量得点の原因には、エラーや四球がある。純粋にヒットだけを集めて大量点を
奪うというのは案外と難しいのである。今回ご紹介する記録もその前例に従ったもの。

     昭和53(1978)年7月6日、巨人は広島を迎えて、恒例の北海道シリーズ
    を挙行した。札幌円山球場で行われたゲームで、ジャイアンツ投手陣は壊滅的
    な被害を被った。
     巨人の先発は浅野啓司投手。初回は無難に三者凡退に切って取ったが、
    ワースト記録の幕開けは2回からだった。まず、この回の先頭・4番の山本浩二
    中堅手が四球で歩いた。まず1個目。しかし続く5番の水谷実雄左翼手をショート
    ゴロに仕留めて1死2塁。ところが、この後の6番・ヘンリー・ギャレット一塁手、
    7番の衣笠祥雄三塁手と連続でストレートの四球で出してしまって1死満塁。
    合計3個。さらに8番の水沼四郎捕手を1−3から歩かせてしまい押し出しで1点。
    これで4個目。

     さすがにジャイアンツベンチも浅野をあきらめ、リリーフに変則左腕・角三男投手
    をマウンドに送った。ここで一部の巨人ファンは不安を感じたろう。角と言えば
    ノーコン投手の代名詞だったからだ。案の定、角は9番の北別府学投手にストレート
    の四球を与えてしまうのだ。これで2点め、四球は5個め。打順はトップに戻って
    高橋慶彦遊撃手が入る。この高橋はショートゴロを打たせて衣笠を本塁封殺して
    ようやく2死をとった。だがまだ満塁である。

     打席には、対角用として右の代打・正垣泰祐外野手が入って、これまた四球で
    歩いた。3点目に加え、6個目の四球になる。3番は左打のライトル右翼手だった
    が、角の速球を見事にライト前に弾き返した。北別府、高橋と相次いでホームイン
    して5点。そして、なんとこのライトルのヒットがこの回の初安打なのである。
    おまけに4番の山本浩二まで四球で歩かせたところで、巨人は角に見切りをつけて
    3番手に田村政雄投手を登板させた。ここまでの四球合計は7個。

     ここでまた一部ジャイアンツファンはうんざりしただろう。田村は下手投げ投手で
    あったが、やはりコントロールが今ひとつだったからだ。巨人ファンの感じた不吉な
    予感は不幸にして的中する。なんと、水谷、ギャレット、衣笠と3連続の押し出し
    四球を与えてしまったのだ。得点8点、四球は10個
    続く水沼をようやくライトフライに打ち取り、この回を何とか終えた。

     この回の巨人の浅野、角、田村3投手の投球内容だが、ボール46球(!)、
    空振り3球、見送りストライク8球、ファール15球、フェア領域に飛んだ打球4球で
    なんと76球も投げている。


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