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23:05 02/05/30【易きにつくべからず】

嫌いな文章の話をしたので、今度は興味のない文章の話。
こういう「嫌い」「興味ない」ってネガティブな話題の時に具体的なサイトにリンクを貼るわけにはいかないので、わざわざ自分で考えなくちゃいけなくて大変だ。

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今朝目が覚めたら、ベッドの中に真っ赤な爆弾があったんですよ。それで僕は、爆弾を恋人だと思って一緒に新宿にデートに出たんです。刷り込み効果ですね。ほら、老アヒルが死ぬ直前に見たものを自分の子どもだと思い込むってやつ。違ったっけ? で、彼女の名前はキューティー☆テールちゃんに決めました。導火線が腐りかけた猫の尻尾みたいでセクスィーだったからです。途中でお巡りさんに止められたけど、キューティー☆テールちゃんと直接おしゃべりさせてあげようと思って投げようとしたら、一目散に逃げていきました。変な人だなあ。あ、今の「変な人」っていうのは「恋人」にかけたシャレね。分かった? 失恋したキューティー☆テールちゃんは僕のフケだらけの胸元でさめざめと泣いて、せっかくの尻尾の先がちょっと濡れてしまいました。乾かしてあげなきゃと思ってライターを近づけたら火がついちゃった。ごめんね、熱かったでしょ、キューティー☆テールちゃん。
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共通点は、「現実逃避」なのかなあ。思考停止という甘い蜜をしたたらせて現実から目を逸らさせる文章は、魅力的なだけに危険です。私たちを本質的な解決から遠ざけて、問題を手遅れになるまで悪化させてしまうかもしれません。
ファンタジーが苦手なのも、それが現実逃避の手段として使われやすいという性質故だと思います。もちろん、逆に現実の問題を解決する糸口になってくれるようなファンタジーも存在するし、そういう作品は大好きなのですが。

では、現実の問題を解決する糸口になってくれるような不条理、というものは存在するのでしょうか? あるとしたら何処に? これが、私が追い続けている問いなのです。
 

0:35 02/05/30【スランプ】

★おかしいなあ。なんかCDが増えている。でもってお金が減っている。確か、2、3枚は買った記憶があるんだけど、どう見ても今月だけで15枚は新しいのが増えているんだよなあ。1度も聴いたことのない演奏、1度も聴いたことのないメロディーを体が強烈に欲している。おっかしいなあ。まあ、最近アウトプットばかりしていた気がするので、インプット期に入るのも良いでしょう。5月病だし。

★研究のほうがちょっと進展あった。しかし、日記のネタにはならないのがツライところ。よく私の日記は「哲学系」と言われるけど、実際は哲学にほんの少し背中を押してもらっているだけの普通のエッセイ。今日の収穫を書いたとしても、単独で読んでも何の面白みのない引用の羅列になってしまう。

★オフ参加の〆切は6/1の正午までにしまーす。
 

1:18 02/05/29【オフ告知】

★勢いとノリで決まってしまった寄生虫オフのお知らせ。

日時:6/2(日) 15時頃〜21時頃
日程:目黒寄生虫館(入場無料)を見学。その後、恵比寿か渋谷あたりで飲み食い。幹事が貧乏なのでそんなに高いところには行きません。個人的にはロックアップ希望なのですが、参加者の皆さんの意見も尊重します。
とりあえず行ってもいいと思う方は、BBSかメールでご連絡下さい。詳細をお送りします。ROMの方の参加も歓迎です。また、飲みだけの参加も歓迎です。

★素人似非哲学オタクが好む2大思想としては、仏教とニヒリズムが挙げられると思う。極端で理解しやすいし、なんとなくかっこいいイメージがあるからね。
だから、喫茶店で「ニーチェ云々」なんて本を読むのはどうも気恥ずかしい。なんか怪しげな宗教関係者には親しげに話しかけられるし(実話)。これは趣味じゃなくて実益ですよー、土曜日までにレポート書かなきゃいけないから仕方なく読んでいるんですよー、と周りの人に大声で弁解したくなる。
とか考えてしまう私も素人似非哲学オタクと大して変わらないのか。
 

3:24 02/05/28【アナフィラキシー】

運悪く「ある種の文章」にぶち当たって読んでしまうと酷いことになる。全身拒絶反応、アナフィラキシーを起こしてしばらく立ち直れなくなる。これはけっこう困る。Webをうろついていたり、同人誌を漁っていたりするとけっこう頻繁に見つけてしまうからだ。
そこでちょっとは免疫をつけるために、「ある種の文章」を自分で書いてみようかと思う。花粉を食べて花粉症を治すのと同じ原理だ。

