〜ロッテオリオンズ編〜


 1980年代   〜停滞期〜

   70年代に、日本プロ野球史にも球団史にも残る、天下の優良優秀外国人選手であるリー・ブラザースの入団があった
  ため、この年代は外国人選手の出入りは極めて少ないものでした。しかし、荘やディアズなど印象的な選手もおりました。



   スティーヴン・シャーリー(Steven Shirley

    82年にドジャースに昇格すると、翌年ロッテ入りする。ザンバラ頭にモミアゲ、髭面の荒くれ男。180センチ84キロ
   というがっちりした体型のサウスポーで、当時まだ日本では珍しかったスクリューボールを武器とした。球質も重く、
   抑えに打ってつけということで、キャンプ中にリリーバーの役を与えられることとなる。83年は、チーム自体が大不振で、
   球団史上初の最下位に沈むこととなるが、そんな中、シャーリーは15SPを挙げてオリオンズに貢献した。
    翌年は、不足気味だった先発陣に入ることを期待されたが、開幕当初から乱打され、1勝のみで終わり、そのまま
   この年限りで解雇。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
シャーリー 左左 83 ロッテ  37   4  4 11  52.3   0   0   27  35  24   19 3.27
    84  〃  13   1  3  0  66.3   1   0   38  45  37   36 4.88
  計        50   5  7 11 118.6   1   0   65  80  61   55 4.17


   荘  勝雄(そう  かつお

    日本で11年も投げ抜いた外国人投手。85年の世界選手権で5勝負けなしでMVPを獲得し、オリオンズに入団
   する。175センチ72キロという中肉中背ながら、均整の取れた体つきだった。速球と変化球のコンビネーションに
   長けたクレバーな投手で、来日以来5年連続2ケタ勝利を挙げ、オリオンズになくてはならない投手となる。この間、
   先発に抑えにと大活躍で、86年には当時のパ・リーグ記録だった10試合連続セーブポイントを記録した。
   台湾投手の特徴としてのタフガイぶりも見事で、87年から20完投、16完投、15完投という抜群の数字を残した。

    91年後半からは、勤続疲労とも言うべき故障に見まわれ、思うように勝てなくなっていたが、ロッテも、それまでの
   功績を考慮して解雇にはしなかった。…というよりは、91年に荘が日本に帰化し、外国人枠にとらわれなくなったこと
   が大きいだろう(日本名:坂元良嘉)。95年限りで引退したが、96年からは投手コーチとしてチームに残った。
    台湾人投手の成功例、二郭一荘と言われた。(二郭=西武・郭泰源、中日・郭源治)。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
 荘 右右 85 ロッテ  34  11 10  4  158.3   9   1   53  86  83   73 4.15
    86  〃  49  11  5 18  143.0   5   1   48 130  52   50 3.15
    87  〃  28  13 11  0  230.6  20   0   77 121  95   85 3.32
    88  〃  29  13 14  0  201.0  16   2   87  82  98   92 4.12
    89  〃  28  11 15  0  207.3  15   4  118 101 106   97 4.21
    90  〃  33   5 14  9  115.0   3   0   46  68  60   54 4.23
    91  〃  29   5  8  2  116.6   6   1   55  47  61   55 4.24
    92  〃  15   0  1  0   33.0   0   0   15  12  21   21 5.73
    93  〃  21   0  5  0   56.0   0   0   36  24  30   24 3.86
    94  〃  12   0  0  0   17.3   0   0   13  11  19   19 9.87
    95  〃  19   1  0  0   27.0   0   0   10  11  20   18 6.00
  計       297  70 83 33 1305.3  74   9  558 693 645  588 4.05

  マイケル・ディアズ(Micheal Diaz)

   83年にカブス、86年パイレーツ、88年ホワイトソックスを経てオリオンズ入りする。188センチ99キロの
  マッチョマンで、ニックネームはランボー。決して見かけ倒しではなく、メジャーリーグ内のアームレスリング
  チャンピオンでもあった。豪放磊落、陽気な性格でチームのムード・メーカーだった。その豪快な一発も魅力
  十分だったが、案外とミートも巧く、ライトへ巧打することもたびたびあった。

   4年間の在籍中、満足にプレー出来たのは最初の2年だけだったが、この2年は打撃三部門とも、ほぼ満点
  に近い数字を残すことが出来た。チーム事情でマスクをかぶることもあったが、これも無難にこなしている。
  もっとも、外野の守備はお粗末でDHでの出場が多かった。
   3年目は開幕早々故障して帰国、4年目は夫人の第三子出産のため、これまた開幕後すぐに帰国してしまう。
  解雇はこのあたりにも遠因があっただろう。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ディアズ 右右  外 89 ロッテ 130  489  75 147 105   39   65  77   1 .301
    外、捕 90  〃 128  454  74 141 101   33  100  88   3 .311
     〃 91  〃  42  139  22  33  23   10   29  21   0 .237
     〃 92  〃  50  174  21  32  35   11   33  51   0 .184
  計   350 1256 192 353 264   93  227 237   4 .281

  ウィリアム・マドロックJr.(Willam Madlock Jr.)

   恐らく、オリオンズに入った外国人選手の中で、実績ではナンバー1だろう。70年にセネタース入りすると、
  73年にメジャー昇格。74年にカブスへ移ると、サードのレギュラーを獲得した。以後、4度に渡り首位打者を
  獲得した大打者なのだ。79年のパイレーツ時代にはWシリーズにも出場している。経歴としては文句のつけ
  ようがない。こんなスーパースターが来日するというので大きな話題になったが、来日当時は37歳で、すっかり
  往年の面影はなかった。随所に「さすが」と思わせるバッティングも見せたが、いかんせん衰えが激しく、とても
  満足の行く成績ではなかった。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
マドロック 右右 三、一 88 ロッテ 123 437  47 115  61   19   65  59   4 .263