短編小説「素敵な旅行」



 おだやかな風が吹いています。
 草原が、はるか遠く、空と触れ合っています。
 女の人は、そこに立っていました。
 鮮やかな黄色の服を着て、ふわふわの白い帽子をかぶっています。
 そして言いました。
 「私は、産まれたいのです」


 ここで、サナエは目が覚めました。
 不思議な夢です。あの女の人は、いったい誰なのでしょう。
 産まれたい。女の人はそう言っていました。サナエは首を傾げます。
 サナエはまだ12歳です。子供が産めるわけがありません。
 だから、なぜそんなことを頼むのか、さっぱり分からないのです。
 しかし。
 あの女の人の、切実な瞳。
 とても心に残る瞳でした。
 これはきっと何かある。サナエはそう思いました。
 ただ、それが何なのか、まだ分からないのです。
 今日、学校に行ったら、この不思議な夢の話をみんなに聞かせてあげよう。そう思いながら、サナエはベッドを出ました。
 この前の旅行の時に写した写真が、サナエの机で日に当たっています。
 草原の中で微笑む自分。
 あの夢と、同じ景色がそこにありました。


 その日の夜。
 女の人は、またサナエの夢に出てきました。
 今度も同じ服、同じ帽子で、同じことを言いました。
 「私は、産まれたいのです」
 前の時はここで目が覚めました。今夜は、まだ夢の中にサナエはいます。
 だから聞いてみました。
 「あの、どうしたらいいですか?」
 すると、女の人は答えました。
 「私を、あなたの家の…」
 ここで目が覚めました。


 サナエは、腹筋をしています。
 今夜、よく眠るためです。
 きっと今夜も、あの女の人は来る。サナエはそう信じて、早く寝ることにしたのです。
 だから、早めにベッドに入りました。
 緊張して、かえって眠れません。
 それでもどうにか眠ると、すぐにまた夢を見ました。


 「私は、産まれたいのです」
 「あの、どうしたらいいですか?」
 「私を、あなたの家のお庭に埋めてください」
 女の人は言いました。
 サナエは、わけが分かりません。
 「それは、どうやって…?」
 そう聞くと、女の人は答えました。
 「明日はとても日差しが強いです。だから…」


 サナエは飛び起きました。
 あわてて、旅行の時にかぶった帽子を手に取ります。
 あった。これが女の人だ。
 サナエは、ようやく見つけました。


 しばらくして、葉が出てきました。
 すぐに花も咲くでしょう。
 あの日以来、女の人は、もうサナエの夢には出てこなくなりました。
 やっと、産まれたね。
 サナエは庭を見るたび、あの夢を思い出します。


 そして季節は巡ります。
 ある日、サナエの夢の中に、またあの女の人が出てきました。
 今夜の女の人は、あの時よりも、少し大人になっていました。
 胸に、赤ちゃんを抱いています。
 ああ、そうか。
 サナエは気がつきました。もうそんな季節なのです。
 サナエは、にっこり笑いました。
 女の人も笑っています。
 赤ちゃんも、笑いました。
 いよいよ明日だね。サナエはそう思いました。


 朝起きると、サナエは急いで庭に降りました。
 おだやかな風が吹いています。
 草原を揺らしていたのと同じ風が、今、庭に吹いているのです。
 サナエがいつも見守っていた女の人は、ふわふわの白い帽子をかぶっていました。
 それが、一つ、二つ。
 風に乗って、青い空へと飛んで行きます。
 よかったね。
 素敵な旅行になるといいね。
 サナエは、心からそう思いました。
 澄んだ空に旅立って行くたんぽぽの綿毛。
 いつまでも、いつまでも、サナエは見送っていました。



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