◆Anaheim's Thinking◆

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※これは、アナハイムに親善大使に行っている間、
自動更新システムによって毎日違うテキストを表示させていたものです。
アナハイムから帰ってきてからの8月の日記は、消失してしまいました。

【アナハイム1日目です。(いや、むしろ、たぶん飛行機の中)】

★男尊女卑論者と大して変わらないえせフェミニスト。

いちばん嫌なのは、男女の思考回路の差を挙げて、「だから男って莫迦だ」って言う人。主に、恋愛論っぽい話をしていると、この結論に陥りやすいみたい。

男女で思考回路が違うのはある程度事実。恋愛の仕方も違うだろう。でも、どちらが優秀なんて誰も決められないよね?

★壊れる寸前の人たちが作る物って、どうしてこんなに研ぎ澄まされて、微妙なバランスを保っているのだろう。
私が好きな音楽は、解散直前の人たちが作ったものが多い。
スパイラルライフだったら「sell out」。
クリムゾンなら、「アイランド」だなあ。

そういえば、小さい頃、やじろべえって好きだった。

【アナハイム2日目です。】

★私の知ってる男の人には、自分の彼女の文章を読みたがらない人が多い。
それって何で?
もし私が男だったら、自分の好きな人がHP作ってると知ったらぜったい隅から隅まで読むし、ブックマークして定期的にチェキすると思う。
だって、相手が何考えてるか、知りたいじゃん。

前の彼氏は、ifのHPの表紙を一回ちらっと見ただけで、ブックマークさえしてくれなくて、ちょっと閉口した記憶がある。今の人(数学のおにいさん)も、最初に一通り見ただけみたいだ。
たしかに、そう上手な文章じゃないし、読んで得するものは書いてないけどさ。愛がないなーなんて思ってしまったり。

男の人って、そういうところあるのかな。

【アナハイム3日目。そろそろ英語アレルギーが出始めているかも?】

★当たり前のことや聞き飽きたことをえらそうに話す人って、一番対応に困るのに、そういう人ってすっごく多い。自分では、目新しいことを言っているつもりなのかな?

「俺、AってBだと思う」に対して、「そうなんじゃない」の一言で会話が終わっちゃうし。

しかも、その当たり前のことを、私が今まであたかも知らなかったことにされている気がして、とっくに知ってるってば!!って言いたくなる。

……いや、同じ意見を3回聞くと、もう「当たり前で聞き飽きたこと」に分類してしまう私がひどいのかもしれないけど。

【アナハイム4日目です。】

★っていうか、今日で22歳です。ええ。
20(ハタチ)から21(ニジュウイチ)になった時はその音節の多さにかなりショックを受けたけど、21と22はもう似たようなものですね。もう23でも24でも何でも来い!!って感じです。

★辺りを見回しても、面白そうなものは何もない。道端に「人間の本質」が転がっていたり、机の中から「愛」が出てきたり、廊下で「真の信仰」とすれ違ったりなんてしない。血塗れのナイフを持った殺人者も、廃人になりかけたジャンキーも、集団で通行人に襲いかかるストリートチルドレンもいない。ただ、見えるのは普通の街で普通に生活する普通の人たちだけ。もちろん、私もその普通の人の一員だ。
にもかかわらず、それなりにドラマティックで、それなりに喜怒哀楽に満ちた毎日をおくることが出来るのは何故だろう。

私が書きたいドラマティックって、そういう日常的なものだ。

【アナハイム5日目です。】

★他人の悪口を言うのは構わない。言われる方に相応の理由があるのも分かるし、悪口でも言ってないとやってらんねーよという気持ちも分かる。

でも、頼むから私が聞こえるところでは他人の悪口を言わないで。私は、人の悪口を聞くと本当に不快になってしまう体質なの。

100歩ゆずって、あなたがたに他人の悪口を言ってスッキリする権利があるとしても、私を不快にする権利はないはず。

【アナハイム6日目です】

★同類の法則とか言って、今の自分の精神状態に近い音楽を聴くと癒されるらしい。
だから思春期でイライラしてる子のヒーリングには、落ち着いたクラシックより激しいロックのほうが効果があるんだって。
……そうすると、MAGMAを聴いて癒されてしまう私の精神状態は、一体どんなことになっちゃってるんだろう。想像できない。(注:MAGMAの世界観=地球の滅亡)

★「助けてあげる、癒してあげる、救ってあげる……。いいえ、助けて欲しかったのは私。水寝椅子(ウンディーネ)、そんなものはどこにもないのよ!」
(『逃れは刹那、密やかの君(メールヒェン)』より。)