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アタシの本当の気持ちなんて、誰も分かってくれない……。
パパもママも、学校の成績のことしか頭になくて、アタシの話なんて聞く耳を持っていなかった。だからパパとママを喜ばすためにテストで100点を取ることだけを生き甲斐にする子に育ってしまった。そして100点を取るたびに、嫉妬したクラスメイト達に仲間外れにされ、上履きを捨てられたりトイレに閉じこめられたり苛められて続けていた。
こんな人生はもう嫌だ。ここ数日、夜になっても全然眠れない。食事が喉を通らなくて5キロも痩せてしまった。みんな壊れてしまえばいいのに。みんな死んでしまえばいいのに。アタシも死んでしまいたい……。冷たいカッターナイフを握りしめる。これは人生を台無しにされた復讐なのだ。そっと手首ごめん挫折。じんましんが出来てきました。
 

0:50 02/05/27【観る】

★高校の友人がやっているバンド自転車バイクのライブを観に、六本木エッヂへ。ライブ自体はまあ、レビューするような性質のものではないし、楽しかったのでそれで良いと思うのですが、問題は今日集まったメンバー。

げんちゃん(ライブ出演者)……ぷー。
ひろし……就職浪人。
よしろー……医学部6年生。
イシダ……司法浪人。
私……大学院生。

全員が23歳以上なのに、社会人が1人もいないってどうなの。ねえ、どうなの。

★まず最初に快感の流れを堰き止めて、溜めて溜めて溜めまくって、クライマックスで一気に放出する。これが、物語を鑑賞するときの典型的かつ理想的な流れではないだろうか。

ハリーポッターのビデオを見て、首を傾げてしまった。そういえば千と千尋を観たときも同じことを感じたっけ。これらの映画は最初から最後まで快感垂れ流し状態が続いていて、「堰き止めて溜める」というプロセスが存在しないのだ。十分に溜まっていない状態クライマックスを迎えてしまっても、イマイチ物足りないと思う。こういう冒険&成長テーマのお話は、まず前半の冒険では失敗させておいて、その失敗をバネにして後半のより大きな冒険で成功するという流れにしたほうが感動的だと思うのだが、違いますか。

もちろん溜めのない作品を否定するわけじゃない。でも、あまりにもそのような作品の占める比率が高すぎるような気がする。映画館でたった2時間溜める忍耐力すらない人が増えているんじゃないだろうか。
 

0:06 02/05/26【ストックネタ放出】

友人とコアラのマーチを食べていて、愕然としました。
今までも、「盲腸コアラ」とか「見ざる聞かざる言わざるコアラ」とかユニークで可愛いデザインがいろいろあったけど、コアラでさえあれば何でも良いというわけではなく、一つ暗黙のルールがあったと思うのです。それは、コアラのマーチの形は、コアラの絵の輪郭線を象ったものであるということ。
しかし、最近出た「スポーツなんとかシリーズ」とかいう絵柄ときたら!
(※画像引用fromコアラの森
 
     
モーグルこどもコアラ
     
ボブスレーコアラ

全然輪郭線じゃないのです。ボブスレーなんて2匹いるし。もう、こうなったら何でもアリじゃん。最後の砦を破られてしまったコアラのマーチが暴走するのは、もはや時間の問題ではないでしょうか。
というわけで、次はぜひ、「テキスト系サイトシリーズ」絵柄を開発して欲しいと思います。こんな↓コアラのマーチが発売されたら、私は絶対に買います。
 
     
先行者コアラ
(注:コアラです。)
     
ケルベロスコアラ

 

21:54 02/05/24【つながり】

リンクって素敵だ。htmlファイルにたった1行書き加えるだけで、大好きなサイトに一瞬で行けるようになる。会う機会のなくなってしまった旧友とのコンタクトを維持することも出来る。憧れの管理人にお近づきになるきっかけにもなるかもしれない。

リンクページの充実しているサイトは嬉しい。自力では見つけられないような魅力的なサイトをいろいろ紹介してくれるリンク集は、検索サイトよりも重宝することもままある。

ところで、私が究極にかっこいいと思ったリンクページのあるサイトを紹介したい。どんなに充実したリンク集でも、ここには敵わないと思う。ぜひ自分の目で確かめてみて欲しい。.♭私の方法。だ。
 

21:06 02/05/23【初体験】

車に轢かれました。

信号のない細い道を自転車で渡る時、歩くぐらいの速さで車が近づいて来たのを「止まるのに減速しているのだろう」と判断してそのまま進んだら、向こうがよそ見運転のために気付いてくれずに衝突。両方ともノロノロ運転だったため、「キキー、ドン、ガシャッ」っていうよりは「コツン、メリメリメリ」という感じの音がして、横転した自転車&if本体の2/3ぐらい軽ワゴン車の下に引きずり込まれました。

