● ハッピイ・エンドの功罪(99.2.15)
「とらいあんぐるハート」を一応終えて、ふと感じた違和感を、つらつらと並べてみます。
エロゲーにおけるTRUE ENDって、ほぼ100%ハッピイ・エンドですよね。「そりゃ当たり前だよ」って思った方、じゃあ例えば小説やコミック、映画でもいいや、そういう他のメディアで展開される物語のすべてが、ハッピイ・エンドですか?
ハッピイ・エンドというやつは、実に不思議な効果をもたらします。ストーリーの途中でどんなにひどいことがあっても、主人公が殴られても、ヒロインが犯されても、エンド・マークがつくところで二人とも(あるいは周辺のキャラも含むみんなが)笑顔であれば、それでプレイヤーは強烈なカタルシスを覚え、ゲームに好印象を持つことになります。二人は末永く仲良く、幸せに一生を全うしましたとさ。めでたしめでたし。いやほんとにめでたい訳です。苦労したんだから。これで主人公に、あるいはヒロインに死なれでもしたら、寝覚めが悪い。爽快感を味わえない。苦労してフラグチェックした甲斐がないというもんです。
でもね、ちょっと立ち止まって考えてください。主人公が死ぬことが必然だったり、ヒロインが死ぬこと、あるいは姿を消すことが必然だったりするストーリーだって、結構ありますよね? 馴染みが深いところでは、「雫」の最初の瑠璃子エンディング。「痕」の最初の千鶴エンディング。そりゃね、助けられた方が、もしくは自分への好意をいちばんに考えてくれた方が、気持ちいいのは当然です。でもあのエンディングは、どうでした? プレイヤーに媚びてるな、なんて思いませんでした? 実は私は、あの“TRUE END”にようやく到達できた瞬間、ひどくほっとした反面、「やっぱりなー」なんて思ってしまいました。
ハッピイ・エンドは、気持ちいいんですが、ストーリーを殺しちゃうものです。これは以前、小説を書いてた時分に、友人に指摘されました。こんなのかわいそうだよ、だけど仕方ないじゃない、というエンディングがいちばんぐっとくる、それは多分疑いのないところです。でなければ、最初にもうとりかえしのつかないことが起きていて、そこから立ち上がる、というエンディング。こんなエンディングを、私は以前から、「バッド・ハッピイ・エンド」なんて呼んでました。自分の書いた小説の7割は、こんなエンディングになってました。俺的にはいちばんこれが気持ちよかったから。
エロゲーには、不可解なことに、こういう「バッド・ハッピイ・エンド」が少ないんです。萌え萌え系のメインキャラなんか特に。で、鬼畜系はそういう世界にいないから、もう救いようのないアンハッピイ・エンドになってたりする。残りはすべてハッピイ・エンド。薔薇色の世界っスねえ。
思うに、こういうエロゲーをプレイする層にいちばんヒットするのが、ハッピイ・エンドなんじゃないでしょうか。しかも大団円、みんながハッピイになってるという、完全無欠のハッピイ・エンド。そういう話じゃないと、納得できない。短い話ならともかく、3時間も4時間もプレイしてきて、最後にとんでもないエンディング見せられた日にゃあ、おじさんもう暴れちゃうぞという層。もちろん私も含めてね。
それともうひとつ、エロゲーにハッピイ・エンドが目立つ理由があります。高い金払ってるんだから気持ちよくさせてくれよ、という、メーカーに対する無言の圧力。
そんな訳で、今日も私はハッピイ・エンド目指して選択肢をクリックしてます。
あ、ちなみに、この話を思いついたきっかけというのは、「とらいあんぐるハート」の七瀬エンディングを経験したからです。私としては、ここまでハッピイ・エンドにこだわるこのメーカーに、エロゲー屋の性(さが)を見たような気がしたもんです。