〜ロッテオリオンズ編〜


 1990年代   〜停滞期〜

   70年代、80年代と優良外国人獲得に成功したオリオンズでしたが、90年代は不遇でした。ジプシー球団として
  仙台を本拠にした時代から、ホエールズが去った川崎に移転。そしてそこも引き払って千葉へと引っ越しです。
  流浪とするチーム、定見のないフロントに振り回された時代でしたが、アメリカからやってきた青い目の指揮官のもと
  立ち直るきっかけを掴みかけていました。しかしその彼も、名監督として名高かったGMと衝突して…。


  デヴィット・ヘンゲル(Davit Hengel)

   80年のドラフト6位指名(SFジャイアンツ)を拒否、83年のマリナーズ3位指名でプロ入りする。87年には
  3Aで本塁打、打点の二冠を獲得した。90年、荘、ディアズに続く第三の外国人選手として入団するものの、
  ふたりの壁はあまりにも大きかった。初年度には2度1軍に昇格したが、力を発揮できずに終わった。
   183センチ88キロの巨漢だったが、3Aのタイトルホルダーとは思えぬ非力さが目立った。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ヘンゲル 右右  外 90 ロッテ  20  67   6  12  12    4    9  15   0 .179
      91  〃   1   4   0   1   0    0    0   2   0 .250
  計          21  71   6  13  12    4    9  17   0 .183

  ダリル・モトリー(Darryl Motley)

   俊敏さとパワーを併せ持った黒人選手。リトルリーグ時代から頭角を現し、ハイスクール時代には全米代表に
  選出されたこともある。78年にロイヤルズにドラフト2位指名で入団、81年にメジャー昇格。91年にはメキシカン
  リーグで不遇を託つが、翌年日本行きを決めた。

   入団のきっかけとなったのはディアズの突然の退団によるもの。6月に来日し、4番を任されたものの、8月に
  左手首を骨折、以後治療に専念する。まだ32歳と若く、期待も大きかったため翌年も契約された。しかし、93
  年にはホール、マックスが入団し、たちまち第三の外国人に追い込まれてしまった。実力はあったようで、ファーム
  暮らしだった93年には、イースタン・リーグで.327,18本塁打で二冠を獲得した。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
モトリー 右右  外 92 ロッテ  25  96  13  20  17    5    9  29   0 .208
      93  〃  19  66   6  16   3    2    9  15   2 .242
  計          44 162  19  36  20    7   18  44   2 .222

  ウィリアム・ヴェネブル(Willliam McKinly Venable Jr.)

   通称「マックス」。179センチ83キロの筋肉質の体を持つ俊敏な黒人選手。76年にドラフト3位でドジャース
  入り。79年にジャイアンツでメジャー入り。以後、エクスポス、レッズ、エンゼルスを経て92年にロッテ入りする。

   その92年にはチーム内最多本塁打を放つものの、わずかに13本では誉められない。脚はあったから、元々
  長打力を期待する方がおかしかったのだろう。それにしても、打率、盗塁ともに期待はずれと言わざるを得まい。
   93年帰国後に、ジャイアンツで打撃コーチを務めている。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
マックス 右右  外 92 ロッテ 111 425  57 114  50   13   53  65  13 .268
      93  〃 103 372  30 101  54    7   34  59   3 .272
  計         214 797  87 215 104   20   87 124  16 .270

  メルヴィン・ホール(Melvin Hall Jr.)

   78年、カブスのドラフト2位でプロ入りする。81年にメジャー昇格、84年にインディアンス、89年にはヤンキース
  で4番を打つまでに成長した。大物として鳴り物入りで来日したのが93年だった。入団当初から主軸を勤め、低迷
  するチームの起爆剤にならんとし、得意の打棒を振るった。脚もあり、勝負強く、一発もあるという、言うこと無しの
  優良選手だったが、契約で揉めてわずか2年で退団。もっとも、年齢的に苦しいという判断もあったようだ。
   95年に中日入りするものの、古傷の両ひざが悪化し7月には帰国してしまった。結局、そのまま退団。しかし
  96年にはメジャーに復帰している。

選手名 投打 守備 所属 試合 打 数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ホール 左左  外 93 ロッテ 129  480  71 142  92   30   59  81  21 .296
      94  〃 119  459  69 127  80   22   44  84  13 .277
      95 中日  50  178  20  42  35   12    9  28   2 .236
  計         298 1117 160 311 207   64  112 193  36 .278

