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でこそ、オリンピック出場経験を持つ選手は少なくないが、それはここ10年ほ
どの傾向である。考えてみれば当たり前で、野球が五輪種目になったのは、
ロサンゼルス・オリンピックの公開競技以降の話なのだ。
そこで、今回取り上げる飯島秀雄。彼はなんと100m走の選手だったのだ。
昭和43(1968)年12月2日、ロッテオリオンズの永田雅一(また出たよ、この
おっさん(^^;))は、飯島秀雄の入団を発表した。飯島はメキシコ・オリンピックに
日本代表として出場したスプリンターである。登録は外野手としてだが、飯島の
足を代走専門選手として活かそうとしたということだろう。
もっとも、本音のところではプロ野球初の五輪経験者ということで、話題取りや
客寄せという意味ももちろんあったと思われる。飯島の脚に5,000万円の保険
を掛けた、というのも、そういった意味合いが強かろう。
昭和44年の3月15日、甲子園球場で行われた対阪神オープン戦が飯島のデ
ビューになった。なぜこの日になったのかと言うと、同じくこの年がデビューになる
大型ルーキー・田淵幸一捕手との対決を期待したからである。
7回、大歓声に送られて代走で出場した飯島は、いきなり仕掛けて二塁に走った
が、この時は田淵の肩が勝ち、見事にタッチアウトとなる。
公式戦デビューは、4月13日、本拠地・東京球場での対南海戦。9回裏のオリオ
ンズの攻撃を迎えたところで、3−2とホークスがリード。が、ロペスがソロ本塁打
して同点に追いついた。さらに、山崎裕之がヒットを放って出塁すると、濃人渉監
督は飯島を代走に繰り出し、代打に井石礼司を器用した。
南海の捕手は野村克也だ。いかに飯島と言えど、気軽に走れる相手ではない。
・・・はずだったのだが、そこは素人(^^;)の怖さ、飯島はいきなりスタートを切った。
さすがの野村も慌てて、二塁への送球が逸れてしまう。ボールがセンターに転が
る隙に、飯島は一挙に三塁を陥れた。挙げ句、井石がヒットを飛ばし、飯島はサヨ
ナラのホームイン。最高のスタートを切ることが出来た。
しかし、プロは甘くない。飯島は三年間の選手生活を送り、117試合に出場し、
23盗塁、17盗塁死、成功率.575。盗塁の内訳は、二盗17、三盗4、本盗2。
代走専門選手として盗塁王にもなった、ヤクルト青木や近鉄・藤瀬の成績と比べ
ても、あまり良い成績とは言えなかった。100m走とベース・ランニングは別物だ
ということだろう。