結果。
自転車……大破(かごはぺちゃんこ、前輪とハンドルはぐにゃぐにゃ)。
私……かすり傷。

車の下から這い出で普通に立ち上がった瞬間、周りの野次馬たちから拍手と歓声が沸きました。つーか私はむしろ「車を傷つけちゃったらどうしよう。修理代を弁償しなきゃ」とか考えていたのですが。どーやらそういう問題ではなかったらしく、いつのまにか来ていた救急車に乗せられてしまいました。かすり傷なのに。救急車に乗るのは二度目だけど、前の時は貧血で意識がなかったので、中を見るのは初めてです。様々な医療器具が所狭しと並んでいるのかと思いきや、目に見える場所にあるのは担架と毛布だけで、シンプルな作りでした。応急手当(って、かすり傷の上にガーゼを当てるだけ)をされて、病院に運ばれます。恥ずかしいからサイレンやめて下さいと頼んだのに大音量でピーポピーポ流されてしまいました。

着いた先は近くの外科専門病院。外科だけあって職員はみんな交通事故の処理に慣れていて、あっという間に診察とレントゲンを終え、診断書が出てきました(診断名は打撲になっていた。打撲というより単なる青アザなのですが)。治療費は保険会社に請求するということで、その場での負担はありません。

その後、相手の車に乗って警察署へ。簡単な調書をとられました。いろいろ深く突っ込まれるのかと思いきや、軽傷だったせいか3分で終わりました。あとはそちらで示談して下さい、と言われて帰されてしまったのですが、
私「示談ってどうすればいいんでしょう?」
相手「さあ、どうすればいいんでしょう?」
2人して考え込むこと5分。駄目じゃん。だって相場とか知っているはずないし。とりあえず、お詫びということで1万円いただきました。その他、自転車代、破れたスカート代、それにちょっと傷がついただけの靴と鞄代まで相手の保険でいただけるそうです。ラッキー。

……私、当たり屋の才能ありますか?
 

13:20 02/05/22【齟齬の原因】

★いろいろな「正しさ」がある。

まず最初に思いつくのが、論理的な正しさと、道徳的正しさだ。
また、習慣的正しさというのもある。これは多くの場合多数決で決まる。家の中では靴を脱ぐべくだ、という命題は日本では正しいけどアメリカでは正しくない。
宗教的正しさ、場合は、教義に合っているか、教義に反しているかで判断できる。
存在論的正しさ、というのもある。この世界に存在しているか否かで決定される。「トキ」はかろうじて正しいけど「ネッシー」は多分正しくない。

AがBを殺した。実際に起こった話である。よってこの命題は存在論的には正しい。しかし、道徳的には間違っている。また、AとBが敵対する別の宗教の信者だったら、Aにとっては宗教的に正しいかもしれない。

どんな時、どの正しさを基準にすべきなのか。決定的な方程式は、多分存在しない。
結局、私たちにできるのは、郷に入れば郷に従うことぐらいなのかな。

「あるべき世界」があり、現に実在しているという信仰は、「あるべき世界」を創造しようという意欲を欠いた非生産的人間の信仰である。彼らは「あるべき世界」を現存していると決めつけて、その世界に到達するための手段や方法を探し求める。真理への意志とは、想像への意志の喪失なのだ。
(ニーチェ1887年遺稿・9[59])

★あーあ。恋愛小説でも書こうかなー。
 

19:02 02/05/20【空想科学】

★東女のSF研の部室に、新井素子がデビューした当時の奇想天外とかSFマガジンとか見つけてしまって、つい熟読。

最近のSFの衰退っぷりは想像を絶するものがある。ファンの端くれとしては淋しい限り。このまま一時のムーブメントとして葬り去ってしまうには惜しい分野だと思うんだけどなあ。SFという言葉が非常に狭義に解釈されてしまっていること、1999年になっても恐怖の大王は来なかったし21世紀になっても一般人は宇宙に行けないしで世界観が壊されてしまったこと、などが原因なのだろうか。

個人的には、SFは「科学に対する意見をテーマに含む小説」のことだと思っている。最近の作品の殆どは批判的な意見だけど、もちろん賞賛でも良い(戦前のSFは賞賛しているのが多いな)。
そういう定義でなら、宇宙船やタイムマシンが出てくるのは必要条件ではない。現代の普通の一般家庭の日常的な風景を描いているSF小説ってのもアリだと思う。

科学に対する意見や、科学とは結局何だったのだろうという思考は、21世紀になった今でも決して古臭い問題ではなく、逆に今だからこそ必要なものだと思う。このような問いにこそ、死にかけた分野の新しい可能性があるのではないだろうか。