   マイケル・ハートリー(Michael Hartley

    81年ドラフト外でカーディナルス入り。ドジャース、フィリーズ、ツインズを経て、94年にロッテ入りする。
   185センチ89キロというがっしりした体つきの童顔をした白人投手。速球ではなく、多彩な変化球を武器
   とする技巧派投手で、大きなカーブやSFFには見るべきものがあった。しかしながら、小手先で勝負する
   タイプなのに細かいコントロールがなく、甘く入った変化球を捕らえられることが多かった。もとよりスピード
   はなく、制球にも難があるとなれば使いようがなく、この年の8月で解雇されてしまった。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
ハートリー 右右 94 ロッテ  14  1  6  1 40.3   0   0   26  27  30   30 6.69

  ピート・インカビリア(Pete Incaviglia)

    95年、マーリンズの救世主として入団したバレンタインに引っ張られてきた超大物。85年にエクスポスで
   ドラフト1位指名され入団。翌年、レンジャースでメジャー入りし、タイガース、アストロス、フィリーズと渡った。
   5年連続で20ホーマー以上を記録し、ただの一度もマイナー落ちしたことがないというバリバリのメジャー・
   リーガーだった。

    絶大な期待を持って迎えられたが、どうしたものか日本ではサッパリだった。ストライクゾーンの差違、環境
   の違い、投手の攻め方の差と、日米カルチャーショックをまともに受けて大いに悩んだようである。ボスの
   ボビーのアドバイスも虚しく、プロ入りして初めての2軍落ちを日本で経験するハメになった。

    高価な年俸にとても見合わぬ成績で、球団に再契約する意志はなかったし、インカビリア自身も日本はもう
   こりごりだった。96年に、すぐメジャー復帰し、いきなり16ホーマーを打ち込んで、その力に偽りなしという
   ところを見せつけた。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
インカビリア 右右  外 95 ロッテ  71 243  25  44  31   10   27  74   1 .181

  フリオ・フランコ(Julio Franco)

    インカビリアとともに、ボビーに導かれて異国へやってきた大物メジャー・リーガー。高く構えたバットを思い
   切り投手に向けた印象的なバッティング・フォームが懐かしい。
    78年にプロ入りすると、82年にメジャー入り。翌年、アスレティックスに移籍し、91年にはアメリカン・リーグ
   の首位打者となる。その後、ホワイトソックスに移り、95年にロッテ入り。

    もともと二塁手だったが、ロッテでは主に一塁を守った。生まれついてのリーダーで、負け犬根性の染みつい
   たチームに活を入れるべく、ボビーの意向もあって主将となってマーリンズを引っ張った。長打力こそなかった
   が、強力なリーダーシップでチームに欠かせぬ存在だったが、日本での活躍に目を付けたインディアンスに
   引っ張られて退団した。しかしその後も、マーリンズからのラブコールは絶えることがなく、98年には日本に
   戻ってきた。復帰した98年も主力にふさわしい働きを見せたが、すでにボビーは監督の座を追われ、37歳と
   いう高齢から翌年構想から外れ、退団することになる。

    そして今度は韓国に呼ばれることとなり、三星ライオンズ入りする。チームの顔だった李承Y(!)が一塁を
   守っていたので、主にライトを守った。抜群のバットさばきは健在で、そのミートの巧さですぐに韓国野球に馴染
   んだ。.327、22ホーマー、110打点という活躍ぶりで、打点王を最後まで争った。これだけの成績を残した
   にも関わらず、その年で首脳陣が刷新されると、新監督に構想外と判断され、退団を余儀なくされた。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
フランコ 右右  一 95 ロッテ 127 474  60 145  58   10   63 106  11 .306
      98  〃 131 487  78 141  77   18   72 107   7 .290
  計         258 961 138 286 135   28  135 213  18 .298

   ジョン・ヒルマン(John Hillman

    87年、メッツのドラフト16位。92年にメジャーへ上がってはいるが、また3A落ちするなど、メジャーでは
   パッとした成績を残してはいない。ところが、バレンタインに呼ばれ来日してみると、日本野球が合っていた
   のか、たちまちエース格にのし上がった。ロッテ在籍当時は2年続けて2ケタ勝利し、防御率も抜群だった。
   無論、マーリンズとしても契約を更新するつもりだったが、年俸交渉で揉めて巨人にかっさらわれた。
   …となっているが、実際のところ、97年に同僚の伊良部と最優秀防御率争いを演じていたいた時、伊良部
   にタイトルを獲らせる起用をしたチームに不信と不満を抱いたためと見るべきかも知れない。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
ヒルマン 左左 95 ロッテ  28 12  9 197.3   7   2   57 121  66   63 2.87
    96  〃  29 14  9 213.3  11   3   61 119  66   57 2.40
    97 巨人   2  0  1   6.0   0   0    3   3   2    2 3.00
  計        59 26 19 416.6  18   5  121 243 134  122 2.64

