4月
4月1日
・昭和35(1960)年の今日、センバツ決勝の米子工−高松商戦で、高松商の山口冨士雄選手がサヨナラ
ホームランを放って見事に優勝。
・昭和50(1975)年のこの日、フジテレビ系列で「プロ野球ニュース」が放映開始。
・昭和54(1979)年の今日、後楽園球場の巨人−阪神戦で、スピードガンを初めて使用。
4月2日
・昭和45(1970)のこの日、後楽園球場のジャンボスタンドと電光掲示板が初めて使用される。なお、この時の
試合は巨人・金田正一投手の引退試合。
・昭和52(1977)年の今日、広島球場で「救援投手運搬用無人電動車」通称ロボコンが初のお目見え。以後、
広島球場名物となる。
4月3日
・昭和22(1947)年の今日、後楽園球場で開催された読売杯争奪戦で、初めて女性の場内アナウンサーが
登場する。
4月5日
・昭和33(1958)年の今日、巨人のルーキー・長嶋茂雄が後楽園球場での国鉄戦でデビュー。国鉄・金田正一
投手の前に4打席4三振に仕留められる。
4月6日
・昭和49(1974)年の今日、岡山県営球場で行なわれた阪神−大洋の開幕戦で、皇族の池田厚子さんによる
始球式が行なわれる。女性による始球式は、日本では初めてだった。
4月7日
・昭和54(1979)年、今から21年前の今日、さんざんすったもんだ挙句、法政大学・江川卓投手の入団が
が巨人から発表された。背番号は30。一旦はドラフト通り阪神に入団後、小林繁投手とのトレードという形で
巨人に入団したが、ゴリ押しのために国会議員を担ぎ出したり、最終的には金子鋭コミッショナーの引責辞任
という事態まで引き起こした大事件に発展した。
・同じく昭和54年の今日、春のセンバツ決勝戦が行なわれ、箕島高校が優勝。準優勝に終わったものの、牛島
(中日)−香川(南海)のバッテリーが大人気だった。
4月8日
・昭和36年(1961)年の今日、今は亡き後楽園球場で初めての開幕戦ナイターが行なわれた。カードは大毎
(現千葉ロッテ)−東映(現日本ハム)。始球式は、時の首相・岸信介が投げ、日本相撲協会の時津風理事長
が受けるという珍しいものだった。29年前の今日の出来事だった。
・昭和55(1980)年、20年前の今日、日生球場での近鉄−ロッテ戦で、近鉄の攻撃の際、「合格」印の押され
ていないボールが使われたとして、ロッテ・山内監督が激しく抗議した。前年問題になった、M社製の「飛ぶボ
ール」を近鉄など数球団が使っていた件で、連盟からリーグ認定の合格印のないボールはゲームで使用できない
とする通達があったばかり。しかも近鉄攻撃の際だけ使われたというのでは、さすがに対応がまずいとしか
言いようがない。
・昭和56(1981)年、19年前の今日、高校野球春のセンバツ決勝戦が行なわれ、PL学園が初優勝を果たした。
後の強豪、名門・PLの伝説はこの年から始まった。
4月9日
・昭和53(1978)年、22年前の今日、大洋(現横浜)の山下大輔遊撃手が連続228守備機会無失策の
日本記録を達成。山下は慶応大時代から好守のショートとして活躍、現在はベイスターズのヘッドコーチを
務めている。
・昭和54(1979)年の今日、巨人は球団創設以来通産3000勝を記録した。21年前の今日のことである。
初勝利は昭和11(1936)年7月3日だった。
4月10日
・昭和50(1975)年、25年前の今日、巨人の外国人選手として初めてデーブ・ジョンソン三塁手が登録され
た。長嶋引退の埋め合わせとして強打を期待されたが、打率.197、本塁打13の成績に終わった。2年目
以降は地力を見せた。
・同年、仙台球場で行なわれたロッテ−近鉄戦が濃霧のため中止。プロ野球初の出来事。
