10月
10月1日
・昭和39(1964)年のこの日、初の「大阪シリーズ」となった日本シリーズ・阪神ー南海戦がナイターで開幕する。
日本シリーズのナイターは史上初。
・昭和42(1967)年の今日、熱血漢・西本幸雄率いる阪急が球団創設以来初優勝。
10月2日
・昭和35(1960)年の今日、三原脩監督指揮する大洋が、前年の最下位から見事に初優勝。
・同年同日、6連覇を逃した巨人・水原茂監督が取材に怒り、カメラマンを殴る。球団から謹慎処分が下る。
・昭和40(1965)年の今日、広島・外木場義郎投手が阪神戦で、初勝利をノーヒットノーランで飾る。以後、
外木場は3度のノーヒットノーランを記録する(うち1回は完全試合)。
10月3日
・昭和36(1961)のこの日、巨人・長嶋茂雄三塁手が、朝日新聞の取材で「社会党が政権を取ると野球が
出来なくなる」と発言、問題になる。
10月4日
・昭和33(1958)年の今日、早稲田実業高校の王貞治投手が、有力視されていた阪神入団を断り、契約金
1800万円で巨人に入団。
・昭和49(1974)年のこの日、巨人・王貞治一塁手が5打席連続四球。この間、ストライク一球もなしで20球
連続ボール。これは本塁打王を争っていた田淵を阪神投手陣が援護射撃したもの。
・昭和53(1978)年の今日、ヤクルトが球団創設以来初優勝。
10月5日
・昭和38(1963)年の今日、阪急と巨人の間で二重契約問題になっていた北海高の吉沢勝投手にコミッショ
ナー裁定が下り、巨人との契約が締結。
・昭和49(1974)年のこの日、ロッテ・小川清一投手がマウンド上でコンタクトレンズを落としてしまい、試合中断。
10月6日
・昭和37(1962)年の今日、巨人のエース・城之内邦夫投手が、強盗犯と格闘し負傷。
・昭和44(1969)年のこの日、西鉄の永易将行投手の八百長行為発覚。コミッショナー委員会は永易の
永久追放を決定。
10月7日
・昭和37(1962)年の今日、巨人のエース・城之内邦夫投手が、強盗犯と格闘し負傷。
・昭和44(1969)年のこの日、西鉄の永易将行投手の八百長行為発覚。コミッショナー委員会は永易の
永久追放を決定。
10月8日
・昭和36(1961)年のこの日、中日のルーキー・権藤博投手が35勝目を上げる。
10月9日
・昭和37(1962)年の今日、セントラルは阪神が15年ぶりの優勝。巨人は2リーグ分裂後、初のBクラス
転落(4位)。
・昭和44(1969)年のこの日、「プロ野球の父」正力松太郎氏、死去。
・昭和46(1971)年の今日、ロッテ・江藤慎一一塁手が首位打者獲得。江藤は中日時代にも首位打者を
とっており、両リーグにまたがる首位打者は史上唯一。
10月10日
・昭和44(1969)年のこの日、巨人・金田正一投手が、前人未踏の400勝達成。
・昭和18(1943)年の今日、南海と巨人の二重契約事件を起こしていた別所昭(故人・毅彦)投手は、
連盟裁定により南海入団が決定。
・昭和42(1967)年のこの日、後楽園球場で行われた巨人−広島戦で巨人・堀内恒夫投手は広島打線を
ノーヒットノーランに抑えると同時に、自ら3ホーマーを放つ離れ業。
10月11日
・昭和36(1961)年のこの日、西鉄の稲尾和久投手が42勝を上げる。昭和14(1939)年の巨人・スタル
ヒンと並ぶ年間最多勝記録。
・昭和51(1976)年の今日、巨人・王貞治一塁手が阪神戦でベーブ・ルースの記録を破る715号ホーマー
を記録。
10月12日
・昭和51(1976)年のこの日、太平洋クラブ・ライオンズはクラウンライター・ライオンズに改名。
・昭和53(1978)の今日、クラウンライター・ライオンズは経営権を西武グループの国土計画に移譲、西武
ライオンズ誕生。本拠地を埼玉県所沢市に決定。
10月14日
