〜日本ハムファイターズ編〜


 1990年代   〜目立つ好選手獲得、貢献度抜群〜

   栄光の80年代に比べると、成績的にはやや落ち目となったファイターズ。新旧交代がうまくいかなかった
  こと、猫の目のように代わる首脳陣も影響が大きかった。しかし、補強する外国人選手に限っては、他球団
  がうらやむほどの好選手が目白押しでした。同時に、育成を目的として若い外国人も受け入れましたが、
  残念ながらこちらは成功とは言い難かったようです。


  マット・ウィンタース(Matthew Winters)

   言わずと知れた「踊るホームラン王」。日本へ来て花開いたが、アメリカでは芽が出なかった。78年の
  ドラフト1位。それも名門ヤンキースである。しかし、メジャー昇格したのは89年のロイヤルズで42試合。
  その翌年には日本に引っ張られたわけだ。

   来日以来、4年連続して30ホーマー以上を記録し、4番打者としてチームを牽引した。頼れる主砲として
  も、ナインやファンに愛されたが、それ以上に得意のパフォーマンスで球場を沸かせたエンターテナーでも
  あった。
   今ではすっかりお馴染みになった、雨天中断時のグラウンド一周ホーム滑り込みのパフォーマンスは彼を
  元祖とする。さらに、雨で試合が中断されると、大喜びでベンチ前に飛び出てマジックを披露、観客から喝采
  を浴びた。マジックネタも、飽きられると次々と新作を披露する熱心さ(^^;)。おまけに、敵地ながら藤井寺
  球場で行われる近鉄戦では、5回のグラウンド整備の際に演じられるSKD(松竹歌劇団)メンバーによる
  ダンスに参加、それもバファローズのトレーバー選手のユニフォームを借用し、念の入ったことに付け髭まで
  着用して踊りまくるという芸を見せてくれた(これは一時藤井寺名物になったそうな(^^;))。

   そんな剽軽者ウィンタースの隠れた一面。実は彼、試合前は読書をして心を落ち着けていることが多かった
  のだ。それも多くは聖書だそうである。バットのグリップエンドや帽子のひさしの裏に背番号である「10」が
  記入してあるのだが、そのゼロの中には必ず「十字」マークが入っていた。そう、彼は熱心なクリスチャンなの
  だ。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ウィンタース 右左  外 90 日本ハム 127  468  73 130  97   35   73  98   3 .278
      91  〃 130  472  57 127  84   33   72  97   3 .269
      92  〃 120  426  70 120  79   35   76  77   1 .282
      93  〃 130  460  78 114  87   35   94 124   5 .248
      94  〃 130  466  68 121  81   22   89 112   0 .260
  計         637 2292 346 612 428  160  188 508  12 .260

  ウィリアム・ベイス(William Bathe)

   81年に、ドラフト8位でアスレティックス入り。メジャーに昇格したのは86年のことである。
  ファイターズとしては、頼りないデイエットと競わせるつもりで獲得したが、確かに彼よりはマシだった。
  しかしクリーンアップを任せるには、とても力不足だった。
   翌年にはマーシャルというライバルが入団、その競争に敗れ、退団することになる。

   当時ファイターズにいたBMWトリオ(B=ベイス、M=マーシャル、W=ウィンタース)の中では最も
  真面目で、日本語習得に余念がなかったが(「上を向いて歩こう」をソラで歌えたそうである)、残念ながら
  肝心のバッティングが今ひとつだった。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ベイス 右右  一 91 日本ハム 116 407  31 101  41   16   38  67   1 .248
      92  〃  40 115   7  22  11    0   15  32   1 .191
  計         156 522 3 8 123  52   16   53  99   2 .236

  マイケル・マーシャル(Michael Brant)

   78年にドジャースのドラフト6位でプロ入り。81年には3Aで三冠王になる。同年メジャー昇格し、83年
  にはドジャースのレギュラーとなり、以降7年連続して2ケタ本塁打を放つなど、中心打者として活躍する。
  以後、メッツ、レッドソックスを経て日本ハム入り。つまりバリバリのメジャーで、大きな期待を持って迎えら
  れた選手なのだ。
   その期待通り、西武との開幕戦では工藤から初打席初本塁打した。

   来日前は、そのトラブルメーカーぶりを心配されていたが、来日後はうってかわって真面目人間に変身。
  静かに街を散策するのが趣味というにも驚くが、大抵の外国人選手が苦手とする日本の緑茶が大好物と
  いう変わり種でもあった。