  ジョン・ダウティ(John Daugherty)

    登録名はジャック(似ても似つかぬ名前なんですが、なぜなんでしょうね(^^;))。
   82年にアスレティックス入り。以後、エクスポス、レンジャース、アストロス、レッズと渡り、94年には
   3Aに落ちる。96年ロッテ入団。
    もともと、シュアな打撃を広岡GMに認められての入団だったが、これがとんだお眼鏡外れ。ストレートは
   ともかく、日本投手の操る多彩な変化球にまったくついていけず、一ヶ月も保たずにファーム落ち。失意の
   まま二軍暮らしを続けるも、6月3日で早々と解雇される。
    なお、帰国後はマイナーで打撃コーチ就任。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ジャック 右両  外 96 ロッテ  19  42   1   5   4    0    3  13   0 .119

  ランディ・レディ(Randy Ready)

    登録名はスパイク(だからなぜ?(^^;))。
   80年、ブリュワーズに指名されプロ入り。83年にメジャー昇格し、パドレス、フィリーズ、アスレティックス、
   エクスポス、そしてまたフィリーズと転々とチームを移籍し、96年ロッテ入り。
    で。この選手も広岡さんが選んだんだけども。ぜーんぜん使えなかった。こいつといい、さっきのジャックと
   いい、中日のスパイクスといい、広岡さん何を見てたんでしょうね。スパイクもジャックと同様、コンパクトな
   打撃を認められたらしいんだけど、これまたジャックと同じで変化球がまるでダメ。ジャックよりは多少マシ
   だったらしいが、それでもあっさりファーム落ち。ジャックに遅れること10日ほどで解雇されました。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
スパイク 右右  外 96 ロッテ  30  90   3  18  11    1   16  22   0 .200

  ウェスリー・チェンバレン(Wesley Chamberlain)

    84年、パイレーツにドラフト5位指名されるも入団拒否。大卒後の87年に再びパイレーツに4位指名され
   ると、今度はプロ入りした。90年にメジャー昇格、94年にレッドソックスへトレードされ、96年にはマイナー
   落ちしていた。そこを、ジャック、スパイクの後釜探しをしていたロッテに拾われることになる。

    188センチ104キロの巨漢の黒人選手。一発長打を期待しての獲得だったが、デビュー戦で見事に決勝
   の2ランを放って首脳陣を喜ばせた。しかし、変化球に脆い面を見せると、日本の投手たちは徹底した変化球
   攻めを見せ、チェンバレンを悩ませた。シーズン終了まで在籍はしたが、とても期待に応えたとは言えまい。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
チェンバレン 右右  一 96 ロッテ  68 261  26  66  38   11   29  52   7 .253

  ダレル・ウィットモア(Darell Whitmore)

    上記のチェンバレンとともに、役立たずだったふたりの後任として来日した外野手。87年、ブルージェイズ
   に指名されプロ入り。93年にロッキーズでメジャーに上がるが、またマイナーへ。そこに目をつけたロッテが
   獲得した。もっとも、この人も広岡GMがアメリカへ渡って見つけてきた選手なんだけどね(^^;)。

    まあそれでも前任者2名よりはマシで、来日2試合目で福岡ドームのライトスタンドへ叩き込んだパワーは
   折り紙付き。しかし、これもまた変化球が打てない。まったく広岡さんも何人同じのを連れてくるんだか。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ウィットモア 右左  外 96 ロッテ  57 229  27  61  29   12   14  65  12 .266

   ブレイン・ウォーレン(Brian Warren

    90年にプロ入りするも、タイガース、レンジャース、レッズのマイナーのみの経験しか持たない。
   98年に台湾へ渡り、和信へ入団、クローザーとして活躍する。そのわずか2ヶ月の活躍を目に付けられ、
   ロッテに引っ張って来られる。台湾で活躍したアメリカ人選手の日本球界入りの走りみたいな選手である。

    6月からの入団だったが、初年度は中継ぎとして抜群の成績を収め、翌年からはクローザーに固定
   され、ロッテの守護神となった。ムーヴィング・ファストボールを武器に、並み居るパシフィックの強打者連を
   封じていった。もっとも、あまりにも変化しすぎるムーヴィングボールに「不正投球」ではないかとの疑いも
   出て、特に西武は激しく抗議したことも記憶に新しい。