・昭和54(1979)年、21年前の今日、江川問題で阪神へ移籍した小林繁投手が巨人戦に初登板し初勝利
を挙げた。なお、小林はこの年、対巨人戦に8勝0敗という見事なあだ討ちをやってのけ、22勝して投手タイ
トルを独占した。
4月11日
・昭和34(1959)年、41年前の今日、巨人のルーキー・王貞治選手がデビュー。7番一塁として開幕戦
スタメンデビューを果たしたものの、国鉄・金田正一投手の前に2三振、1四球と完敗。
この日は、後楽園で初めてコカ・コーラが一般販売された日でもあり、同時に、イニング合間の電子オル
ガン演奏もこの日が初めてだった。
4月12日
・昭和51(1976)年の今日、この年から採用された後楽園球場の人工芝において、従来のネジ金具つき
スパイクの使用が禁止されることになった。理由は危険防止で、天然芝と違い、人工芝は金具が引っか
かっても芝がはがれないため、足を傷めやすいことが懸念されたためだ。この後、プレー中の危険防止の
観点から、イボ付スパイクが一気に普及する。
4月13日
・昭和40(1965)年の今日、アメリカ大リーグのヒューストン・アストロズの本拠地、アストロ・ドームで初ゲー
ムが行なわれる。これが世界最初のドーム球場開場で、35年前のこと。
4月14日
・昭和41(1966)年のこの日、巨人の18歳ルーキー、堀内恒夫投手が中日戦で初勝利。以降、13連勝を
記録した。34年前の今日のこと。
・昭和47(1972)年の今日、阪急の梶本隆夫投手、捕手から送球を受けた後、20秒以内に投球しなかった
として「ボール」を宣告される。28年前の東映戦。
・昭和48(1973)年、パ・リーグ開幕戦はこの日。この年からパ・リーグは2シーズン制を採用した。
・昭和55(1980)年の今日、中日・大島康徳内野手(現日本ハム監督)、未明に自動車運転中、中央分離
帯に激突、左目打撲、右手中指亀裂骨折で全治三ヶ月の重症。
4月15日
・昭和38(1963)年、37年前の今日、「私がルールブックだ」で名高い、ミスターアンパイアこと二出川延明が
パ・リーグ審判部長を引退。
4月16日
・昭和51(1976)年のこの日、広島球場で行なわれた広島−巨人戦で、審判の判定に激しく抗議した巨人に
反発した一部カープファンがグラウンドに乱入。試合後、巨人のバスを取り囲んだファンを巨人・張本勲外野手
がバットで殴る。後、新聞社の撮った写真を証拠として、張本が傷害容疑で書類送検される。
4月17日
・昭和35(1960)年のこの日、前年、巨人を退団した馬場正平投手がプロレスへ転向、ジャイアント馬場の
誕生。40年前の今日の出来事。
・昭和54(1979)年の今日、巨人のルーキー・江川卓投手がイースタン・リーグのロッテ戦で初登板、3イニ
ング5失点でKO。
・昭和40(1965)年、35年前の今日、初の東大出身選手である大洋の新治伸治投手が神宮球場の国鉄戦
で初登板した。初勝利は7月25日のこと。
4月18日
・昭和38(1963)年のこの日、巨人は開幕から14試合連続本塁打を記録した。37年前の今日の出来事。
4月19日
・昭和56(1981)年の今日、東京六大学で東京大学が早稲田大学に2連勝で勝ち点。しかも連続完封という
快挙のおまけつき。
・昭和27(1952)年のこの日、スーパースターの西鉄・大下弘が東急から西鉄へ移籍。既にシーズンは開幕
しており、日本では稀な大物選手の開幕後トレードだった。
4月20日
・昭和49(1974)年の今日、後楽園球場で行なわれた巨人−中日戦にて、なんとストリーカーが出現。ライト
スタンドから突然、メガネをかけた坊主頭の全裸男がグラウンドに飛び降りて内野まで走りバンザイを連呼、
