11月




11月1日
     ・昭和48(1973)年の今日、巨人が史上初の9連覇達成。

11月2日
     ・昭和35(1960)年のこの日、神宮球場で早慶6連戦が行なわれた。3引き分けを挟んでの6試合目で、
      もちろん史上初。早稲田のエース・安藤元博投手は5戦完投で早大に優勝をもたらす。

     ・昭和47(1972)年の今日、阪神・村山実投手、現役を引退。背番号11は永久欠番に。

11月4日
     ・昭和35(1960)年の今日、大洋がハワイ遠征を急遽中止。大蔵省から外貨持ち出し制限を受けたため。

     ・昭和36(1961)年のこの日、名門・西鉄ライオンズの首脳人事一新。中西太三塁手28歳が兼任監督、
      豊田泰光遊撃手26歳が兼任助監督、稲尾和久投手24歳が兼任投手コーチ。

11月10日
     ・昭和37(1962)年の今日、国鉄と東映が帯同で初の韓国遠征。

11月13日
     ・昭和19(1944)年の今日、日本野球報国会(現在のプロ野球機構みたいなもん)は、リーグ戦の休止を発表。
      日本プロ野球は活動を停止した。

     ・昭和26(1951)年のこの日、来日していた大リーグ選抜チームをパ・リーグ選抜チームが3−1で破る。
      日本チームが大リーグに勝ったのは史上初。

11月16日
     ・昭和34(1959)年の今日、青バットで有名な強打者・大下弘、現役引退。

11月17日
     ・昭和40(1965)年のこの日、第一回のドラフト会議開催。巨人・堀内、阪急・長池ら、有望選手入団。

     ・同年、鶴岡監督のあとを受けた、南海の蔭山和夫監督が急死。

     ・昭和13(1938)年の今日、巨人・中島治康外野手が、日本初の三冠王獲得。

11月18日
     ・昭和35(1960)年の今日、毎日新聞社がプロ野球経営から手を引き、大毎オリオンズは大映オリオンズと
      改称され、大映が経営全権を握る。

11月19日
     ・昭和48(1973)年のこの日、日拓ホーム・フライヤーズ、わずか1年で球団経営から撤退。日本ハムが
      球団買収、日本ハム・ファイターズに。球団社長は三原脩、監督は義理の息子・中西太。

     ・昭和24(1949)年の今日、東急の大下弘外野手が7打数7安打を記録する。

11月20日
     ・昭和38(1963)年のこの日、入札入団で有名になった阪神・前岡勤也投手が、芽の出ないまま引退(引退
      時は中日)。

     ・昭和40(1965)年の今日、急死した蔭山監督の後任として、ファン、選手らの監督復帰嘆願書を受け、
      鶴岡一人氏が南海監督に復帰。

11月21日

     ・昭和49(1974)年のこの日、巨人監督に現役を引退した長嶋茂雄が就任。背番号3は永久欠番、監督の
      背番号は90に。

11月22日
     ・昭和53(1978)の今日、巨人は江川問題に絡み、ドラフト会議出席を拒否。

11月23日
     ・昭和21(1946)年の今日、神宮球場でプロ野球東西戦を挙行する。これが戦後初のプロ野球。

11月25日
     ・昭和11(1936)年の今日、東京に入団した初の黒人選手、ジミー・ボンナ投手はわずか1ヶ月で解雇。

11月26日
     ・昭和48(1973)年の今日、ヤクルトはアトムズからスワローズに改名。

11月28日
     ・昭和38(1963)年の今日、関西大学・西川克弘投手とその両親が、秋季リーグ戦期間内に契約したとして、
      契約無効を訴え広島カープを大阪地裁へ告訴。後日、告訴取り下げ。

     ・昭和44(1969)年のこの日、八百長疑惑で西鉄・永易将之投手、球界から永久追放処分。

11月30日
     ・昭和44(1969)年のこの日、400勝目をあげてシーズンを終えた巨人・金田正一投手が現役引退を発表。

     ・昭和43(1968)年の今日、ドラフト会議で阪神に1位指名された法政大・田淵幸一捕手は、巨人以外入団
      しないという前言を撤回、阪神へ入団。



       戻る