★久しぶりに、近所の大好きなお店ハートランドに行った。ここはコーヒーやビールを飲みながら店内の本を自由に閲覧できる古本屋さん。フルーツのような香り豊かなシメイを口に含んで、BGMのジャズを聴きながら論理哲学論考(高くて買えないのです)を読む。幸せ。
 

23:54 02/05/19【相対的】

★わりと物理的に不可能です。

★自分が興味ないジャンルの音楽を馬鹿にすることは絶対にしないように気を付けている。大抵の音楽は、心を開いて聴けばそれなりの魅力が発見できるし、発見できなかったとしてもそれはその音楽を理解する土台を私が持っていなかったというだけで、決して劣っているからではない。

特に、J-POPファンと話すときは気を遣う。会話の流れで洋楽アーティストの名前を挙げただけで、別にJ-POPと比較してるわけでも何でもないのに、いきなり「お前は自分が洋楽ファンだからって俺よりも偉いと思っているんだろう」と怒り出すやっかいな輩が多いのだ。言いがかりもいいとこだ。「俺が好きじゃない音楽をほめている奴がいる→あんなつまらん音楽を心から面白いと思っているはずがない。きっとファッションで聴いているに違いない」という発想はやめてくれ。確かにファッションで洋楽聴いている阿呆も数%はいるんだろうけど、大多数は普通のファンなんだから。

誤解ないように言っておくけど、私は洋楽ファンであると同時にJ-POPファンでもある。日本にも好きなミュージシャンは沢山いるし、ライブに行ったことも何回もある。ごく一部を除き、ほとんどのJ-POPは洋楽にはない魅力を持っていると思う。

……しかし、どうも最近、狙ったようにその「ごく一部」ばかりをレコメンドされてしまうことが多い。さすがに同意するわけにはいかず、しかし正直な感想を言ったら「これだから洋楽ファンの馬鹿は!」と叩かれそうなので、必死に作り笑いをうかべ、頬が筋肉痛になりそうだ。
私の聴覚はやはり何か根本的なところで間違っているのだろうか。
普 通 に な り た い 。
 

2:06 02/05/18【つもり】

★Pekka週間も、通常日記は更新するつもりです。物理的に不可能でない限り。

★匿名での発言を嫌う人がいる。匿名ゆえに咎を受けなくて済むという無責任さが気に入らないのだろう。まあ、その気持ちは分かる。でも、匿名だからこそ言いにくい真理を言えることもある。なぜ彼らは、このような匿名のメリットから頑なに目をそらすのだろうか。

再三書いているが、和を重んじるコミュニティと、真理を重んじるコミュニティがある。そして、この2つは頻繁に衝突を起こす。なぜなら和を重んじる、つまり相手を不愉快にさせないことを優先したならば、都合の悪い真理を隠さなければいけなくなるし、真理を優先したならば、相手にとって都合の悪いことも発言しなければいけなくなり、結果的に不快な思いをさせて、嫌われてしまうからだ。

つまり、匿名嫌いの人は、和のコミュニティに居る人なのではないかと。内容の正しさはメリットでも何でもなく、むしろ和を保つための障害になることさえある。すると、残りはデメリットのみになってしまう。これじゃ、発言元が記されていないというだけで敬遠されてしまうのも無理はない。

10分で書いたから突っ込みどころが満載だぞ。さあ突っ込め(匿名可)。
 

23:03 02/05/15【調べてみよう】

中学校の時、学年朝会やホームルームで決められたテーマのスピーチをしなければいけなかった。それなりに興味のあるテーマに当たれば良いのだが、心底どーてもいいテーマの時に当てられてしまうと非常に困る。私のクラスでは、困ったときの必勝法として「広辞苑作戦」というのが浸透していた。やり方は簡単。テーマとなっている言葉を広辞苑でひく。語源の説明や今はあまり使われない用法を捜し、それを無理やり教訓に結びつける。「人という漢字は2人が支え合っている様子を表しているんだよ……」がその典型。この方法だと、かなりの確率でなんとなく立派なスピーチが出来た。

今になって、言葉自体の語源を調べることは単なるスピーチ処世術ではなく、論理的で説得力のある議論方法であることを再認識している。

なんせ「論理」の語源であるギリシア語“ロゴス”は、「言葉」という意味なのだ。
うわっ、自己言及的。
 

21:14 02/05/14【議論】

★議論嫌いの人が多いみたいです。そういう人から、ifは「議論好き」に見えると言われました。全く自覚がないのですが。分からないことを分かるようになるために議論(つうか、むしろ質問)することはあっても、相手をうち負かして優越感を感じるために議論したことはないはずなんだけどなー。