痛いってば。

【アナハイム7日目です。】

★「どんな本が好き?」とか「どんな本をよく読むの?」
と聞かれるのは別にいいんだけど、
「今何を読んでるの?」とか「最近何の本読んだ?」
と聞かれるのは困る。

ifが今読んでいる本の大半は、買ったのは1年前だったり、買おうと思ったのは2年前だったりするので、if的には「とっくの昔に読み終わってるべき本」なのだ。
それを今更読んだなんて、恥ずかしくて言えない。
良く言えば上昇志向、悪く言えばただの見栄っ張り。

ちなみに、恥を覚悟で今(7月始め)読んでる本を言うと、
ハイデガー「存在と時間」です。
悪かったね、ハイデガー専攻のくせに読み終わってなくて。

【アナハイム8日目です。】

★繰り返し言わせて。
「安部公房の文章って何が言いたいのかわかんなーい」って言った奴。
わかんなーいのはてめえに理解力がないからだっ!!自分の理解力のなさを自慢すんなっ!!
わからないことを恥じて、わかるように努力せい。
そういう自分に厳しい人なら、下手に頭がいい人よりずっとずっと魅力的なのに。

あと、「大江健三郎より漫画のほうがおもしろい」と言われると、この上もなくむかつくのは、私の中に「文学は漫画より高等だ」という偏見があるからなのかなー?
多分、あるのだろう。自分はどこかで漫画好きの人よりも高等だと思っちゃってるところ、確かにあると思う。
でも、果たして本当に高等なのか、それとも違うのか、どうやって見分ければ良いのだろう。

【アナハイム9日目です。】

★親善大使ももう後半に突入。早いもんですねえ。

★>私が可愛い服を着ているのは、可愛いがられたいからじゃなくて、ただ迫害されたくないから。

定期的に誰かに「可愛いね」とか言われないと、もしかして自分は魅力のカケラもないんじゃないだろうか、みんなから嫌われてるんじゃないだろうか、と病的なほど不安で不安で仕方なくなる。
赤いマニキュアも、レースの付いたスカートも、不安を取り除いて安心するためのおまじない。

昔は、拒食することが不安を取り除くおまじないだった。

昔と今と、「病的な不安」それ自体には大して変わりないのに。昔は異常と言われ、今は正常と言われる。正常と異常の差って何なのだろう。

【アナハイム10日目です。】

★>いっつも(小説書きで研究でも)他人の恋愛を客体化ばっかりしているので、自分は恋愛できなくなっちゃったりしないの?と問われたことがある。

自分のだけはどうしても客体化出来ないから苦労しているのです。

★昔は、妥協と愛想笑いばかりしている大人を見て、
年はとりたくないものだと思っていた。

今、目の前の答えに気付かずに不幸に酔いしれている人を見ると、
青いなあ、早く大人になれよ、と思う。

若さを失わず、青臭さだけを克服する方法はないのだろうか。

【アナハイム11日目です。】

★哲学は、事実的なものから始まって本来的なものに遡る。
社会学は、事実的なものから始まって、より望ましい事実的なものを導き出す。
「本来的なもの」と「より望ましい事実的なもの」、この両者は全く違うプロセスによって生み出された、全く違う意味を持った概念なのに、たまたま偶然に一致してしまうことがあるので、誤解を招いたりして、困ったことになるんだよね。 ★「頭が良くて精神的に大人な人」って、男女を問わず、一番お近づきになりたいタイプです。

でも、「頭が良くて精神的に子供な人」は、一番嫌いなタイプ。
人には限界があるということ、人は誤りを犯すということを、一番忘れてしまいやすいタイプだと思う。
それだったら、「頭は良くないけど大人な人」とか「頭は良くなくて子供な人」のほうがずっとずっといい。

今の世の中、頭さえ良ければあまり挫折を経験しないで済んでしまうので、嫌いなタイプの人間が増えている、と思う。

【アナハイム12日目です。】

★ある人は、私が好きな作家の一人に大江健三郎を挙げると、
「じゃあ何でifは小説の中で性描写をしないのか?」
と聞いてきた。
確かに、大江健三郎は、「性行動は現代人に可能な唯一の自己表現行動」みたな、けっこうラディカルなことを言っているので有名だ。

……で、なぜ私が書かないのかというと。

書けないから(爆)。
もっとオトナになったらね(^^;)

