9月




9月1日
     ・昭和43(1968)年の今日、1966年に死去した中沢良夫前高野連会長に因んで、大阪に「中沢野球記念
      館」が開館。

     ・昭和39(1964)年のこの日、サンフランシスコ・ジャイアンツに野球留学していた南海の村上雅則投手が
      メッツ戦に登板。メジャーで投げた日本人は初めて。

9月3日
     ・昭和39(1964)年のこの日、大阪球場で行われた南海−近鉄戦で、南海のスタンカ投手と近鉄・チャック
      内野手が、死球を巡って大乱闘。外国人選手同士の乱闘は珍しい。

     ・昭和52(1977)年の今日、後楽園球場の巨人−ヤクルト戦で巨人・王貞治一塁手は、ヤクルト・鈴木康二朗
      投手から通算756ホーマーを放ち、世界記録達成。

9月4日
     ・昭和40(1965)年のこの日、巨人に移籍した金田正一投手がイースタン・リーグの東映戦に登板する珍事。
      金田のプロ野球生活でファームの試合に登板したのはこれが最初で最後。

9月5日
     ・昭和37(1962)年の今日、国鉄・金田正一投手が通算3,509奪三振を記録。大リーグ記録を破る世界新。

     ・昭和49(1974)年のこの日、平和台球場の入場券偽造事件で主犯を逮捕、2名を指名手配。

     ・昭和52(1977)年の今日、巨人・王貞治一塁手は、日本初の国民栄誉賞を受賞。

9月7日
     ・昭和36(1961)年の今日、後楽園球場で行われた巨人−国鉄戦で、審判の判定を巡って両軍が紛糾、
      2時間の中断。結局、試合終了は翌日の午前0時11分。2日にまたがる試合は史上初。

     ・昭和41(1966)年のこの日、中日にドラフト2位(この年は変則ドラフトで年2回あった)で大学中退として
      指名された名古屋商大・高井論投手が、実は中退していないことが判明、中日の交渉権は無効となる。

9月8日
     ・昭和45(1970)年の今日、ヤクルトの桑田武一塁手が、オートレース八百長に関わったとして逮捕。

9月9日
     ・昭和48(1973)年のこの日、ヤクルト・安田猛投手が81イニング連続無四球の大記録達成。

9月10日
     ・昭和49(1974)年のこの日、阪神は、巨人戦のチケット販売を往復はがきによる抽選によって行うと発表。

     ・昭和50(1975)年の今日、首位攻防の広島−中日戦(広島球場)で、中日・新宅洋司捕手のタッチプレー
      を巡って両軍もみ合い。興奮したファンがグラウンドに飛び降りて中日選手に暴行をはたらく。中日選手9名
      負傷。

9月11日
     ・昭和50(1975)年のこの日、前日の騒動に対し、広島球団社長は改めて中日サイドに謝罪、球場警備に
      自信が持てないとしてこの日の試合を中止。

     ・昭和12(1927)年の今日、プロ野球のメッカ・後楽園球場が開場。

9月12日
     ・昭和44(1969)年のこの日、アメリカの独立系プロ野球・グローバルリーグに参加していた東京ドラゴンズ
      (監督・森徹(元中日、大洋))は、興業不振で宿泊費も払えず、日本大使館に保護されていたが、同日帰国。

9月13日
     ・昭和52(1977)年の今日、中日は後楽園球場で行われた巨人戦に勝利、後楽園球場で続いていた連敗を
      19で止める。

9月14日
     ・昭和24(1949)年のこの日、近鉄がプロ球団を創立。

     ・昭和52(1977)年の今日、ヤクルトは川崎球場の大洋戦で、1イニング5ホーマーの日本記録を作る。

9月15日
     ・昭和33(1958)年の今日、アサヒビールが日本初の缶ビールを発売。後楽園球場でも早速お目見えしたが、
      のちに空き缶が凶器になりかねないとして紙コップに代わる。

9月17日
     ・昭和43(1968)年のこの日、阪神・江夏豊投手が巨人戦でシーズン354個目の奪三振を記録。稲尾の
      記録を破る日本新。

9月18日
     ・昭和43(1968)の今日、甲子園球場で行われた阪神−巨人戦で、阪神・バッキー投手が巨人・王貞治一塁
      手に投じたビーンボールまがいのボールで両軍がもみ合い、巨人・荒川コーチとバッキーが壮絶な殴り合いを
      演じ、両名退場。巨人・柳田も暴力行為で退場。事態を重く見た神戸地検は、荒川コーチとバッキー投手を在
      宅で書類送検。