後者のような議論を嫌う気持ちはよく理解できます。不毛だもん。でも、前者のような「理解を深めるための」議論をうざいとか邪魔とかいう人の気持ちはよく分かりません。もっとよく知りたい、もっとよく知って欲しい、と思うことは自然なことじゃないの? うざいの? むしろ、無関心に比べたらずっと良いことだと思うのですが。

理解を深めるための議論さえも嫌う人は、理解されなくても構わないって思っているのでしょうか。それとも、読者の理解力及び自分の文章の説得力を過信しているのでしょうか。そういう無責任な言葉の使い方は嫌です。

★部室棟の住人シリーズ番外編「白いヘアバンド」アップしました。
 

23:17 02/05/13【それが此処の流儀】

正直、テキスト系サイトというものを誤解していたなーと思う今日この頃。というのも、リードミーに参戦して以来、アクセス数は倍になったのにBBSの書き込みは半減してしまったのです。そんなんちっとも嬉しくありません。「もっといろんな人に書き込んで欲しいな」というのが参戦動機だったのに。私自身も、創作系サイトを名乗っていた頃に比べて、他のサイトのBBSに感想を書き込みに行くこと、チャットに参加することが半減してしまいました。

なんだかなー。淋しいな。疲れたよ。と思いながらいろんなサイトを回っているうちに、ある事実に気付きました。
if→itselfをリンクしてくれているサイトはどれも、私好みで面白い、という事実。
そうか、それが此処でのコミュニケーションのやり方なんだ。よく考えれば当たり前なんだけど(私を気に入ってくれるということは、私に近い感性を持っているということなんだから)ちょっとだけ救われた気分になりました。
 

2:48 02/05/13【絶対的肯定】

★価値を否定することは、存在を否定することになるのだろうか?
私はよく、「生きる価値なんてない」って言い方をする。
でも、それは生きることを否定したいからではない。むしろ、絶対的に肯定したいからだ。

例えば、生きることに「楽しい」という価値を認めたとする。楽しいから生きているんだ、と言ってしまったら、じゃあ楽しくなかったら死ぬのか、という話になってしまう。○○のために、○○があるから生きるんだ、と言ってしまったら、○○がなくなったら生きていけないことになってしまう。私は、全ての喜び、全ての楽しみ、全ての希望が存在しないことが暴かれても、なおかつ生きていく、と言えるようになりたい。そのためには、まず生きる意味、生きる価値を全否定することが必要なのだ。

生の存在は、意味や価値によって成り立っているのではない。
生そのもののみで成り立っている。

だから私は、こうも言おう。テキストを書く行為は無意味かつ無価値である、と。
テキストを全肯定したいからこそ、それに付随する意味や価値を否定してみせよう。

テキストの存在は、意味や価値によって成り立っているのではない。
テキストそのもののみで成り立っている。

★MUMU、Machine & the Synergetic Nutsのライブ@西荻窪Bin Spark。
両方とも、先月に三軒茶屋Heven's Doorで観て以来、お気に入りのバンド。正確に言えば、MUMUのほうはドラム植村さんの別のバンドを観たことがあったんだけど。上半身微動だにせず無表情で叩くスタイルは観ていてゾクゾクする。基本的にノイズとかアバンギャルドとかに入ると思うんだけど、トロンボーンのインプロ風フレーズ(実際どの程度までスコアがあるのかどうかは不明)が入ると一気にジャズっぽくになるのが面白い。Machine & the Synergetic Nutsはsaxがフロントで、ややレコメン系の血を感じる。前回と違って、saxとkeyのユニゾンがちゃんとキマっていた。凄い手数で複雑なことをやってるのに、ハードコア的なノリで飛び跳ねながら聴きたくさせるような分かりやすい格好良さを兼ね揃えているところが好き。もはや何拍子なんだか数える気もしなくなるくらいの変拍子の嵐に萌えー。
 

5:38 02/05/12【幻の映像】

★イタリアプログレの最高峰、PFMの来日ライブ@クラブチッタ川崎。
無駄に長くなってしまったので別ファイルに格納しました。

飲めや歌えや雑文祭に飲みながら参加
 

0:11 02/05/11【恋の法則】

どんな変人でも、性格が悪そうな人でも、天才でも凡人でも、恋をしたときはみんな同じようなことを想い、同じような行動をしてしまう。

ヒット曲の殆どがラブソングなのは、恋をした時の行動パターンがある種普遍的なものだからではないだろうか。趣味も持たず仕事だけをバリバリこなすので「ロボコップ」というあだ名で呼ばれているアイツも、俺は神に認められた勇者なんだと言い張って柔道着で毎朝ジョギングしていたアイツも、好きな女の子の前では驚くほど没個性的だった。相手が来るまでは落ち着かずにそわそわしていて、やっと到着してもなかなか話しかける勇気が無くてちらちら盗み見て、目があってビクっとして、恐る恐る話しかけて、返事をもらえると心底嬉しそうにしている。隣の席に座ってしまおうかどうかさんざん迷って挙動不審なほどうろうろ動き回り結局斜め後ろなんて中途半端な席についたり、電話番号を聞きだしたはいいけど1回もかけられなかったりして、ヘタレな自分自身に嫌気がさしたのか勝手に鬱になっている。上手くいかないときは沈み込んでため息ばかりつき、食欲ないのにヤケ食いしたり、夜眠れずに悶々と悩んだりしている。

