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石川明美 1951年 埼玉県生まれ 1970年 埼玉県立川越工業高校卒業後、 日本電気エンジニアリング(株) 1977年 日本民主青年同盟釧路地区委員長 1980年 赤旗釧路分局 1997年 釧路市議会議員初当選 2007年 釧路市議に3期目の当選 現在 日本共産党釧路市議団長 建設常任委員会所属 石炭対策特別委員会所属 |
| なまえ なんといっても「明美」とい名前が大変です。顔を見せないとわかりません。ただ、見せると「ガッカリ」するようです。(美人を期待していたのかな・・・・・) 私が中学に入ったときは、女子の名簿に入っていたと先生が打ち明けてくれました。 戸籍にのせるときは「あきみ」と読んだようです。それで小さいときは「あきちゃん」と呼ばれていました。その後、いつのまにやら、ふりがなが「あけみ」になってしまいました。 「明美」という名前の男は俺だけだ、と長い間思っていましたが、残念。人伝てに聞くと、道東地域に3人いました。根室、帯広、北見です。根室の人とは一度お会いしました。 子ども時代 子ども時代は、野山をかけめぐっていました。近くにお寺(永源寺)の大きな森があり、昼なお暗い場所で、格好の遊び場でした。夏休みは30日間、毎日川で泳ぎ、魚とりなどしていました。 中学時代に川は汚れ泳げなくなり、森は切り開かれ、団地に変わってしまいました。野山で遊んできた最後の世代なのかなと思っています。 ちなみに永源寺は曹洞宗(そうとうしゅう)で、私の実家の菩提寺です。入り口に「不許葷酒入山門」の石碑(戒壇石)が建っています。 小さいころは何だかわかりませんでしたが、「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」と読みます。にんにくとか酒は修行の妨げになるから、ここからは持ち込み禁止ということです。禅寺の入り口には必ずあるそうですね! 五戒のひとつです。 しかし、般若湯(はんにゃとう)を飲むと、般若(仏の知恵)がつくということで・・・・・人間はいろいろ考えるものですね! 子どもとよく遊んだ有名な良寛和尚は曹洞宗です。しかし、般若湯をこよなく愛したとのことです。自らの号を「大愚」と称したこととかかわりあるのでしょうか。 「盗人に 取り残されし 窓の月」 あまりにも有名なこの句をよむと、人間を超越しているのではと思ってしまいます。十牛図のなかの人牛倶亡(じんぎゅうぐぼう)の域に達しているのかも・・・・・いや、それすら超えているのかもしれません。 禅に関しては、京極夏彦氏の長編推理小説の「鉄鼠の檻」に詳しく書かれています。 なまじっかの宗教解説本より、禅がよくわかるとのことです。(禅宗の方におこられそうですが・・・)箱根の山奥に建立年代不明のお寺があり、多くのお坊さんが禅の修行をしているのですが、そのお寺でお坊さんが次々と殺されていく。 犯人は??? 京極堂はいかに解決するのか? 読んでいくと禅や悟りについて、わかるような気分になっていきます。ラストは悲しいですね。 いわゆる宗教ミステリー長編小説です。 横道にそれてしまいました。すみません。 中学時代は、バスケットの選手(今の姿から想像できないという声がある)でした。 また、アマチュア無線に凝って、ラジオや無線機を作っては壊していました。十台以上は作ったと記憶しています。 お金は? すべてアルバイトで作ったお金です。親に負担はかけませんでした。小学6年から高校3年まで7年間、毎日牛乳配達をしていました。 アマチュア無線(ハム)では、QSLカードを集めることが流行っていました。モールスもやっていたのでアメリカやドイツ、ソ連の人と交信し、QSLカードを集めて楽しんでいました。 不思議に、今でもモールス信号は覚えています。中学時代に覚えたものは記憶に残るものですね。そんなこんなで、子ども時代は家での勉強はしませんでした。(まったく自慢にならない!) こうした無線趣味が高じて、高校は工業高校電気科を選択しました。 仕事 就職は1970年ですが、当時は景気高揚期でした。就職紹介の部屋には企業の募集書類が山のように積みあがっていました。いまの時代をみると考えられないですね。そして、選んだのがコンピューター関係の会社でした。 コンピューター教育を受けたあと、配属されたのが新人教育の部門で、インストラクターの仕事でした。コンピューターの新人が、翌年から新入社員にコンピューターを教えるのですから、今から思うと冷や汗ものです。 70年代のコンピュータといえば、トランジスタの世代です。ビルの一室を占領するほど大型でしたが性能的には、現在のパソコンの足元にも及びません。巨大な大型コンピューターが、今では机の上に載ってしまうのですから技術の発展は驚きです。 当時のプログラムは、すべて機械語(数字のみ)で組んでいました。いまでも33は比較命令、65はジャンプ命令など記憶に残っています。そして、トランジスタが壊れる率が高かった時代でもあります。数十万個のなかから、オシロスコープを使って壊れたトランジスタを見つけ出しハンダゴテで取り替えるのですから、手工業的な職人技でした。 