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んで、プロ球界とアマチュア球界はあんなに仲が悪いんだろう?
そう思ったことはないだろうか。五輪候補選手のコーチにプロOBを起用したり、
五輪選抜の選手たちが、プロのスプリング・キャンプに参加するなど、近年に
なって雪解けムードになりつつあるが、そもそも同じ野球をやっているのであり、
なぜいがみ合っているのか、事情を知らない側としてはさっぱりわからない。
実は、プロとアマが絶縁状態になるきっかけを作った事件があったのだ。
以前は、プロ野球側と社会人野球側は協定を結んでいた。
1.プロは夏の都市対抗戦が終了するまでは、ノンプロ選手と入団交渉を
行なわない。
2.ノンプロはプロ退団選手を、1シーズン1チームにつき、3名まで入団
させることが出来る。入団選手は、秋の大会から出場できる。
というものであった。それまでは、プロもアマもこの協定を遵守していたのだ
が、昭和36年(1961年)の4月、突如としてプロ側がこの協定を一方的に
破棄。その直後、セントラルの中日が、日本生命で活躍していた柳川福三
内野手を引き抜いたのである。柳川は中京大出身で、地元の選手として中日
は在学中から目をつけていたのかも知れない。
中日に続け、とばかりに、他球団も活発な動きを見せたため、社会人側は
態度を硬化、対抗措置として、プロ退団者は選手、指導者、OBを問わず、
一切の受け入れを拒否することを決定した。後に、学生野球連盟もこの
決定に追随することとなる。
ここから、プロ・アマは冷戦時代に入ることとなる。
問題の柳川だが、ほとんど名前は知られていない。それも当然で、在籍5年間
で、144試合に出場し、193打数39安打2本塁打の打率.202。成績を見れば
想像がつくが、はっきり言って控え選手どまりだったのである。柳川には気の毒
だが、彼を獲得することによってプロ側が受けたダメージはあまりにも大きいと
言わざるを得まい。
プロ・アマの確執を見ていると、どうもプロの方が下手に出ているな、と思った
人は多いのではなかろうか。その原因は上記の通りなのだ。アマが憤慨するのも
無理はないのである。
最近になって社会人野球側も、プロ退団後3年以上経過した選手を受け入
れる旨を発表した。事実、筆者の地元の社会人チームにも、地元出身でヤクル
トに在籍していた某投手が入社した。一方、高校野球でも、教職免許を取得し、
5年以上の教職を経験したプロOBを、指導者(つまり監督)として迎えてもよい
ことになった。徐々にではあるが、確実に雪解けは進んでいる。
今回また、シドニー五輪をきっかけに、一層の融和が期待できそうな状況に
なってきた。絶縁の発端はプロが作ったものだ。そこのところを反省し、なるべく
アマチュアへの協力態勢を整えてもらいたいと切に願う。某オーナーのように、
「選手は出せん。勝手にやればいい」と言うのででは、うまく行くものもうまく
行くまい。