生が、まず最初に叩き込まれる言葉です。
本を読むとき、話を聞くときに、その内容を鵜呑みにしては行けない。常に「本当に正しいのだろうか」と問い直し、確認しながら進んでいかなくてはならない。簡単なようで、これが難しいのです。ある程度の予備知識と確固たる判断基準を持っていないと、間違いを見破る術がなく、与えられた情報を信じるしかなくなってしまうからです。

もちろん私もまだまだ青いけど、それでも4年前と比べたら、はるかにマシなはずです。当時の私のままだったら、W杯の韓国マンセー報道に騙されて、審判の変な判定にも、マナーのなってない赤いサポーター達にも、気付かなかったかもしれません。

我々が間違いを犯しやすいポイントというのがいくつかあります。それを、かつてベーコンは4つのイドラ(偏見)として著しました。種族のイドラ(自然界の現象の意味を、擬人化して理解してしまうこと)、洞窟のイドラ(個人の趣向に過ぎない基準を一般の基準として考えること)、市場のイドラ(本来イコールではない「言葉」と「事物そのもの」を混同すること)、劇場のイドラ(権威や伝統に盲目的に追従すること)です。 今回、我々を惑わしていたのは主に「劇場のイドラ」なのでしょう。

この4つに気を付けることから、critical thinkingを意識的に始めてみてはどうでしょうか?
 

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