   そっちの心配はなかったが、期待の方も外れてしまった。西武のエース工藤から初ホームランを放ったの
  はよかったが、どうしたことか、その後はまったく鳴かず飛ばす。打率、打点が低空飛行なら本塁打も9本止
  まり。とても高給に見合わないということで1年で解雇される。しかし帰国後はすぐにマリナーズでメジャーに
  復帰している。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
マーシャル 右右  外 92 日本ハム  67 244  27  60  26    9   19  56   0 .246

  リチャード・シュー(Richard Schu)

   80年にフィリーズ入り。メジャーに上がったのは84年である。
  来日したのは1軍レギュラーを目指してのことで、ファイターズ入りしてその夢は叶う。長距離砲・ウィンタ
  ースの後を受ける5番を任されたが、彼の強打を避けてシューを勝負してくる相手投手から、たびたび痛打
  を奪った。
   ウィンタース&シューの強力コンビで打線の中核は出来たとほくそ笑んだ首脳陣だったが、シューの活躍
  は1年に限られた。翌年は、弱みでも覚えられたのか、前年の好打は生まれず、三部門すべてが急降下。
  この年限りで自由契約となる。
   その後、アメリカへ帰り、2年間の3A暮らしのあと、エクスポスでサードとしてメジャー復帰を果たしている。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
シュー 右右  一 93 日本ハム 128 482  74 130  79   24   61  91   8 .270
      94  〃 129 463  50 113  45   14   53  87   5 .240
 計         257 945 124 243 124   38  114 178  13 .257

  フランク・カンポス(Frank Campos)

   87年ドラフト外でプロ入り。5年間も1Aで冷や飯を食って、2A、3Aと成り上がってきたところで来日、
  ファイターズの入団テストを受ける。当時ブームだったムーヴィング・ファストボールを武器としており、
  球団としても長い目で育てるつもりだった。抑えにでも使えれば、という期待もあった。
   が、どうしても治らなかったのが、そのノーコンぶり。おまけに右ヒジを故障してしまい、長期療養が
  必要とわかると、1軍どころかファームの試合にすら登板することなく5月18日付けで解雇。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
カンポス 右右 94 日本ハム   0  0  0   0   0  0    0   0   0    0   −

  キップ・グロス(Kip Gross)

   彗星のように登場したファイターズの救世主。85年、カーディナルスにドラフト3位で指名、90年に
  レッズでメジャー入り。その後、ドジャース、3Aで過ごし、94年の5月に来日した。早々にクビを切られた
  カンポスの代わりである。ところがこれが大当たり。

   いきなり先発に組み入れられると、シーズンを通してローテーションを守った。確かに負けが込んだもの
  中4日でもOKという、使い減りのしないタフガイぶりが買われた。成績的には翌年の契約を勝ち取るのは
  難しかったろうが、ローテを崩さなかったことも評価された。
   すると翌年は本領発揮、16勝を挙げて最多勝を獲得した。防御率も1点以上上回る活躍だった。無論、
  中4日可というのも変わりない。負け数が多いことに懸念もあったが、それならばということで3年目の96
  年には17勝で連続最多勝を獲るとともに、負け数も9に減らしてみせた。文句のない、堂々としてエース
  ぶりだった。

   4年目、やや勝ち星が落ちて負けが増え、5年目には怪我もからんで成績が急降下。その年限りで整理
  されたが、90年代半ばのファイターズはまぎれもなくグロスがエースとして君臨していた。
   なお帰国して翌99年にはレッドソックスでメジャー復帰を果たしている。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
グロス 右右 94 日本ハム  25  6 12 149.0   7  0   58  62  74   71 4.29
    95   〃  31 16 13 231.0  15  5   71 114  92   78 3.04
    96   〃  28 17  9 193.6   8  1   62  79  92   78 3.62
    97   〃  33 13 11 233.3   8  3   78  98 103   94 3.96
    98   〃   7  3  4  36.3   1  0   19  11  18   16 3.96
 計       124 55 49 843.3  39  9  288 364 379  337 3.60

  バーナード・ブリトー(Bernard Brito)

   80年にドラフト外でインディアンスと契約。その後は何度解雇されても、テストを受けて再契約すると
  いう不屈の闘志でプロ野球生活を送る。88年にツインズと契約すると92年にはメジャーに昇格した。
  長いファーム暮らしで、マイナー通算292本塁打という記録を残す。