★いくら私でも、社交辞令で愛想笑いするくらいの社会性はある。が、やはり相当、無意識のうちに好みの人とそうでない人(男女問わず)で差別待遇してるらしい。

私の近くにいる人が、オンラインでもオフラインでも私好みの人ばっかりであるという事実がそれを証明している。

好みの人だったら、多少ひどいこと言われても冷静に受け止められるのだけど、好みでない人の言動はどうしてこんなにムカついてしまうんだろう。

【アナハイム13日目です。】

★うぇぶにっき。
公開することを前提に書いていると、変にマイナス思考になったりどんどん自分の世界の奥のわけわからないところに入り込んでいったりしないで済むので、ある程度まともな(閉鎖的でない・読む人のことを考えてる)文章が出来上がることが保証されている。良いことだと思う。
高校の時書いてた自分専用の日記なんて、その自己陶酔っぷり、ひどいもんね。
まあ、ひどいなりに、書いたのが自分だと思わなければものすごく面白いので、捨ててないけど。

それにしても「日記人格」って怖い。
だって、時々考えてることと違うこと書いてたりするもん。しかも無意識で。

★必然性があって歌うことが少なくなった。

ある時は自分が易きに流れてしまわないように、自分の許せる自分を保つために歌った。

またある時は、言葉に変えて身体の外に逃がすことが出来ず、身体の中に溜まってしまった毒に出口を与えてあげるために歌った。

最近は、ただ喉を酷使する快感が得たくて歌っている。
これって、ただ空腹を満たすために味もよく分からないで食べるのに似ている。もっと悪く言えば、ただ性欲だけを満たすために風俗に行く人とそんなに変わらないような気がする。

言葉と、そして歌と。
どうか私に分けて下さい。

【アナハイム14日目です。】

★ifは、自分にとって一番自然に考えて一番自然な答えを出すと、なぜか世間一般の考え方と反対の結論が出てしまう、という特技があります。
困ったことです。私本人は、反抗心なんて全然なくて、むしろ本当なら世間に迎合して平和な毎日をおくりたいと思っているのですから。
そこで私が編み出した方法は、「外見や態度で意見の内容を和らげる」。
私が流行っぽい服を着ていたり、「ってゆうかー」みたいな言葉を使ったりするのは、そのためです。
これで中和されて大抵の場合は大丈夫……な筈なんだけど、人を外側だけで判断する人には世間迎合者に見えて、人を内容だけで評価する人に反体制分子に見えるんだろーなー。人によって評価が全然違って、おもしろい。

【アナハイム15日目です。】

★相聞歌を書くのって好きじゃない。
読むのは別にいいんだけど。
それは、多分相聞歌は「簡単に書けるから」、嫌なんだと思う。
あまり苦労しなくても、そこそこ共感してもらえそうなのが書けてしまう。
世の中に溢れまくっている3流相聞歌の中でで、自分の書いたやつが一定以上のレベルに達しているかどうか、自信が持てない。

創作に近道なんて存在しない。あったとしたらそれは罠だ。
易きにつかない」、これが私の信条です。

【アナハイム16日目です。】

★世の中には、「私は出来る!」って思ってやった方が成功する人と、
「私なんて駄目だ」と思いながらやった方が成功する人がいると思う。
私は間違いなく後者。
私は弱い人間なので、「私は出来る!」なんて言っちゃったら、自分に才能があると思いこみ、増長して、堕落してしまうと思う。
そうならないために、いつでも自分は平凡な人間であることを自分に言い聞かせ、自分の判断を過信せず何度でも立ち止まって考え、より正しい道を見つける努力を怠らないようにしなくては、と思っている。
でも、社会では、特に企業とかお金儲け系の場所では、「私は出来る!」と言う派の人間のほうが評価されるみたいだ。
どうして、「私なんて」と言ってたほうが努力できて成功する人に、「私なんて」と言わせてあげないの?
言わせてあげればいいじゃない。そうすれば、本人も成功して嬉しいし、組織のためにもなるじゃない。それって、左利きの人には左手で字を書いてもらうのと同じくらい、自然なことなのに。

【アナハイム17日目です。】

★エンターテイメント小説を書いている人は、よく「自分は純文学のように芸術性ばかり追求するのではなく、純粋に読んで面白いものを目指しているのだ」と言う。
でも純文学を読む人は、芸術性が云々論じたくて読んでるんじゃなくて、やっぱり楽しみたくて読んでるんだと思うし、実際楽しんでいると思う。純文学作家も、自分が読んで面白いものを書こうとした結果、ああゆう作品になっているのだと思う。
エンターテイメント小説を読んで面白いと思う人より、純文学を読んで面白いと思う人の方が頭がいい、というのは間違っている。だって、面白いエンターテイメント小説を書くのって、良い純文学小説を書くのと同じくらい、もしくはそれ以上、頭が良くなくちゃ出来ないから。
ただ、これは言えると思う。純文学小説を好む人の方が、「犯人が捕まってめでたしめでたし」じゃ納得できないような、ちょっと複雑な精神構造になっちゃってる、ひねくれた人が多い、と。ひねくれてることが、果たして良いことなのか悪いことなのかは分からないけど。

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