・昭和41(1966)年の今日、阪急・西本幸雄監督の信任投票事件発生。
・昭和49(1974)年のこの日、巨人・長嶋茂雄三塁手が現役引退を表明。
10月15日
・昭和35(1960)年のこの日、日本シリーズで大洋が大毎を4連勝で下す。前年最下位のチームが日本一
になったのは初めて。
・同年同日、4連敗した大毎・西本幸雄監督は、永田オーナーに「バカヤロー」呼ばわりされ、辞表を叩き付ける。
・昭和50(1975)年の今日、広島カープが球団創立以来25年目で初優勝。
10月17日
・昭和36(1961)年のこの日、駒沢球場の東映ー大毎戦で、大毎の榎本喜八一塁手が初回先頭打者で敬遠
される。東映・張本勲外野手と首位打者争いをしていたため。第二打席も歩かされると交代したが、今度は
張本が代打で登場、3ランホームランして首位打者を決定づけた。
10月18日
・昭和54(1979)年の今日、ロッテ・江本裕人内野手の車がダンプカーと正面衝突、同選手は両肩骨折の重傷。
10月20日
・昭和41(1966)年の今日、来日していた大リーグのロサンゼルス・ドジャースが通算成績9勝8敗1引き分け
で帰国。この成績は来日したメジャーチーム中、最悪だった。
10月21日
・昭和33(1958)年の今日、日本シリーズで西鉄が3連敗の後に4連勝。勝利投手はすべて稲尾和久投手で、
「神様、仏様、稲尾様」の言葉が生まれる。
・同年同日、巨人・川上哲治一塁手が引退表明。
・昭和50(1975)年の今日、巨人が球団創設以来、初の最下位となる。
10月22日
・昭和35(1960)年のこの日、来日していた大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツが巨人に0−1で破れる。
メジャーチームが日本に完封されたのは初めて。
・昭和53(1978)の今日、阪急とヤクルトの日本シリーズ第七戦で、ヤクルト・大杉勝男一塁手の打球を巡って、
阪急・上田監督が猛抗議。史上最長の1時間19分の中断となる。この時の視聴率45.6%は史上最高値。
10月23日
・昭和33(1958)年の今日、先日の川上に続き、中日・西沢道夫、阪神・藤村富美男、広島・小鶴誠が相次い
で引退表明。
10月24日
・昭和36(1961)年のこの日、3日に巨人・長嶋が「社会党が政権を取ると野球が出来なくなる」発言をしたこと
で、衆議院法務委員会で問題化される。
10月25日
・昭和52(1977)年の今日、パシフィックの名物審判・露崎元弥氏に退職勧告が出される。
10月27日
・昭和37(1962)年の今日、皇太子夫妻(現天皇)が、来日中のデトロイト・タイガースと大毎のゲームを観戦。
始球式はライシャワー駐日大使と大平外務大臣がバッテリーを組んだ。
・昭和47(1972)年のこの日、名門・西鉄が身売り。太平洋クラブがライオンズを買い取る。
10月28日
・昭和56(1981)の今日、韓国プロ野球誕生。
10月29日
・昭和34(1959)年のこの日、日本シリーズで南海が、それまでどうしても勝てなかった巨人に4連勝の
ストレート勝利。勝利投手はすべて杉浦忠投手で、オール完投という快挙。
・昭和36年(1961)年の今日、巨人−南海の日本シリーズ第四戦で、南海・スタンカ投手の投球を巡り、
南海が猛抗議。試合終了後、南海選手が円城寺主審を突き飛ばすなど大暴れ。
10月30日
・昭和44(1969)年のこの日、巨人と阪急の日本シリーズ第四戦で、巨人・土井のホームインを巡り、阪急・
岡村浩二捕手が岡田主審を殴り、退場処分。退場は日本シリーズ初。
10月31日
・昭和56(1981)の今日、3000本安打を記録したロッテ・張本勲外野手、現役引退。
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