5月




5月1日
     ・昭和12(1937)年の今日、オリックスの前身・阪急の本拠地として西宮球場が開場された。内外野ともに
      芝生を敷き、敷地4,500坪、収容人員は5万5千人。

     ・昭和41(1966)年のこの日、大洋の佐々木吉郎投手が広島戦で完全試合達成。

5月2日
     ・昭和49(1974)年の今日、阪急の米田哲也投手が通算868試合登板のパ・リーグ最多登板記録を達成。

5月3日
     ・昭和39(1964)年、36年前の今日、後楽園球場の広島戦で巨人の王貞治が史上初の1試合4打席連続
      本塁打を放つ。

     ・昭和46(1971)年のこの日、東京球場で行なわれたロッテ−東映戦で、東映が5者連続本塁打の日本
      記録を作る。

5月4日
     ・昭和11(1936)年、64年前の今日、大阪タイガースの藤井勇は、大洋・野口投手からセンター左を抜ける
      長打を放ち、一気に生還した。これが日本プロ野球史上初本塁打。

5月5日
     ・昭和39(1964)年のこの日、広島は巨人の王貞治の強打を封じるため、初めて王シフトを敷いた。結果的
      に王は4打席凡退し、以降、各チームがこぞって王シフトを採用する。

5月6日
     ・昭和33(1958)年の今日、国産初の野球盤の製造・販売のためエポック社が設立された。エポック社とは
      野球盤のための会社だったのである。

     ・昭和45(1970)年のこの日、背面投げで有名な中日のエース・小川健太郎がオートレース八百長に参加
      した容疑で逮捕される。

5月7日
     ・昭和36(1961)年の今日、対西鉄戦で南海が1イニング12点というパ・リーグ新記録を作る。

5月8日
     ・昭和38(1963)年のこの日、東京球場での大毎−東映戦は、震度3の地震が発生したため1分間試合を
      中断した。地震で試合中断という珍しい例。

5月9日
     ・1916年、84年前の今日、アメリカ大リーグのニューヨーク・ジャイアンツは19連勝のスタートを切った。さらに
      9月7日から30日までに26連勝するという信じられない記録を作った。これだけの大連勝を2度もやっていな
      がら、優勝どころか4位に終わる。

5月10日
     ・昭和40(1965)年の今日、国鉄から譲渡されたスワローズ、「サンケイ・スワローズ」として生まれ変わる。

     ・昭和41(1966)年の今日、川崎球場の阪神戦で、大洋の近藤和彦はサヨナラホームランを放ったものの、
      直前にタイムがかかっており、幻の一発となる。

5月11日
     ・西武・田淵幸一がタレントのジャネット八田との再婚をすっぱ抜かれる。「できちゃった婚」で、
      「彼女妊娠、ボク三振!」という傑作なヤジを飛ばされる。

     ・昭和50(1975)年の今日、阪急が南海戦で毎回得点を記録。

5月12日
     ・昭和52(1977)年の今日、佐野事件を受けてプロ野球が使うすべての球場に、外野フェンスにラバーを張る
      ことを決定。

     ・昭和48(1973)年のこの日に行なわれた近鉄−太平洋戦は9イニングで試合時間4時間36分の最長試合。

5月13日
     ・昭和36(1961)年のこの日、社会人野球協会は中日の柳川選手(日本生命)引き抜きに抗議して「今後、
      プロ野球退団者は一切受け入れない」と発表。いわゆる柳川事件。

     ・昭和54(1979)年の今日、阪神・小林繁投手が、前日に歌手・藤圭子との関係をヤジられたことに怒り、
      試合前にヤクルトベンチへ殴り込み。

5月14日
     ・昭和53(1978)年の今日、近鉄が阪急戦で史上初の全員安打、全員打点を記録した。

     ・昭和55(1980)年のこの日、阪神のブレイザー監督解任。話題のルーキー・岡田彰布を使わず、ヒルトン
      起用にこだわったためとされる。

5月15日
     ・昭和58(1983)年の今日、阪神・野村収投手は、甲子園球場での大洋戦で勝利投手に。これで野村は
      12球団すべてから勝ち星をあげた。

5月16日
     ・昭和23(1948)年の今日、巨人・川上哲治が、仙台で行なわれた金星戦で史上初の1イニング2ホーマー。

5月17日
     ・昭和39(1964)年の今日、慶応大学の渡辺泰輔投手が対立教戦で完全試合達成。東京六大学史上初めて
      で唯一の完全試合。

     ・昭和49(1974)年のこの日、新人選手契約金最高額1,000万円の限度枠を撤廃する。

     ・昭和50(1975)年の今日、広島・シェーンは、那覇で行なわれた大洋戦で史上初の左右両打席本塁打
      (いわゆるスイッチ・ホーマー)を記録する。

5月18日
     ・昭和44(1969)年のこの日、近鉄・ジムタイルが阪急戦で左越本塁打を放つものの、一塁直前で肉離れを
      起こし退場、代走(伊勢孝夫)がベース一周するというハプニング。