そんな姿を見るたびに、人間って捨てたもんじゃないよなあ、と思うのだ。
 

22:50 02/05/09【その通り】

ここ数日だけで、再会した旧友からお土産にケーキをもらい、実家から米が届き、北海道旅行に行った先輩からはラーメンをもらい、四国の知人からは讃岐うどんが届けられました。

私は欠食児童ですか。
 

22:59 02/05/08【Re: タイトル】

メールをやりとりする時、いつも先にタイトルをつけるのが自分で、相手からのメールが「Re: 自分のタイトル」ばっかりだと淋しくなる。仕事や事務的な話し合いの場合なら、Re:付きのほうがむしろ分かりやすくて良いのだが、友達や恋人との雑談の場合は、自分ばかりが気持ちを押しつけているような気がしてしまう。

当時付き合っていた人は、絶対に自分からタイトルを付けてくれない人だった。私が「A」というメールを送れば「Re: A」、次に「B」と送れば「Re: B」というやりとりがずっと続いていた。試しにレスのレスを「Re: A」のままで送ると、予想通りレスのレスのレスも「Re: A」で返ってくる。不満はどんどん溜まっていった。

そこで、とてもじゃないけど恥ずかしくてそのまま返信できないタイトルのメールを送ればいいのだ、という名案を思いついた。さっそく次の日から、娘。の歌詞を参考にして次のようなメールを送り始めることにした。
「恋はダイナマイト」
「セクシービーム☆」
「謙虚なあなたが好き」

作戦は成功。彼は、やがて別のタイトルで返信してくれるようになった。
たとえば、一番最後にくれたメールのタイトルは、
「別れましょう」。
実話です。
 

23:45 02/05/07【引き際】

毎日新聞キャンパるの会議。
評価するべきことは評価し、批判すべきことをきちんと批判してくれる場所というのは本当に貴重だ。こういうフランクな雰囲気は作ろうとしても簡単に作れるものではない。築き上げてきた先輩達に感謝、というところか。終了後は高田馬場カプリチョーザで夕飯。
ちなみにキャンパるは、常時ネタに飢えてます。面白い大学教授、凄いことをやっている大学生、その他ネタになりそうな大学関係者をご存じでしたら、取材に行くのでぜひメールで教えて下さい。

★恋は責めと同じくらい引き際が大切だ。諦めるタイミングを見失うと、ストーカー的な行動をとってしまったり、精神に異常をきたして自殺したくなったり、ロクなことが起こらない。

サイト運営も、責めと同じくらい引き際が大切だと思う。自分の力なんてしょせんこの程度だ、と悟ることが出来ないと、宣伝書き込みを乱発して迷惑かけてしまったり、自分でサイトを潰して常連を悲しませてしまったりするだろう。

ところで、困ったことにサイト運営に関しては引き際が見えにくい。これをやっても駄目なら何をやっても駄目、と言い切れる地点が存在しないのだ。恋の場合は「告白」という最終手段がある。告白の結果が良かれ悪しかれ、そこで相手に自分をアピールするという作業を終了させることができるのに。サイト運営にも「告白」に相当するような、白黒はっきりさせられるイベントがあれば、やみくもな宣伝メール、宣伝書き込みの数は減るのではないだろうか?

「このテキ」は、「告白」の役割を果たせる可能性があると思う。上手に使えれば、宣伝メール、宣伝書き込みの抑止効果があるはずだ。いろいろトラブルがあって叩かれているみたいだけど、(一次審査をやるとか)何らかの形では続けて欲しいなあ。
 

22:42 02/05/06【努力】

みんな間違ってる!
あたしだけが正しいのよ!
あたしを見て!  あたしって可哀相でしょ!
みんななんか氏んじゃえ!
バカバカバカバカ!

