短編小説「象だゾウ」



 婆さんが死んだので、家の中は大変だ。
 でも、僕はゾウだから関係ない。
 朝からおじさんたちが、一生懸命に働いている。たんすをひっくり返し、仏壇の裏を探って、保険証とか通帳とかをサルベージしている。電話も鳴り続けている。
 まあ、頑張ってよ。
 家族の中でゾウなのは僕だけだ。だからいつも、家のことには関心がない。ゾウはただバイクで走って、タバコを吸って、時々家族の誰かをぶん殴っていればいいんだ。
 今では誰も僕にまともに話しかけない。僕がゾウだからだ。
 人間は人間だけで仲よくやればいい。
 葬儀屋さんが来て、おじさんと話している。近所の親戚の人がやって来る。お悔やみの言葉をもごもご言って、また家の中が騒がしくなる。
 僕は外に出た。腹がへったからだ。どうせ誰も、ゾウの僕にご飯を作ってはくれないのだ。
 バイクに乗るけど、ヘルメットなんかしない。ゾウの頭に入らないからだ。そのまま国道に出て、彼女のアパートへと出かけた。
 彼女はメスのゾウだ。中学の時にゾウデビューして、以来一度も人間になんか戻っていない。だから髪の毛が茶色い。学校にも行ってない。
 僕たちは交尾をして、それからカップラーメンを食べた。
 婆さんが死んだことを話すと、彼女は「ふ〜ん」って言った。もう一度交尾したあと、毛布をかぶってそのまま寝た。お葬式が終わるまで、このまま寝ていられればいいな、と思った。


 人が死ぬと、夢に出るという。
 でも、僕の夢には婆さんは出てこなかった。
 それは僕がゾウだからだ。
 ゾウの夢には出てくれないのだ。
 なんだか悲しくて、涙がぽろぽろ、ぽろぽろ出た。
 僕はどうしてゾウなんだろう。
 ゾウなんかやめたいのに。


 きっと、ゾウはお断りだと思う。だから、遠くから眺めて帰ろうと思う。
 黒い服を着た人たちが、ぞろぞろ、ぞろぞろ入って行く。
 死んだ婆さんにお金を持って来ているのだ。でも、それは僕のものにはならない。お葬式の費用に使われるのだ。
 すごく無駄なことだ。僕は頭にきた。
 どうせ婆さんは死んでいるのだから、僕にくれた方がいいに決まっている。こんな簡単なことも分からないなんて、人間は本当に馬鹿だと思う。
 僕はバイクを降りて、会場へと向かった。少しはお金を分けてもらうつもりだったからだ。
 みんな、僕を避けている。当たり前だ。ゾウなんだから。
 お金を入れた袋がたくさんある。僕がそれに手を延ばすと、珍しくおじさんが僕を止めた。いつもなら、そんなことできないのに。
 だから殴ろうとした。もっとたくさんの人に止められた。暴れているうちに、婆さんの顔が目に入った。
 婆さんの棺桶がある。たぶん、あの中に婆さんの死体があるんだろう。
 僕は興味を覚えてそっちに向かおうとした。なぜかみんなが止める。僕はただ、婆さんがどんな顔で死んでるのか見たいだけなのに。
 どうしていつも、思い通りにいかないのだろう。
 僕は何もかも嫌になった。だから暴れた。涙が出た。ぽろぽろ。ぽろぽろ。
 もうめちゃくちゃに泣いた。うずくまって泣いた。もう誰も僕を押さえていない。婆さんの前で、大声で泣きわめいた。
 泣きながら、謝っていた。
 ごめんよ。ごめんよ。
 どうして謝るのか分からない。だけど止まらなかった。ごめんよ。ごめんよ。気がつくとみんな泣いている。おじさんも、近所の親戚も、みんながみんな泣いている。
 ごめんよ。ゾウでごめんよ。
 僕がゾウでごめんなさい。
 すると突然、おじさんが僕を抱きしめた。お前はゾウじゃない、お前はゾウじゃないと言いながら。
 違うよ。僕はゾウなんだよ。
 今度はぶたれた。生まれて始めて、おじさんにぶたれた。そしてまた抱きしめられた。お前はゾウじゃない。お前はもう、ゾウじゃないんだ。
 僕は生まれて始めて、おじさんに言った。
 ありがとう。
 そして、みんなで泣いた。僕はこの瞬間だけは、きっとゾウじゃなかったと思う。


 ボタンを押すだけでいいんだ。こんなの簡単だ。
 それよりも、おじさんが誉めてくれるんだ。
 今でもやっぱりゾウかも知れない。だけど、この時間は人間なんだ。
 洗濯機がごんごん動き出す。あとはおじさんに任せて、遊びに行こうと思う。
 外では今もゾウで通している。だけど、今までとは違うゾウだ。僕の子供が、僕の棺桶の前で泣いて欲しいと思っているゾウだ。
 昨日の夢に、婆さんが出てきた。笑ってた。
 許してくれたんだ、と思う。



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