   ファイターズには95年の6月末に入団、その豪快なスイングでホームランを連発した。結局、95年は
  わずか56試合の出場で21ホーマーするという抜群の長打力を見せた。打率も3割を超え、「マイナーと
  はいえ、さすが292発の実力」と評価された。
   当然のように翌年の契約も勝ち取り、シーズン当初からその猛打は炸裂する。前半戦だけで21ホーマー
  を放ち、チームの首位躍進の原動力となった。1シーズンまともに働いたら何本打つのかとファンをワクワク
  させたが、どうしたことかオールスター後はパッタリとあたりが止まった。

   どうもこのブリトー、力強いスイングに似ず、案外と気が小さく神経質だったようで、いったんスランプに
  落ち込むと長引いてしまい、クヨクヨする質だった。とはいえ、率は低かったが29発、83打点は魅力だ
  たと思うのに、なぜかこの年限りで解雇。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ブリトー 右右  外 95 日本ハム  56 214  31  67  50   21   19  65   0 .313
      96  〃 126 470  61 119  83   29   69 147   1 .253
  計         182 684  92 186 133   50   88 212   1 .272

   ティム・マッキントッシュ(Tim Mclintosh)

    86年、ブリュワーズのドラフト3位。91年には3Aで打点王となる。メジャー経験はエクスポスにヤンキース。
   95年にファイターズ入団。
    …実はどうも印象が薄い。マッキントッシュという名前はパソコン・ユーザーにはアピールした(^^;)ものの、
   それくらいしか憶えがないんだよなあ。あとは、バットを握る際に、両手の拳の間に隙間を開けるというフォーム
   だったことくらい。180センチ88キロという立派な体格だったが、期待の長打力はさっぱりで球団は早々に
   新外国人を捜し始め、6月末には解雇された。
    まあ、確かにホームランは少なすぎたけど、打率はそう悪くなかったんだなあ。よく憶えてないけど(^^;)。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
マッキントッシュ 右右  一 95 日本ハム  56 191  16  42  15    3   13  42   0 .298

  ロバート・デューシー(Robert Ducey)

   この人も印象的な人だった。84年にブルージェイズへドラフト外に入団する。レンジャースに順当に昇格し、
  メジャーにも上がったものの、すぐに来日することとなる。カナダ出身の人だったが、肌は褐色だったと思う。
  混血だったのかな。188センチ81キロのスラリとした長身で、足が長かった。開幕戦でいきなり2発もスタン
  ドへ放り込み、ファンや首脳陣を喜ばせた。主に3番や6番を任され、長打力が期待された打者だった。
  打率.249は物足りなかったが、25ホーマーはギリギリ合格点といったところか。
   なかなか脚もあるということで、なんと翌年はトップバッターに起用されることとなる。一発のある一番として
  先頭打者本塁打を8本も記録したものの、さすがに一番打者には向いていないだろう。三振も多く、得点が
  少なかった。成績としては初年度とさして変わらず、それ以上伸びしろがあるとは判断されなかったのか、
  この2年で解雇された。
   帰国後はマリナーズで大リーグ復帰を果たし、以後、フィリーズ、ブルージェイズ、再びフィリーズ、エクスポス
  と転々としている。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
デューシー 右左  外 95 日本ハム 117 425  61 106  61   25   61 103   7 .249
      96  〃 120 427  68 105  59   26   88  90   3 .246
  計         237 852 129 211 120   51  149 193  10 .248

   ビリー・ムニョス(Billy Munoz)

    入団の経緯が非常に変わっている。アメリカでのプロ経験はない。アリゾナ・ウェスタン短大時代の
   チームメイトの林田堅吾がファイターズにドラフト指名された。その林田の推薦によって入団が決まると
   いうものだった。無論、テストは受けたが、その結果、長打力には期待できるとして育てるつもりで獲った
   らしい。
    しかし、まるで目論見ハズレ。1軍どころか2軍戦すら20試合に出ただけで、守備もそうだが、期待の
   バッティングも、とてもプロレベルではないと判断されて1年でクビ。なら、テスト合格はなんだったんだよ
   と言いたいですな(^^;)。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ムニョス 左左  一 97 日本ハム   0   0   0   0   0    0    0   0   0  −

   ナイジェル・ウィルソン(Nigel Wilson)

    87年、ドラフト外でブルージェイズ入り。93年マリナーズ移籍後、3Aで活躍、オールスターにも出た。
   その後、レッズ、インディアンスを経て97年にファイターズ入りする。
    がっしりした黒人の偉丈夫で、持ち前のパワーを活かしたバッティングでホームランを量産した。

