・戦争当時の日本プロ野球−その2


一平−「さて、前回は苦笑もんの話題だったけど、今度は少々シビアな話をやろう。では聞くが、あの戦争の
     当時、プロ野球にはどんな影響が出たと思う?」

理奈−「そうだな…。あ、外国人選手とかってどうなっちゃったの? アメリカの人とか」

一平−「最初に言っちゃうが、当時はアメリカ人選手というのは日本にはいなかったんだ。ちょっと前には、
     ハリスという選手がイーグルスや名古屋に在籍したんだけど、開戦後には帰国していた」

理奈−「あ、じゃよかったね」

一平−「それがそうでもない。アメリカ国籍を持った人は選手はいたんだ。いわゆる日系二世の人たちだ。
     黒鷲という球団の亀田忠一投手と長谷川重一投手、阪神の堀尾文人外野手と亀田敏夫投手の
     4人だ。黒鷲の亀田ってピッチャーは豪快で、アンダースローから剛速球を放ってくるタイプだった
     んだけど、コントロールが悪かった。三振か四球かという両極端な投手だったが人気はあった。
     阪神の堀尾外野手はパワーヒッターで、戦前では唯一、後楽園球場のバックスクリーンにホームラン
     を打ち込んだ選手だったんだ」

理奈−「その4人は国外退去か何かされちゃったのかな」

一平−「逆だ。1941年、つまり昭和16年の6月14日に、アメリカ政府の命令によって帰国することに
     なってしまったんだ。この半年後に日米戦争が始まったわけで、アメリカ政府としては、彼らが日本
     で危害を加えられる可能性があると判断したんだろうな」

理奈−「悔しいけど、その通りかな」

一平−「しかし、アメリカ国籍じゃない外国人選手はいたんだ」

理奈−「え、そうなの? そんな昔、アメリカ以外でも野球やってる国があったんだ」

一平−「いや、そういうわけじゃない。おいおい説明するよ。彼の名はヴィクトル・スタルヒン。理奈も名前
     くらいは知ってるかな?」

理奈−「あ、うん。確か北海道の方にスタルヒン球場とかなかったっけ?」

一平−「おう、よく知ってるな。旭川にあるんだ。スタルヒンはロシア人だ」

理奈−「は? ソ連の人が野球やってたの?」

一平−「ちょっと話が脇にそれるなあ」

理奈−「いいよ、きっと読んでるみんなも興味あると思うから。アタシも聞きたい」

一平−「そうか。じゃ簡単にな。スタルヒンてのはさっき言った通り白ロシア人だ。それも帝政ロシア軍の士官
     の息子という、ハイソな身分だったわけだ。ところがそこに起ったのが1917年の大事件だ。理奈、
     当然知ってるな?」

理奈−「…世界史は苦手なの」

一平−「世界史「も」だろうが(^^;)。まあいい。1917年、ロシア革命が起こり帝政がひっくり返ってしまった。
     帝政側の人間だったスタルヒン一家は危険を感じて日本へ亡命したんだ。これが1925年のことだ。
     渡ったのは北海道。ここで野球と出会ったんだね」

理奈−「よかったよかった」

一平−「まだまだ。山あり谷ありだ。スタルヒンはみるみる野球の能力を発揮した。彼の所属した旭川中学を
     いいところまで引っ張り上げるものの、バックの守備が今ひとつで甲子園までは行けなかった。その後、
     スタルヒンの父親が日本で殺人事件を起こしてしまい、苦境に陥ったものの、野球部員たちのカンパで
     なんとか生活していたらしい。その後、またいろいろあったが、1936年に巨人入りした」

理奈−「たいへんだったんだ。で、戦争中はどうなったの?」

一平−「ロシアは、当時の日本にとって敵国ではなかったんだけど、日本陸軍はずっとロシア軍を仮想敵国
     扱いしてたこともあって、ロシア人というのは敵性外国人にされてたんだな。で、スタルヒンの立場も
     微妙になった。名前がまずいということで、須田博と改名したりもした」

理奈−「須田博?」

一平−「なんとなくスタルヒンと語感が似ているだろう? でも、そんなことで名前を変えられてはかなわない。
     スタルヒンにとっては屈辱的だったろうな。おまけに昭和19年には、軍部の圧力に負けて、巨人は
     スタルヒンを追放処分にした

理奈−「ひどい…」

一平−「まったくだな。スタルヒンは戦後、進駐軍の通訳になり、その後、巨人から復帰を要請されたが、頑として
     受け付けなかったそうだ。当たり前だね。だが球界自体には復帰した。スタルヒンの、巨人への怨みが
     わかるね」

理奈−「この頃から外国人選手差別はあったのかな」

一平−「そうなのかも知れないな。
     ところで、戦争当時は試合内容にも影響がでた」

理奈−「どういうの?」

一平−「敢闘精神、攻撃精神てやつだな。日本のプロ野球最長の延長戦は、昭和17年にあった大洋−名古屋戦
     の延長28回だ。今じゃとても考えられないが、引き分けなんぞもってのほか、ケリがつくまでやれ、という
     軍部のありがたい命令があった。だから、この試合に限らず、日没にでもならない限りは徹底的に勝負を
     つけることになっていた」

理奈−「でも、引き分けってしっくりしないから、これはいいかな」

一平−「まあね(^^;)。でもなあ、いわゆるXゲームってあるだろ? 後攻チームがリードして9回表の先攻チームの
     攻撃が終わったら、その裏の攻撃はやらないってやつ。当たり前だよね、その時点で勝負はついてるんだ
     から。ところが、軍部というのはモノを知らないというか非常識というか、例え勝っていても、攻撃の機会を
     放棄するとはけしからん、というわけで、リードしてても9回裏の攻撃を行なったりもしたんだわ」

理奈−「なにそれ」

一平−「バカバカしいな。さらに、投手は基本的に完投。まあ、当時、選手の数も少なかったから、言われなくても
     なるべく完投させていたんだけど、いったん登板したら最後まで投げさせろ、なんて指示まで出していた
     らしい」

理奈−「困ったもんね」

一平−「まったくだな。次回は、もっと困ったことを書いてみよう」

理奈−「気が重いなあ」


    戻る