・日本が生んだデータ野球

理奈−「また大げさな。データ野球って具体的にはどういうの?」

一平−「簡単に言えば、スコアを統計的にまとめ上げてその傾向を調査するとか、そんな感じだな」

理奈−「それって日本がはじめたの? ウソぉ。だってスコアブックってもともとアメリカにあったもんなん
     でしょ?」

一平−「あ、そりゃそうだ。ただこれは、ほとんど記録的に使用されただけなんだ。つまり、これらを記録
     したのは記録員であり、新聞記者たちだったんだな。利用目的は記録面だ。いつどこで誰が
     どんな記録を残したのか、それを保存するためだね。無論、記者の方は紙面でのテーブルスコア
     をまとめるために使うわけだ」

理奈−「でしょ。じゃ別に日本が発祥じゃないんじゃないの?」

一平−「スコアを記録すること自体はね。だが、恐らくチーム付きの専属スコアラーというのは日本のプロ
     野球が始祖じゃないかと思うんだよね。メジャーでも球団についていたのはいたかも知れないけど、
     チームとして利用することは滅多になかったと思う」

理奈−「ふぅん。なんかよくわかんないけど」

一平−「順を追って説明しよう。ここにひとりの偉大な先人が登場する。名を尾張久次さんという。すでに
     故人だがね。この人が日本初のスコアラーだったと言われている。30年間の長きに渡りスコアラー
     を務め、データの重要性を認識させた人だ」

理奈−「ふぅん、尾張さんね。もと野球選手だったの?」

一平−「いや違う。幼少の頃から野球好きだったが、選手としての経験はゼロだったらしい。12,3歳くらい
     で、すでに野球にハマり、鳴尾球場でやってた中等野球の全国大会をよく見に行ってたそうだ」

理奈−「中等野球? 中学生?」

一平−「え? あ、ああそうだけど、今で言う高校野球だよ。当時は今とは教育制度が違ってたからね。
     だから鳴尾でやった中等野球の全国大会ってのは、要するに高校野球全国大会ってことだ。
     今の甲子園大会だね」

理奈−「その頃から甲子園マニアがいたのか」

一平−「あはは、そうだね。だけど、今とはだいぶ状況が違うぞ。今みたいな高校野球人気なんかないから
     ね、スタンドは応援団以外はあまり観客はいなかったらしいしな。当時は大学野球、特に東京六大学
     に人気が集中していたから」

理奈−「で、その尾張くんは野球の仕事がしたくてプロ野球のスコアラーになったの?」

一平−「いや、そんなに簡単じゃないよ。大体、当時はスコアラーなんて専門職はなかったしな。だけど彼は
     どうしても野球に関係した仕事がしたかったんだ。19歳のとき、大阪の毎日新聞社に入った。
     スポーツ記者を目指したんだな。昭和2年のことだ」

理奈−「そうか、野球記者なら仕事で野球が見れるね」

一平−「「ら抜き言葉」はやめなさい。そうだな、きっと尾張青年もそう考えたんだろう。だけど、そう現実は
     甘くないのだな。彼が最初に回されたのは印刷部門だった。つまり輪転工だ。これじゃ困る」

理奈−「早く新聞読めるけどね」

一平−「そうだな、新聞読まない理奈には無関係だけどな(^^;)」

理奈−「サイ。んで、尾張くんはいやになって辞めちゃった、と」

一平−「これこれ勝手に決めてはいけない(^^;)。尾張青年はそんなに軟弱ではなかったんだ。いつか記者
     になると、現状に耐えた。長い時間がかかったが、印刷工から校正へ、そして念願の記者になった。
     戦争も終わり、昭和26年になっていた。19歳だった尾張さんも43歳になっていた」

理奈−「長かったなあ」

一平−「希望がかなって「スポーツ毎日」の記者になったのはいいんだけど、なにしろ大阪は支局だったから
     ねぇ」

理奈−「何か不都合あんの?」

一平−「記事のほとんどは東京から送られてくるんだよ。大阪独自の記事もあるにはあるけど少なかったんだ
     ね。当然、仕事はヒマだよ」

理奈−「なるほど、それでイヤになってスコアラーに…」

一平−「ホントにおまえはすぐにイヤになるな(^^;)。そうじゃなくてだな、尾張さんはその余った時間を使って
     野球のことをさらに調べはじめたんだよ。例えば、プロ野球のゲームの一週間分のスコアを統計的に
     まとめてみたりした」

理奈−「さっきも気になったけど、統計的ってどういう意味?」

一平−「そうだな、わかりやすく言うと、選手毎に何球目を打っているとか、バントは何球目にしてるとか、そう
     いうのをまとめることだな」

理奈−「そんなの、何か意味あんの?」

一平−「尾張さんはこの統計を一年分まとめてみたんだよ。すると、一週間というレベルではわからなかった
     ことがいろいろわかってきたんだ」

理奈−「どんなの?」

一平−「例えばな、Aという打者は初球はいつも見逃しているとか、B投手は必ず初球はストレートから入って
     いる、とかな。あるいは、投手と打者の相性といったものもだんだんと見えてくるようになる」

理奈−「ははー、今でもそういう記録がたまに新聞とかに載るね」

一平−「だろう。その元祖が恐らく尾張さんなんだ。で、尾張さんは、せっかくまとめたこの資料について、現場
     の人はどんな印象を持つのか聞いてみたくなったんだね。そこで、取材などで気心が知れている、当時
     南海の指揮を執っていた故・鶴岡一人氏に見せてみたんだ」