    初年度から37ホーマー、94打点と飛ばしたが、2年目には33発、124打点でホームラン、打点の
   二冠王を獲得し、中心打者として大活躍することになる。そして97年には大きな記録を作っている。
   6月21日の大阪ドームでの近鉄戦。第一打席に単打すると、二打席目から五打席目までホームラン
   してのけた。つまり4打席連続本塁打したのである。1試合で4打席4ホーマーしたのは、王以来2人目
   の快挙だ。ソレイタも4打数連続本塁打を記録しているが(それも2度も!)、いずれも2試合にまたがって
   のことだった。

    その後も2000年には37発、89打点を記録するなど、その打力には定評があったものの、どうしても
   ケガがちだった。99年はわずか6試合の出場、2001年も34試合に留まった。2002年には近鉄に
   移籍したが、やはりケガには勝てず、シーズン半ばで退団、帰国している。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ウィルソン 左左  外 97 日本ハム 134  478  67 131  94   37   67 130   1 .274
      98   〃 133  506  65 129 124   33   60 141   0 .255
      99   〃   6   22   1   3   2    0    2   3   0 .136
      00   〃 120  439  72 129  89   37   57  98   0 .294
      01   〃  34  120  13  27  14    6   16  34   0 .225
  計         427 1565 218 419 323  113  202 406   1 .265

  ラファエル・オレラーノ(Rafael Orellano)

   すいません、さっぱり憶えていません(^^;)。92年秋、ドラフト外でレッドソックス入り。メジャーでの活躍は
  なく3A暮らし。97年秋に来日してファイターズの入団テストを受け、合格する。技術的には大したことはなか
  ったらしいが、真面目な練習態度に好感を持たれ、入団を許されたプエルトリカン。

   球威は大したことはなく、変化球でかわすピッチングだったらしいが、そのくせ制球難だったので、これは
  ちょっと救いがたい(^^;)。まあ育てるつもりの獲得だし、素直に言うことは聞くし、練習もちゃんとやったので
  それでも3年も保った。しかし実力不足はいかんともしがたかった。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
オレラーノ 左左 98 日本ハム  14  1  3  30.0   0  0   31  22  25   25 7.50
    99   〃  21  1  5  39.6   0  0   28  27  23   22 4.99
    00   〃   1  0  0   0.3   0  0    2   0   1    1 27.0
 計        36  2  8  70.0   0  0   61  49  49   48 6.17

  エリック・シュールストロム(Erik Shullstrom)

   90年にオリオールズ入り。94年にはツインズに移ったが、97年にはメキシコリーグで投げていた。
  98年ファイターズ入り。先発もしたが、適性もあったのかリリーバーとして活躍するようになる。初年度は7勝8セーブ。
  初めてとしては悪くなかった。それまではストレート中心で、タマが走っている時はいいが、球威のない時は乱打され
  てしまう。抑えとしては防御率がイマイチだったのもそのためだ。そこで2年目は変化球(落ちるタマ)を覚え、これで
  投球の幅も広がるものと期待された。期待通りのピッチングを展開し、1ヶ月ちょっとで1勝7セーブを記録、クローザー
  としてチームのために投げた。

   しかし、その変化球修得がたたったのか、右肩に異常を感じ、5月末には右肩痛で1軍を外れることになってしま
  う。その後も長期欠場で、結局そのまま退団することになる。帰国したものの、翌年1年は治療に努め、アメリカ球界
  にも復帰していない。その後、完治したとして2001年にはカープと契約したものの、往年の力はなかった。翌年は
  右肩痛が再発生、そのまま広島を退団する。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
シュールストロム 右右 98 日本ハム  38  7  3  8  45.0   0  0   25  52  15   15 3.00
    99   〃  14  2  1  7  16.0   0  0    2  21   3    3 1.69
    00   −   0  0  0  0   0.0   0  0    0   0   0    0  −
    01 広 島  22  0  1 11  22.0   0  0    9  14   9    8 3.27
 計        74  9  5 26  83.0   0  0   36  87  27   26 2.82

   ジェリー・ブルックス(Jerry Brooks)

    88年ドラフト12位でドジャースに入団。その後93年にメジャー昇格を果たす。96年にマリナーズ移籍、
   3Aで34本塁打、107打点を記録して、その長打力をアピールした。そこをファイターズに目をつけられ、97
   年に来日する。

