〜ヤクルトスワローズ編〜


 1960年代   〜外国人選手黎明期〜

   スワローズは1950年にセントラルリーグへ加盟承認された国鉄スワローズが前身である。65年にはサンケイが買い取り、
  70年にはヤクルトが買収して現在に至っている。その間、ニックネームがアトムズになったこともあるが、最終的には当初の
  スワローズに戻っている。愛称の由来は、当時の溶く鉄特急「つばめ」号から来ているというのは有名な話だ。
   さて60年代の外国人選手だが、新興球団にしては意外と少ない。スワローズといえば、良質な外国人選手を獲得するのが
  上手だが、どうもそれは伝統らしい。数は少ないが、いきなりジャクソンやロバーツというA級選手を獲っているのだ。


  ロマン・マヒナス(Roman Mejias)

   キューバ出身。1955年にパイレーツ、62年にコルト45’s、63年にレッドソックス。そして66年に来日、サンケイ
  入りする。183センチ79キロの、スラッとした体格で、いかにも俊敏そうだったが、試合に出してみるとこれがサッパリ。
  無理からぬことで、実はこの選手、去年に現役を引退しており、そこをサンケイが引っ張ってきたのである。なんでそん
  なことをと思うやも知れないが、この黎明期には他の球団も似たようなことをしており、このことだけで球団を責めること
  は出来ないだろう。それでも、日本に慣れ、勘も戻ってくるとそこそこ打ち出したが、右脚の太腿を肉離れしてしまい、
  その時点でエンド。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
マヒナス 右右  外 66 サンケイ  30  52   2  15   4    0    1  14   0 .288

  ルイス・ジャクソン(Louis Jackson)

   58年カブス、64年にオリオールズ。174センチ80キロと、同時入団したマヒナスに比べて小柄だったが、精悍
  そのものの黒人選手だった。「褐色の弾丸」との異名をとり、成績不振で苦しむチームの主力として活躍した。
  メジャーではホームラン打者ではなかったろうが、日本ではそのパワーを遺憾なく発揮した。バットのグリップエンド
  に小指を引っかけるほどにバットを長く持ち、思い切り引っ張る打法は迫力満点だった。まともにボールをとらえる
  と、とんでもいない勢いで打球がスタンドに飛び込んだ。あのパワーならホームラン王は確実と思われたが、案外
  数字は伸びていない。これは彼の打法に問題があった。なにせ、とにかく引っ張るバッティングで、右脚を思い切り
  開いてライト方向を向いてしまうので、強烈なライナーがラインドライブしてファイルになってしまうことが多かったから
  らしい。それでも、佐藤や町田といった主力打者とともに当時のスワローズになくてはならなかった存在だったのは
  確か。脚も速く、機を見ては塁を奪った。67年にはオールスターにも選ばれている。
   人柄も良く、陽気そのもの。アメリカでは黒人差別を受け、大して活躍の場も与えられなかったこともあり、日本
  で伸び伸びとプレーしていた。日本人選手とも積極的に交わり、酒を酌み交わしていたという。当時の飯田徳治
  監督らと車座になり、焼き鳥片手にビールを煽っていたというから、彼の性格がわかるというものだ。
 
