が |
んばれ!タブチくんという漫画をご存知だろうか? 今が盛りのナンセンス4コ
マ漫画の走りといも言うべき漫画で、タイトル通り阪神(のち西武)の田淵幸一を
徹底的にパロティ化した作品である。そのタブチくんのライバルとして描かれて
いたのが、ヤスダくんこと、かの安田猛である。
確かに、小柄で短い手足をバタバタ振り回しながら力投するその姿は、確か
にマンガチックではあった。
小倉高校、早稲田大学時代から球速はまるでなかった。文字通りの変化球
投手で、キレというよりコントロールと変化球の種類で勝負するタイプだった。
無論、それだけではなく、打者心理を巧みについたピッチング、勝負度胸も極
めてよかった。
変化球の種類と書いたが、なにしろひとつの球種について3段階のスピード
の変化をつけていたので、持っている球種の3倍は投げるボールがあったとい
うことになる。
入団1年目と2年目に、連続して最優秀防御率のタイトルをとっているのだか
ら並みの投手ではない。さらに4年目から16勝、14勝、17勝をあげて名を
売った。
もちろん、昭和53年のヤクルト初優勝時にも大きく貢献している。15勝を
あげたのである。
ただし、2ケタ勝利したのはその年が最後。小さな体で無理をした代償が、
両肘の怪我。特に、利き腕の左腕は致命的だった。先発で2ケタ勝利を続け、
タイトルも獲得した主力先発投手であったにもか変わらず、中継ぎや抑えでの
登板も厭わなかった。
安田と言えば思い出すのが、81イニング無四死球という前代未聞の大記
録である。単純に見積もっても、9試合すべてを完投して全試合無四死球と
いうことになる。
昭和48(1973)年7月17日、阪神戦(甲子園)で6回途中から登板した安田
は、8回に田淵を敬遠する。ここから大記録がスタートするのだ。
・・・・・・詳細は、後程、「こんな記録がありました」で発表予定ですので、お楽し
みに。
シーズンオフには、ゴルフのキャディや酒屋でアルバイトをするなど、一風
変わった行動をすることでも知られた。契約更改に、妻や子供を同伴させ、
家計簿まで持ち込んで交渉したことも、半ば伝説化している。
通算成績。実動10年で358試合に登板し、93勝80敗。防御率3.26。