12月




12月1日
     ・昭和38(1963)年のこの日、神宮球場において、東京六大学出身プロ野球選手が集い、年末助け合い運動と
      連動し慈善試合を行なう。

12月2日
     ・昭和43(1968)年の今日、東京オリオンズは東京オリンピックの100メートル走日本代表選手の飯島秀雄選手
      と契約。同時に、脚に5000万円の保険をかけ、話題となる。

     ・昭和19(1944)年のこの日、巨人の沢村栄治投手は3度目の出征で輸送艦が撃沈、台湾沖にて戦死。合掌。

12月3日
     ・昭和45(1970)年のこの日、巨人・王貞治一塁手が大リーグから特別表彰。「フラミンゴ・オー」としてアメリカに
      その名が知れ渡る。

12月4日
     ・昭和37(1962)年の今日、貿易自由化となり、プロ野球はそれまでの牛皮製ボールを馬皮製に改める。が、
      価格的な問題で昭和44(1969)年に牛皮へ逆戻り。

     ・昭和38(1963)年のこの日、関西大学は、秋季リーグ中に西川投手が広島カープと契約した問題で、関西
      六大学野球連盟に秋季リーグ優勝辞退を表明し、受理された。

     ・昭和40(1965)年の今日、巨人・王貞治一塁手は国賓待遇で台湾に招待され、蒋介石総統と会談する。

12月8日
     ・昭和39(1964)年の今日、内村コミッショナーは西鉄に対し、打球を頭に受けて選手生命を断念した元西鉄の
      田辺義三内野手に最高額の補償金を支払うよう要望する。西鉄もこれを受け、最高額200万円を田辺元選手
      に支給した。

12月10日
     ・昭和43(1968)年のこの日、サンケイ・アトムズが飲料製品メーカーのヤクルトとの業務提携を発表。

     ・昭和54(1979)年の今日、日本ハムがドラフト1位で指名した木田勇投手が、入団交渉の場で、「土地をくれ」
      と要求して話題になる。

12月11日
     ・昭和29(1954)年の今日、松竹が球団経営から退き、洋松ロビンスは大洋ホエールズと改名。

12月14日
     ・昭和40(1965)年のこの日、南海は大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅行投手と契約。

     ・昭和24(1949)年の今日、パ・リーグ理事会は、年間勝率が3割5分に達しなかった球団から罰金500万円を
      徴収することを決定。

     ・昭和57(1982)年のこの日、近鉄の3選手がゲーム機賭博の現行犯(!)で逮捕。

12月15日
     ・昭和33(1958)年の今日、阪神・田宮謙次郎外野手が、A級10年選手の強権を発動、退団する。のちに
      大毎入団。

     ・昭和38(1963)年のこの日、阪神のエース・小山正明投手と大毎の4番打者・山内和弘一塁手の交換
      トレード成立。

12月16日
     ・昭和50(1975)年のこの日、太平洋クラブ・ライオンズの江藤慎一監督が退団。後任として大リーグの名物監督、
      レオ・ドローチャー招聘を発表。一部雑誌や書籍などにも就任決定とされたが、結局、契約できず。

12月22日
     ・昭和44(1969)年の今日、近鉄はドラフト1位で指名した、青森・三沢高校の太田幸司投手と入団契約を結ぶ。
      契約金5000万円で、会見には大量のガードマンが動員される。

12月24日
     ・昭和46(1971)年のこの日、ロッテの中村長芳オーナーはアメリカのローダイ・パドレスを買収、ローダイ・
      オリオンズとしてカリフォルニア・リーグに参加すると発表。アメリカ球団を日本が買い取った最初の例となる。

12月26日
     ・昭和44(1969)年のこの日、当時の水原茂監督と衝突した中日・江藤慎一一塁手が現役引退を表明。
      名古屋市内には、「江藤を返せ」のデモが発生。

12月27日
     ・昭和52(1977)年の今日、ラジオ関東が独占中継していた後楽園球場での巨人戦の件で、TBS、ニッポン
      放送、文化放送の各局は、公正取引委員会に提訴。

12月28日
     ・昭和40(1965)年の今日、日本初のバッティング・センターが東京に出現。

12月31日
     ・昭和24(1949)年のこの日、セ・パ分裂騒動に伴い、タイガースの若林忠志投手、別当薫外野手、呉昌征外野手、
      本堂保弥二塁手の主力選手たちが大毎へ移籍、大毎優勝の原動力となる。



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