   ただ問題だったのは、少々遊びすぎたということである。真面目で野球一筋だった男に、酒やギャンブル、そして
  女遊びを教え込んだチームメイトがいるらしい。30歳過ぎまでそんなことは知らなかった純朴な黒人青年は、これ
  に一気にはまりこんでしまった。特に女遊びが大好きだったようで、その武勇伝は今でも伝えられているらしい。
  そのひとつを紹介すると、試合当日、練習時間になっても球場に姿を現さないジャクソンに困ったナインのひとりが
  彼のアパートを訪ねると、ドアの鍵は開きっぱなし。泥棒かと思って緊張していると、何やら苦しげな声が。すわ、
  事件かと部屋に飛び込むと、ベッドの上には絡み合ったジャクソンと女性がいた、という案配(^^;)。呆れかえった
  某選手は、一戦終わるのを待ってジャクソンを引きずり出し、そのまま試合に出させたが、そこでちゃんとホームラン
  してみせたという伝説もあるそうな。
   3年目に成績が少し落ち、彼も奮起しただろうが、悲劇は4年目にやってきた。3月のオープン戦に出場していた
  ジャクソンは、その打席で意識を失って倒れた。そのまま緊急入院したものの、5月28日、帰らぬ人となった。
  死因は膵臓壊死。一説には、女とヤリすぎて精が涸れたからだというが、真相はいかに。いずれにせよ、まだまだ
  活躍できる選手だっただけに惜しまれる。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ジャクソン 右左  外 66 サンケイ  97  346  39  88  43   20   38  62  11 .254
      67  〃 117  439  72 130  79   28   38  76  13 .296
      68  〃 115  416  44  91  59   20   30  97   8 .219
      69  〃   0    0   0   0   0    0    0   0   0  −
   計        4    329 1201 155 309 181   68  106 235  32 .257

  デビッド・ロバーツ(David Roberts)

   スカだったマヒナスを切って入団させた新外国人選手だが、これも見事に大当たり。ジャクソンに継ぐ、いや、
  それ以上の選手だった。62年から3年間コルト45’s、66年パイレーツからサンケイ入り。
  183センチ83キロの偉丈夫な黒人選手で、入団初年度からいきなりその打棒が爆発した。68年、69年と
  連続ベスト9に選ばれ、オールスターにも都合4回選出されている。同僚のジャクソン以上のパワーヒッターで、
  丸太のような腕っぷしから叩き出される打球は、あっと言う間にスタンドインした。68年、69年は巨人・王と
  キングを争う活躍を見せていたが、惜しいことに右肩をケガ、タイトル争いから脱落してしまった。
   無冠ではあったが、ジャクソンとともにチームには欠かせない存在で、ハズレ外国人ばかりひいている他球
  団にうらやまれる存在だった。サンケイ、ヤクルトで6年間活躍したが、7年目のシーズン途中で近鉄に移籍
  した。しかし、もう39歳、さすがに盛りを過ぎていたのか、期待されていた活躍は出来ず、そのまま引退した。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ロバーツ 左左  一 67 サンケイ 126  459  72 124  89   28   60  67   2 .270
      68  〃 128  456  82 135  94   40   70  77   4 .296
      69  〃 116  424  72 135  95   37   58  48   5 .318
      70 ヤクルト 124  420  43 100  52   19   51  71   1 .238
      71  〃 128  452  63 121  76   33   58  65   8 .268
      72  〃 120  383  55 106  63   22   69  64   2 .277
      73  〃  36  115  13  29  16    2   17  19   0 .252
      73 近 鉄  36   65   3  14   7    2   10  10   0 .215
   計         7    814 2774 403 764 492  183  393 421  22 .275

  ロバート・チャンス(Robert Chance)

   惜しまれながら死去したジャクソンの後釜。63年インディアンス、65年セネタース、69年エンゼルス。
   3Aに落ちたところで7月にサンケイが獲得している。188センチ98キロのがっしりとした、というよりはコロコロ
   した身体だが、贅肉ではなく筋肉の塊だった。来日早々、4番を任されたことでも、その期待の大きさがわかる
   というものだが、チャンスはその期待に見事応えている。長打率は6割を超え、得点圏打率も高かった。名前の
   通り、チャンスに強かったわけだ。身体に見合ったパワーバッティングかと思ったが、思いのほか、柔らかい打撃
   で、三振も少なかった。そこが首脳陣のお眼鏡に適ったのかも知れない。
    しかし翌年はどうしたことかサッパリ。日本の投手にクセを覚えられたのか、率、本塁打、打点ともに大幅減。
   この年限りで解雇された。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
チャンス 右左  外 69 サンケイ  55  194  32  62  46   16   26  39   0 .320
      70  〃  88  253  15  59  26    6    8  56   3 .233
   計        2    143  447  47 121  72   22   34  95   3 .271