親子プレイヤー? そんなの日本にもいるじゃない、と言うなかれ。日本の親子プレ
イヤーというと、長嶋茂雄−一茂に野村克也−カツノリなどという失笑ものの例が
目立つ程度で、こんな例を大リーグと比べようと思う方が恥ずかしい。
メジャーの懐の深いところは、親子が現役でプレーしたという例ある、ということだ。
ケン・グリフィは、1970年代のレッズ黄金時代、あのビッグ・レッドマシンの名
2番打者として鳴らした、メジャー歴18年を誇る好外野手である。が、寄る年波には
勝てず、最後には2割そこそこの打率をウロウロし、1990年にレッズを解雇された。
これに目をつけたのがシアトル・マリナーズだ。マリナーズには、若干19歳でメジャ
ー開幕戦にスタメンデビューしたケン・グリフィ・ジュニアがいたからだ。レッズから
切られたシニアを獲得すれば、同一チームで親子が現役でプレーする、という史上初
の例が出現することになる。
こうして、1990年8月29日にシニアはマリナーズと契約した。
そして、その2日後のロイヤルズ戦でスタメン復帰を果たした。史上初の親子プレイヤ
ーをひとめ見ようと駆けつけたファンは、さらなる驚きと喜びに浸ることになった。
マリナーズは、2番レフト父親、3番センター息子というメンバーを組んだのだ。
当時、父親39歳、息子20歳。
このゲーム、グリフィ親子はある賭けをした。「このゲームで、最初にヒットを打った
方が、明日の夕食をおごることにしよう」。
結果は早くも初回に出た。この賭けはシニアが勝った。2番の父親がまずセンター前
にヒットを飛ばしたのだ。しかし、息子も負けてはいない。同じくセンターへヒットを放っ
たのである。観客は大喜び。おまけに、続く4番打者がツーベースを打つと、父親、息
子と、相次いでホームインして見せた。
この試合、オーナーに招待されていた(イキなことをするよねぇ)母親はハラハラして
両者の活躍を見守っていたそうな。
さらに親子の活躍は続く。2週間後の9月14日、対エンジェルス戦では、初回に父親
がセンターオーバーの2ランホームランすると、続く息子もレフトスタンドへ連続ホーマ
ーするという離れ業をやってのけたのだ。親子でのアベックホーマーも初めてなら、
親子の連続ホームランも初めてだ。こんな劇的かつ楽しいプレーが見られるなんて、
アメリカのファンは何と幸福なのだろう。
父親は翌年のシーズン途中で、体力の限界を理由に引退した。
確かに、これはマリナーズが客寄せパンダ的意味合いで成立させたことではあるが、
ただ見世物だけに終わらせなかったこの親子には、心からの拍手を送りたい。
日本の、例の二組は本当に客寄せ以上の意味がなかったからねぇ。
現役で同時にプレーした、というのはこれしかないのだが、長嶋、野村的なものなら
いくつも例がある。ボンズ親子にブーン親子、マクレー親子などが有名である。
変わり種とひとつ。
アストロズにキャンデールという三塁手がいたが、彼の母親は1940〜1950年代に
かけて、女子プロ野球のスタープレイヤーだった。