最後は土下座までした。球場警備員に捕らえられ警察へ。26年前の出来事。
・昭和55(1980)年のこの日、大阪球場での南海戦で日本ハムのトニー・ソレイタ選手は4打数連続本塁打
を記録した。なお、ソレイタは同じ年の9月4日と5日にかけても4打数連続本塁打を放った。ひとりで2度も
4打数連続本塁打したのはソレイタだけ。20年前のこと。
4月21日
・昭和47(1972)年の今日、開幕8試合目で阪神・村山実プレーイングマネージャーはチーム不振の責任を
とり、現役に専念するとして指揮権を返上する。後任には金田正泰ヘッドコーチが就任。なお村山はこの年
限りで現役を引退した。
4月22日
・昭和54(1979)年のこの日、西武ライオンズは開幕以来12連敗を記録した。これは昭和30年のトンボ・
ユニオンズ以来のワースト記録。ライオンズ王国以前の黎明期の話である。
4月23日
・昭和40(1965)年の今日、国鉄がスワローズの経営権を産経新聞とフジテレビのサンケイ・グループに
譲渡する旨を発表。名称は「サンケイ・スワローズ」となる。シーズン内での球団譲渡発表は異例。
・昭和45(1970)年のこの日、中日の田中勉投手が、オートレース八百長に参加した容疑で逮捕される。
4月24日
・昭和31(1956)年の今日、中日は対大洋戦で26連勝を記録した。前年に19連勝し、この年になって
さらに7連勝して、26連勝まで記録は伸びた。
・昭和45(1970)年のこの日、「黒い霧事件」の主犯・藤縄洋孝が、プロ野球およびオートレース八百長
疑惑について全面自供。
4月26日
・昭和52(1977)年のこの日、近鉄・鈴木啓示投手が通算200勝を挙げた。ドラフト制度以降、200勝
投手になったのは鈴木が初めて。
・昭和24(1949)年の今日、金沢兼六園球場で行なわれた巨人−大映戦で、巨人の川崎徳次投手は
8ホーマーを浴びたものの、自ら満塁ホーマーを含め3ホーマーを打ち返して完投勝ちした。
スコアは15−13。
4月27日
・昭和50(1975)年の今日、広島・ルーツ監督が甲子園での対阪神戦で主審に抗議の上、暴行をはた
らき退場処分。30日に退団し、後任は古葉竹識ヘッドコーチで、この年、カープは初優勝を果たす。
・昭和36(1971)年のこの日、大阪球場の南海−近鉄戦は試合途中からモヤがひどくなり、フェンス際
の打球が見にくいとして、7回表の近鉄の攻撃からセンターバックスクリーン手前に7人目の審判を置い
た。史上唯一の例。
4月28日
・昭和38(1963)年のこの日、デイリー・スポーツ紙で、初めて「ON砲」という見出しが使われる。王と
長嶋の猛打を表現する的確な単語で、以降、これと類似したニックネームが多発することになる。
・昭和44(1969)年の今日、神宮球場にて外野フェンスに初めて広告が登場する。六大学などアマチュ
アが使用する場合は取り外すことになっていたが、後に解禁された。
4月29日
・昭和45(1970)年の今日、西鉄・永易将之投手の口封じで、金銭の授受をマスコミに報道された西鉄
の楠根オーナーが東京地検特捜部で事情聴取を受ける。
・昭和51(1976)年、24年前の今日、日本ハムのルーキー行沢久隆内野手がプロ入り初安打になる
満塁本塁打を放ったものの、途中で一塁走者の服部敏和を追い越してアウトとなる。
・昭和28(1953)年の今日、阪神の藤村富美男内野手が2試合連続満塁本塁打を記録した。
4月30日
・昭和49(1974)年のこの日、日本ハムは失踪状態だったバール・スノー投手の契約解除を連盟に申請
した。スノー投手は前年の秋季キャンプでテスト合格したものの、4月分の給与を受け取ると、そのまま
行方不明となったもの。