って感じの文章をフォントサイズ大でネット上にたれ流したら、ストレス解消になるだろうなーと思うこともあります。だけど実際はやる奴は(少なくともマトモな神経を持った人の中には)いない。屁理屈をこねくり回したり、何十分もオチを考えたりして、それなりの努力を重ねてしまう。

努力をするのは、見返りがあるからだ。自分の意見を正しく整理して読み手が親身になって考えてくれるように伝えられる文章力を身につけられるというメリットが、費やした時間とエネルギーを差し引いても、単なるストレス発散の快楽よりも上回っているからだ。

今日の1よりも明日の2、明日の2よりも1年後の100という、いわば米百俵の精神が、テキストをより面白くする。
 

23:02 02/05/05【原因】

気持ちわるー。
朝起きたときから、もとい昼起きたときから、いつも以上にだるだるな気分。用事があって吉祥寺のT-ZONEまで自転車でたらたらと向かったのだが、直射日光が当たるだけでイライラし、駅前のもの凄い人混みを見るに到っては、危うく「お前らな、GW如きで普段来てない吉祥寺に来てるんじゃねーよ、ボケが」とリアルで呟きそうになる。お気に入りの喫茶店に逃げ込んでいつものモカブレンドを注文するも、やはり混んでてちっとも落ち着けないし、気持ち悪さは治るどころか増すばかり。もう嫌。心の中で全世界に悪態をつきながら家に帰ってきた。
 

ウール100%の冬物カットソーを着ていたことに気付いた。(今日って真夏日だったのね)
 

20:38 02/05/04【意味】

「文学の領域では、ただ不可思議だけが、小説のような下位のジャンルに属する作品や、概して裏話の性質を持つものの全てのものを、みのりゆたかにできるのである」
「言葉とは、シュルレアリスム的に用いられるように人間に与えられているものだ」
(アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』)
「大切なのは笑う月の身元や正体などではなく、笑う月そのものなのだ」
(安部公房『笑う月』)

20世紀の文学は、無意味の時代だったと思う。人々は湿っぽさや暑さを嫌い、意味を打ち砕くことに熱中した。その結果確かに言葉は意味を失いただ形と音声として扱われ、鑑賞者を感動させて影響を与えるような芸術の在り方は打ちのめされ、否定されつくされた。

しかし、それで満足か? 私たちはひょっとすると、無意味であることに意味を感じていたのではないだろうか。既成の意味を打ち砕くことで何か別の「本当の意味」が現れることを期待していたのかもしれない。

20世紀が無意味の時代なら、21世紀は意味の復権の時代と呼びたい。結局、私たちは意味を求めずに生きていけるほど強くなんてないんだ。無意味はやはり無意味なのだと言うことに、そろそろ気付いてもいい頃だ。何度でも言いたい。私たちは何かを壊すために創るのではなく、何かを守るために創るのだ。
 

0:16 02/05/04【答え】

★私はなぜ生きているのだろう、と考える人はたくさんいる。そして、その問いを乗りこえたっぽい人も稀にいる。しかし、真に乗りこえた人は、なぜか答えを語ってくれない。だから私たちはまだ考え続けなければいけない。教えてくれればいいのにケチ!

多分、答えは「答えなんてない」とか「どうでもいい」とか「楽しいんだからそれでいいじゃん」とかいう類のものなんだろうなーと思う。だから奴らは答えを教えてくれない。それどころか、問い自体を二度と語ることがない。

私たちは、奴らが羨ましいのではないだろうか。本当は、「楽しいんだからそれでいいじゃん」と言いたいのだ。本心からそう思えるようになりたいのだ。でも、それが出来ないから、仕方なく気が遠くなるほどの時間をかけて問い続け、選択肢を一つずつ消している。

私はなぜテキストを書くのだろう、と考える人はやはりたくさんいる。
いつか「楽しいんだからそれでいいじゃん」と笑って言えるようになりたくて。

★スイスのレコメン系バンド、L'ENSEMBLE RAYEの来日ライブ@MANDA-LA2に行ってきた。
ステージの上には、ギター系弦楽器が約6本、sax2本、キーボード、テルミン、アコーディオン、それに様々なパーカッションが置いてある。ちなみにバンドのメンバーは5人。この数の合わなさっぷりが大好きだ。当然、曲毎にどんどん楽器を持ち替えて1人2役、3役をこなしてくれる。とはいってもGentle Giantのようなバカテク披露ではなく、Univers Zeroのように重苦しく難解なわけでもなく、大道芸人的な楽しいショーだった。曲調も、トラッド香が漂いメロディもはっきりしていている大道芸人調。時たま挟まれるギターvsギターのポリリズムがピリリとスパイスになっていてこれまたいい感じ。「蚊の歌だ」とか言ってぷ〜んと蚊の飛ぶ音をCedricさんがテルミンで忠実に再現し、隣でMirkoさんが蚊を捕まえようとジェスチャーし続けるだけの曲とかもあって、大爆笑した。お前ら、こんなことをやりにわざわざ日本に来たんかいっ!(来たのでしょう)
「アモーレ!アモーレ!アモーレ!」とか叫びながら終始楽しそうに演奏していたMirkoさんのお目出度い人格には惚れ惚れ。ライブ終了後、サインをもらいに行ったら打ち上げに巻き込まれてワインおごっていただいたり。ここ1ヶ月あまり音楽を聴く時間がとれなかったけれど、やっぱり音楽は癒されますな。うん。久しぶりにいろいろ聴きたくなってきた。
 