理奈−「びっくりしたんじゃないの?」

一平−「らしいね。たいそう感心したそうだ。尾張さんも、名将の誉れ高い鶴岡監督に褒められたことで自信も
     ついた。その鶴岡さん、さすがに名将で、この資料を作り上げた尾張さんは使えると思ったんだね」

理奈−「何か具体的に調べてもらうとか」

一平−「そうそう。南海は強豪だったけど、当時、ライバルの毎日でエースを張っていた荒巻淳投手が苦手で
     なかなか打ち崩せなかったんだ。まあ荒巻は和製ボブ・フェラーとか火の玉投手とか呼ばれていた
     大投手だから、打つのが難しいのは当たり前なんだけど、優勝を狙うホークスとしてはそうも言っていら
     れない。そこで尾張さんに、この荒巻の投球を解析するよう依頼したんだ」

理奈−「あ、ホントにスコアラーみたいな仕事だ」

一平−「そうなんだ。鶴岡さんも尾張さんも、それと意識せずにスコアラーみたいなことをやってたんだね。
     でも、尾張さんは一応、毎日の記者だからね、南海監督の依頼で毎日のエースの分析をやるのは
     複雑だったかも知れないね。それでも、時間はあったし頑張った。投球の傾向や苦手の打者、果ては
     初球は何を投げて、決め球には何を使うことが多いのか、などを調べ上げた」

理奈−「へぇ。役に立ったのかな」

一平−「大いにね。感心した鶴岡さんは、球団に掛け合って尾張さんを専属スコアラーとして雇うよう交渉した。
     そして2年後には尾張さんは南海へ行くことになる」

理奈−「ね、アメリカはそういうのやってなかったの?」

一平−「どうもそうらしいな。昭和30年にドジャースが来日して親善試合を行なった。その時に、ドジャースの
     オルストン監督に尾張さんの資料を見せて説明したところ、目を丸くして驚いた。「アメリカでもこんな
     ことはやっていない。実に貴重なデータだ」と言ってね。これで尾張さんはますます自信を深めた」

理奈−「でも、一口にデータをまとめるっていっても大変だよね。何かコツというか工夫があったんじゃないの?」

一平−「ある。通称「尾張メモ」の特長は、その見やすさにあるんだね。一見複雑なスコアブックをどう見やすく
     するのかに腐心したんだろうな。尾張さん、あるとき映画のシナリオを見る機会があった。パラパラと
     眺めているとあることに気づいたんだね」

理奈−「それはどんな?」

一平−「色分けしてあったんだ。例えば、泣かせるシーンや笑わせるシーン、スリリングなシーンなど、感情別に
     きちんと色分けして時間まで記入してあって、これをパッと見れば撮影現場の人は一目で映画全体の
     流れがわかるようになってるわけだ。これに感心した尾張さん、そうか、これを使えばスコアブックだって
     他の人が見てもわかりやすくなるのではないか、と考えたんだな」

理奈−「どんな感じなんだろ?」

一平−「投球で言えば、ストレートは青、カーブは赤、スライダーはオレンジ(カーブ系だからかな)、シュートが緑
     で、その他のシンカーやフォークはひとまとめで茶色とした。さらに安打は赤、凡打は青のインクを使った
     万年筆で記入した。つまり、全部で七色使うことにより、その時の投手の傾向をつかめるようになってい
     たわけだ」

理奈−「あ、じゃあさ、今でもスコアってヒットは赤、アウトは黒(青)で書くよね。それってこれが最初なのかな」

一平−「あ、なるほどな。気が付かなかったがそうかも知れないね。これだけでも尾張さんはすごいというのが
     わかるんだけど、本当の偉大さは他にある。この尾張さん、こういった自分で開発したスコアの記入法
     や統計、集計の仕方、そして傾向の判断方法などの一切を公開したんだ」

理奈−「え。じゃあ他のライバルチームの人にも?」

一平−「そうだ。尾張さんは、自分のこの方法で日本の野球が少しでも向上すればいいという願いがあったんじゃ
     ないかな。惜しげもなく、というよりは積極的に公開した。他球団のスコアラー仲間や球団関係者にも
     声をかけて、興味があったら来なさい、出来る限り教えるから、と言ったんだね」

理奈−「へぇ。ちゃんと教わりにいったのかな」

一平−「ああ。最初に来たのはセントラルの中日でスコアラーをやっていた大島信雄さんだそうだ。「どんなことを
     やればいいんでしょう」と聞いてきたので、詳しく教えたそうだ。その話を聞いた他のチームのスコアラー
     たちも徐々に教えを請うようになり、最終的には10球団のスコアラーが受講したらしい」

理奈−「ふぅん。あれ、12球団だから1つ足りないね」

一平−「気づいたかね(^^;)。最後まで聞きに行かなかった球団があったんだ。どことは言わないけど。巨人。
     つまらんプライドだと思うがね」

理奈−「でもこれって、ある意味、チームの機密だよね。そんなものを公開するっていうの、問題はなかったの?」

一平−「まあね。そういう心の狭いというか、チーム愛溢れる(笑)というか、そういう人もいたようだね。かの
     尾張さんに向かって野村監督は、「アホやな、なんでそんな大事なことを他人に教えるんや」と言った
     そうだよ。尾張さんは「野村さんの考えもわかるけど、僕の目指していることは野村さんとは違うから」
     と相手にしなかったそうだ」

理奈−「今のデータ野球とかって行き過ぎな感じもするけど、まったくなかったとしたら、それはそれでさびしい
     かな」

一平−「そうだな。現場だけでなく、我々ファンも相性や傾向などを楽しむ要素を教えてもらったようなものだ。
     それだけでも感謝したい人だね」


    戻る