教育コースの手が空いたとき、工場から「壊れたコンピューターが2台あるので、適当に組み合わせて動くようにしろ。期限は一週間」と要請されたときは大変でした。一人であちこち取替えて調整し、動くようになり引き渡したことは今でも思い出に残っています。 当時のCPUのスピードは1MHzでした。現在のパソコンは1000MHzや2000MHz(2GHz)という驚異的な速さです。すさまじい技術の発展ですね。 このあと、ICやLSIが急速に普及し、当時のコンピューターは過去の遺産になってしまいました。 よく人からコンピューターに詳しいのでしょう? と聞かれますが、私はコンピューターの黎明期の人間であって、現在のパソコンに詳しいわけではありません。現在のパソコンを見ると、自転車とジェット機ほどの違いがあります。そして、ハードは限りなく小さくなり、ソフトがほとんどの世界になってしまい、ブラッックボックスだらけです。 ソフトはメーカーにより、また開発者により大きな違いがあって、同じ機能でも使い方がまったく違うということになります。アーキテクチャの違いはそうとうなものです。 プログラム言語は、機械語、アッセンブラ、コボル、ベーシック、C言語、JAVAなどたくさんの種類がありますが、それぞれ日本語、英語、フランス語を学ぶようなもので、若いときは良いのですが、年をとると大変です。 コンピューターに詳しいということは、使用するソフトに詳しいということであり、ネットワークに詳しい人のことです。ハードは私たちの視界から限りなく消えつつあります。 このように根っからの技術屋でしたが、今では議員の仕事をしています。 祖父の紹介! 私の祖父は石川平四郎 1872〜1949(M5〜S24)です。 私が生まれる2年前に亡くなっています。 何の仕事をしていたのか良くわかりません。ただ実家に恵比寿大黒様と龍の木彫りが残されています。兄がいろいろ調べて、下記のことがわかりました。 ------------------------------ 明治5年12月31日、勝呂村石井の小林家に生まれる。平四郎と名付けられ、勝呂尋常高等小学校を卒業。元来、悪たれ者で政治好き、信玄袋をかつぎ天下を放浪して歩いた。 28歳頃、入西の北峯に住んでいた菊池佐登と夫婦になり、菊池家の近くにあった石川家を両養子という形で継ぎ、石川の姓を名乗るようになった。 放浪中独学で、書、水墨画、彫刻の能力を身につけ「清之」と号した。中でも木彫を好み、板垣退助翁の立像を彫り自ら板垣家へ持参し納める。また、岩殿観音へはおびんづる様、戦時中は坂戸小学校へ二宮金次郎像をきざみ納め、さらに恵比寿大黒像をよく彫り多くの家に頒かち与えた。 選挙になると政治好きだった平四郎は、家のことはかえりみず、粕谷義三衆議院議員の応援弁士として東奔西走した。現在、粕谷先生の衆議院議長時代の正装した写真が石川家に残っている。 関東大震災の後、大正12年10月19日、峰岸泰作、市川弁之助、加藤三也、木藤弁次郎らと計り、震災で亡くなった人々の霊をなぐさめるため、「大震火災惨死者各炙位」という碑を永源寺境内に建立した。 福島満治や関口倫光など交流関係があった。昭和24年11月13日、79歳をもってこの世を去った。 ------------------------------ 以上です。 兄の戦前の話では、日本刀の仕込み杖をもっていたので応援弁士というよりボディガードではなかったのかという説もあったとのこと。 なにか時代を感じます。 さらに、祖母の実家の菊池家は造り酒屋の庄屋で、秩父争議(秩父困民党)にかかわって焼き打ちにあい破産したとの話しも伝わっています。何処までが真実かは、今となってはわからないようです。 この秩父困民党の幹部である飯塚森蔵が釧路市の隣りの白糠町に潜んでいたという歴史の発掘もありました。歴史的大事件は、思わぬところでつながっているようです。 こうしたルーツ探しのなかで、小林、菊池、根岸という名前とつながっていることがわかりました。さまざまな人たちと結びつきを通して現在の自分がいるということです。 祖父の作品 |
俳人、石川之峯
先月、私の兄が亡くなりました。脳出血で倒れ、8年間の要介護5の生活でした。
兄は、俳人でもありましたので、その一部を紹介します。やさしさと自然の感性を感じていただければ幸いです。
平成3年 碧き天
如月や田の面剥がれて光と飛ぶ
三月の音捉えたる靴の底
橋桁を額縁として草萌ゆる
甘茶仏そそげばキラリ陽を返す
葉桜の傘さし在わす石仏
八月の風にふと逢う路地の果て
碧き空落る湖の浮寝鳥
平成7年 はやぶさ
小刀のキラリ陽を切る接木かな
ふしくるる指に技あり接木かな
眠りより覚めたる農具竹の秋
焼酎や鹿児島までのひとり旅
霜月や妻の十指の荒れ初めて
冬の虻陽をつかもうと仁王の掌
隼やいくさの記憶ふっと湧く
平成8年 緑の香
寒詣ヒタヒタと来る犬の貌
半刈りの山二つ有り杣の冬
青空へ土筆のびのび鉄工所
麦秋や秩父を荒ぶ風が押す
仰ぎてもかがみても野は緑の香
子の放つ草矢チョロリと地に這へり
羽抜鳥よろければ陽もよろけ来る
梅雨明けの風街路樹を煌かす
やや寒の足裏くすぐる一夜かな
枯葛や日差しのめぐる木の眠り