1:00 02/05/03【チャンス】

★私の所属する文芸部の季刊誌「なんのきこのき」45号が刷りあがりました。最初のページを開いた瞬間のドキドキ感、これぞ本を作る醍醐味です。98ページ(うちifは24ページ)で送料込み400円。買ってくれる奇特な方がいらっしゃいましたらメール下さい。

★学問、芸術、技術、この3つはもともとは同じものだったとハイデガーは言う。3つとも、覆い隠されていた真理を露わにする手段である、と。(技術に関しては、科学技術のイメージだと混乱するので昔ながらの熟練職人さん技術を思い浮かべるといいだろう)
芸術が、日常生活の何か「満たされない感じ」を昇華するために生まれてくるとしたら、他の2つもやはり同じ「満たされない感じ」から生まれてくるのではないだろうか。満たされたいから学問をし、満たされたいから技術を磨くのだ。

そうすると、この漠然とした「満たされない感じ」の正体もなんとなく分かってくる。それは、隠蔽されてしまった真理を欲する気持ちに他ならない。真理とは、何か特別なものが空から降ってくるような代物ではなく、最も身近にあるものはずのものである。身近にあるのに覆い隠されているから余計に欲しくなる。そして、学問・芸術・技術を試してみる。

だから、機嫌の悪い時は良い芸術作品を作る・勉強をする・技術を磨く絶好のチャンスだ、と思って喜ぶことにしよう。あー、チャンスチャンス(ヤケ酒を呑みながら)。
 

23:23 02/05/01【反省】

★もう5月かよ、ひえー。GWあけからは人間になりたい。朝起きて夜寝て、ネットは1日2時間まで、授業をサボらず、バイトも再開しよう。コンテンツも更新しよう。最後のは違う。

★ミクロの気持ちを大切にしたい。私の生活の殆どはミクロの積み重ねでできているから。

衆議院で解散総選挙が決まった日のことより、初めて作ったお弁当をあの人が「美味しい」と言ってくれた日のことのほうがよく覚えている。アメリカの大統領が決まった日のことよりも、毎日夜遅くまでなんの疑問も抱かずに独りで仕事をしていた時にあの娘が一言「手伝うよ」と声をかけてくれたことのほうが、私の人格形成により多くの影響を与えている。

あの人も、あの娘も、覚えていないだろう。私が泣くほど嬉しかったなんて、つゆ思っていなかったに違いない。だからこそ、そんな一言を大切にしていたい。また宝物が一つ増えた。本当にありがとう。
 

19:57 02/04/30【共感】

というわけで、if@鬱です。感染されたに違いない(誰に?)。

日常生活で私たちが「共感」を抱くとき、一般化された抽象的な言葉に対して共感しているのではなく、あくまでも個々の事実というレベルに引き下げて自分の具体的な体験に当てはめたものに対して共感しているのだと思う。

「絶望のどん底から救ってくれたのは君だった」
浜崎あゆみやELTの曲とかにいかにもありそうなフレーズである。なんとなく舌触りが良くてかっこいい節なのに、ちっとも心を打たれない。それは、抽象的すぎて怠慢な読者は感情移入できないからである。そこで前半と後半、どちらかをより具体的で身近な記述にすれば、イメージも湧きやすくなる。

「絶望のどん底にいるときに君がくれた一欠片のチョコレートの優しい味が忘れられない」
「両親を飛行機事故で亡くして絶望のどん底にいるときに救ってくれたのは君だった」
このようにすれば、チョコレート・飛行機事故という具体的な単語が引き金となり、読者が容易に自分の体験に当てはめて追体験できるようになる。

「両親を飛行機事故で亡くして絶望のどん底にいるときに君がくれた一欠片のチョコレートの優しい味が忘れられない」
ここまで具体的になってしまうと、よっぽど力がある人が書いた文でないと、逆に共感させるのが難しくなる。一度抽象的なレベルにもち上げてから、更にまた日常レベルに還元しなければいけなくって二度手間になるからだ。

共感が欲しいときは、あくまでも「一部分だけ」抽象的な言葉で誤魔化すという手段が有効らしい。
共感してもらえると何か得するのかどうかってのはまた別問題として。
 

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