     ・昭和49(1974)年のこの日、川崎球場で爆弾を仕掛けたとのイタズラ電話。神奈川県警は入場客の持ち物
      検査を実施。

9月19日
     ・昭和33(1958)年の今日、巨人の新人・長嶋茂雄三塁手が、後楽園球場で行われた広島戦で鵜狩投手
      から本塁打を放ったが、一塁ベースを踏み忘れ、広島・藤井弘一塁手にアピールされアウト。

     ・昭和35(1960)年のこの日、大洋・三原脩監督が、川崎球場で行われた阪神戦で26人の選手を起用。
      通常は25名しか使えないが、5月1日以前と9月15日以降は何人使ってもよいというルールを適用した
      もの。

9月21日
     ・昭和40(1965)年の今日、国体の軟式野球東九州予選で、大分銀行−豊和相互銀行が行われ、なんと
      2日にわたって延長42回の大激戦となった。42回裏、豊和相銀が1点を入れサヨナラ勝ちしたが、試合時間
      は9時間30分に及んだ。

     ・昭和29(1954)年のこの日、南海がプロ野球記録となる18連勝を記録。しかし優勝は西鉄。

9月22日
     ・昭和37(1962)年の今日、大洋・三原脩監督が、川崎球場で行われた中日戦で、スタメンに当て馬を7名
      起用。

9月23日
     ・昭和39(1964)年のこの日、巨人・王貞治一塁手がシーズン55号ホームランを放つ。南海・野村克也捕手
      が作った54ホーマーを打ち破る日本新記録。

     ・昭和42(1967)年の今日、甲子園球場で行われた阪神−大洋戦で、審判の判定を巡り紛糾、阪神・藤本
      定義監督の退場を不満として阪神が試合続行を拒否、放棄試合となる。

     ・昭和56(1981)年の今日、セントラルで巨人、パシフィックで日本ハムが同時優勝。後楽園球場では時差
      祝勝会。

9月24日
     ・昭和56(1981)年のこの日、大洋は土井淳監督の解任を発表。同時に長嶋茂雄に監督要請した旨も公表
      したが、結局、長嶋は浪人。

9月25日
     ・昭和11(1926)年の今日、巨人の沢村栄治投手が、大阪タイガース相手にノーヒットノーランを達成。日本
      プロ野球史上初の無安打無得点試合となる。なお、沢村は通算3度もノーヒットゲームを記録した。

9月26日
     ・昭和34(1959)年のこの日、折から日本上陸していた伊勢湾台風の影響で、中日球場が浸水してしまい、
      中日−巨人の3連戦が中止となる。

     ・昭和47(1972)年の今日、阪急の福本豊中堅手がシーズン105盗塁を決めて、大リーグ記録を破る。
      同日、阪急2連覇。

     ・昭和37(1962)年の今日、大洋・秋山登投手は前日に続き2日連続完封を記録。

9月27日
     ・昭和10(1927)年のこの日、創設されたばかりの巨人軍の三宅監督が解任。実業団チームを相手の40
      試合を36勝3敗1分でこなしたが、アマに3敗もしたことが響いたらしい。

     ・昭和21(1946)年の今日、西宮球場で行われる予定だった金星−セネタース戦で、セネタースが宿舎付近
      の降雨で中止と誤解し、球場に現れず、放棄試合となる。プロ野球初の放棄試合。

9月28日
     ・昭和52(1977)年のこの日、南海は、ダブル不倫問題の野村克也捕手兼監督を解任した。不倫相手は、
      かのサッチー(^^;)。

9月29日
     ・昭和35(1960)年のこの日、かねてから要望のあった東京オリンピック協賛資金としてのトトカルチョをセント
      ラル・リーグが拒否。2日後にパシフィックも拒絶。

     ・昭和49(1974)年の今日、日本ハム・高橋博士選手が、後楽園球場で行われた南海戦で1試合で全ポジ
      ションを守る。

9月30日
     ・昭和37(1962)年の今日、東映フライヤーズが球団創設以来初優勝。

     ・昭和40(1965)年のこの日、外国人選手枠は各球団2名までと決まる。

     ・昭和35(1960)年の今日、国鉄・金田正一投手は、10年連続20勝を挙げる。



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