    初年度は16発、63打点で、2年目は25発、73打点。とりたてて悪い成績ではなかったが、同僚のウィル
   ソンが打ちまくっていたため、どうしても対比して見られることが多かった。その上、2年目は25ホーマーした
   ものの、打率は.244にまで落ちてしまい、挙げ句、リーグの最多併殺打を記録することになってしまい、す
   っかり株を落としてしまった。この年で整理。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ブルックス 右右  外 97 日本ハム 134 488  61 135  63   16   50  66   3 .277
      98   〃 129 459  58 112  73   25   60  64   1 .244
 計         263 947 119 247 136   41  110 130   4 .261

  シャノン・ウィッテム(Shannon Withem)

   90年にタイガースにドラフト5位で指名されプロ入り。98年にはブルージェイズに移籍し、3Aで17勝を
  マークした。その時メジャー入りしたが、1試合投げただけ。そこを、グロスの後釜を探していたファイターズに
  誘われることになる。

   経歴も体格もグロス似ということで、チームの期待も大きかったが、これが見事に来たいハズレ。コントロール
  が悪い上に、球威も思ったほどではない。一応、先発ローテーションに入ったが、安定した力を発揮することは
  できなかった。その上、せっかく2年目も残れることになったというのに、右ヒジを痛めてしまい、1試合も登板
  することなく退団。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
ウィッテム 右右 99 日本ハム  17  6  7  86.0   2  0   41  31  63   55 5.76
    00   〃   0  0  0   0.0   0  0    0   0   0    0  −
 計        17  6  7  86.0   2  0   41  31  63   55 5.76

   シャーマン・オバンドー(Sherman Obando)

    87年にヤンキース入りしたものの芽が出ず、オリオールズ、エクスポスと転々。99年は失意のうちに
   メキシカンリーグでプレイしていたが、ここで幸運の女神が微笑んだ。故障したウィルソンの穴埋めを探し
   ていたファイターズが彼を発見したのだ。もちろんオバンドーは嬉々として来日。それが5月の末だった。

    彼は完璧だった。故障したウィルソンの活躍をカバーしてあまりある働きをやってのけた。99年は94試合
   の出場で20ホーマー、62打点をマーク、打率も3割を残した。思わぬ拾い物に喜んだファイターズ。
   来日を喜んでいたのはオバンドーも同じで、2年目も素晴らしい成績を残した。ケガをしたためフル出場では
   なかったが、30ホーマー、101打点、.332は主軸として恥ずかしくない立派な成績だ。

    しかしケガが彼を苦しめる。2年目もそうだったが、3年目は右膝がさらに悪化、52試合しか出られかった。
   それでも15発打ったのはさすがだが、翌4年目は思うように打てず、シーズン終了前に退団することと
   なった。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
オバンドー 右右  外 99 日本ハム  94 346  49 106  62   20   45  65   0 .306
      00   〃 107 385  79 123 101   30   75  63   3 .332
      01   〃  52 201  29  52  51   15   22  38   0 .259
 計         253 932 157 281 214   65  142 166   3 .297

   フランクリン(Micah Franklin)

    フランクリンもウィルソン欠場の穴を埋めるべく獲得された選手だ。経歴は、90年のドラフト3位でメッツ
   に指名されプロ入り、97年にメジャー昇格する。しかし大リーグの壁は厚く、再びマイナー落ち。98年に
   は3Aで打率.329、29ホーマーを打った。来日は99年である。

    初年度から自慢のパワーを披露、ほぼフル出場して30ホーマーした。打点も80あり、オバンドーとの
   コンビで、ウィルソン欠場を感じさせない活躍をして見せた。しかしながら2000年にはそのウィルソンが
   復帰していしまい、外国人枠の関係上、誰かがファームへ行かざるを得ない。こうなると、長打力はあった
   ものの、粗っぽくて打率の低いフランクリンが落ちることになる。

    当然、フランクリンも釈然としなかったが、6月に阪神から声がかかった。持ち前の長打力に魅力を感じ、
   スイッチヒッターというのも悪くなかった。かくて金銭トレードでタイガースへ移籍することになる。しかし
   ながらケガをしてしまい(どこだったっけ?)、思うように打てないどころか欠場が多くなる。結局、見切りを
   つけられて、シーズン前半で退団。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
フランクリン 右両  外 99 日本ハム 131 428  67 102  80   30   86 125   0 .238
      00   〃   5  15   2   3   0    0    5   6   1 .200
      00 阪 神   8  29   5   5   6    2    6  13   0 .172
 計         144 472  74 110  86   32   97 144   1 .233