     ・昭和51(1979)年の今日、巨人・江川が、後楽園で行なわれた2軍戦の対日本ハム戦に先発。江川先発が
      予告されており、ナイターということもあって、なんと5万人の観衆が入る。

5月19日
     ・昭和45(1970)年の今日、阪神・葛城隆夫が、オートレース八百長容疑で逮捕。

     ・昭和56(1981)年のこの日、日本ハム・江夏豊投手が平和台球場で行なわれた南海戦でセーブをあげる。
      これで12球団すべてからセーブを記録した。

5月20日
     ・昭和36(1961)年の今日、沖縄で初めてプロ野球公式戦が行なわれる。西鉄−東映戦。なお、入場料金は
      ドル立てだった。

     ・昭和33(1958)年の今日、近鉄のホームグラウンド・日生球場にナイター設備完成。これで12球団すべての
      本拠地がナイター可能になる。

     ・昭和46(1971)年のこの日、巨人・広野功がヤクルト戦で史上3人目の代打逆転満塁サヨナラ本塁打を放つ。
      なお広野は、中日時代にも逆転満塁サヨナラ本塁打を打っている。

5月21日
     ・昭和20(1945)年の今日、海軍航空隊で神風特攻隊に所属していた名古屋のエース・石丸進一投手(階級
      は少尉)は、午前10時に九州・鹿屋基地を発進、戦死した。飛行前、同僚の本田耕一選手とキャッチボールを
      し、飛び立った時、搭乗した零戦からグラブとボールを投下した。遺書には、「もう一度、後楽園の投手板(プレ
      ート)を踏みたい」と書かれていた。若干24歳。合掌。

     ・昭和34(1959)年のこの日、阪神の村山実投手が、巨人打線をノーヒットに抑えるものの、2失点。

5月22日
     ・昭和45(1970)年の今日、東都大学一部リーグ戦の亜細亜大−芝工大戦の試合終了後、亜細亜大学応援
      団が集団暴行事件を起こし、十数名の負傷者を出す不祥事。

5月23日
     ・昭和48(1973)年のこの日、中日ドラゴンズの本拠地・中日スタジアムが経営不振で倒産。平岩治郎社長、
      自責の念にかられ自殺。

     ・昭和49(1974)年の今日、平和台球場での太平洋−ロッテ戦終了後、ロッテ選手が群集に取り囲まれ、
      機動隊の装甲車で脱出する騒ぎになる。このカードは、死球報復合戦やロッテ・金田監督が「ライオンズの
      ドン百姓野球」発言するなど、遺恨試合が多かった。
       また、平和台球場での太平洋−ロッテ戦のポスターに、金田監督と太平洋・ビュフォード選手の殴り合いの
      写真を入れたため、「遺恨を煽るもの」として福岡県警が厳重注意。

5月24日
     ・昭和17(1942)年の今日、プロ野球史上最長試合があった。後楽園球場で行なわれた大洋ー名古屋戦は、
      実に延長28回で引き分けた。両チームの先発投手、大洋・野口二郎ー名古屋・西沢道夫はともに完投した。

5月25日
     ・昭和45(1970)年のこの日、「黒い霧事件」の関与者として、西鉄・池永正明投手、与田順欣投手、益田昭雄
      投手が永久追放処分となる。

     ・同年、パ・リーグの露崎審判員が、暴行をはたらいた東映・白仁天外野手を刑事告訴。のちに和解成立。

5月26日
     ・昭和48(1973)年の今日、22日、25日の試合を無断欠勤した南海・スミス外野手が無期限自宅謹慎処分に。

5月27日
     ・昭和33(1958)年のこの日、国鉄・金田正一投手は、連続64回1/3無失点の記録を達成。プロ野球記録。

     ・昭和54(1979)年の今日、ヤクルト・スコット外野手は、甲子園での阪神Wヘッダーで、満塁、3ラン、2ラン、
      ソロのサイクル・ホーマーを放つ。

5月28日
     ・昭和55(1980)年のこの日、ロッテ・張本勲外野手は、川崎球場での阪急戦で史上初の3,000本安打を
      ホームランで飾る。

5月29日
     ・昭和23(1948)年の今日、宇治山田球場で行なわれた中日−巨人戦で、巨人・川崎徳次投手が、中日・
      杉山悟選手にサヨナラホームランされ、一球敗戦投手となる。

5月30日
     ・昭和50(1976)年の今日、太平洋・山村善則選手は、ロッテ戦で初打席本塁打を記録。山村は2打席目も
      ホームランして、史上初のプロ入り第一、第二打席を連続本塁打した。

5月31日
     ・昭和31(1956)年のこの日、中日球場で行なわれた中日−巨人戦で、巨人・川上哲治一塁手は、史上初
      の2000本安打を記録する。




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