    3年目、やや成績が落ちたところで、若手の小林雅英の急成長もあって、抑えから中継ぎへの転向を
   打診されると、途端に機嫌を損ねて首脳陣に不満を漏らすと、そのオフにあっさりクビとなった。巨人移籍
   の噂もあったが、トラブルメーカーの印象が強く、その上「不正投球」疑惑もはっきりしなかったため、とうとう
   声がかからず終い。
    結局、2001年のシーズンから韓国プロ野球入りし、ハンファに入団。しかし、折からの肩痛もあり、11
   試合に登板し、2勝1敗3S防御率4.30と振るわなかった。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
ウォーレン 右右 98 ロッテ  24  2  1  3  29.0   0   0   10   9   3    3 0.93
    99  〃  49  1  2 30  54.3   0   0   10  25  14   11 1.82
    00  〃  36  3  2 11  41.3   0   0   14  24  22   20 4.35
  計       109  6  5 44 124.6   0   0   34  58  39   34 2.45

   ジョセフ・クロフォード(Joseph Crawford

    91年、メッツのドラフト17位でプロ入りし、97年に初メジャー。98年にロッテ入りした。
   初年度はローテーションの一角を占めて先発投手として活躍、4月に4勝するなど、ロッテの弱投の中で
   中心的存在となった。しかし、打線の援護に恵まれず、それ以降の勝ち星がなかった。そのうちピッチングも
   おかしくなり、調子を落として7月に二軍落ち。
    しかし、190センチ102キロの髭面の大男の割りに、練習態度は真面目で真摯だったため、首脳陣の評価
   は悪くなかった。そのせいかどうか、翌年の契約も勝ち取った。しかしながら2年目はろくに投球機会さえ貰えず、
   そのままさびしく退団する。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
クロフォード 左左 98 ロッテ  15  4  6  77.3   2   0   53  37  48   41 4.77
    99  〃   4  1  1  18.6   0   0   17   5  13   13 6.27
  計        19  5  7  96.0   2   0   70  42  61   54 5.06

  ブレント・ブレイディ(Brent Brede)

   90年にツインズのドラフト5位でプロ入り。96年メジャー昇格。ロッテ入団は99年である。
  193センチ86キロのスラリとした長身の白人選手で、キャンプ、オープン戦での評価は、同期入団のボーリック
  より上だった。ところが、フタを開けてみると思ったよりパワーのないことが判明。
   その後、8月に右肩関節部の故障でアメリカへ帰国、10月に手術して、そのまま退団。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ブレイディ 左左  外 99 ロッテ  33 101  12  27  10    2   11  21   3 .267

  マーク・キャリオン(Mark Carreon)

   81年、メッツのドラフト8位でプロ入りする。ジャイアンツ、インディアンスを経由して、97年に来日した。
  バリバリの現役メジャー選手だったはずだがちゃらんぽらんで、練習をさぼることもしょっちゅうあった。
  それでも初年度はチームの打撃三冠王。もっとも、この成績で三冠王といっても決して威張れたものではないだろう。
  2年目の98年、かのフランコが入団し、キャリオンに一括すると一転してピリッとし優等生宣言。そのかいあってか、
  開幕当初は絶好調でボビーを喜ばせたが、腰痛で悩み60試合の出場に終わった。そのまま任意引退し、その年の
  うちに故郷・アリゾナで牧場を開いたそうな。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
キャリオン 左右  外 97 ロッテ 129 481  51 134  77   14   58  60  11 .279
      98  〃  60 227  22  68  37    8   22  20   0 .300
  計         189 708  73 202 114   22   80  80  11 .285

  ヘンスリー・ミューレン(Hensley Meulens)

   ヤクルト’90年代を見よ。


  ネイサン・ミンチー(Nathen Minchey)

   広島’90年代を見よ。


  フランク・ボーリック(Frank Bolick)

   85年、エクスポスのドラフト23位を拒否し、短大進学。2年後、ブリュワーズのドラフト7位でプロ入りした。
  93年のメジャー昇格を皮切りに、メジャーと3Aの間を行き来するエレベーター選手となってしまう。そこを
  99年ロッテが獲得した。
   しかし、キャンプ、オープン戦はパッとせず、開幕はなんと2軍でスタートしている。4月14日に1軍に上がる
  と、その試合で代打ホームランしてチームにアピールした。以後、バリバリと打ち出し、打線の主軸として
  クリーンアップに居座った。ボーリックがホームランするとチームは負けないという、いわゆる「ボーリック神話」
  を作りだし、結局、本塁打の出た試合は12連勝するという好結果を呼んでいる。

