・戦争当時の日本プロ野球−その1



理奈−「話、暗いんじゃない?」

一平−「まあね…。でもな、アフガンでの戦争なんかでも、日本て割と他人事だろ? だからさ、実際に戦争
     なんかになっちゃうと、こんなことにまで悪影響が出ちゃうんだよ、ってことをわかってもらいたいんだ」

理奈−「暗いのかー」

一平−「わかった、今回はちょっと趣向を変えて、苦笑ものの苦労話にしよう」

理奈−「どんなの?」

一平−「実にバカバカしいことなんだが、日本は太平洋戦争当時、アメリカなどの敵国文化に圧力を加え、
     禁止したりしたんだ。その中には英語も含まれる」

理奈−「あ、英語使っちゃダメだったんだ」

一平−「そう。でもな、英語じゃないと困るコトバだっていっぱいあるだろう? エンジンやドライバーなんて、どう
     言えばいいのかわかるか?」

理奈−「わかんないなあ。エンジンはエンジンでしょ? ドライバーってねじ回しかなあ?」

一平−「あはは、そうだな。ドライバーは「柄付き螺回し」(えつき・らまわし)と言った。エンジンは発動機だ」

理奈−「そんなこと、意味あんのかなあ」

一平−「ないよ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってやつだろうな。だけど、本気で戦争するつもりなら、相手の
     情報は不可欠だ。となると、英語禁止どころか、英語教育をかなり熱心にやるべきだったはずなんだ。
     実際、アメリカ軍は日本語教育にかなりの力を注いだ。日系アメリカ人や日本滞在経験のある者を
     片っ端から集めて、徹底的に日本語を叩き込み、下士官や将校として戦線へ送り込んでいる。
     このあたりからしても、とても日本はアメリカには勝てなかったろうな」

理奈−「野球の話じゃないんですけど」

一平−「あ、また脱線ですね(^^;)。で、日本でもな、昭和18年に入ると戦況はぐんぐん悪くなって、新聞には
     戦争の記事で埋められてしまって、娯楽の記事なんかほとんどなくなってしまった。無論、野球も同じだ。
     そんな中、細々と専門誌なんかで何とか伝えていたわけなんだ」

理奈−「あ、そんな昔っから野球専門誌なんかあったんだ」

一平−「もっとも、最初は「野球界」っていう野球専門誌だったんだけど、野球はアメリカのスポーツだから軍部に目
     をつけられるようになってな、雑誌を「相撲と野球」に変えて存続を図ったんだな。相撲は日本の国技だから
     それと一緒なら大目に見てくれるかも、って期待だろうな」

理奈−「その雑誌の記事が面白いわけ?」

一平−「うん。これも呆れるというか笑えるというか嘆かわしいことなんだが、野球用語も全て日本語化されて
     しまったんだな」

理奈−「え、そんなこと出来んの?」

一平−「まあ、書き出してjみるからちょっと読んでみてくれ。これは「相撲と野球」誌の昭和18年8月号に書かれた
     記事で、同年6月19日に行なわれた名古屋−朝日戦の評論だ(鈴木惣太郎・筆)。

      五回、朝日攻撃。七番・早川は、竹内監督から軽打の指令を受け、不器用な手順で三塁側に犠牲軽打
     したのであるが、近来の投手は軽打守備に強く、(中略)…この時の一塁助令浅原、三塁助令中谷ともに
     指導に巧妙ではなかったが(中略)…林は入念巧妙に第一球を曲げて正球を奪ったが、第二球は低く流
     れて悪球になった。(中略)…七回の先頭・浅原が四球を選ぶと、次打者林は球数1−1において走打
     を企てて圏外球になり(後略)…

     ってな感じ。わかる?」

理奈−「わかんない。知んないコトバいっぱいあんだもん」

一平−「だろうな。じゃ上の記事から解説しよう。まず軽打だが、これはバントのこと。次に助令。こりゃコーチの
     ことなんだな。だから一塁助令ってのは一塁ベースコーチだ。正球ってのはストライク、悪球はボール。
     球数ってのは文字通りの球数という意味もあるが、この場合はカウントとみるべきだろうな。走打という
     のはヒット&ラン、圏外球はファールのこと」

理奈−「しかし大変だなあ。他にもあったの?」

一平−「そうだな、じゃざっとやろうか。

     ストライク −  正球
     ボール      悪球
     アウト       無為
     セーフ       安全
     フェア(ヒット)  正打
     ファール     圏外球
     ファールチップ  擦打
     バント       軽打
     スチール(盗塁) 奪塁
     ホームチーム   迎撃組
     ビジターチーム  往戦組
     フェア領域     正打区域
     ファールライン   境界線
     グラブ(ミット)   手袋

     こんな感じだ。なるほど、と思わせるものもあるが、なんじゃこりゃ、という爆笑ものもあるな」

理奈−「盗塁は日本語でいいじゃん。なんで言い方変えたんだろ?」

一平−「ああ、それは多分、「盗む」というコトバをイヤがったんだろうな、軍部が。しかし、代わりに当てたのが
     「奪う」だからな、似たようなもんだと思うんだが。まあ戦争当時だから、なるべく勇ましい言葉にしたかっ
     たんだろうよ。ホームチームを迎撃組なんて呼んだのもそれだろうな」

理奈−「こりゃー記事を書く記者も大変だろうけど、判定をコールする審判も大変だったんじゃない?」

一平−「そうだったろうな。ちなみに審判はストライクを「よし一本」と言い、ボールを「ひとつ、ふたつ」とコールした。
     三振したら、「それまで」と打者に告げた。塁審だと、セーフなら「よし!」、アウトは「ひけ!」。わかりやすい
     っちゃわかりやすいな(^^;)。ファールは「ダメ!」と言ったらしい」

理奈−「なんだかなあ。言葉ひとつにこの有様じゃ、他も苦労したんだろうなあ」

一平−「ああ。この制度は3月31日から実行されたが、他にも選手交代は18名以内にすることとか、ユニフォーム
     の背番号を禁止したり…」

理奈−「え、背番号なし?」

一平−「そうだ。笑えるが、なんと漢数字を書いた。これだけでも呆れるが、そのうちそれすらもなくなった。帽子も
     野球帽から戦闘帽に変えられた。ルール的にも隠し球が禁止されたりした」

理奈−「あ、卑怯だからっていうの?」

一平−「そんなところだ。これだけでも大変だが、もっとうんざりする、、あるいは悲惨なことも多かった。これはまた
     次の機会に話そう」


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