3月




3月1日
     ・昭和51(1976)の今日、後楽園球場が全面を人工芝に切り替え。ちなみに工費3億円。

3月6日
     ・昭和33(1958)年の今日、立教大の長嶋茂雄三塁手の契約金1,800万円、杉浦忠投手の契約金が
      1,000万円など、新人選手の契約金高騰の問題で、参考人が衆議院文教委員会に呼び出される。

3月8日
     ・昭和40(1965)年の今日、センバツ決勝。平松政次投手を擁する岡山東商が初優勝。なお、平松は40イニングス
      無失点の大会記録を作る。

3月12日
     ・昭和34(1959)年のこの日、前年に衆議院文教委員会で問題になった契約金について、上限を1,000万円
      にすること、という紳士協定が結ばれる。

3月14日
     ・昭和39(1964)年の今日、パシフィック・リーグ開幕。なぜこんなに早いかというと、東京オリンピックの影響。
      セントラルは3/20に開幕した。

3月16日
     ・昭和54(1979)年の今日、新しいコミッショナーに元最高裁判事・下田武三氏が就任。

3月17日
     ・昭和45(1970)年の今日、東京六大学野球連盟は、学園紛争の影響で留年になっていた選手のリーグ戦
      出場を認める異例の処置。

     ・昭和53(1978)年のこの日、セ・リーグ理事会は、外野席からのTVカメラによる中継を認める決定を下す。
      バックスクリーン・カメラの歴史はここから始まる。

3月19日
     ・昭和54(1979)年の今日、法人化を目指して設立された日本プロ野球選手会の初代理事長に元東京高裁
      長官の安村和雄氏が就任。

3月22日
     ・昭和48(1973)の今日、精神を病んで入院中の巨人・湯口敏彦投手が心臓麻痺で死去。自殺の噂も
      かなり流れた。

3月25日
     ・昭和31(1956)年の今日、後楽園球場で行なわれた巨人−中日戦で、巨人・樋笠一夫外野手が、史上初
      の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ。

3月26日
     ・昭和50(1975)年のこの日、日本ハムファイターズが、大リーグ・ニューヨークヤンキースと技術援助協定を
      締結。

3月27日
     ・昭和38(1963)年の今日、センバツの優勝旗を40年ぶりに新調。ちなみに優勝校は下関商。

     ・昭和44(1969)年のこの日、西鉄の宇佐美和雄投手が、練習中に胸に打球を受けて急死。

     ・昭和50(1975)年の今日、門司工の生徒による不祥事が発覚、センバツ開会式当日に出場辞退となった。

3月29日
     ・昭和37(1962)年のこの日、甲子園でセンバツ決勝。初の関東勢同士の対戦で、作新学院が日大三を
      1−0で破る。

3月30日
     ・昭和53(1978)年の今日、センバツで群馬県代表の前橋高校・松本稔投手が、滋賀・比叡山高校を相手に、
      史上初の完全試合を達成。

     ・昭和32(1957)年のこの日、平和台球場で行なわれた西鉄−毎日の開幕戦で、毎日の植村義信投手はわずか
      71球で完投勝利。完投の最少投球タイ記録。

3月31日
     ・昭和53(1978)年のこの日、横浜スタジアム完成。


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