   スイッチヒッターとしては珍しい長距離砲で、ロッテ打線に欠かせぬ存在となっていたが、2002年はシーズン
  当初から不振に喘ぎ、その年で自由契約となった。

選手名 投打 守備 所属 試合 打 数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ボーリック 右両  一 99 ロッテ 106  348  50  87  61   26   61  85   1 .250
      00  〃 125  432  77 128 102   29   99  91   3 .296
      01  〃 132  452  84 126 101   31  107 111   1 .279
  計         363 1232 211 341 264   86  267 287   5 .277

  ジェイソン・トンプソン(Jason Thompson)

   91年、メッツのドラフト8位でプロ入りする。96年にメジャー昇格(パドレス)したばかりで、まだ26歳の若手
  有望株で、なぜこんな選手がロッテへ来たかというと、あの伊良部との交換トレードの結果である。相手も
  渋るほどの期待された選手だったらしいが、来日して見てみると、それほどのことはなかった。大きなスイング
  での大振りが目立ち、一部では「他の選手と交換してもらうか」という話も出たらしい。

   まだ若いし、なにしろ2年契約だからということで98年も残留したが、キャンプイン直前になって突然の解雇。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
トンプソン 左左  一 97 ロッテ 127 438  42 108  62   14   27 114   2 .247
      98  〃   0   0   0   0   0    0    0   0   0  −
  計         127 438  42 108  62   14   27 114   2 .247

   マイケル・フィアリー(Michael Fyhrie

    92年、ロイヤルズのドラフト12位。メジャー経験はないが、96年に3Aで15勝6敗の成績を残してMVP
   を獲得する活躍を見せる。97年にロッテ入団。
    一時はヒルマンより評価が上だったが、細かいコントロールがなく、粗っぽい投球で今ひとつだった。
   どうも左膝を故障しており、本来の力を発揮できなかったというのが本当らしい。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
フィアリー 右右 97 ロッテ   8  3  4  0 43.3   0   0   16  15  29   28 5.82

   スコット・デーヴィソン(Scott Davison

    88年、エクスポスのドラフト5位で入団するが、この時は内野手。しかし芽が出ず、92年に退団している。
   その後、投手に転向して94年にマリナーズ入りしているという変わり種。こちらの方は、早くも95年には
   メジャー入りしているから、打者よりも投手向きだったのだろう。
    ロッテ入りしたのは98年の3月中旬で、シーズン開幕2週間前。4月は、勝ち星こそなかったが、チーム
   自体が好調なこともあり、中継ぎとしてそこそこのピッチングを見せた。しかし翌月に右肩を故障、帰国して
   精密検査すると、シーズン内復帰はほぼ絶望とのことで、解雇された。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
デービソン 右右 98 ロッテ   5  0  1  0  7.6   0   0    5   8   2    2 2.35

   シェイン・デニス(Shane Dennis

    94年、パドレスのドラフト7位でプロ入り。96年には3Aで9勝して、97年にロッテ入りする。
   デニスもトンプソン同様、伊良部とのトレードで入団した選手だ。メジャー経験は一切なかったが、首脳陣の
   評価はそこそこで、開幕当初は先発ローテーションの一角を任された。しかし先発した3試合すべてでKO
   されてあっさり二軍落ち。2年契約だから翌年も残ったが、上へ昇格することはなかった。ファームで、31
   試合登板、3勝6敗2Sの防御率4.90では1軍は遠いだろう。この年限りで解雇。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
デニス 右右 97 ロッテ  14  0  3  0  33.0   0   0   30  36  21   20 5.45
    98  〃   0  0  0  0   0.0   0   0    0   0   0    0  −
  計        14  0  3  0  33.0   0   0   30  36  21   20 5.45

   ディーン・ハートグレイヴス(Dean Hartgraves

    87年、アストロスのドラフト23位でプロ入り。メジャーにも何度か上がったが、マイナー暮らしの方が圧倒的
   に長かった。ロッテ入団は99年だが、まるで期待はずれ。貴重な左腕の先発投手として嘱望されたが、結果が
   出せず、開幕2軍。1軍入りしたクロフォードが使えなかったので5月末に1軍昇格したものの、これがからっきし。
   おまけに8月には左肩を故障して、手術を受けるため帰国、そのまま解雇。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
ハートグレイブス 左左 99 ロッテ   3  0  2  0  9.6   0   0   10   4   9    8 7.45