・二グロリーグ



理奈−「ねー、二グロ・リーグって?」

一平−「あ、前回の続きですか」

理奈−「だってカントク、次はこれ説明するって言ったじゃん。アタシ、わかんないことをそのままにしていつまでもいるって
     イヤなのよ」

一平−「知的好奇心旺盛で非常にけっこう。ではまず、二グロという言葉の説明からしよう。英語でスペルはNigroだ。
     語源はラテン語のNiger。『黒い』って意味だ」

理奈−「ふぅん。つまり黒人のリーグってことかな?」

一平−「その通り。研究家の調査によると1920年にアメリカ中西部6都市に二グロ・ナショナルリーグが結成されたのが
     始まりとされている」

理奈−「その前に、なんで黒人だけのリーグがあったの? …大体、想像がつくけど」

一平−「言ってみなさい」

理奈−「…人種差別じゃないの?」

一平−「そういうことだ。…差別は嫌いか?」

理奈−「…大ッキライ」

一平−「そこが理奈のいいところだ。その気持ちを大事にしろよ」

理奈−「本題に入ろか」

一平−「じゃ続きだが、1920年の二グロ・ナショナルリーグの続き、1923年には東部6都市でイースタン・カラード
     リーグが出来た。なぜこういう独立系プロ野球が出来たかというと、さっき理奈が言った通り、人種差別で
     黒人選手はメジャーリーグに入れなかったからだ。ついでに言うと、黒人選手の入団が認められてからも
     ずいぶんと長い間、差別は続いたんだ」

理奈−「…どんな?」

一平−「言ってみれば、日本や韓国プロ野球の外国人選手枠みたいなもんだ。1チームにベンチ入り出来る黒人選手
     の数を制限したんだな。ただ注意して欲しいのは、別にリーグやコミッショナーが決めたんじゃない。各球団が
     勝手にそういう不文律を作ってしまったんだ。昔、阪急で外国人選手初の三冠王を獲得したブーマーなんての
     のは、この制度の影響をモロに食らって出番がなかった。そこで日本へ来て大活躍、ということだったんだな。
     無論、今はこんな決まりがあるチームはないだろう」

理奈−「胸くそ悪くなるね」

一平−「女の子らしい言葉を使ってくださいね、理奈さん(^^;)。んで話を戻すけども、その両リーグでブラック・ワールド
     シリーズも開催されるほど盛況だった。しかし1929年に解散してしまったんだ」

理奈−「なんで?」

一平−「世界史で習ったろ? 1929年、アメリカと言えば何だ?」

理奈−「わかんない」

一平−「おまえな(^^;)。1929年といえば世界大恐慌だろう」

理奈−「なにそれ」

一平−「…もういい(^^;)。要するに世界的な大不況だ。今の日本みたいなもんだ。失業率はうなぎのぼり、各企業は
     持っているクラブチームを廃止したり、寄付金を打ち切ったりする。観客も減る。その影響で両リーグとも資金繰り
     が悪化して解散してしまったんだな」

理奈−「でも復活したのね?」

一平−「そうだ。その後、東部に二グロ・ナショナル、西部に二グロ・アメリカンの両リーグが結成された。やはりブラック
     ワールドシリーズも開催され、黒人に大人気を博したわけだ」

理奈−「そこにこないだの敬遠のお話が出てくんのね」

一平−「そうだ。あれで紹介したリロイ・ペイジ、通称サッチェル・ペイジだが…」

理奈−「その通称がなんで有名なの?」

一平−「あ、そうか。サッチェルってのはsatchel、つまりショルダーバッグのことだ。このペイジというのは7歳のころから
     駅のポーターとして働いていて、両手一杯にバッグを抱えた彼は姿が見えず、サッチェルしか見えなかったこと
     からサッチェルというニックネームがついていたんだ。
      で、そのペイジだが、記録がものすごい。1934年には105試合に登板して104勝したとか、通算2600試合
     に登板したとか、通算300完封だとか、そのうち155試合がノーヒットノーランだとか、にわかには信じられない
     ような伝説を残している」

理奈−「冗談みたいな記録だね」

一平−「まあね。スコアが残っているわけでもないらしいから、実際、伝説なのかも知れないね」

理奈−「そうなのか。あ、それにさ、その二グロ・リーグのレベルが低かったとか、そういうことはないの?」

一平−「なるほど、当然起こりうる疑問だね。こういうことがあった。1934年のオフシーズンに、エキビジョンで、その年
     ワールドチャンピオンになったカージナルス相手にペイジが投げたことがあったんだよ」

理奈−「抑えたの?」

一平−「1対0の見事な完封勝利だったそうだ。しかも、大リーグ史上最高の右バッターと言われたR・ホーンズビーを
     5打席連続三振に切って取ったそうだ」

理奈−「うわー。そんなに力があったのに大リーグに行けないなんて」

一平−「でも、このペイジのピッチングがメジャーにショックを与えたことは事実だろうね。1947年には初の黒人選手
     ジャッキー・ロビンソンがドジャースでメジャーデビュー、新人王を獲得した。まあ、黒人デビューはロビンソンで
     はない、という説もあるようだけど、彼の活躍が黒人選手のメジャー進出を決定づけたことは間違いない」

理奈−「でも、ペイジは間に合わなかったのね?」

一平−「それが間に合った」

理奈−「ちょっと待って、だってもう随分前から投げてんだから、もういい歳なんじゃないの?」

一平−「うん。ロビンソンの翌年、つまり1948年にペイジはインディアンスと契約した。その時の年齢がなんと42歳だ。
     もちろん大リーグ史上最年長ルーキーだし、今後もまず破られることはないだろう。彼が予告先発した8月20日、
     噂の大投手をひとめ見ようと訪れた観客は7万人を越えたそうだ。その初登板で、なんとペイジは3安打完封し
     てしまった。繰り返すが42歳でメジャー初登板の投手が、だ。さすがに往年の球威は衰えていたが、チェンジ
     オブ・ペースで抑えきってしまった」

理奈−「すごいねー」

一平−「さらに驚くんだが、ペイジは体力の限界を感じていったんは引退した。しかし、1965年にアスレチックスと契約
     したんだ。この時、なんと59歳と2ヶ月!」

理奈−「59歳って、もうおじいちゃんじゃないの」

一平−「失礼なこと言うな(^^;)。60歳なんてまだ現役バリバリだぞ。ってまあ、今から30年以上前の60歳はおじい
     ちゃんかも知れないなあ。しかもスポーツ選手としてだからなあ。で、そのペイジだが、さすがに1試合に投げた
     だけ。しかし3イニング無失点だったというからすごいよなあ」

理奈−「そういえばさ、その後の二グロ・リーグはどうなったの?」

一平−「ああ、そうだった。メジャーで黒人のスーパースターが活躍し始めると、さすがに存在意義がなくなったようだね。
     1949年にはなくなったそうだ。これは仕方がないというか当然の自然淘汰だね。もともと、メジャーに黒人選手
     が入れれば、二グロ・リーグの存在理由はなかったわけだから」


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