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て、このコーナー初の外国人選手を取り上げるにあたって、誰にすべきか迷っ
たのであるが、その功績に比し最近のファンにあまりにも知られていない選手に
することとした。となれば、もうこの選手しかいない。
昭和39(1964)年、そのユニフォームと同様に灰色のチームと言われた阪急に
新外国人選手が加入した。大リーグのジャイアンツ、カージナルス、ドジャース、レッ
ズと渡り歩いたダリル・スペンサーである。日本では、小柄な選手が守ることの多
かったセカンドというポジションを、190センチを越える大柄なスペンサーが守った
のだからファンは驚いた。
しかし、驚いたのはファンばかりではなかった。対戦相手の選手たちもである。
スペンサーの巨体から繰り出される猛烈なスライディングに、内野手たちは慄いた。
この暴力的とも言える滑り込みに弾き飛ばされ、負傷した内野手や捕手は数知れ
ない。おとなしい日本の走塁に慣れていた選手やファンに非難を浴びたが、スペン
サーは気にも留めない。おとなしく滑り込んで素直に併殺を食らうなどバカげてい
る、野球選手ならそのくらいのスライディングなどかわして当然、と思っていたから
だ。
一方、スペンサーはセカンドなのだから、逆に滑り込まれることも多いのだが、対
抗してスライディングをしてきた走者を反対に弾き飛ばして以来、無謀な挑戦者は
グンと減った。
こんなこともあった。2塁走者のスペンサーがヒットでホームに滑り込んだ。
外野手からの送球も良く、クロスプレ-になったが、例によってスペンサーは捕手に
正面衝突した。大きくぶっ飛ばされたのは現阪神監督の野村克也である。
もちろんボールはこぼれてセーフ。怒り心頭に発したのは南海だ。ベンチから飛び
出た森下コーチは、後ろからスペンサーに飛び掛かり、もうひとりは右から攻めた。
そして野村は正面からスペンサーに挑んだ。
が、そこはスペンサー。3人相手の大立ち回りを3分以上続けたと言う。試合後の
インタビューも奮っている。「後ろからの攻撃に驚いたかって? そんなことはない、
日本人は奇襲が得意じゃないか」とパール・ハーバーを皮肉って答えた。
それでもやはりスペンサーの魅力は、その豪快なバッティングだろう。1年目に、
いきなり36ホーマーを飛ばすと、翌年は38ホーマーした。そして、この年はライバ
ル・野村と激しく三冠王を争った。
こういう時の日本プロ野球の悪習が敬遠合戦だ。それも、日本人選手と外国人選
手が争っている場合、無関係のチームまで外国人選手と勝負しないのだから呆れ
てしまう。
この年のスペンサーは、モロにこの被害を被った。8/14の東京(現千葉ロッテ)
戦、東京投手陣は揃ってスペンサーとの勝負を避けた。先発・坂井勝二投手は、第
1打席こそショートゴロを打たせたが、第2打席、第3打席ともにストレートの四球。
捕手は座ったままだから、形は敬遠とは言えない。
8/15、Wヘッダー第1試合の先発は、精密機械の異名をとる小山正明。その
小山が、4打席すべてをストレートの四球である。第2試合も、先発の牧勝彦投手
は2打席続けてストレートの四球。さすがに呆れたスペンサーはその後の打席で、
わざとボール球を空振りして抗議したが、最後には諦めた。都合8打席連続四球、
しかも実質的には8打席連続敬遠である。
どうでもいい投手がこれなら諦めもつくが、300勝を挙げた大投手の小山がこれ
である。正直言って、ガッカリしたというよりも恥ずかしい思いがする。国辱的な感
すらある。
結局、この年の勝負は、スペンサーが交通事故に遭って野村のものとなる。
10/5、スペンサーは自宅付近でミニバイクを運転中、軽トラックと衝突し右脚の脛
を骨折した。猛スライディングの彼も、さすがにクルマには勝てなかった。
様々な印象を残したスペンサーだが、昭和42(1967)年の阪急優勝は、彼がい
なかったら達成できなかったことは疑いがない。その年のセントラル優勝の巨人は
スペンサーをつぶせば阪急に勝てると踏んで、徹底的にスペンサーを分析してシリ
ーズを戦ったのは有名な話だ。
当時の阪急監督だった西本幸雄は、阪急にとってスペンサーは、そのバッティン
グや守備もだが、走塁とインサイドワークだと言っている。ドジャース式の考える野
球を、実践で持ち込んだのがスペンサーなのだ。後の、ブレーブスの緻密な野球は
スペンサーから発している。
まだ、日本の記録マニアにも大きな影響を残した。昭和40年、スペンサーはサイ
クルヒットを達成したのだが、記者たちはそのことにはちっとも触れないので、不思
議に思った彼はこう言った。「今日ボクは、シングルヒットに二塁打、三塁打、本塁
打を打った。珍しい記録とだと思わないかい? これをサイクルヒットと言うんだ」
それを聞いた記者たちは、ようやくサイクルヒットの重要性を知った次第。この件
で日本プロ野球はサイクルヒットをという記録を知らされ、過去に溯って調べるよう
になったのである。
スペンサーが日本球界に残した実績は巨大であったが、それだけに、後年、何度
か司法の世話になったニュースを聞かされた時、複雑な胸中になったファンも多か
ろう。
現役7年間の通産成績。731試合、2233打数615安打の.275。
152本塁打、391打点。