日、亡くなられた別所毅彦・元投手。彼はプロ野球ニュースや野球解説でも
徹底した巨人贔屓で、巨人ファン以外からは嫌われていたが、その別所は
   実は巨人生え抜きではないのである。元々はホークスの選手で、その後巨人に
   引っこ抜かれたのだ。しかし、生前はそんなことはおくびにも出しませんでしたね。
   まあ、巨人に移籍してくる選手というのは、元どこのチームにいたのか、ということ
   を忘れたい人が多いようですけどね。それだけ巨人OBという肩書きが欲しかった
   んでしょう。
    ・・・まあ、今回はそういう話ではない。

     1948年に26勝を挙げてホークス優勝に大きく貢献した別所は、球団と揉めて
    いた。当時、球界ではベテランのスター選手たちに家を一軒建てて、その功績に
    報いるという風潮があった。後のA級、B級選手の報奨(10年選手のボーナス)
    とか、今のFA選手への再契約金みたいなものと思えばいいでしょう。
     で、別所も当然、球団にそれを要求していた。当然であろう。

     ところが南海は、この要求をあっさり蹴った。なぜかは不明。まさかエース別所
    を要らぬわけがないし、詳細はわからない。これで別所はカチンときた。元来、
    巨人入りを熱望していた別所なだけに、ホークスへの愛着が一気に薄れる。

     巨人は巨人で、しっかりしたエースが欲しい。というのも、戦後になってからまだ
    一度も優勝していなかったからだ。どうしても大黒柱になる投手が欲しかった。
    そんな時に別所事件を聞きつけ、隠密裏に別所や関係者と接触を始めた

     その後も別所は南海と折衝したがラチがあかない。いよいよ別所の気持ちは
    ホークスから離れ、契約期間が切れたら巨人と契約する腹積もりを決めた。
    さすがに慌てた南海は必死に慰留工作を行なったが、時すでに遅し。
     ここで連盟裁定に持ち込まれたが、裁定は「別所の交渉は、南海に優先権を
    与える」というもので、これでは南海にとっては意味がない。ホークスは別所を
    諦め、別所は3月17日、巨人と契約した。

     但し、南海選手である期間に、他球団と交渉を持ったということで、別所投手に
    は2ヶ月間の出場停止処分を食らった。 



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